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つばめ さる  作者: pinkmint
7/7

7. きみの名は

  桐野 瑞希くんへ           


 

 わたしはいま、玄鳥去で、瑞希くんを待ちながらこの手紙を書いています。

 便箋と封筒は、お店のものを借りました。

 きょうは9月18日。いまは、夕方の5時半。

 本当は、19日になった時、その瞬間に、直接瑞希くんに言おうと思っていたことなんだけど、

 いろいろあって微妙なことになってるから、やはり書いておきます。保険みたいなものかな。正直、夜中の12時までかなりあって、暇なの。

 最初はやっぱりこれでいきます。


 ……この手紙を読んでくれているということは、もうわたしはこの世にいないのですね。


 この書き出し、実際に一度やってみたかったの。で、ごめん、ここからは真面目に書くね。

 いろいろ無神経で、瑞希くんを傷つけたとしたら、ごめんなさい。

 でもそのごめんなさいよりも、もっと謝らなければならないことがあります。

 わたしは、大事な人にもう嘘はつかないと言いました。でも、瑞希くんにつき続けていた大きな嘘があるんです。


 わたしの名前は、すずめじゃなくて、つばめなんです。

 このお店の漢字だと、玄鳥。わたしは、ひらがな。


 嘘言ってごめんなさい。どうしてちゃんと本名を言わなかったかというと、昔の嘘吐き癖が出た、というより、あのときはただ、そんな縁起の悪い名前はいやだったから。

 だって、憧れの人とやっとデートできたのに、最初に入った店の名前が つばめ去る、だなんて、認めたくなかったんだもん。

 だから咄嗟に自分の名前を変えちゃいました。そしたら、訂正する機会がなかなかなくて……


 でもね、瑞希くんの恐怖の運命話を聞いてるうちに、……最初は冗談半分で付き合ってたけど、これはわたしが助けなくちゃ、って思い始めたの。そして、気がついたの。

 あなたの宿命がほんとなら、そんなことがほんとにあるなら、わたしが助けられるかもしれない。

 店の名前は つばめ さる。名前が示すのは9月18日。

 じゃあ、その日に去るのは、瑞希くんじゃなくて、わたしかもしれないじゃない?

 あなたの伯父さんは、あなたが運命の彼女と出会う日として、そこを指さしてたのかもしれない。

 あなたを呪うためじゃなく、あなたを助けるために、教えてくれていたのかもしれない。あなたは大丈夫だよって。あなたを救う彼女が現れるよって。

 理解不能かもしれないけど、わたしは、願をかけたんです。

 わたしがいる限り、あなたは大丈夫。その日が来ても、宿命がほんとならなおさら、去ってゆくのはわたしの方。その日どういういきさつでそうなるかわからないけど、もしそうなっても、わたしは本望だからね。

 わたしは長ネギを踏んで瑞希くんにアタックして、瑞希くんはわたしと出会ったことで、この運命の輪の外に放り出されるの。素敵じゃない?

 でも、無事9月19日を迎えたら、こんな話は笑い話になるね。ほんとはそのときが来ることをもちろん、望んでいます。

 この手紙をくしゃくしゃにして、二人で大笑いしながら捨てることができますように。

 そして、くしゃくしゃじゃなくピンピンのままひとりぼっちで読んでいたとしたら、

 可哀想なメガネの瑞希くん。わたしはそれでも、あなたを守っているからね。

 だから一生、大丈夫だよ。

 でね、いつかわたしを思い出すことがあったら、そのときは、つばめ じゃなくて、すずめ、って呼びかけてね。

 だってわたしはあなたの前でずっと、雀だったから。

 雀でいれば、あなたの記憶の中から、飛び去らずに済むもの。

 さよなら。

 また、どこかで会いましょう。


                                 雀




 


 一歩、一歩。

 自分のつま先を見つめながら、慎重に歩く。

 見つめて、意識していないと、つま先が自分をどこかへ持ち去ってしまうから。


 踏みしめる足の下でかさかさと音を立てているのが枯葉だとあらためて気づき、

 足の裏に感じるゴロゴロした小さなものがどんぐりだと、靴を上げて気付く。


 薄い鞄の中には、携帯と財布と、ハンカチとティッシュ、そして手紙の入った封筒。

 何度も何度も読み返したので、封筒ごとヨレヨレになっている。

 側らの、苔の生えそうな木のベンチに座り、封筒を取り出す。

 事故から二週間ほどたったあの日、急に呼び出された玄鳥去で、マスターは思いつめたような表情でこの封筒を渡してくれた。

 店の名前の入った空色の封筒。尾が二つに割れた鳥のシルエットが、四方に散っているデザイン。

 店内に流れる曲は、最初訪れたときと同じ、Once in a blue moonだった。


「彼女は自分で話すことにこだわっていたし、そうできると信じていた。でも、そうできない可能性も考えていたから、あの日、これをかいたんだと思う。ぼくの目の前で」


 読み終えた手紙を手に呆然としている瑞希の前で、マスターは言った。


「でも今、きみにこそ必要なことだと思ったんだ。ちゃんと知るのは」

 

 窓の向こうのビルは塗装工事を終えて、外壁は真っ白に輝いていた。夕日がその壁に照り映えて、店内を薄い茜色に染めている。

「かわいい、ですよね」瑞希は唐突に言った。

「え?」

「すずめでも、つばめでも。可愛い名前ですよね」

 マスターは真意を測りかねたようにとまどっていたが、控えめに、そうだね、とだけ返した。

「彼女は、……雀ちゃんは、ちょっと、悪い風にとりすぎていたかもしれない。と、ぼくは思うんです。

 両親のことを。

 どんな理由でケンカしていたのかはわかりませんでしたが、つばめなんて可愛い名前を付けて、あんな風に、素直で、まっすぐに、育ててくれた。それなりに、愛は、あったんだと思います。見捨ててなんかいない。彼女は……」

「そうだね。彼女はいい子だ。とてもいい子だ」

 マスターは絶句した瑞希の言葉を継いだ。

 丁寧に便箋をたたむと、瑞希は言った。


「読ませてくださって、ありがとうございました」

 

 ビルの反射で頬が染まっているのが自分でわかる。ぼんやりと、温かい。温かい頬を、同じぐらいの温度の涙が転がり落ちてゆく。それはまるで、雀に小指で頬をなぞられているような感触だった。

「運命について、あえて考えたことはないけれどね」

 黙り込んだままの瑞希の前で、マスターは口を開いた。

「9月18日に生まれたぼくは、きみたちの運命の分岐点に居合わせたのかもしれない。何の役に立ったのか立たなかったのかわからないが……。伯父さんも、きっときみの宿命に立ちはだかるために」

 流れていたピアノ曲がふっと終わった。

 瑞希は包帯を巻いた手で頬をぬぐうと、言った。


「なにがあってこうなったとか、どうすればどっちにいけたとか、もう考えないことにしたんです。

 生への執着も、失うことへの恐怖も、未来への夢も、

 もうすべて手放したのだから、見通しもいい。

 道は、ひとつしか見えません」

 

 マスターは食い入るようにじっと瑞希の瞳を見た。


「歩けるかい。その道を、一人で」

 

 瑞希は大きく頷いた。


 

 黄色い葉を落とし終わったイチョウの並木道を歩く。

 頭上の黄色いあかりが今は地面にうつり、行き交う人を下から照らす。

 たとえ返事がなくても、会話ができなくても、彼女という存在は自分にとって変わらない。

 瑞希は胸の中で繰り返した。

 一筋の道。それは彼女へと至る道だ。

 あの手紙の言葉がある限り、ぼくは歩き続けることができる。胸の中の、青い満月の光に照らされて。

 腰の携帯が鳴り続けていることに気付き、瑞希はゆっくりとポケットに手を入れた。



                   

                    


 

 ……まどのそとが、あかい。


 あれは、なんの色だろう。

 葉っぱだ。木だ。

 葉っぱはもう茶色だけど、夕日をうけて、燃えながらおどっている、みたい。


 いまはいつで、どうしてこの体はここにあるんだろう。

 わたしは、どこからきたんだっけ。

 ずいぶんかんがえているんだけど、何もわからない。

 いろんなひとにおしえてもらったけど、すこしねておきると、ぜんぶまっ白になる。

 ……どうしてわたし、こんなに、ひとりぼっちなんだろう。


 背後で音がした。

 少女は背もたれを起こしたベッドに体を預けて、頭を窓に向けたままだった。

 スライドドアが開く音、閉まる音に続いて、女性と男性の静か会話が聞こえてきた。

 

 突然電話かけて……だいじょうぶですか、走ってきたんですか。

 いや、それどころじゃ…… いま、話は……

 意識はもどったんですが、娘は何も思い出せないようで…… わたしのことも……

 何を聞いても、わからない、と……

 きおく そうしつ……


 そう、なにもわからないの。ごめんなさい。


 何もかもが怖くて、少女は背後を見ることさえできない。

 ふと上を見ると、メガネをかけた少年の顔が視界に入った。

 こちらを覗き込んでいる。汗をかいて、息を切らせて、……涙ぐんでいる。

 少女は身を逸らせた。


 そんなにちかくで見ないで……

 あ、でもなにか、なにかなつかしい気がする、このひと。

 どうして、そんなにふるえているの?


 ……話しかけて、いいですか?

 かまわないわ、どうぞ。

 

 白衣の女性に言われて、少年は、少女を覗き込んだまま口をひらいた。


 ……ぼくが、わかる? ぼくの名前は?


 少年をじっと見たまま、少女は力なく首を振った。


 そうか。……いいよ。じゃあ、きみの名前は?


 その時初めて頭に、明確な一つの言葉が浮かんだ。

 なんとなくそれでいいような気がして、少女は口に出した。



 ……きりの すずめ。



 少年は はっ、と息を吐き出すようにして笑った。

 それからメガネを外すと、少女の手をとって、お辞儀するように顔をうずめた。

 背を丸めて、獣が唸るような声を出し、

 それから、体を震わせて嗚咽しはじめた。

 白衣の女性は目元を指先で押さえると、そうっと病室を出て行った。

 少女の手はあたたかいもので濡れて、濡れ続けて、びしょびしょになった。

 やがて少年はびしょびしょの顔を上げた。

 少女は戸惑った様子で言った。


 わたし、まちがった? まちがったから、泣いてる?


 まちがってないよ。あたったから、泣いてる。


 少年はまた下を向いて、腕で頬を拭くと、顔を上げて言った。


 よくきいて、すずめちゃん。

 ぼくはきみをよく知ってる。そしてきみのことが、大好きだ。

 でも、きみはぼくを覚えていない。

 だから、ここからまた知ってほしい。

 もしきみが許してくれるなら、ぼくはこれからずっときみのそばにいる。

 そして、きみを守る。

 一生、いのちがけで、きみを守るからね。


 少女は、まるで知らない街で親を見つけた迷子のような顔で、ふわっと笑った。

 少年はそっと、少女を抱きしめた。

 その瞬間、あたたかいものが奔流のように少女のからだと心をかけぬけた。

 少女は少年の震える背に両手を回した。自然に、両腕に力がこもった。それに答えるように、少年の腕にも力がこもった。それは、どんどん強くなった。

 強くなればなるほど、少女は安心した。安心して、全力でしがみついた。

 息ができないぐらいになったとき、自分がどこから来たのかわからなくても、もうどうでもいいと思った。


 そしてこの安心は、きっとこのまま永遠に続くんだ、と思った。




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