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野良猫の小説

 ラーとアムが部屋から出て階段を下りてみると、我輩先生は猫用入り口から入ったところで、この家の奥さんが用意してくれた餌を、美味しそうに食べていた。

「こんにちは」

「ご無沙汰しています」

 ラーとアムは、頭を下げて挨拶した。

「やあこんにちは。アムが二階に上がっているなんて、珍しいねえ」

「はい、野良猫の品格とかいう本にかぶれたラーに付き合ってたら、成り行きで……」

「ほおっ、面白そうじゃのお。わしも仲間に入れてもらうとするか」

「一段落してナミエちゃんのDVD観てますけど」

 ラーが少し困ったような顔をして言った。

「心配するな。今日は二匹だからだいじょうぶじゃ」

「はあい」

 ラーはしぶしぶ返事をした。


「うんしょ、うんしょ」

 ラーがホールへ上がろうともがく我輩先生のお尻を頭で押した。

「ごくろう、世話を掛けるのお。もう一息じゃ」

「ふうっ。ここからはアムも手伝ってね」

「……はあい」

 我輩先生は猫年齢80歳のトラ猫で、体重は14kgと少し重めだった。

 先生という敬称は、彼が自称小説家であるからだ。

 アムとラーが代わる代わる我輩先生のお尻を頭で押して、三匹はやっとのことでラーの部屋へたどり着いた。


「ところで、わしに何か用かの?」

 息を切らせているアムとラーに比べ、我輩先生は涼しい顔をしていた。

「だから、ナミエちゃんのDVDを観てたんですって」

 猫時間二時間のライヴは既に終了していた。

「そうか、わしの話を聞きたいってか」

「別にー」

 アムとラーは何ら興味を示さなかった。


「昨日いつものように本屋の店内を徘徊しているときに、芥川賞作家の以前の作品が目に入ったんだな。失礼してちょっと目を通させてもらって、んっ?と思った訳だ」

「しーん…」

「おい、折角話してやってるのに、もう少し身を入れて聞きなさい」

「んっ?と思ったんでしょ。それから?」

 仕方なくアムが相槌を打った。

 その間にラーは土鍋を引き摺って来て、中に納まり丸まっていた。

「それからどうした?」

 土鍋の縁に頭を乗せた姿勢で、ラーも相槌を打った。

「おっほん、確かに文体はセンシティヴであり、雨矢ふみえの『われら少女漂流民』を彷彿とさせるし、思い込みで暴走するくだりの疾走感は特筆すべきものがあった」

「時代におもねた作品じゃないのね。だったら、それはそれでいいんじゃないの?」

 アムはそう言ってから、ラーの様子を伺った。

「ムニャムニャ…」

 ラーは土鍋の中にすっかり埋没して、寝言を言っていた。

「そこじゃ、『限りなく透明に近いブルー』などはポップキッチュとして受容されたが、本作品はマイナー指向であるからして、あまりに内省的であるが故に、受容されればされるほど、本来であれば作者は疑心暗鬼になってしまうはずなのじゃ」

「だからどうだと?」

「だからじゃ、キッチュであろうと、スーパーフラットであろうと、ポップであればそれもありだろう。また、頭の固い権威が横槍を入れるのも当然ありだろう」

「選考基準が曖昧だと?この多様化の時代、別にいいんじゃないですか?」

「多様化の時代だから、日陰に咲く華を表舞台に引き摺り出すような偶然の一致に興味津々なんじゃ」

「我輩先生、古いよ」

「何じゃラー、起きておったのか」

 我輩先生は少しムッとした顔をした。

「そんな時のために、別にー…があるんですよ」

「何じゃそれは?」

「今時の人間って生き物は、枝葉の部分が複雑で、何でもありなの。納得の行かないことに反論してもきりが無いから、別にー…の一言であえて自分を蚊帳の外に置くの。それでさえ軋轢が生じるんだから…あー怖い怖い。ねえアム」

「まあね。好きにしてくださって結構ですから、せめてそっとしておいてよと言いたくなるわ」

「そんなものかのー」

「そんなものですよ先生」

 ラーが我輩先生をなだめるように言った。

「じゃあ、この件については終了っ!」


 アムの終了宣言の後、我輩先生は何かを思い出したようだった。

「野良猫の品格がどうのこうのと言ってなかったかな?」

「はい、それはきっかけに過ぎなくて、経済のことなんかを少し話してました」

「おっ、それならちょうど猫に小判という小説を作ったところだぞ」

 我輩先生は、周囲の困惑をよそにストーリーテラーに変身していた。


 黄昏始めた公園、遊歩道の両脇に整然と並んでいる楡の黄葉が金色に揺れている。

野良猫が十匹それぞれのペースで、食後の散歩を楽しんでいた。

野良猫たちは色んな餌場を知っているので、明日の食事を心配する必要はなかった。

「今日の夕食どうだった?」

「鯵の干物だよ」

「御馳走じゃん。僕なんか今日もキャットフードさ」

「あんた、またラーんとこ行ったんでしょ。最高級って言ってもキャットフードばかりじゃ飽きちゃうわよねえ」

「ラーは飽きないみたいだよ。それにラーは飼い主とお話出来るみたいだし。食べたい物があれば、いつだって用意してくれるんだって」

 二匹がそんな話をしているうちに、他の猫たちが騒がしくなった。

「どうかしたの?」

 二匹は猫たちが集まっているところへ近付いて尋ねた。

「こいつがなんか拾って来たんだ」

 見ると一匹の猫が、何か光るものをくわえている。

「ふむふむ。これは小判というものじゃ。まさか本物が落ちているとはのお。しかも相当金の純度が高いことからして、徳川吉宗の時代のものじゃろうて」

 遅れてやって来た最長老の猫が、カチカチと小判を噛んだ後で言った。

「ふうっ、顎が痛いや……一体何なんですか、小判って?」

 草の上へ小判を落とした猫が尋ねた。

「昔のお金じゃよ。しかも一万円札10枚分くらいの値打ちがあるんじゃよ」

「へーっ、それじゃ食べる物たくさん買えますね」

「まあ10猫年分は買えるじゃろうて」

「ひゃーっ!じゃあ餌場のない猫にあげたらきっと喜ぶのになあ」

「そうだにゃあ」

 みんな頷いて、小判を残したまま、その場を立ち去った。

 小判は最後の木漏れ日に、一瞬山吹色の光を放ったが、やがて押し寄せた闇に沈黙した。

「終わり」


 ピトピトピト。

 アムとラーはまばらな拍手を送った。

「我輩先生の小説にしちゃ、にゃかにゃかのもんでしたよ。ねえ、アム」

 歯に絹を着せぬラーにしては珍しく、高い評価だった。

「そうね。経済原理小説として完結しているわ。食べる物さえあれば、猫に小判は必要ないものね。これが人に小判だと、この小説の何百倍の言葉を費やしても足りないんだろうけど…」

「そのとおりじゃ。全く人間という生き物は、何を考えておるのかさっぱり分からん。食べる物の心配がないのなら、のんびりと宇宙や自然の神秘にでも浸っておれば幸せなものを…」

「我輩先生、やっぱり古い、いくら人間でもそれじゃまるで大昔の哲学者ですよ。人間だって近頃は猫並みになってるんですから。それを言うなら、宇宙や自然に触れていれば幸せなものを…ですー」

 我輩先生は、ラーの意見に少々面食らったようだった。

「そうなのか?アム」

「確かに、ただ一つの形而上学を残すのみとなっています。ですが、猫のように誰もが微積分の概念を持っている訳ではありませんから、未だに大時代的な哲学がまかり通っているのも確かです」

「なぜじゃ?学校で教えているのではないか?」

「学校では解を求める方法としてしか教えませんから、試験で正解したからといって、殆どは概念の持ち合わせなんてないんです」

「そうか…我輩など、因数分解が苦手で解は求められないが、概念はしっかりと持っておるぞ」

「我輩先生…当たり前です。猫なんですから」

 ラーが、やれやれという風に言って笑った。

「それもそうじゃの、つい猫だということを忘れておった。我輩も年じゃのお」


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