◆言い伝えの章◆
◆言い伝えの章◆
今から三百年ほど昔。人族は圧倒的な力を持つ亜族を前に、生存の危機に脅かされていた。亜族の中でも最たる強さを持つのは魔族と呼ばれている種であり、人族とさほど変わらぬ容姿ながら、並外れた身体能力と人族では到底及ばぬ魔術適正を持っていた。彼ら亜族の弱点と言えば、個であると言うところで、言い換えれば協調性がない。つまるところで弱肉強食、という言葉を体現している。人族特有の馴れ合いや交流には希薄であるが、彼ら亜族にとって“強さ”とは絶対的なものであった。
彼らにとって絶対的な存在。それは“魔王”だ。つい三百年前、亜族の頂点に君臨し、人族を脅かした災厄、魔王バラトルム。
しかしながら、このようにして歴史が記されていると言うことは、人族は生存の危機より救われたということに他ならない。一体誰が世界を救ったか。その名を知らぬ者などいない。かの英雄の名は―――――。
「ウィクトル。」
名を呼ばれ、彼は感情の濁流からふと現実に呼び戻される。振りかざした聖剣。それを握る手は微かに震えていた。そうだ。これを振り下ろせば、世界に平和がもたらされる。ウィクトルの視線の先には、もはや余力も残っていない傷だらけの魔王が、膝をついている。乾いた風に、ウィクトルとは対照的な柔らかな髪が、さらりと揺れた。その下で、魔王が微かに口元を笑わせた。
「何がおかしい。」聖剣を握り直し、ウィクトルは訊ねる。魔王は何も言わなかった。
ウィクトルの後方には、共に戦った仲間がいた。ある者は不安そうに。ある者は鋭い視線で。そしてある者は、死に絶えて。黙して、行く末を見守っている。
「平和などあるだろうか。」
魔王は言った。
「果たして、我ら亜族が消えたとして。人族に平和など、訪れるのだろうか。」
「・・・当たり前だ。」
ウィクトルは答える。人族は亜族に怯えて生きてきた。亜族に街や村は蹂躙され、多くを失い、それでもなお生存すべく必死に生きてきた。
「戯れ言を。」
魔王はウィクトルの言葉を一蹴して、笑った。
「さぁ殺せ。勇者ウィクトル。私を殺し、英雄に成り上がるがよい。」
「バラン・・・・・・っ!」
勇者ウィクトルは、聖剣を振り下ろし、魔王を袈裟懸けに両断した。その瞬間、魔王は何を思ったのかなど、知る由もない。勇者が何を思って魔王に剣を突き立てたのか、知るものはいない。魔王バラトルムは死に、英雄ウィクトルが生まれ、時代は新しい幕開けを迎えたのだ―――――。
魔王を失った亜族の統制は崩壊し、亜族は個に戻った。魔王の座につく者も、なり得る者もいなかったからだ。人族は結集し、文明を復興させ、衰退を繰り返しながら今へ繋いできた。だが勿論、個々の亜族への脅威がなくなったわけでははい。人族は技術の発展を迎え、亜族に対抗できるような武器や防具、兵器を開発した。全ては平和を維持するために。