オーガ娘と孫
元水戸街道の道路上で、1人の少年がオークの集団に囲まれていた。
状況としては、どう見ても少年の方が襲われる側なのだが、実際にはその逆。
むしろオークの目には決死の覚悟が浮かんでいた。
というのも、オーク達は理解しているのだ。
ーーーコレを油断してはならない。
彼らの本能が、年端もいかぬ子供に対して、そう警鐘を鳴らしていた。
「うりゃ!」
事実、そのマントにゴーグル姿の少年は、一声掛ける事に豚っ鼻のオークをコアごと両断してしまう。
普通に考えれば、たった14歳の子供が、モンスターを背骨ごと刃物で切断する事など出来る筈もない。
しかし、現実とは奇なるもの。
彼は、蛮勇にも単独でオークの群れへと戦いを挑み、しかして、瞬く間に敵の数を減らす事に成功していた。
「おらおら! オークとあろう者どもが、子供相手にジューリンされてんじゃねぇぞ!」
敵に見せつけるように剣を振り回す少年。
彼の言葉遣いは基本悪い。
育ちのせいと言ってしまえばそれまでだが、彼の周りには、まともな家族がいなかったのが理由としては大きいだろう。
常日頃から家族から同じような口調でボコボコに痛めつけられているので、いざ逆の立場になってしまえば、少年も同じように周りに対し振る舞うようになってしまった。
「ケッ! つまらん弱過ぎる。ならどうする? 決まってるー! モンスターを進化させちまえばいいっ! ヒィヤッホー!」
答えなど最初から決まっていた自問自答を無駄披露しつつ、包囲網を作って一斉攻撃を仕掛けようとしていたオーク達に対し、少年はあたかも剣舞でも舞うように一回転二回転と回ってみせて、オークの首8個を一瞬にして跳ね飛ばしてしまう。
子供のくせに恐ろしい強さである。
続け様にバタンバタンと倒れ伏すオーク達。
もはやこの場に立つモンスターはおらず骸の山。
何も知らぬ者から見たら、戦闘はこれにて終結となる所だろう。
だが、足立区のモンスターには、ある特性が秘められている。
それは、コアを破壊しない限り何度でも復活するというもの。
コアの位置が分からなければ勝つ事が出来ない。
正に半不死身の化物というわけである。
ん? それじゃありきたり?
なるほどそうかもしれない。
確かにこれだけじゃ芸がない。
ということで、迷惑な追加要素まで存在している。
足立区のモンスターは、何と死んで生き返ると進化を果たす性能までも有していた。
例えば、ゴブリンの一例ならば、
ゴブリン → ホブゴブリン
ホブゴブリン → ゴブリンソルジャー
ゴブリンソルジャー → ゴブリンナイト
ゴブリンナイト → ゴブリンジェネラル
ゴブリンジェネラル → ゴブリンキング
と言った具合で、蘇る度に進化する。
現在においては、最上位以降の進化は確認されていない。
ちなみに、これはあくまで一例であり、ゴブリンがゴブリンシャーマンに進化する場合もある。
この派生での最上位進化体は、ゴブリンカラミティと言われている。
一応言及するなら、レア度で言えばゴブリンキングよりも更に上となるだろう。
さて、では今回のオークの進化先が何かと言えば、ハイオークとオークファイターの2種がメジャーだ。
そのいずれの場合も、強さで見れば普通のオークの数倍。
いかに少年の戦闘力が高かろうと容易く勝てる相手ではない
「じゃりゃ! 一刀両断!」
のだが、生憎と少年の強さは、個体性能だけではないのだからオーク達も浮かばれない。
少年がその手に持つ武器は、少しばかり相手とのステータスに開きがあったところで関係ない程の攻撃力を有していた。
つまりは、武器がスペシャル。
固有特性は、モンスターを切った数だけ切れ味が増す、というもの。
しかも、意味は分からないが上限なし(だから鞘がなく常に抜き身)
もう数代に渡って鏡家に伝わっている、ただ切る事にのみ特化した剣は、対モンスター戦では非常に勝率の高い武器となっていた。
余談だが、少年が勝手に付けている、この剣の名称は、『ドラゴンキラー』
足立区封印後40年の歴史本の記録によれば、ドラゴンの牙を削り出して作られた名剣とされているためだ。
もっとも、実名は別にちゃんとあり、本来の銘は『ナマクラ』だったりする。
作成された当時は、小枝一本切れなかった為だの思われるが、さて、ドラゴンの牙という話は本当なのか疑問が残るところである。
というか、実際のとこドラゴンの牙だなんて、まるっきり嘘っぱちなわけだが……
それはともかく、この『ナマクラ』以外にもモンスターを利用して得られた武器は幾百か現存している。
総称を、『カリモノ』
これは、モンスターが生まれた時から死ぬまで所有している武器を、人間が借り受けて使用している事に由来している。
残念ながら、人間に『カリモノ』を作り出す力はない。
また、全てのモンスター所有の武器に言える基本特性としては、所持者であるモンスターが進化する度に武器もまた進化するというものがある。
要は、大抵のゴブリンが持っている棍棒も、ゴブリンキングになる頃には、何某かの宝剣になっているというわけだ。
てなわけで、ズル賢い人間様は、『カリモノ』と、その特性を得るために、モンスターを上手いこと利用して(かなり非道な方法で)モンスター討伐などで活用しているのであった。
「弱い! 我がドラゴンキラーの前では、2段階目なぞゾーヒョーよ! くぅぅぅ~わっはっはっはっ!」
はい、父親の真似です。
少年の父も大概な戦闘狂で、仕草がちょいちょい大仰になる。
普段その父親は非常に温厚で優しいのだが、何故か戦いとなるとタガが外れるらしい。
人間のくせにバトルハッピーとか、何とも難儀な性格である。
おかげで、少年も戦闘時のカッコいい父親の真似をして、常時この調子の傾奇者に育ってしまった。
間違いなく教育方針を間違えたと言えよう。
せめて実力が伴っていればいいのだが、生憎と甘いところばかり。
つまり、常に隙だらけなのである。
「って、あり? オーク共どこいった?」
言った側からこれだ。
盛大に笑った後、おかしいな~と思いながらキョロキョロと周囲を見渡す少年。
だが、残念ながら周りには何もなく、残っていた筈の、まだコアを破壊していないハイオークが5体を視認出来なくなっていた。
目を凝らしても耳をそばだてても何の気配も感じられない。
これは、どうやら2段階目に進化したオークを取り逃してしまったらしい。
はい、当然少年は焦る。
「…………やばい! ママに殺される!?」
半分事実だ。
少年の母は強い。
足立区最強家系とされる鏡家に嫁いできた彼の母は、鏡家の嫡男である無防備な父親をボコボコに出来るくらいには強い。
本当に意味が分からないくらいの傑物なのである。
もし、夫婦喧嘩にでも発展した日には、父親の方がワンパンノックアウトされる事請け合い。
言わずもがな、息子である少年などデコピン一つで意識を持っていかれる事だろう。
あの嫁は、一体何者なのか。
それは、足立区の謎、という事にしてあった。
本当のところなど意味はない。
では、本題。
進化したモンスターを取り逃すというのは、鏡家家訓に反する重大な規律違反に当たる。
というのも、進化したモンスターはある程度知恵も周り、下手をすれば、たったの1日で、2段階目ばかりで構成された百体以上もの群れを作る可能性があるからだ。
かつて、安易な理由でコボルト1匹を取り逃した為に起こった、取り逃しモンスター襲撃事件、通称ハイコボルト事件は、区民全体のとても苦い教訓となっている。
以降、自らが責任で2段階目以上に進化させてしまったモンスターは、自らの責任を果たし確実に討伐すべし、という暗黙の了解が取り決められた。
とはいえ、直接の加害者ではない事に加え、大抵この類の過ちを犯すのが子供であることや、実質的に国という括りがない事で法律が成立しにくいのもあって、公的な処罰は定められていない。
だが、もしも万が一被害が出てしまった場合は、世論の不満解消のため罰則が常となっていた。
一方で、罰則については、それぞれの派閥、一族にて判断される事になったのである。
では、鏡家での取り決めがどうなったかと言うと、名家であるが故に厳罰が下される事と相成った。
罰名、私刑。
リンチである。
流石に、直接殺される事はないのだが、老若男女問わず、問答無用で半殺しは確定。
しかも、その後最低1ヶ月は家の敷居を跨ぐ事が許されず、怪我の治療も受けられないし、当然食事も出して貰えない。
無論、近所や仲間内からのお目溢しを受ける事も禁止。
怪我をした体を引き摺りながら、水も食糧も自分で獲るしか無いのだ。
仮に違反すれば、無手でモンスターの群れに投げ込まれる場合さえあり得るのだから、下手に違えようなどとは思わない。
これほどの重罰となれば、14歳の子供でなくとも泣きたくなるどころか絶望感に沈んでしまう事だろう。
だが、たった1人の迂闊な判断によって人的被害が出てしまう可能性と、何より貴重な武器である『カリモノ』の優先的な選択権及び保有という破格の特権を得ている鏡家という立場と責任を鑑みれば、例え我が子であっても厳しく対処する事が求められたのだ。
「どどどどどどどどうしよう!! ちょちょちょ調子乗り過ぎた!」
慌てながら、とにかく走ってハイオークを探す少年。
でも、やはり見つけられない。
これで、もしどこかの場所で、ハイオークからの被害でも出た日には、足立警察が徹底的に調べ上げて必ず自分に辿り着いてしまうかもしれない。
そう思うと、少年は気が気では無かった。
そして、少年のこの考えは正しい。
40年前、当時竹の塚警察署という名前だった、現足立警察の魔法管理科には様々な魔法のスペシャリストが所属している。
その中には、過去視の魔法師も存在しており、立っている場所の過去を見る事が出来た。
オークの行動を遡れば、進化の状況まで行き着くのは用意だった。
「とにかく探す? 誰かに頼る? ぐあああぁ、でもだけどやっぱりそれでもどうすれば!?」
無い頭で考えても大した事など思い付かない。
少年は、紛れもない脳筋。
他の兄妹はともかく、彼だけは足立区の英雄足る父親の影響を非常に強く受けていた。
悪い意味で……
例えば、当該父親が同じ状況に陥ったのであれば、全方位の索敵を掛けて敵を殲滅するか、そこら中を走り抜けて目標を発見して殺すだろう。
当該父親には、それだけの能力がある。
だから、最悪の状況ですら問題にならない。
が、少年には父親ほどの力はない。
同年代からすれば卓越している部類だろうし、年齢的な意味で魔法を習得していなくても、魔法の使える20歳未満にだって遅れを取る事は少ない。
この少年は、血筋もあってか、兄などを差し置いて鏡家次期当主とされる程に、非常に有望視される人材なのである。
しかしながら、今の事態を自分だけの能力で責任を果たすには、まだ限界があるのが現実だった。
なので本来ならば、ここは単純に学校で教わった行動を取れば良かった。
何か?
それは、場所や時代が変わっても、決して変わらぬ至言に秘められている。
報連相。
至極普通に、事実をありのまま報告して周囲に助けを乞い、最悪の事態を確実に防ぐ事で情状酌量を期待すればいいだけの事なのだ。
だと言うのに、変に事態の隠蔽を図ろうとしたり、勝手な思い込みで、自分の責任を果たすと言う言葉を、自分の戦闘力のみ単独での状況解決を図る、という認識をするのがおかしいだけなのだ。
正に脳筋。
迷惑ばかり起こす世の害悪そのものだろう。
第一、ちゃんとその辺も学校で口酸っぱく教えているのに、聞いていなかったり理解していなかったりする方が悪い。
自業自得なのである。
「うぅぅ……やだよぉ……いてくれよぉ……」
半泣きかつ情けない声を発しながら走る少年。
けれど、ハイオークは見つからない。
五反野周辺は、40年前と比べると、もうかなり見通しが良くなっているので隠れられる場所は少ない。
よって、探せる場所そのものは限られていると言える。
「でも、でももし、もしも橋を越えられてたら……」
そう、それが最も厄介な状況。
橋越え……つまり、千住新橋を越えて北千住方面にまで逃げられていたら、とてもじゃないが少年の手には負えない。
何故なら、北千住こそがモンスター達の総本山。
30年経った今では、人間は誰も踏み入る事の出来ないモンスターの巣窟。
もしも一歩でも、そのテリトリーに侵入すれば、たちまち数百のモンスターに囲まれて、1分も経たない内に挽肉にされてしまう事だろう。
「お願い……お願いだから、まだ橋前にいてくれよぉ……」
流石の少年も、北千住エリアに踏み入る程の蛮勇ではない。
というのも、以前兄と共に、江北エリアの偵察に向かった時、偶然にも出会してしまったオーガの最上位であるマルスオーガを目にした事があったからだ。
最終的には、兄が決死の覚悟で放った攻撃によって辛くも撃破したが、その戦いは壮絶極まりないものだった。
ほんの僅かでも何かが異なれば、その場にはオーガ以外生き残れなかったに違いない。
その光景を怯えながら目視した少年は、モンスター最上位の恐ろしさを肌で感じとったのである。
そして、北千住エリアには、そんな最上位種が星の数ほど存在すると語られているのだ。
とてもじゃないが少年の足を運べる場所ではなかった。
「……え、今、何か?」
不意に、少年の耳に何かの音が届いた。
音としては軽く鋭い。
しかし、金属の音ではない。
むしろ打撃音に近いと思うが、それにしては音が高く鋭過ぎる気がした。
ゴクリと喉を鳴らす。
少年は理解している。
モンスター領域で、この類の違和感に遭遇した場合は、大抵高位のモンスターが関わっている事を。
決して、近づいてはいけない。
頭では分かっている。
だが、状況を確かめたいという好奇心が強くなるのも道理。
正体不明な何かが人間の領域の側にいるなんて思えば、少なくてもいいから情報が欲しい。
或いは、ハイオークを逃した言い訳が欲しいという打算もあったのかもしれない。
「多分、この辺り……」
少年は、運命の時を迎える。
音の発生源が、元五反野駅前にある朽ち果てたビルの裏側にいると見た少年は、恐る恐る現場を伺った。
ゆっくりと見えてくる全貌。
するとそこには、とても小柄な人型の何かが、さっき聴こえた音を発しながら、少年が取り逃したハイオーク達の腹を殴り消していたのである。
見れば、周りにもモンスターの腹抜き死体が5体分が転がっていた。
「ダレ?」
「っ!?」
その一声に、少年は戦慄した。
一つは、自分が状況を見る以前から、ソレが自分の気配に気づいていた事に。
一つは、2段階目であるハイオークのコアを、意味も理屈も分からぬ攻撃で容易く消滅させていた事に。
そして最後に、ソレは以前見たマルスオーガに並ぶ程の力を秘めていると確信したからであった。
「デテコイ。メイレイ」
やや片言な言葉遣い。
だが、それは間違いなく日本語である。
つまり、モンスターの中でも言語が使われているかもしれない事を示している。
そして、もし人間に化けられるモンスターがいて、十全に言葉も使えるとなれば、その衝撃は全面戦争へと繋がる可能性すらあった。
だが、少年はそれどころではない。
自分より遥かに強い者からのプレッシャーに耐えるだけでも精一杯。
或いは、ここで即座に逃走を選択したなら、ソレも深追いする事はなかったかもしれないというのに、残念な頭のせいで、逃げる=悪という阿呆な影響がこびり付いている。
哀れで愚勇な少年は、恐怖から目を逸らしたり、逃げ出せるような小心者になれなかった。
「スナオデヨイ」
結果、真っ直ぐにソレを見据える。
そして、ソレもまた少年をハッキリと目に捉えた。
ーーーここから運命が動く。
少年と鬼の少女、2人の出逢いから、40年という長い時間封印されてきた足立区の解放の物語が始まるのだった。