勃発。保元の乱
私が死んだら皆は悲しんでくれるのか? なんてことを考えたことが、誰でも一度はあるだろう。
病の床にある鳥羽法皇も似たようなことを考えたかもしれない。それとも権力の化身だったこの帝は、そんなポエティックな発想は頭に無かっただろうか。
「乱が・・・・・・起こる・・・・・・」
ぼんやりと呟いた。
「乱」という現象は、平安の世を生きてきた鳥羽法皇や貴族達にとって馴染みのあるものではない。確かに寺社勢力の小競り合いや地方の争乱なら昔からある。しかし今や帝都が権力闘争の臨界点に達しつつある。最近では戦闘集団である武士たちも、今まで以上に勢力を強めつつある。
乱が起こる素材が揃ってしまっている。
(有事になれば武士団が動員される。勝つのはどちらであろうか・・・・・・天皇か、上皇か)
死期を悟った法皇は後白河天皇サイドを護るために、予め有力な武士団に忠誠を誓わせている。いずれは血を分けた兄弟が、互いに大将になって争うことになるだろう。
兄弟の父親である鳥羽法皇は、その悲劇に一抹の哀しみを抱きつつやがて世を去った。
鳥羽法皇が崩御した直後から都には、「失脚中の崇徳上皇と藤原頼長が後白河天皇に反逆するらしい」という噂が流れた。もしかしたらこの噂は、天皇サイドがわざと流布したものかもしれない。
「いずれにせよ、その噂を事実にしてしまうことです」
朝廷にいる後白河帝は、参謀の信西からそんな教唆を受けている。
「なるほど」
「噂であれなんであれ、情報を独占して先手を打つことが肝心です。謀反の容疑で圧力をかければ、頼長一派は最終的に謀反を起こすしか選択肢が無くなります」
「そうなれば、武士団を大量に有するこちら側が有利というわけか」
「仰る通りです」
出家していながら俗事に明るい信西は狡猾な笑みを浮かべた。それを見た後白河帝は笑みを浮かべつつ、背筋が寒くなるのを覚えた。
謀反の疑いをかけられた頼長は財産を没収されてしまい、拘束される危険を感じた。最悪の場合暗殺されてしまうかもしれない。
「こうなった以上は打って出るしかない・・・・・・上皇陛下の元に行き武士団を募るぞ!」
崇徳上皇は都にこもっている。奸賊と見なされないためにも、上皇の元に行って自らの正義を主張したい。
「私が賊なわけがない」
薄暗い車の中で頼長は呟いた。厳然とした自分の正義を示せば、きっと武士たちが集まってくるにちがいない・・・・・・
白河の屋敷で崇徳上皇と頼長は合流した。
「陛下、今こそ都にはびこる膿どもを排除する時です」
この期に及んでも頼長は正義と信念を貫いていた。貫かずして一体何が残る?
「君は、本気でそう思っているのか?」と上皇は聞く。
「勿論ですとも」
「しかし、彼我の兵力の差は歴然だ。どんな策を立てれば・・・・・・」
後白河帝のもとには参謀の信西をはじめ、平清盛、源義朝といった武士団が既に集結している。
「夜討ちだッ!」
「えっ?」
声が飛んできた方を頼長が見てみると、そこには鎧で身を固めた大男がいた。
「陛下、あの武士は?」
「源為朝という若武者だ」
為朝の瞳はぎらぎらと輝き野生児のような生命力が漲っている。しかし知性を重んじる頼長にとって、為朝の戦闘的なオーラはむしろ鬱陶しく感じられた。
「夜襲など、卑怯ではないか」
「卑怯? 弱者にはどんな卑怯も許される。ましてや命の狩り合いである戦なら尚更のこと!」
「違う。それは武士の考え方だ。夜襲で勝ったところで人心は掌握できぬ」
「殿下、俺が戦った鎮西(九州)では」
「ここは鎮西などの田舎ではない。帝都であるぞ!」
「なっ・・・・・・」
「これは我々貴族とお上の戦いなのだ。それに相手も、夜襲などという卑怯な戦術は使うまい」
だからこちらも襲われる心配はないという。
結局、頼長の弁舌に押された為朝は退いた。
(この貴族は大事な何かを、生まれたときから損なっているのではないか?)
為朝は太い眉をしかめながら思った。
理想主義的な頼長とは対照的に、現実主義者である信西や武士たちには正々堂々戦うという美意識は頭から無かった。というよりも、生存本能がその美意識を押さえ込んだのかも知れない。
「弟(為朝)ならきっと夜襲を仕掛けてくるでしょう。やられる前にやるのです」
後白河帝に味方している源義朝は、弟である為朝の性格をよく分かっていた。
その夜、上皇と頼長がいる白河殿は敵の夜襲を受けた。
恐慌状態に陥る頼長には目もくれず、為朝は得意の弓を操って英雄的な活躍を見せた。その活躍を書き始めると脱線どころではなくなってしまうので、ここは控えることにしよう。
為朝をはじめとする武士たちの戦い空しく、白河殿はやがて炎に包まれた。
茫然自失の頼長と崇徳上皇は戦線離脱。
戦いは一夜で決着がついた。
明くる日の朝、信西は後白河帝に勝利の旨を報告した。
「戦いは終わりましたが、乱が終わったことにはなりません。刃向かった者は徹底的に断罪するのです」「上皇陛下もか」
「恐れながら」
眠たげな後白河帝の前で信西は頭を垂れて言った。
風に乗って焼け焦げた匂いが漂ってくるのを、帝は鬱陶しそうに袖で振り払った。




