悩みは湯船で語らい、盗賊は押し寄せる (2)
風呂は母屋にある。しかしそちらは現在使っていない。離れから少し遠かったので、半年ほど前に湯船替わりにドラム缶を庭の一角に設置したのだ。
これはこれで面倒なのだが、やはり外で入るというのは何とも言えず爽快である。
「うぅうーん……。気持ちいー!」
キイお湯が張られたドラム缶の中で大きく背伸びをした。
ここは建物の陰になっていて通りから見える事はない。念の為、今は雨よけの上からタオルを垂らして更に隠すようにしている。
そのタオルの間からひょいと白い腕が伸びてきた。
「ねぇねぇ。シャンプー取ってよ」
「……ほらよ」
「ありがとー!」
シャンプーの容器がタオルの奥に消える。暫くすると、中からしゃわしゃわという泡が立つ音がして、何とも表現しがたい良い香りが流れてきた。
こんないい匂いだっけ?
ああきっと宇宙人が使うと成分が変化するに違いない。使い慣れている筈のシャンプーなのに、まったくおかしな話だ。
「あ、もうちょっとお湯は熱い方が好きかもー」
「ええい、居候の癖にごちゃごちゃ文句が多い奴だ」
薪を掴む。出来るだけタオルの方を見ないよう注意しつつ、ドラム缶の下に放り込む。暫くすると周りの火に当てられてそれ自身も燃え始めた。
「ありがとー千秋」
声と共にちゃぷんとお湯が跳ねる音が聞こえる。女の子の声とそれが入っているお湯の音。その度に不覚にも心臓が跳ねる。
くそ……何で俺がこんなに緊張しなきゃなんねーんだよ!
理不尽な鼓動に文句をつけつつ、薪をもう一本放り込んだ。
「やっぱり地球に来て良かったなー」
「俺には全く良いことがない。早くお前と婚約破棄したい。そしてお帰り頂きたい」
「婚約破棄は同意するけど、まだ帰りたくはないなー。運命の人と出会えてないしさ」
そういえばコイツが地球に来た目的は、恋愛脳を拗らせて彼氏を見つけに来たからだっけ。
地球人でも宇宙人でも誰でもいいから、こいつの彼氏になって結ばれて、そして一緒に宇宙に旅立って欲しい。
「ねね、千秋はさ」
そう言って彼女はタオルとタオルの隙間から、ふっと顔を出した。
俺は思わずのけ反る程ぎょっとする。
上気して僅かに赤みを帯びた白い肌。金髪から流れ落ちた水滴が肌に触れると、まるで重力に逆らうかのように跳ね、豊かな谷間の陰影へと消えていった。
「…………んな」
「あれ、どしたの?」
言葉を失った俺に、彼女は無邪気な笑顔を見せたまま、彼女は小首を傾げた。
「……お前さ。肌を見せるの恥ずかしくねえの?」
やっとの事で声を絞り出す。言葉を失ったのは単に突然の事だったからであって、決してちょっと芸術的な何かを感じたからではない。ああ、そうに違いない。
「別に全部見えてる訳じゃないしいいじゃん。あ、千秋ってばもしかして童貞だったりする?」
いきなりで唐突で突然な発言に面食らう。
「そーなんだー。ふふふー」
「……なんだよ。童貞だとしたらおかしいか?」
「べっつにー。ただ夜襲われたら大変ダナーって思っただけよー」
笑い声と共に、頭に温かい水滴が投げかけられた。
くそう。ちょっと可愛いからって、あいつのペースになるのは何となく気に食わない。
「安心しろ。ビッチは俺の守備範囲に入るどころか、仮にフェアウェアにボールが飛んできても捕らないレベルだ」
「うわぁー。すぐにビッチビッチって。ま、確かにちょーっと派手にしてるけどさ」
どうやら見た目は自覚しているらしい。
「派手にしてるのは、お姉ちゃんと同じにしたくなかったから」
そういえば姉がいると言ってたな。こいつの姉……想像するにやっぱり美人系なんだろう。
「うん。友達に応募させられたコンテストに出て優勝してた。料理も美味しいし優しいし、黒い髪は宝石みたいに光っててさ!」
楽しそうに姉を語るキイ。どうやら姉妹仲は良好の様である。
「コンテストって何のコンテストだ?」
「美人コンテスト!」
「随分と俗な……宇宙にもそういうのあるんだな」
「何処の星も一緒だよ。だって同じ考え方なんだもん」
「そういうもんか。ああ、同じ考え方なら俺もお前は選ばないだろうな」
ちょっとからかうつもりの軽い言葉。
「うん。だからほんと、お姉ちゃんには勝てないんだ」
だが明るい声がほんの僅かに暗くなった気がした。
「別にさ。あたしだってまだ結婚は早いって思ってるんだよ」
「そうなのか? 意外と……というかかなり乗り気と思ってたが」
「そりゃ彼氏は欲しいし、お付き合いもしてみたいと思ってるけど、でも結婚はまだはやいかな」
ちゃぷんとお湯が揺れる音。
「でもママが『私は17歳でパパと巡り合ったんだから』って言って凄いプッシュしてきてさ。パパは自然に待ったらいいって言ってくれたんだけど」
「おう。つまり死の婚約をさせられた俺は、お前のお母さんに文句を言えばいいわけだな」
「言っとくけどママにそんな口きいたら、多分命はないわよ。近くの星の人からは『鮮血の薔薇』って恐れられてるから。……パパも恐れてるけど」
何となく想像がついた。パッパとはいい酒を飲めるかもしれない。
「ていうかさ、千秋の好みってどんなのなの? 何かずっと私をバカにしてるけど」
キイの声は再びの明るい調子に戻った。
チラリと視線を向けると、彼女はドラム缶の淵に腕をおろし興味深そうに俺を見ている。
一瞬誤魔化そうとも思ったが、折角機嫌が治ったようだし正直に答えることにする。
「俺は割と単純だぞ」
「単純なんだ? どんなの?」
「料理が普通にできて掃除をマメにしてくれて、好みじゃない場所に連れて行ってもちょっと楽しんでくれて、男に分からないように軽くおだててくれて、あと黒髪ロングな文学少女で、ついでに大人しい性格で、できればスレンダーな巨乳な子かな」
「めっちゃ細かいし⁉ あたし一個も当てはまってないし⁉」
バッカじゃないの。キイは呆れた目で俺を見た。
「理想詰め込みすぎ。病気ね」
「おいおい、俺はこの10年風邪すらひいてないぞ」
「バーカ。頭の方に決まってんじゃん!」
「やめろ。お湯を掛けるなあっち! まあ今の羅列は半分冗談だ。流石にそんな女の子がいるとは思ってない。ただ女の子には守って欲しい事が一つだけある。これが絶対条件だ」
「ふぅん? それって?」
「俺に迷惑を掛けない」
「……それだけ?」
「ちょろいだろ」
「うん。激ちょろだ」
理想像とはかけ離れた、俺に迷惑を現在進行形で掛けている女の子は、意外そうに呟いた。
こいつが俺の彼女になることは、ほぼ間違いなくないだろう。
「でも黒髪は結構似合ってたけどな」
薪を一本、火に放り込む。パキリと薪の爆ぜる音がした。
「え? 今何か言った?」
「……気のせいだっての! 俺はもう行くから後は自分でやってくれ」
「あれ。何かちょっと熱くなってきたかも。ねぇねぇ千秋ってば」
背後から聞こえる黄色い声を無視し、離れへ歩を進めた。