二人一緒だった、ってとこだけは大ラッキー
「……変なことになったね」
「異世界召喚なんて、ホントにあるんだねぇ……」
部屋から出て行くエンマを見送り、扉が閉まった途端に花梨の表情が変わる。
ここまではほとんど堅い表情をしていたのだが、今ははっきりと弱りきった顔だ。
家の中なら泣いているし、中学時代なら泣き出すギリギリのところだろう。
ちょいちょいと手招くと、トボトボと花梨が近づいてくる。
両手を広げてハグをすると、花梨の顔からは表情が消えた。
これは怒っているのでも、弱っているのでもなく、花梨の気が抜けた時の顔だ。
花梨はあまり感情を表へ出さない性格をしているので、無表情こそが気の抜けている時の顔なのだ。
「でも、召喚モノとしては、結構いい待遇じゃない? 勇者でも聖女でもないから、旅に出ろって言われることもなさそうだし、召喚被害者として保護もしてくれるみたいだし……って、違うな」
ごめんね、花梨。
そう謝りながら、花梨の頭を軽く撫でる。
「私が面白半分に光の蔓なんて掴んだから……あの時、花梨は蔓を切れば召喚が防げるんじゃないか、って思いついてたのに」
「……召喚は防げたかもしれないけど、全然違う場所に放り出されていた可能性もあるよ。その場合、最低限の知識も取れなかったと思うから……逆に良かったんだよ。レンちゃんの判断で正解」
魔力や活力を奪って、その結果か契約の主従が反転した。
術者の近くに召喚されて、すぐに誘拐被害者として保護してくれる人物も見つかっている。
私たちの保護者となったレアンドロは、弟に対する態度は辛辣なものの、部下には公正で、私たちを子どもと判断していて親切で甘い。
異世界召喚という未成年者の略取・誘拐はどうかと思うが、身一つで外国に放り出されたとでも考えれば、早々に保護されることが決まった現状はそう捨てたものではないだろう。
顔をあげた花梨は、もう真顔をしていた。
少し表情が出てきたので、気持ちを切り替えつつあるのだろう。
「リンはすごいなぁ……もうそこまで考えてたのか」
私の方が姉なのに、花梨の方がしっかりしている。
それはお互いに認めることなので、私たちは役割分担で揉めることは少ない。
「……考えなしの姉でごめん」
「考えるのは私の仕事だもん。レンちゃんは、考えすぎて動けなくなった私の手を引っ張るのが仕事」
それにね、と花梨は一度言葉を区切った。
「異世界召喚がどっちのせいだ、って言うなら、私がレンちゃんを巻き込んだんだよ」
いろいろありすぎて忘れそうになっているが。
この異世界召喚は、池に落ちたところから異変が始まっている。
池に落ちたのは、平本弓子に自分が池へと落とされたからだ。
私はそれを助けようとして、巻き込まれて一緒に池に落ちただけだ、と花梨は言う。
光の蔓を引っ張ったのは私だが、最初のきっかけは自分である、と。
「……それで行くなら、一番悪いのは平本弓子じゃない? なんだっけ? ユーヤって子に片思いしてたか何か知らないけど」
「ユーヤって、誰?」
「おおーい。リンの級友だよ。リンに告白して振られたって聞いたけど……?」
「……ああ、えっと『スギナカ君』? 普段から挨拶すらしない級友に突然「俺と付き合って」なんて言われても、お断り以外の選択肢はないよ」
「むしろ、なんでその『スギナカ君』とやらは、そんな親密度で告白が成功すると思ったのか」
男の子って解らない、と花梨と顔を見合わせて首を傾げ、プッと二人同時に噴出す。
花梨に振られた杉中優也には悪い気がするが、ここは笑いのネタになってもらおう。
私のせいだ、と花梨が落ち込むよりは、同級生を一人生贄にした方がいい。
それに、杉中優也だって、振られた腹いせか花梨を『根暗女』と罵倒していたのだ。
異世界で花梨の心を守るネタにされるぐらい、甘んじて受け入れるべきだろう。
「巻き込んでごめんね、って思ってるけど、レンちゃんが一緒でよかった。一人じゃ怖くて、泣いて、たぶん何も言えなかったと思う」
「そうだね。二人一緒だった、ってとこだけは大ラッキーだったね。……あれ? それだと平本弓子には感謝するとこ?」
「それはそれで微妙。池に突き落とされたことは一生許さない」
ムッと眉を寄せて、花梨が唇を尖らせる。
だいぶ調子が戻って来たようだ。
各部屋に一つずつあったらしい机を突合せ、花梨と部屋に置きたい家具についてを話し合う。
メモに注文を書けば入浴中に妖精が用意してくれるというのは、なかなかに楽しみだ。
もちろん、日本語で書いても妖精には読めないので、この国の文字を使って注文表を書く。
たまたまか、召喚獣――勇者という触れ込みではあったが――を使うのに便利だから、都合の良い世界を狙って召喚対象を選んだのか、文法がこの国の言葉と日本語はほとんど同じだ。
さすがに『ひらがな』や『カタカナ』『漢字』はなく、アルファベットに類する文字を使い、それをローマ字読みするような感じで読む。
文字さえ覚えれば現段階でも文章を読むことができたし、すぐに覚えることは無理でも、アルファベットとの対照表を作ってしまえば書くことも簡単だった。
あれもこれもと欲しい家具を書き出し、逆に多すぎると今度は減らす。
この国の物価も判らなかったし、妖精の価値基準次第では支払いが足りなくなりそうだったので、優先順位もつけていく。
そうしているうちにエンマが食堂から夕食を運んで来てくれた。
「本当は早く魔法棟に慣れてほしいから、食堂で食べてほしいのだけど……」
「私はそれでも大丈夫だけど……」
「私はまだ無理」
食堂に行くのなら、私に自分の分の食事を運んでほしい、と花梨が言うので、私も部屋での食事を選ぶ。
花梨よりは社交的な性格をしているつもりだが、さすがの私も突然異世界に来て、その日のうちに新しい環境に慣れることは不可能だ。
食事は部屋へ運べばいい。
エンマも、レアンドロから私たちの世話を任されていたので、しばらくはこの我儘を許容してくれるだろう。
しかし、どうしても外へ出なければならないこともあった。
「お風呂って……人が少ない時間ありますか?」
やはり、風呂ばかりはどうしようもない。
部屋に浴槽がない限り、部屋に篭って入浴を済ませようとすれば、とんでもなく手間がかかることになる。
もともと風呂が無いというのなら、無いなりに我慢もできるが、魔法棟を案内された時点で風呂がある、という話はされていた。
こうなってくると、『風呂を我慢する』という選択肢はなくなる。
……異世界ファンタジーって、お風呂は主人公が作るものだとばかり思ってたよ!
まさか最初から風呂があるとは思わなかった。
なんとなく『中世風』と頭につくファンタジー世界に風呂は無い、あってもサウナのようなものだと思いこんでいたのだが。
……古代ローマにはもうお風呂はあったよ、レンちゃん。
だから『中世風』と頭につくファンタジー世界に風呂があることは不思議でもなんでもない、と花梨がツッコミを入れてくる。
古代にあったのだから、中世にあっても不自然ではない、と。
ではなぜ地球の西洋圏で風呂文化が廃れたのか、と話が脱線し始めたところでエンマが「昼間なら利用者が少ない」と教えてくれた。
魔法棟は棟を預かる家政精霊――エンマのことだ。つまり、レアンドロ自慢である――の力が強く、騎士棟よりも魔力を使う施設が充実している。
そのため、風呂は二十四時間利用でき、女性の利用者は多い。
夜はほとんど誰かしら風呂を利用していて、誰とも会わないということは不可能だ、と。
「……じゃあ、今夜は我慢するしかない感じ?」
「いいえ、女性は月の物がありますので大浴場だけではなく個室風呂も用意してあります。そちらを使えば……はい、大丈夫です」
今は個室風呂の利用者が二人だけなので、夕方と早朝を避ければ使えるはずだ、とエンマが教えてくれた。
花梨が大浴場を苦手としているので、小さな風呂があるというのは、こちらの意味でもありがたい。
家具の注文表をエンマに確認してもらい、妥当な金額を割り出してもらう。
注文表と言っても、私と花梨が求めたのは結局クッションとラグマットぐらいだ。
クローゼットもベッドも机もすでにあるので、必要はない。
あとはロフトベッドへの変更と、仕様の注文を書いて銀貨と一緒に部屋に置いておけば、入浴中に部屋の模様替えは終わっているはずだ。