少女と、あるイラストレーターの閃き (2)
「彼女、どうかしたのかい?」
「いえ。それよりちょっと待っててもらえますか」
喧嘩でもしたのかと訝しげに尋ねた沖田に対して、俺は頭を掻きながら答えた。
何かを不意に閃くことは、これまでに何度もあった。
単なる勘だと思っているが、我ながらそのヒット率は高い。だから今回も何かがある筈だ。それは間違いない。断言してもいい。
それを利用して数々の女難を乗り越えてきたのだから。
「でもちょっと酷だったか?」
俺は度頭を掻いてキイが出ていった方を見た。
仕方ないとはいえ、女の子に対していきなり「髪の色を元に戻せ」というのは、少し言いすぎだったかもしれない。時間もかかるだろうし、何よりデリカシーがなかった。
後で謝ろう。
そう思った時、店に艶やかな黒髪の女の子が入って来た。
腰まで伸びた黒髪。纏ったワンピースの薄桃色が鮮やかなコントラストを描いており、まるで美術品のようである。
「お待たせ」
「……え、キイ?」
「そうだけど何か」
その声を聞いても、キイだと気付くのに数秒かかった。それほど印象は異なっていた。
彼女が美少女だと言うのは異論はない。ただその本質が異なっている。
金髪の彼女が太陽だとしたら、今の彼女は月。
「こ、これだよ!」
沖田は驚く俺の脇をすり抜け駆け寄った。
「一体この短時間にどうやって! いやそんな事はどうでもいいや! はやくこの感覚を形に残さないとっ……! あああ、くそ! タブレットは宿だ」
慌てて何か書くモノがないか探り始め、それを見ていた店長はメモ用紙とボールペンを取り出そうとする。
ハッと我に返った俺はその手を制止し、
「沖田さん、良かったらこれで」
例の掠れたインクしか出ない万年筆を差し出した。
「おお! ありがたい。ちょっと失礼するよ」
彼は手にすると早速メモ用紙に何か描き始めた。
沖田はインクが出ないペン先を、何度も何度も擦り付け一心不乱に描き続けた。
暫くして描きあがったメモ用紙を見て何度か頷く。
「ああ、うん。コレいいね。イメージがパワーになったのが分る」
万年筆を置いた彼は、メモ用紙を見て満足そうな顔になった。
肩越しにちらりと覗きこむと、少女が裸体に長い黒髪を纏ったようなキャラクターが描かれている。掠れた線を繋ぎ合わせたようなラフ画にも関わらず、奇妙な説得力がある不思議な印象だ。
素人の俺から見ても一目でわかる素晴らしいイラストだった。
「髪の一部がそのまま衣類になっているようなイメージで……黒を基調にしたキャラかな。デジタルばっかりで描いていたから忘れていたけど、やっぱりアナログの描き心地はいいね。逆に新鮮だ」
「渡しておいて何ですが、その壊れた万年筆で良く描けましたね」
「いや、それが逆に儚い感じを出せた。怪我の功名って奴かな。これは君の?」
「はい」
「良かったらこれ譲ってくれないかな」
意外な申し出だった。ああ、なるほど。こういう流れになるのか。
「それ壊れてるけどいいんですか? 修理代は結構高くつくと思いますよ」
「ゲン担ぎの意味合いもあるから構わないよ。これモンブランだよね。ちょっと値が張りそうだけど……幾らくらい?」
「……いえ、修理代もありますから、それはタダでいいです」
少し考えてから返答する。
「え、でもそれなりの値はするだろう?」
「だからその代りに、一つお願いを聞いてほしいのですが」
俺は万年筆をくるりと回した。
********
店を出ると太陽が真上に差し掛かっていた。
そろそろ昼時。一つ横のメインストリートも人通りが多くなっている頃だ。
「ねえ、お金貰わなくてそれで良かったの?」
隣を歩くキイが、沖田エルに描いてもらったサイン入りのイラスト色紙を指さした。
「ああ。持っていくべきところに持っていけば金になる」
これが沖田から代わりに貰った報酬だ。
万年筆を持ってウロつくよりは、こちらの方が換金手段は幾らか早い。
「ふうん……そうなんだ」
「ああ。これはお前が身体を張ってくれたおかげだ」
「そ、そう?」
少し照れた彼女の黒髪を、微かに吹いた春風が撫でていく。
「でも女の子にこんな注文するのは、男としてサイテーだからね」
自分の髪を片手で押さえながら、ジト目で俺を見据える。
「こんなの」とは黒い髪を指しているのだろう。
「……いや、それは悪かった。ちょっと反省してる」
「ちょっとじゃなく、沢山!」
「分った。分った。でも染めるのやたら早かったな?」
「別に染めてなんていないわよ?」
「え?」
「ほら、こんな感じで元に戻したの」
そう言ってキイは周囲を伺うとタブレットを取り出す。指先で何度か画面をつつく。
パッと髪が光ると、美しい黒髪は金髪へと変わっていた。
「うおっ!? 何だそれ」
「体に纏わせてあったナノパーティクルを再結成させたの。あたしは髪の色と服装くらいしか設定してないけど、深層レベルまで纏わせれば骨格や身長も変えられるわ」
驚いた俺を一瞥して金髪をさっと払う。よく見ると唇はやや紅いリップで彩られていおり薄く化粧入っている。
良く分からないが宇宙的な技術なら簡単な事なのだろう。
先ほどまで清純という言葉を具現化したような少女はそこにはおらず、少々残念な思いを抱いた。
「でも不思議よね。千秋は」
「ん、何がだよ?」
「……何なのかな。千秋ってまったく好みじゃないんだけど、無茶な事も不思議と許せるって言うか。納得できるって言うか」
ふと、去り際に店長が言っていた言葉を思い出した。
「別段カッコよくないのに、不思議なほど印象的。怠慢な性格にも拘らず、実は協力的で優しい。やる気のない態度とは裏腹にやれば有能」
本質は違うのかもしれないが、キイも俺に対して似たような評価をしている。
何も特別なことはせず、普通に暮らしているだけなのだが……もしかして俺の女難とは単に運が悪いだけではなく、違う要因が含まれているんじゃないだろうか?
「千秋?」
キイの声がして思考の淵から這い出る。
ライトノベルにあるような設定で妄想を掻きたてるような年齢でもない。
「悪い。ちょっと考え事してた。それより戻した方がいいんじゃないか? 黒髪に。似合ってたと思うぞ」
軽く笑いながら冗談を流した。
しかし隣を歩くキイから反応はない。「どこが!」とか「つまり元々は良くなかったってことなのね」とか反論があると思ったんだが。
不思議に思って視線を向けてみるが、彼女は前を見たまま何も聞いていないように歩いている。
金髪に隠れてその表情も伺えない。
聞こえてなかったのかな。
「……だからそういう所が卑怯なんだよね」
彼女が何か呟いたが、風に運ばれて俺の耳に届くことは無かった。
俺に分かった事といえば、金髪の間から見えている耳が僅かに赤くなっている事だけ。
「何か言ったか?」
「べっつにー。あ、それよりさ! 腹減ったから何か食べよ!」
キイは明るい声で提案すると、こちらを見ることなく走り始めた。