それはこちらが聞きたい
「――これはいったい何の騒ぎだっ!?」
頭に響く大声に、びくりと肩を震わせる。
一瞬で意識を引きずり戻されたが、戻った先はこれまでいた宇宙空間でも、中庭の池の中でもない。
光を発する足元の魔法陣に照らされてはいるが、なんとなく薄暗い部屋だ。
気のせいでなければ、酸素が薄いのか少々息苦しい。
そんな四方を本棚に囲まれた薄暗い部屋の中央に、私と花梨は立っていた。
「レンちゃん……」
何ごとか、と怯えた花梨が私の背中に張り付く。
ただ視線は周囲を観察するために動いていたので、声の主とのやりとりを私に任せただけだろう。
周囲の様子を探り、観察するのは自分の役目だと花梨が判断したのだ。
私は妹を庇う振りをして、この場で一番視線を集める人物――大声を出した男――へと視線を向けた。
……周囲に倒れているのは四人……あ、五人になった。
魔法陣の周囲には、お約束というのかローブを目深く被った人物が四人倒れている。
一番離れたところにいる人物は倒れていなかったのだが、それはたまたまだったようだ。
私の視線が向くタイミングを待っていたかのように、五人目の昏睡者となった。
「何をして……本当に何をしているーっ!?」
大声を出した男は、私と花梨に目を向けつつも、倒れた最後の人物へと駆け寄り、助け起こす。
軽く肩を揺すっているようだが、ローブの人物が目を開けることはなかった。
……騎士っぽい?
……コテコテの王子様だね。
花梨にだけ聞こえるように、声を潜めて感想を洩らす。
花梨も同じことを考えていたようで、大声を出した男の仮称は騎士、あるいはコテコテ王子だ。
騎士(仮)の髪は赤い。
ふわふわとした猫毛に、綺麗な翡翠色の瞳をしている。
性格は今のところ判らなかったが、顔は良い。
平本弓子あたりが好きそうな、目元の少し垂れた派手めの顔立ちだ。
深紅の軍服に、腰へと細身剣を帯剣している。
これで騎士でなければなんだというのか、となるところだが、とりあえず判っていることが一つだけある。
私と花梨は本当に、異世界へと召喚されてしまったようだ。
……女の人だ。
赤毛の騎士が抱き起こすローブの人物は、注意深く観察してみると女性だった。
体型のわからないローブと、ローブを纏った魔法使いということで、なんとなく男性だろうと思っていたのだが、ローブの胸部には膨らみがある。
「あの、大丈夫……ですか?」
私たちが心配するいわれなど、本来ないのかもしれないが。
人が目の前で倒れている以上、気になるのが心情というものだろう。
邪心なく一歩近づいただけなのだが、赤毛の騎士はキッとこちらを睨みつけると、腰の細身剣へと手を伸ばした。
「動くな! 怪しい奴らめ、ここでいったい何をしていた!?」
「……それはこちらが聞きたいぐらいなんですけど」
十中八九、異世界からの勇者や聖女召喚という名の誘拐事件だろう。
普通、そういった場合には為政者だとか、偉い責任者だとかが召喚の儀式に参加をしていて、警備の人間にも話を通してあるものだと思うのだが、どうやら今回は違ったらしい。
ローブの人物たちの行いに対して、赤毛の騎士に心当たりはないようだ。
とりあえずこちらに攻撃の意図はありません、と伝えるために武器など何も持っていない両手を見せる。
花梨は私の背中に張り付いたままだったが、怯えまくる少女の姿を見て自分への攻撃の意思があるように見えるのなら、それはそういう病気の人だろう。
良く言えば職務に忠実で警戒心が強い、悪く言えば疑り深いくせに見る眼がない、といったところだ。
「……見かけない仕立ての服装だな。少し丈が短い気がするが」
さてどうしようか、と赤毛の騎士を観察する。
あちらがこちらを無遠慮にジロジロと観察してくるのだから、こちらから観察をしても文句はないだろう。
……魔法は?
なんとなくだが、使えそうな気がする。
不思議空間で光の蔓を通じて魔力を奪った影響か、なんとなく自分の体に魔力が満ちていることが判った。
その操り方も、不思議と理解している。
……相手の出かた次第によっては、一発魔法をぶち込んでから逃走かな?
右も左も判らない異世界ではあるが、本当に最低限の知識は光の蔓から得ている。
言葉に困っていないのも、そのためだ。
この場から逃げ出しさえすれば、あとはなんとでもできる気がした。
……花梨がいるからね。
一人であればもう少し慎重に行動するかもしれないが、今の私は一人ではない。
花梨がいれば、二人ならば、どこでだって、なんとかやっていけるような気がする。
……どうする?
……レンちゃん、あっち。
とりあえずどう動くべきか。
それを相談しようと花梨を振り返ると、花梨は僅かに視線を赤毛の騎士の奥へと動かした。
赤毛の騎士に注目していた私は気がつけなかったのだが、花梨は外からの足音に気が付いていたらしい。
赤毛の騎士を視界から外さずに奥を見ると、僅かに光が漏れていた。
その光が広がったかと思うと、光のむこうからローブを纏った老女が現れる。
「成功した! ついに成功したぞ! 《新月の塔》一の才女ウルスラが、異世界から勇者を召喚したぞっ!」
ヤッホーと奇声を発しながら、おそらくは『ウルスラ』と思われる老女がその場でくるくると回り始める。
老人としか思えない外見の女性だったが、見た目よりも中身は若そうだ。
「こんな偉業、最高導師レアンドロですら成したことがない――」
「兄上は異世界から勇者を呼ぼうだなどと、ふざけた寝言を言わないだけだ!」
ふざけるな、と言って赤毛の騎士は助け起こしていたはずの女性を放りだすと、くるくるとダンスを踊り続けるウルスラに掴みかかる。
これだけで判ってしまったのだが、『最高導師レアンドロ』というのは赤毛の騎士の兄で、赤毛の騎士はかなりのブラコンだ。
兄ならもっと強そうな者を召喚したはずだ、と何気なく私たちをこき下ろしてもいる。
……勇者だって、リン。
……聖女じゃなかったねー。
勇者でも聖女でも、私たちにはどちらでも関係なかったが。
どうやら本当に『お約束』通りの召喚理由だったらしい。
「――だいたい、異世界から人間など呼べるものか!」
「召喚師が悪魔や妖精をどこから召喚してると思ってるんだ? 前例があるんだから、人間ぐらい呼べても不思議はないだろう」
「前例……そうか!」
つまりこの双子は召喚獣か、と続いた赤毛の騎士の台詞に、花梨と揃って眉を寄せる。
これは不味い流れだ、と直感的に判った。
「獣扱いなんて、ヒドイ!」
こんなに可愛い女の子に向かって何ごとか、と腰に手を当てて抗議する。
敵意はありませんよ、というスタンスでいるので、あまり強くは否定できない。
おどけた仕草と冗談を交えて、まだ相手の出方を窺っている段階だ。
「……ああ、言い方が悪かったか。しかし、区分として異世界から召喚され、召喚師に使役される存在を『召喚獣』と呼ぶ。別に、本当の獣という意味ではない」
召喚師との契約のしるしが体のどこかにあるはずだが、と赤毛の騎士の視線が私と花梨へと戻された。
言葉から察するに、私たちの体のどこかにあるはずの『契約のしるし』を探しているのだろう。
先ほどまでとは違う、服の中を探るような、なんとなく居心地の悪い視線だ。
こんな視線を受けるぐらいなら、まだ不審者として怪しまれていた方が気が楽でもある。
「……契約なんて交わした覚えはないんですけど?」
そもそも、召喚に関わっているらしい老女ウルスラの証言によれば、召喚したのは『勇者』だったはずだ。
「この世界では、勇者って獣なんですか?」
さてどちらが答えてくれるだろうか。
そうウルスラと赤毛の騎士を見比べると、ようやく興奮の収まってきたらしいウルスラが誇らしげに胸を張る。
「もちろん、勇者は獣などではない。正しく人間として持て成そう」
「いいや、召喚師に召喚されたものはただの『召喚獣』だ。勇者だなどと妙な呼び方をしたところで、召喚獣は召喚獣だ」
どこかに契約のしるしがあるはずだ、と無造作に伸ばされた赤毛の騎士の腕に、咄嗟に反応が遅れた。
私の胸元へと赤毛の騎士の手が伸びてきて――バチッとした大きな音と一瞬の電光のあと、肉の焼ける嫌な臭いが周囲へと漂う。
幸いというか、赤毛の騎士に上着を掴まれる前に蛮行は防がれたが、彼が行おうとしていたことは疑いようもない。
私と花梨の服を剥ぎ、契約のしるしとやらを探そうとしたのだ。
「変態っ! 強姦魔っ! いきなり女の子の服を脱がそうとか、牢屋にぶち込んで一生外に出したら駄目なレベルの性犯罪者っ!!」
近づかないで、と悪態をつきながら花梨を赤毛の騎士から遠ざける。
怯えを取り越して表情を強張らせた花梨は、今、目の前で起こったことに震えていた。
スタンガンのような電流を生み、赤毛の騎士の手を焼いたのは、私ではない。
花梨だ。
私は咄嗟の判断が遅れ、ただ呆然としていただけだった。
赤毛の騎士たちとの会話ではなく、周囲を観察することに集中していた花梨だからこそ、騎士の暴挙に気付き、すぐに反応を返すことができたのだろう。
ただし、花梨も初めての魔法がここまで威力のあるものだとは考えていなかったようだ。
初めて他者を傷つけてしまった、と血の気の失せた顔をしている。
「契約のしるしを確認しようとしただけだ。人聞きの悪い言い方をするな!」
「事前に一言声をかければいいだけだし、はいそうですかって裸を見せてやるいわれもないよね?」
こちらに了承もなく誘拐されたかと思えば、召喚先では獣と罵倒され、強姦魔に襲われ、服を脱がされそうになっている。
「いったい、ここはどんな蛮族の国なの?」
「蛮族の国とは何だ!? 我が国は、誇り高き騎士の国である!」
「驕り高きキチ(ガイ)の国、の間違いでは?」
問答無用で女の子の服を脱がせようとした時点で、どんな言い訳も無効だ。
誇り高き騎士であろうとなかろうと、私と花梨にとって赤毛の騎士はただの性犯罪者である。
「……自分がやろうとしたことなんだから、当然やり返される覚悟もあるんだよね?」
イメージしたのは、泥棒アニメの侍だ。
なんでも切れる刀を持っているくせに、なぜかこんにゃくだけは切れないらしい刀だった。
その刀で、侍は何度かトランクスを残して服を斬っていた気がする。
……あれ?
花梨を真似て、軽く魔法を使ってみた『つもり』だ。
イメージしたのは下着を残した状態だったのだが、はらりと舞い落ちる服であった布を目で追うと、赤毛の騎士の体に残った布は一枚もない。
まごうことなき、一糸纏わぬ姿のできあがりだった。
太ももと太ももの間に――
「ぬおおおぉぉおぉおぉおぉぉぉ!?」
突然奇妙な雄たけびを挙げて太ももと太ももの間を手で掴んだかと思えば、赤毛の騎士は手を離して仰け反る。
股間を丸出しにして仰け反ったために見えてしまったのだが、騎士の股には氷の塊がくっ付いていた。
もしかしなくとも――
……リン?
……ご、ごめ……っ!! ごめんなさい、ごめんなさいっ!
突然目の前に現れたモノに、花梨は動揺しすぎていた。
驚きすぎて、覚えたばかりの魔力が暴走したらしい。
赤毛の騎士の股間を凍らせたのは花梨だ。
「……とりあえず、性犯罪者の遺伝子なんて未来に残す必要ないから、パリーンしとく?」
花梨が心配する必要などないのだ、と動揺しまくる花梨を宥め、花梨の視界から赤毛の騎士を隠す。
騎士の服を斬ったのは私だが、下着を穿いていないだなんて、いったい誰が想像できたというのだろう。
彼が真っ裸になったのは、私のせいではない。
下着を穿いていなかった騎士のせいだ。
私はちゃんと一枚残すつもりで服を斬った。
「勇者として召喚されたらしいし、勇者らしい行いをしようか?」
また失敗したら怖いが、このまま放置も寝覚めが悪い。
何はともあれ股間の氷は溶かした方がいいだろう、と氷を溶かすイメージを浮かべる。
加減を間違えれば股間が凍りつくどころか、消し炭になりそうな気がするが、そこは異世界から人間を召喚してしまうような魔法のある世界だ。
きっと治療のための魔法もあることだろう。
……あるよね?
いざ、と覚悟を決めて赤毛の騎士を見ると、騎士は目に涙を浮かべていた。
半分は自分でやったことながら、罪悪感が半端ない。
私と目が合うと、赤毛の騎士は「ひっ」と短く悲鳴をあげた。
……ちょっと怯えすぎじゃない?
そうは思うが、無理もないことだろう。
いろいろ思うことはあるが、まずは股間の氷からは開放してやらなければならない。
「うっかり消し炭にしちゃったらごめんね?」
「愚弟を苛めるのはそのぐらいで勘弁してやってはくれないだろうか」
そんな声が聞こえてきたのは、花梨の背後からだった。