少女と、あるイラストレーターの閃き (1)
激動の金曜日が終わり、迎えた土曜日。
無部活生徒の土曜日と言えば特にする事もなくだらだらと過ごすのが定番であったが、今週はそうは言っていられない。
駅前の広場に着いたのは午前十時。待ち合わせていたキイと合流し、市内にある繁華街へと向かった。
「今から何処へ何しに行くの?」
「これを売りに行く」
彼女は俺が胸ポケットから取り出したモノを、不思議そうに見つめた。
「それって万年筆?」
「ああ」
親父が失踪して金目のものは全て売った。たまたま隅に残って売り残している事に気が付いたのがコレだ。差し当たりの工面は終わった為、お守り代わりに手元に残していたのである。
勿論これ自体に一千万の価値はないだろう。
しかしとりあえず種銭を作らない事には、一千万などという大金を短期間で手にすることは不可能だ。
「だからまず、これを取っ掛かりにする。出来るかは分からんがな」
「ふぅん。昨日は「すぐ集める」とか「オレに任せろ」とか威勢よく言ったくせに?」
彼女はジト目で俺を見てクスクスと笑った。
……勢いで言ってしまったとは今更言えないだけに、尚更ばつが悪い。
「お前は自分が元凶だという事をもう少し自覚しろ」
「いたっ」
俺は誤魔化すようにキイの頭を軽く小突く。白リボンで結わえたポニーテールが揺れた。
「ちょっと。折角セットして来たのに乱れちゃうじゃない!」
「ビッチだし乱れてるのは同じだろ?」
「……だからビッチじゃないし。あんたとは、ぜーったい分かり合えないわね」
「良かった。俺も同感だ」
「いーっだ!」
あっかんべをするキイ。今日は制服ではなくフリルが付いた薄いピンクのワンピースを着ている。白いハイニーソから覗く太腿が艶めかしい。
他愛もない会話をしつつ商店街を歩いていると、キイに視線が集まっている事に気が付いた。
それは彼女も同じだったようで、
「……なんか見られてる。ねね、あたしどっかおかしい? も、もしかしてあたしが宇宙人ってばれてたりする?」
不安そうに俺に囁いた。
「いや、別にそうじゃないだろ」
「……そ、そう。ならいいけど」
コイツはとびきりの美少女なのだ。男なら興味の視線を、女なら羨望の視線を向けても何もおかしくない。中には妬みに近い視線も交じっているが、それは彼女ではなく俺に向けられているものだろう。
俺からしてみれば、単に不幸が隣を歩いているだけであり、代われるなら代わってやりたいがね。
注目を集めつつも商店街を歩いていく。
「~♪」
それにしても妙にご機嫌な彼女だ。歩いているだけなのに一体何が楽しいのやら。
商店街の中央通りから裏道に入って十分。やや薄暗い路地にある店の前で、俺は足を止めた。
**********
古物商『あさの屋』の店長は、親父の古くからの知り合いである。
今でも付き合いがあり、彼には親父が失踪した時に多少だが金銭面で便宜を図ってもらった事もある。
僅かにこけた頬。黒い長髪は所々に白髪が混じっており、見ようによっては60代にも見えるが、これでもまだ40代である。
鑑定師としては若いが眼は確かだ。彼を頼って遠方から依頼を持ち込む客も少なくない。
「千秋ちゃんさ。悪いけど、コレは買いとれないワァ」
鑑定を終えた店長は、テーブルに肘をついたまま気だるげな口調で答えた。
欠点があるとしたら、オカマでちょいちょい俺にシナを作ってくることだ。面倒な事この上ない。
「ちょっ。腕に触らないで下さい。で、価値がない物なんですか? 古すぎてダメとか」
「ううん。例えばこれはモンブランのマイスターシュテュック146だけど、1970年代に作られたフラッグシップモデルの方がコレクターの間では価値が高かったりするから」
「これは結構使い込まれてるようですけど、分かるもんなんです?」
「千秋ちゃんが持ってきたのは1980年代に作られたモデルね。ほらここを見て」
店長はペン先にある、金色の金具の部分を指さした。
「ニブにある刻印が『14K』ってあるでしょ? KはKaratを意味してて、金など貴金属の含有量表示単位。でも昔はこの区分が不明瞭だったから、重量単位としてのCaratが用いられてたのよ。1970年代に作られたものなら『14C』になってるはずなのヨ」
詳しい。古物商とはいえ万年筆は専門ではないはずなのだが、流石に長年やってきているだけはある。
「1970年代に作られたのはプレミアがついて、更に高く売れるんだけどね」
「つまり俺が持ってきたのは新しくて売り物にならないって事ですか?」
「ううん。値段は下がるけど買い手がいない訳じゃない。単純にこれ、ニブが潰れてて修理が必要だから」
店長はレジに置いてあったメモ帳にペンを走らせるが、掠れたような線しか出ない。どうやらペン先からインクがうまく出ないようだ。なるほど確かに満足に書くことはできなかった。
「万年筆って使ったら使っただけ馴染むのね。そこも価値の一つ」
「交換して売ることはできないんですか?」
「勿論、ニブを交換すれば使えるけど、それなら新品を買った方が安くつくワ」
つまり。店長からしてみれば、修理する手間と売る価格との差額を計算して、割に合わないと判断したのだろう。
「ともかく、千秋ちゃんには悪いけどこの万年筆はウチでは買取できないわ。どうしてもって言うなら五千円で引き取ってあげるけど」
さらりと商売の話を交えてくる。
「いえ、悪いけど他をあたって見ます」
「そう? 気が変わったら言って頂戴」
俺はスマホの検索画面をちらりと確認してから、カウンターの上の万年筆を手にした。
1980年代のマイスターシュテュック146なら、ネットオークションなどで6~7万での取引があるようだ。
勿論正常な動作をするものに限るが、モノ自体に価値はあるようだし、上手くやればそこそこの価格で取引して貰えるだろう。
足元を見られたようだが別に悪いとも思わない。これも駆け引きだからである。
「それはそうとして。あそこの美少女ちゃんは一体何?」
交渉を終えた店長が視線を向けたのは、物珍しそうに店内を見て回っているキイだった。
「……えーっと、新しいお荷物です」
「あら、そう。私はついに童貞を捨てるのかと思ったワ」
「捨てません。いや捨てますけど、それがアイツという事は、絶対にないです。あと俺は黒髪ロングが好みですからね」
「あら。じゃ、私でしてみる? ほら黒髪ロング。こっちならタダでいいわよ」
「遠慮しておきます。あとそういう冗談は東京に出て上野公園辺りで叫ぶといいですよ」
「あらそう? 必要ならいつでも言ってよネ」
半分は本気であろう下らない冷やかしに、俺は肩を竦めた。
「ねぇねぇ! この人形何か良くない?」
丁度その時、お世辞にも広いと言えない店内にキイの声が響く。 手には木彫りのクマ人形。
それ自体は珍しくはないのだが、仁王立ちして両手に鮭を掲げているというのは、お目にかかった事はない。「これ誰に対してのアピールなの?」と製作者に問いたいくらいだ。
だがキイはまるで秘密めいた宝物を見つけたかのように、ドヤ顔で俺に見せつけた。
「地球のお土産として持って帰ったら、彼氏に喜ばれそうじゃない⁉」
「お前彼氏いないって言ってなかったっけ」
「……み、未来にはいるし!」
「ふーん。まあ未来の彼氏の土産にそれを選ぶお前のセンスはどうかと思うぞ」
「え、うそ? これ可愛くない?」
「俺だったらそっと押入れに仕舞うまである」
「えー……そうかなぁ」
俺の返答にキイはぶーっと口を尖らせた。
どうやら美的センスは壊滅的なようだ。
「というかさ! 千秋は折角女の子から貰ったプレゼントをそんな扱いしちゃダメでしょ!」
「そうか?」
「うん。30点! 不合格っ!」
「おおそんなにもあるのか。あと良く分からんが合格しなくてよかった。ほらもう行くぞ」
棒返事をしながら店を後にしようとした時だった。
入り口の扉が開いて一人の男性が入って来る。
20代後半か30代前半だろう。比較的端正な顔立ちに若さが感じられる。紺のスーツを着ており、片手はざっくばらんに纏められた髪に当てられている。
目の前に立つ俺に気が付いたようだが、特に気にした様子もなく何か小さく呟きながら店長の方へ歩いていく。
「イラッシャイー」
「店長ゥ……。今日は何かいいものない?」
「あら。またスランプ?」
「うーん。近くもあり遠くもある。何て言うか……可愛い女の子ばっか描いてたはずなのに、女の子が可愛いと思えなくなっちゃったんだよね……」
会話が耳に入ってきた。どうやら二人は知り合いらしい。
俺は軽く会釈して店内を見回す。
「おいキイ行くぞ……あれ、キイどこだ?」
「ねね! 千秋! じゃあこれならどう!」
キイが奇妙なデザインが掛かれた旗を持って、棚の影からひょいと顔を出した。
気怠そうな表情だった男に変化があったのはその瞬間だった。目を見開き、近寄ってキイの両肩をガシっと掴む。
「ひゃ⁉ な、何⁉」
「良い……!」
男は何か期待に満ちた眼差しを、目、唇、そして豊かな胸元へと移していく。
そして最後に金髪にまとめられたポニーテールを見て……急速に落胆の色へと変わった。
「……ああ、惜しい! 実に惜しい! もう少しで完璧なイメージになれそうだったのに!」
「ちょっと。俺の連れに何か?」
俺が間に割って睨みつけると、男は額に手を当て頭を下げた。
「大丈夫よ、千秋ちゃん。彼、ここの常連だから」
「常連?」
「彼、ちょくちょくインスピレーションを求めてウチに来るの。沖田エルってイラストレーター知らない? 割と有名なのよ」
「え、あの『錬金術師のアトリエ』シリーズの沖田エルさん⁉」
驚いた声をあげたのは、俺の後ろで呆気にとられた顔をしていたキイだった。
「お前知ってんの?」
「え、千秋知らないの⁉ 大人気ゲームのキャラデザしてるイラストレーターさんだよ!」
知らない。むしろ宇宙人のお前が何で知ってるのかって聞きたいくらいだわ。
「突然失礼した。いや実は次のヒロインのデザインに煮詰まっていてね……。彼女を見た時に、何かこう閃きそうになったんだ。つい嬉しくなって声を掛けてしまった。許してくれ」
沖田は屈託なく笑った。悪い人間ではなさそうだ。
「君……えっと名前は?」
「あ、キイ=アニマニールです」
「ちょっと不思議な感じがあるね」
「え? や、やっぱりあたしどこかおかしいですか?」
「おかしいって言うか……いやそうなのかな? 何かこう調和性がないっていえばいいのか……少し普通じゃないって言うか」
ドキッとした。クリーエーター特有のインスピレーションなのだろうか。彼女の中にある違和感――宇宙人であること――を本能的に見抜いているかのようだった。
「ただの気のせいだと思うけどさ。でもそこがいいんだよね!」
「気のせいっすよ。ええっと、それよりさっき言ってたヒロインのデザイン、イメージ湧いたんですか?」
話題を逸らすため何気なく振ってみる。
「ああ、そうそうそれそれ! 大体直感したイメージ通りなんだけど、金髪がちょっとね」
「え、似合わないですか? 実は染めてるんですけど……」
それ染めてたのか。派手な容姿に似合っていたから普通に地毛だと思っていたが。
「いやとっても似合ってる……んだけど。素材を殺してる気がする。もぎたての果実をわざわざミキサーにかけてミックスジュースにしてるっていうか」
良く分からない例えを持ち出して、沖田エルは頭を掻いた。
「元々は何色なんだい」
「……えっと、黒です」
沖田は少し迷っていたようだが、
「どうだろうか。会ったばかりで不躾だけど、一度黒髪を見せて貰えないだろうか。君の黒髪を見たら、僕のインスピレーションを加速させてくれそうなんだ」
と、少し不思議な頼みを持ち出したのだった。
その瞬間。
俺の中にある考えが浮かび、微かな火花となって脳裏を駆け巡った。
これまで数々の女難を回避して来た一種の直感。 否、閃きと言ってもいい。それが「この先に何かがある」と囁いたのだ。
キイを棚の陰まで引っ張る。
「おい、お前今すぐ黒髪しろ」
「は⁉」
彼女の耳元で囁くと、驚いた表情になり俺を見た。
「いきなり何言ってるの?」
「悪いが彼のインスピレーションを刺激してほしい」
「ナニソレ。幾ら好きなゲームのキャラデザやってる人だからって言っても……黒髪何て絶対嫌だし!」
黒髪(もともとの色の筈だが)妙に拒絶する。だが理由はこのあと回しだ。
「少しだけでいい。多分何か状況が変わる」
「……何でそんな事分るのよ」
「俺の直感だ。昔からトラブルを回避するのと見つけるのだけは敏い」
「……何それ。まったく宛てにならないじゃん」
「いいから。元の色に少しの間だけ戻してくれ」
キイは答えなかった。
神妙な表情で沈黙していたが、暫くして形の良い唇から小さな溜息が漏れた。
「分ったわよ。でも今回だけだからね。黒なんていう最悪な色に戻すのは」
そう言って髪を纏めていたリボンをほどいた。
綺麗な金髪が肩の先にさらりと落ちる。
「悪い。染色剤は近くの薬局に売ってるはずだからちょっとまってろ」
「いい。そういうの要らないから。すぐ戻るからここで待ってて」
そう言い残し、キイは店を出て行った。