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つばめ さる  作者: pinkmint
2/7

2. いらっしゃいませ

 明日から夏休みというその日。

 駅の改札を出ると、少年は見慣れた駅前の風景を見上げた。

 黄昏色に染まりかけた空をバックにした、桜並木と灰色のビルの群れ。ずらずらと店名が並んだ看板のうちの一つが目に入る。

「2F 珈琲 玄鳥去」

 目にするたびになんて読むんだろうと思い、いつの間にか忘れる。

 その日も同じように、そうだ帰ったら調べようと思い、目の前の信号を見ているうちに、いつしか意識丸ごと自分の中の真空地帯の中に吸収されていった。

 信号が青に変わる。

 横断歩道に足を踏み出したそのとき、背中をどんと誰かに思いきり押された。

 肩にかけていた黒いショルダーが前方に振られ、伸ばした自分の両手が視界に入る。そのままアスファルトに肩から落ちて身体が一回転した。足元をバイクが一台すごい勢いで走り去っていくのが目に入る。

 仰向けになった少年の視界に、駆け寄る少女の姿が映った。セーラー服の女子高校生だ。ショートカットで、くるりとした黒目がちの大きな瞳を見開いて叫んでいる。

 

ごめんなさいごめんなさい! 大丈夫ですかっ!

 

少年はゆっくり瞬きをすると、そろそろと体を起こしてあたりを見た。

「いま、ぼくに、何が起きたんだろう」

 独り言のように言うと、少女は急き込みながら答えた。

「あの、わたしが悪いんです。あの、あなたの後ろを歩いていたら急になにかに滑って、それで両手であなたの背中を突き飛ばしちゃって」

「なにか?」

 少年は肘をついて起きあがると、少女の背後の道路を見た。緑色の長いものが落ちている。

「長ネギだ」少年は呟いた。

「長ネギ……」

 少女は鸚鵡返しにして振り向き、しげしげと道路で潰れている野菜を見た。

「わたし、長ネギで滑ったんだ……」

 小声で確認するように言うと、少女は肩をゆすって笑いだした。少年は潰れたネギに歩み寄って二つ折りにすると、手元にぶら下げていたコンビニ袋にがさがさと押し込んでしまった。

「食べるの?」少女が驚いて尋ねると、

「また誰か滑るかもしれないから」あっさりと答えて信号を見上げた。

 青のランプがすでに点滅し始めている。

「渡らなきゃ」

「あ、うん」

 少年に言われて、少女は背中を追うように小走りに横断歩道を渡った。

「お礼、言わなきゃいけない、かもしれない」渡り終えると、少年は俯き加減で言った。

「お礼?」

「前にすっ飛んだ途端に信号無視のバイクが足元を通過してったから。きみがつき飛ばさなければぶつかっていたかもしれない」

「そう、か……」

 少女は立ち止まると息を吸いこみ、きっ、と少年の顔を見た。

「あの、このままじゃいやなので!」

「え?」

「つまり、わたし、もともと用事があったんです。いや、用事とかじゃないか」

「?」

「これ!」

 少女は俯いて通学鞄をごそごそ探ると白い封筒を差し出した。

「これを、これを渡したくて、一週間ずっとそう思っていて、待ってたの」

「待ってた?」

 少年はきょろきょろとあたりを見回したあとで言った。

「これを、……ぼくに?」

「あなたです。ずっと見てました。勇気がなくて今まで渡せませんでした。これを、こんなになっちゃったけど、どうか受け取って、あの、読んでください」

 ショートカットなのであらわになっている耳までが桃色に染まっていた。少年は少女の震える手の中の封筒の、ハートのシールの封かんを見ると、困惑した様子で黙り込んだ。

「あ、……迷惑ですよね」少女は慌てて封筒をひっこめた。「ごめんなさい、強引にこんなこと、道路につき飛ばしておいて図々しいですよね。本当にごめんなさい、もういいです」

「いや、あの、いや、そうじゃなくて、……」

 みじかい沈黙の時が流れた。少年はふと夕空を見上げた。そのとき、頭上の古びたビルの看板にぱっと灯りが灯った。

 珈琲 玄鳥去……

「ずっと気になってたんだ」

「え?」

「あれ、なんて読むと思う」

 少女は少年の指差す先を、眉を寄せ気味にして見上げた。

「わからない…… げん、ちょう……なんだろ」

 そして上を向いたまま続けた。

「お店の人に聞けばわかるんじゃないですか?」

「じゃあ、一緒に聞きに行ってくれる?」

 少女は少年の顔を見た。何かを乗り越えようとしているときに見る、頬の色がそこにあった。茜色に染まる直前、これから燃え上がろうとしている夕焼けの色。

「はい!」

 二人は肩を並べ、無言で古いビルの階段を上がった。


 木製のドアには、尾が二つに裂けた鳥のステンドグラスがはめ込まれていた。

 少年が先に立ってドアを押し開け、恐る恐る店内を覗くと、藤製の衝立の向こうから、ロマンスグレーの男性が現れた。ノーカラーの白Yシャツに、ちょっときつめの黒のベスト。ちょいワルオヤジのワル成分を半分にした感じだ。

「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」

「はい、あの、……」

「では、窓際の席へどうぞ」

 店内には、なにか哀切な調子のピアノ曲が流れていた。金魚鉢を逆さにしたような形のレトロなクリスタルのライトの下、こげ茶のソファが、四角いテーブルを挟んで几帳面に並んでいる。壁の窪みのひとつひとつに収まっているのはレトロな灯油ランプのコレクションだ。お客は中年から初老の男性が三人、みな下を向いて煙草を手に新聞を読んでいる。紫煙が店内全体に漂っていたが、窓辺の席との間には背の高いベンジャミンの鉢が二つあって、空気の流れを遮ってくれた。

 木のテーブルを挟んだソファに向かい合って腰を下ろすと、スプリングが二人の尻の下できしりと音を立てた。

「ご注文は」

「あ、コーヒー…… アメリカン」少年は落ち着かない様子で答えた。

「じゃ、わたしはアイスコーヒー」

「かしこまりました。何か追加があったらここからお選びください」

 そう言ってマスターはメニューを置いていった。表紙の「玄鳥去」のレタリングは、看板と同じ、ガラスペンで書いたような繊細な花文字だ。二人は顔を寄せて、中のメニューを見た。バタートースト、ジャムトースト、海苔トースト、ホットドッグ、ホットサンド、ナポリタン、生姜焼き、田舎カレー……

「なんか、昭和の喫茶店みたい」少女が呟いた。

「……店の名前の読み、聞きそびれちゃったな」

「このピアノ曲、きれい。なんていう曲か知ってる?」

「知らない」

 会話が途切れ、気まずい沈黙が続いた。思い切ったように少女は言った。

「あのね、さっきの手紙ね」

 少年は顔を上げた。

「もう、渡さない。渡さないけど、書いたこと、ここで言っていい?」

 少年は真面目な表情でこっくり頷いた。

「いいよ」

 少女は背を伸ばして座り直した。

「わたし、ね。あなたをはじめて見たとき、なんか、可哀想な人だなあって思ったの」

「かわいそう?」少年は不本意そうに眉を寄せた。少女は慌てた様子で言い足した。

「ごめんね、こんなこといって。でも多分、あなたの考えてるような意味じゃない。

 初めて見たのって、一週間前なんだけど。ほら、夕方から夜にかけてすごい雷が鳴ってた日、あるでしょ。あのとき、学校からの帰り、同じ電車……T線に乗って、あなたの隣に立ってたの。覚えてないだろうけど、あなたは、ただまっすぐ窓の外の雷を見てたから」

「あ……」

 少年ははっとしたように目を見開いた。

「みんなスマホとか本とか見てるのに、あなたはとりつかれたみたいに雷を見てた。空の半分が真っ黒で半分は夕焼けで、なんだかこの世の終わりみたいで。でもすごく綺麗だった。わたし小さいころから雷は大嫌いだったんだけど、あのときは妙にワクワクしてたの。そして、どうしてかわからないけど、遠くで鳴ってる雷聞きながら、おちろ、落ちろって思っていたの。そしたらががーんって落ちたよね、煙突のてっぺんに」

 少年は小さく頷いた。

「わたし、頭がふわーっとなるぐらい、一瞬、気持ちがよかった。そして、きっとあなたも同じだと思ったの。なんでかわからないけど、何かすごいことが起きるのを待って、同じものに打たれて、痺れたようになって……そんな風に思った」

 少年は戸惑ったように視線を揺らし、遠慮がちに尋ねた。

「……でそれが、可哀想どうつながるの、かな」

「えと、それは」

 少女は斜め上に視線を投げて数秒黙ったあと、続けた。

「うまく言えないけど、あなたはとても一人だと思ったの。あの空を一人でじっと見るぐらい。そうかどうかわからないけど、ほかの誰とも違う場所に一人で立ってる人みたいな気がして、それで、可哀想な人って決めることにしたの。そしたら気になって気になって、あなたの顔が頭から離れなくなって、これはきっといろいろと気のせいだから本人に聞くべきだと思って、それでずっと電車の同じ時間を狙って乗ってみたりしたんだけど、逢おうと思ったらなかなか逢えなくて」

「お待たせしました」

 いつの間にか脇にロマンスグレーが立っていた。二人は同時に口をつぐんだ。彼は優雅に腰を折って少年の前にアメリカン、少女の前にアイスコーヒーを、音も立てずに置いた。

「ごゆっくり」

「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」少女は顔を上げて声をかけた。「今かかっている曲、なんていうんですか」

「Once in a blue moonです」ロマンスグレーの声は心地いいバリトンだった。

「With love という、昔のドラマで使われた曲らしいですよ。知ってますか?」

 二人同時に首を横に振った。

「まあ、古いドラマだからね。Blue moonはひと月に二度訪れる満月のことを指す英語で、ふつう満月はひと月に一度だから、Once in a blue moon は“滅多にないこと”を示す言葉になってるんです」

「へえ、そうなんだ。ひとつ勉強になりました。なんだかすごくきれいな曲ですね」少女は感動したように言った。大事なことを思い出した、という表情で、少年が割って入った。

「ぼくもききたいことがあるんです。ここのお店の名前、なんて読むんですか」

 彼の指し示すメニューの表紙を見ると、ロマンスグレーは口元に笑みを浮かべた。

「つばめさる、ですよ」

「つばめ?」少女が言った。「げんかんのげんに、とりで、つばめって読むんですか?」

(げん)(ちょう)とも、(おつ)(ちょう)とも書きます。玄はくろ、とも読みますからね、つばめの背中の色を表しているんですよ。乙は蛇行して飛ぶ時の軌跡」そう言うと彼は骨ばった手を伸ばし、空中ですいっとカーブさせて見せた。へー、と二人は声を上げた。

「七十二候ってわかるかな。季節を細かく区切ったもので、その中の二十四節気の白露の末あたり、9月18日から9月22日の間を指す言葉なんですよ。世に言う、中秋の名月、のころだね。家の軒に巣を作っていたつばめがその家を空っぽにして、南へと去ってゆく時期。それで、つばめ・さる」

「へえ。なんだか、ロマンチック」少女は声を弾ませた。「でも、ちょっと寂しい感じですね。どうしてそれが店名になったんですか?」

「ただぼくの誕生日が9月18日だからですよ。それで何か気の利いた名前がないかなと考えてたらこれを思い出して」

「あ、じゃあ店長さん……ここのマスターさんなんだ」

「そうですよ。マスターであり店員でもあり」

「実はわたしの名前、(すずめ)なんです。姓が、米、好き、とかいて(こめ)(よし)なの。米好雀なんて冗談みたいな名前、親もノリでつけたんだと思う」少女は早口で語った。

「いや、すごいじゃないですか。すごい、うん、いい名前だなあ。お握り大好きでしょ」

「たいていそういうこといわれるんですよね。おやつはお婆ちゃんのぽたぽた焼きでしょとか」

 少年を見ると、かがんで口元を両手で覆っている。

「続きは彼氏と、ごゆっくり」マスターはくすくす笑いながら去っていった。

「ねえ、そんなにおかしい? だから名前いうの、いやだったんだ」米好雀は若干ふてくされたように言って、少年の顔を覗き込んだ。

「思い切って言ったんだから、ね、笑ってないで次はあなたの名前、聞かせて」

 そのとき雀は、少年の顔色が真っ白なことに気付いた。

その肩は小刻みに震えていた。

「……ねえ、どうしたの。大丈夫? どうしたの?」

 雀は少年の顔を覗き込んだまま繰り返した。

 少年はただ首を振り続けた。額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

 やがて少年は口元からゆっくりと手を離し、どこか断固とした口調で言った。

「よし、もういい」

「なにが?」

「ぼくの名前は、桐野(きりの)(みず)()。高校三年、18歳」

 雀は顔を上げた瑞希をじっと見つめた。彼の視線はあの雷を見つめていた時と同じに、固く尖っていた。

「ね、……もしかして具合悪い?」

「いや、別に」

「でも顔色が」

「いろいろあってね。今から話すよ。ちょっと込み入っててね、ずっと同じことばかり考えて、頭がオーバーヒート気味だったんだ。でも、もういい。もう、わかったから」

「だから、なにが?」

 桐野瑞希はくっと顎を上げると、まだ青白い顔のまま口元で強引に笑みを作った。

「これから話すことは、今まで誰にも話したことはなかったし、これからも多分、誰にも話さないと思う。それに、とっても妙で重たい話なんだ。聞いたら重荷になるかもしれない。それを初対面の人に打ち明けるなんて無責任かもしれない。ぼくは……」

「前置き長いのね」瑞希の言葉を遮って雀は言った。「わたしも高校三年、18歳。話してくれたことはちゃんと受け止める。そんな大事なことをわたしなんかに打ち明けてくれるの、すごくうれしい。何でも話して」

 少女の視線を受け止めながら、まるで動物のように深くてまっくろな瞳だと瑞希は思った。その混じりけのない黒さに寄りかかるようにして、少年は語りだした。

「ぼくは、自分が何月何日に死ぬかを知ってるんだ。だいぶ前から。

 そしてそれは決して動かせない。父も祖父も、曽祖父も同じ日だったから。そしてそれは、……たぶん今年なんだ」

 雀は何も言い返さず、ただ穴が開くほど、少年の顔全体を見た。

「それを知ったのは父の葬式の時。ぼくは12歳だった。

父は38歳で、肝硬変が死因だった。死んだのは9月18日。ずいぶん長いこと酒浸りで、飲んでは暴れてばかりだったから、父に関していい思い出はないんだ。

 精進落としの席で、しこたま酒飲んでた伯父が……昔からぼくを可愛がっててくれた人なんだ……小さな声で言ったんだ、ごめんな、お父さんはおれの代わりに死んじまったんだなって。どういう意味って聞いたら、一族の男はみな9月18日に死ぬことになってる、50を越えて生きたものはいない。順番から言っておれだったのに先に逝かれた、って」

 そこまで話すと、瑞希は目の前のコーヒーを一口飲んだ。

「周りの大人が慌てて割って入って、酔った伯父をどこかに引っ張っていった。それで気がついた、祖父の命日も確か9月のこのころだったって。母は慌てた様子で、酔っ払いの言うこと真に受けちゃだめよって言ってくれたけど、そのあと伯父がひどくしょげかえってたのは覚えてる。酒に逃げた父と同じように、伯父は多分恐れてたんじゃないかな、自分にいつその運命が回ってくるのかと。でも幸いなことに」そこで瑞希は口の端を上げて歪んだ笑顔を作りながら続けた。「何の関係もない日、その年の12月30日に伯父は酔っ払い運転のトラックに轢かれて44歳で死んだ。

 そして誰もが思っていたと思う、きっと次に9月18日に死ぬのはぼくだと。そしてその話題は誰も、決して口にしてはいけないのだと。口に出したが最後、命を持っていかれるんだと。

 今年の正月、初夢にあの伯父が現れたんだ。初めてのことだった。そして、壁に貼ってある、今年のカレンダーを指さしたんだ。一枚一枚めくって、9月で止める。尻尾が二つに裂けた黒い鳥が夕空に群れ飛んでる写真を、指先でとんとん、とやって、にっと笑った。そこで目が覚めた。

 もちろん夢だと思った、ただの夢だって。

 でも、そのころからぼくの中には確信が生まれていたんだ。

 今年だ、間違いない。今年の9月18日にぼくは死ぬ。

 それからもたびたび、夢に伯父は現れた。そして、カレンダーを指さすんだ。ぱらぱらとめくって、9月のところで止める。今考えればあの絵の中で飛んでいたのは、つばめだと思う。

 そしてきょう、ぼくはきみに会った。そして気になっていたこの店に来ることになった。

店の名が、つばめ・さる…… 9月18日だった」

 少女はしばらく黙ったまま少年の顔を見ていた。そして眉根を寄せ、視線を下に落とした。

「……つまり、わたしは死神なの? そう言いたいの?」

 それからまっすぐ視線を上げた。

「わたしはあなたにとって、確実に死ぬぞ、と伝えに来た死神なの? わたしを指さして、そう言いたいの?」

「違う」瑞希は断ち切るように言った。

「傷つけたならごめん。今まで誰にも言わずに来たから、急いで喋ったから、ぶった切ったみたいな言い方になっちゃった。けど、ぼくはいいんだ。前々から知っていて、自分一人で抱えていて、どうにもできないまま大きくなっていた予感に、ちゃんと向き合うことができた。これはもう、どうしようもないことなんだ」

「そんなの、わたしは認めないからね」雀は身を乗り出して、テーブルの上に握りこぶしを二つ乗せた。

「覚悟ができた? きょうは7月の24日よね。あとふた月も生きられないって、そんなつるっとした顔で宣言しないでよ。雷がいつどこに落ちるかなんて、誰にわかる? 長ネギがいつどこに落ちてるかなんて、誰にわかる? 人が生まれていつ死ぬかなんて、あなただけ、あなたの一族にだけさだめて、神様に何の得があるの」

 瑞希は目を丸くしたあと、ぷっと噴き出した。

「おもしろいな。確かに何の得もないや」そして続けた。「この話を誰かにして、笑うことになるなんて思わなかった」

 雀は、相変わらず青白いままの少年の顔をじっと見た後、ゆっくりソファの背にもたれかかり、腕組みをした。

「わたし、平気だからね」

 さらに、組んだ足をぶらぶらさせ始めた。

「こう見えても、おもしろがりで非情なんだから。

 あなたのことが気になって仕方なかったのは、この人はすごく可哀想な人だって思ったからなの。そう言ったでしょ。そしてあなたは本当にその通りだった。わたしが思っていた以上に、ものすごくその通りだった。

 だからわたしはあなたから、もう、離れないの。こんな気の毒な人見たことないもの。ずっとそばにいて、その思い込みの最後まで付き合ってあげる。夏休みの退屈しのぎにはぴったりだし、あなたにとって鬱陶しくても、9月18日に終わる話なら、たいして長い付き合いにもならないでしょ」

 少女は、押し黙ったままの少年の前に顔を寄せた。

「9月18日まで、あなたから離れない。そして日付が変わったら、そのときも生きていたら、二人でお祝いをしようよ。あなたの二度目のお誕生日のお祝い。無事9月19日を迎えたなら、そんな思い込みはぜーんぶ捨てて、気持ちよく生きようよ」

 瑞希の睫がそっと下を向いた。最初見たときと同じだ、やっぱりラマかアルパカみたい、と雀は思った。その睫がふるふると震え、次にひしと閉じた瞼の下から、すうっと涙がこぼれ落ちた。少年は拳を握ると、その甲で頬を拭いた。少女は彼の震える肩にそっと手を置いて、繰り返した。


「そばにいていいよね」

「……うん」

 

 ふいに胸に流れ込んできた彼の孤独の、恐怖の痛みが、鼻から目がしらを通り抜けてゆく。人差し指を自分の目もとに伸ばして、雀はそっとその出口をふさいだ。



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