暴食
「くそ!くそ!あの女!」
穂香の空間から強制退場させられた三人の魔女、とくに中学生の魔女は、地団駄を踏んで悔しがった。
折角三人の力を合わせてやっとこ黒の魔女の空間に入ったというのに、すぐに追い出されてしまった。これでは、あの魔女が『魔女狩り』を止めることはないだろう。
「き、きつね、どうする?これじゃあ、私たちが危ないよ」
怯えながら言葉を出したのは、まだ小さな小学生だった。『きつね』と呼ばれた中学生は、小学生をひと睨みして黙らせた。
「うるさいな、ねずみ。そんなこと、私だって分かってるよ」
名前に『色』を持てない彼女たちは、焦っていた。魔女といえど、『色』を名前に持っていない魔女の力は弱い。『魔女狩り』も集団で行って、一匹を分けあって食べるほどなのだ。一歩間違えれば、人間に逆に殺されるケースもある。それを、彼女たちは危惧していた。
「でも、本当に対策を立てないと、その打ち大規模な魔女探しも始まってしまいますよ」
「……ねこ、じゃあなにか方法があるっていうの?」
『ねこ』と呼ばれた20歳代の女性は、苦虫を噛み締めたような顔をした。結局、力無い者は上のものになぶられる運命なのだ。
「だいたい、なんでったってあんなに沢山人間を食べるんだろう。どうせ、甘味程度にしかならないのに」
人間を食べなくても、魔女は生きていける。じゃあ何故人間を食べるのかというと、その肉が驚くほど美味だからだ。嗜好品と言ったほうがいい。
どうしたものかと悩む三人。そこで、ある一つの考えが思い浮かんだ。
別の『色魔女』に助けを頼んでみたらどうだろうか。
(ああ、今日も暇ね)
授業を聞き流しながら時間を潰す穂香は、ぼんやりと空を見上げながら思考に耽っていた。もう最後の授業というだけあり、皆やる気がない。大勢の生徒がうとうとと眠りについている中、起きているのだから真面目な方に見えるだろう。
(ああ、それにしても、昨日食べたソルベは美味しかった)
クリーミーなソルベの甘味に、血のほどよい酸味の相性が抜群で堪らなかった。食後でなかったら何杯でもいけてしまうほど美味しかった。今日もまた作らせよう。ああでも、前に食べた脳みそのクレームブリュレも最高だったし、どうしようか。
そんなことを考えているうちに、授業が終わる。さっさと帰る準備をして、教室から出た穂香は足取り軽く、校舎を後にした。
「ああ、今日の料理はなにかしら」
道行く人々を見つめながら、つい呟いてしまう。あの人だったら、この人だったら。いろんな料理を空想するのも、穂香は好きだった。
だが、ふとある集団の動きに注目した。別の学校の高校生なのだが、明らかに動きが挙動不審だ。彼らは携帯を見つめながら、興奮気味に話あっていた。
「ねぇ、これマジなの?」
「やばくない?こんな大規模な『魔女狩り』聞いたことないよ」
「最近でも四人死んだんでしょ?なんか、怖いね……」
はて、近場で魔女狩りが起きているのか。穂香はぼんやりとそんなことを考えた。
別に、魔女たちに狩りの縄張り意識はない。だって、食べ物である人間たちはこんなにたくさんいるのだ。
世界単位で考えれば、70億人もの人間。流石の穂香もそんな膨大な量、独り占め出来る気がしない。そんなに多くあるのなら、分けあって食べればいい。わざわざ争う必要がないのだ。
そう思ってのほほんとしていた穂香の耳に、聞き捨てならない言葉が聞こえて、思わず足を止めた。
「大丈夫かな、黒木高校の生徒……」
黒木高校。
それは確か、穂香の兄、優人が通っている高校ではなかったか?
「ほ、本当に大丈夫かな。来るのかな?」
「今更弱音吐いてんじゃないよ、ねずみ!」
怖がりつつも高校生の腹を噛み切るねずみを、きつねが叱咤した。本当は、きつねだって怖かった。あの『黒の魔女』を敵に回すことが。
現在の黒木高校は、正に地獄と化していた。
地面には人間の死体が転がり、それを貪り喰う魔女たちの姿がそこら中で確認できる。その数、総勢50人。校舎の中にはまだまだ生き残りたちがたくさん残っているが、皆目の前の死体をまず腹の中に詰め込むことにしたようだ。
各々が好きなように動いている中、作戦を立てた三人、きつね、ねずみ、ねこはいつ黒の魔女が来るのかと戦々恐々しており、食事も手につかない様子だった。
「そんなに怯えなくても大丈夫よ」
そんな三人に、声をかける魔女がいた。金髪で赤い瞳の彼女は、持っていた目玉を口に含んで頬の中で転がした。弾力のある目玉の食感を楽しみ、歯を立てる。ブチリと強膜を破ってしまえば、じゅわりと血や液体が口の中に広がった。
「あの黒の魔女が若返って近くで監視していたいほどの人物なのよ?上条優人って人間は。だったら、それを餌にして誘き寄せて、ここにいる魔女全員で攻撃すれば、あの女を殺せる。この大規模な魔女狩りもあの女のせいにしちゃえば万事解決だわ」
「そ、そうだけど……」
「なによ。この私、『金の魔女』がいるのよ?何が不安なの?」
ギロリと睨み付けられて、きつねは慌てて目線を下げた。協力してくれているとは言っても、金の魔女が黒の魔女を殺したいだけなのだ。いいように手駒にされているのではないかと懐疑するきつねだったが、そんな彼女の思考は聞こえてきた声により止まった。
「一条優人を見つけました!」
きつねと同じくらいの少女2人が、一人の男を引きずって現れた。抵抗を見せる優人だが、抵抗空しく地面に転がされた。土埃まみれになる優人を、金の魔女が物珍しそうに見つめた。
「ふぅん、これがあの黒の魔女が大切にしている人間かぁ……」
確かに、見た目はいいし、程よく筋肉もついていて美味しそうに見える。あまり人間を食べないきつねでも、思わずごくりと喉を鳴らしてしまう程だ。
「……」
無言のまま動かず、逃げ出す機会を伺う優人だが、ここはもう魔女の巣窟と化している。しかも『色魔女』までいるこの状況は絶望的だ。
「ふふ、私がこいつを食べたら、黒の魔女はどうなるのやら。さぁて、どこから食べてやろうかしら。腕?足?それとも……」
「随分と粗雑なパーティーね」
凛とした、美しい声だった。
だけど、その声を聞いた途端、背筋が氷ったのが分かった。
恐る恐る、振り向く。校門に立つ、漆黒のドレスを身に纏う少女、黒の魔女は、静かに高校の中に入った。
緩やかに微笑む彼女は美しいが、きつねは彼女が怒っていることを肌で感じとれた。殺気を向けられて、ピリピリと肌が痛むようだった。
「ねぇ、そこに転がっているのが、私のものだって分かってやっているの?最近の魔女は弱い癖に礼儀ってものを知らないから困るわ。それに手を出すというのなら、必然的に私に殺されることになっても、文句は言えないわよね?」
空が、地が、空気さえも、彼女の黒に染まっていく。未だに日は暮れていないというのに、既に空は黒の魔女から溢れ出す魔力によって真っ暗になってしまっていた。
「う、うふふ、まんまと来たわね黒の魔女!ここであんたを殺してやる!!」
怖じ気づいていた金の魔女が叫ぶ。我を忘れていた他の魔女たちが慌てて使い魔を出したり、各々武器を手に持って構える。
味方がいない、たった一人の黒の魔女、穂香は、それでも笑みは崩れなかった。
「ふふ、お馬鹿さんたちばかりで困るわ。私に勝てると思っているだなんて。笑っちゃう」
「減らず口を叩けるのも今のうちよ。さぁ、いきなさい!」
自身の使い魔も召喚した金の魔女が命令する。一斉に黒の魔女に飛びかかる使い魔たち。ある者は鋭利な刃物を、ある者はその体に宿る暴力を、黒の魔女に向ける。
対する黒の魔女は、一度だけ、軽く指を鳴らしただけだった。
それだけで、使い魔たちは膨大な闇に包まれ、消えていった。
地面から大きく広がった闇。まるで花開くかのように広がったそれは、使い魔たちを一瞬の内に飲み込んだ。そしてそのまま地面に潜り込み、黒の魔女の影の中に入って、静寂を保っている。
まるで、巨大な鯨が水面下にいた小魚を一息に飲み込んだかのように豪快で、一瞬のことだった。
「まだ使い魔を出せるものはいるの?」
余裕の笑みを浮かべる黒の魔女に、流石に危機感を抱く魔女たち。
思わず一歩後ずさった瞬間、黒の魔女が魔法を発動した。
黒の魔女はあろうことか、学校ごと、全てを黒の魔女の空間に移動させてしまった。その広さは先日のものよりも広く、地面に転がっている人間たちも、未だに校舎内に残っている生徒も、呆然としている優人も一緒だった。
黒と赤、黄色の不気味なコントラストの部屋で、主である黒の魔女はソファに座って優雅に微笑んだ。
「うふふ、どう料理してあげようかしら。そういえば、魔女の身体もなかなか美味しいって知ってる?みんな、私の使い魔たちの肥料にしてあげるっ!」
いつの間にか宙に浮かんでいたウサギたちが、持っていたナイフやフォークを地面に向かって一斉に投げつける。魔女たちの体に突き刺さったそれらは、魔女たちを地面に縫い付けた。
腰や腹を突き破られる痛みに蠢く魔女たちに、にじりよるウサギたち。
食事が、始まった。
「いや、いやああああああ!!」
「来ないで!いやだああ!!」
「痛い!!食べないで!!お願いだからぁ!!」
「ぎゃああああああ!!痛い!痛い!痛い!」
皮膚を食い破られ、肉を引きちぎられ、骨をかじられる魔女たち。大量の血が市松模様の床を染めていき、臓物をその上に散りばめられても、人間よりも生命力が高い魔女たちは死ぬことを許されない。
魔女たちの悲痛な叫び声を聞きながら、黒の魔女は優雅に血の入ったカクテルを口に含む。
「やっぱり、最近の子は弱い子ばかりになっちゃったわね。私の使い魔一匹殺せないだなんて……」
「あら、この私を忘れていない?」
魔女の弱体化を嘆く黒の魔女に飛びかかる姿があった。
黒の魔女と同じ、金の魔女。
彼女は手に金色の剣を握りしめて、思いっきり体重をかけつつ黒の魔女の体に突き刺した。ドレスを引き裂きソファにまで達した剣は、黒の魔女の内蔵を引きちぎる。
「っ……」
「そうやって高飛車ぶってるから、私に殺されるのよ」
こぷり、黒の魔女の唇から血が溢れた。
勝ち誇った笑みを浮かべる金の魔女は、黒の魔女を見下ろした。美しい美しい黒の魔女。その体をどういたぶってやろうかと考えながら。いつも上から目線で物事を言い、いつもいつも狩られる側ではない黒の魔女を蹂躙できることに、金の魔女の胸は高鳴った。
金の剣を血が伝い、地面に数的落ちる。その血さえ美しく感じて、金の魔女は思わずその血を靴で踏みにじった。
「ふふ、ふ」
「……?なにがおかしいのよ」
新たに剣を構えて、次は何処に刺そうか考えていた金の魔女は訝しんだ。
魔女とて人間と同じく死ぬ存在。例え、始祖と近いという黒の魔女とて、剣を刺されたら死ぬのだろう。なのに、黒の魔女には、死への焦りなど微塵も感じられなかった。
「いえ、ごめんなさいね。そういえばあなたも『色魔女』だったわね」
クスクスと笑った黒の魔女は、ゆっくりと視線を上げた。爛々と淡く光る瞳は、まるでこの世のものとは思えないほどの魅力を持っていた。
「ねぇ、あなたって、なんで人間を食べるの?」
「……なんでって、美味しいからよ。美味しいから、食べる。そうでしょう?」
ちりちりと、首の裏が焼かれるような感覚がした。なんだ、これは。目の前に座る黒の魔女は、もうあと少しで死ぬはずなのに。なにをそんなに、怖がっているんだ。
金の魔女は、言葉に出来ない焦燥感に、ただただ疑問符を浮かべた。
「美味しいから、ね。ふふ、まぁそうなのだけれど。魔女は皆本能的に、人間の体が『美味しい』と感じるようにできているの。私は、何故人間を食べると思う?」
その答えを聞く気は、金の魔女にはなかった。剣を黒の魔女首もとに振りかざす。
いたぶるよりも先に、息の根を。
だが、切っ先が黒の魔女に触れるその前に、金の魔女の体にナイフが突き刺さった。
真後ろからの攻撃。
衝撃を感じて自分の体を見下ろせば、豪奢な金色の派手なドレスから、黒くて大きなナイフが飛び出ていた。その事を上手く理解する前に、ナイフが金の魔女の体の中に引っ込んだ。
否。
後ろに立っていたウサギが、そのナイフを金の魔女の体から完全に引き抜いた。
「かはっ……」
「私の話を遮るのはダメよ」
自らに刺さっている剣を抜き取って、黒の魔女は立ち上がった。傷口からは血が溢れだしているというのに、黒の魔女はニタニタと笑っていた。
「私が人間を食べる理由を教えてあげる。何故、私は人間を食べるのか。それはね?
人間を食べることによって、その体から魔力を得られるからよ」
赤い瞳から、涙のように血が一筋溢れた。
途端に、そこら中に転がっていた人間の死体がはぜた。目も手も骨も髪も例外なく。
真っ赤な霧となった死体は舞い上がり、黒の魔女へと集まり出す。黒の魔女が手を出せば、その手のひらに集まって、凝縮していった。
何十体もの死体だった赤黒い霧は、黒の魔女の空間を埋めつくしながらも、段々とその体積を小さくしていく。やがて、何十体もあった死体は、直径3㎝程度まで凝縮した。
宝石というにはあまりにも禍々しく、石ころというにはあまりにも美しいその塊。
黒の魔女は、その凝縮した赤黒い塊をつかんで口に含んだ。カラコロと転がせば、魔力の甘みが口の中に広がる。ガリッと噛み砕けば、更に甘みが強くなった。
「やっぱり、こうやって集めて食べてしまえば効率はいいけど、素材の味は楽しめないわね」
にっこり笑う黒の魔女は、地面に膝まずき顔を青くしている金の魔女を見下ろした。魔力を補給したことにより、黒の魔女の刺された傷口は消えている。
「『色魔女』のあなたでも、人間を食べることがただの嗜好だったなんて……。魔女の弱体化を感じざるを得ないわ」
悲しそうに首を横にふる黒の魔女が、一歩踏み出した。同時に彼女の右側に等身大のナイフが現れ、その華奢な腕で掴む。
「流石にあなたまで殺したらみんなに非難されちゃうから、生かしておいてあげる。でも、ケジメも必要だから……」
ナイフが、静かに、そして一瞬の内に、金の魔女の右腕を撫でた。
「腕一本で、我慢するわ」
「ぐああああああああ!!」
ぼとりと落ちた右腕は、瞬時に赤い霧へと変わって宙を舞い、そして消えた。右腕を押さえてのたうち回る金の魔女を楽しそうに見ていた黒の魔女は、パチンと指を鳴らす。床が崩れて、金の魔女はその下に広がる闇へと消えていった。ついでに学校も空間から消してしまえば、残るは。
「あなただけになっちゃったわね、一条優人」
地面に座り込んで、ここでの顛末を傍観していた優人に、黒の魔女は話しかけた。反応はなかった。