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転校生は波乱を運ぶ (2)

「……あたしたちは宇宙を旅しているの」


 彼女はゆっくりと話し始めた。

 地球から観測する事の出来ないほど遠い銀河。そのうちの一つに彼女たちの母星はあるという。

 伝統的に「女性は旅行し宇宙に子孫を残すことで繁栄する」という思想があり、伴侶と一生を添い遂げために女性たちは自らの血を用いて作った宇宙船を、意中の男性と同化=婚約させる。更なる発展を遂げるために、夫となった宇宙船で星々を巡る。

 自分もまたその思想を受け継いだ一人で、適齢期になったと同時に、宇宙船を作り、伴侶となるべき彼氏を探しに地球に来たの――。


「つまり君は宇宙人で、うっかり落とした銀色の箱がその宇宙船だったと?」

「うん」

「で、宇宙船である銀の箱は、今俺と同化して体内に入って、君と『婚約』している状態だと」

「うん」


 彼女はもう一度こくりと頷いた。

 俺は、はーっと溜息を付いて立ち上がった。


「中々壮大な設定で、俺がもし中学生ならその話にワクワクして乗ったかもしれないけど……今は流石になぁ」

「……もしかしなくても、信じてない?」

「当たり前だ。素直に信じる方がどうかしてる」


 俺はフェンス際に設置してある長椅子に腰かける。


「第一その話を信じるなら、婚約して同化する候補はお前の彼氏だろーが」

「か、か、彼氏とかいないし! いたらここにはいないし……あ、言っておくけど、あたしだって君は好みじゃないから。360度違うから」

「それ一週回ってんぞ」

「と、とにかく! 君は全然好みじゃないってこと!」


 じゃあ何で全く関係ない俺になってんだよ。

 そう言おうとした時、彼女――キイは立ち上がり俺の胸に指を突き立てた。


「君さ、血の付いた指で箱に触ったでしょ」


 そういえば……。視線をチェーンで切った指にやると、痛みはないものの薄らと赤い傷跡が残っていた。


「いいこと? 初夜権(・・・)を持った宇宙船に血をつけた指で触れる、それが婚約の儀なの。図らずも君はそれをしてしまった」


 胸に突き刺された指に力が込められた。


「宇宙船にDNAを埋め込まれた状態……つまり今の君はあたしの婚約者に扱いになっているのよ」

「はっ馬鹿馬鹿しい」


 俺は一笑して彼女の手を優しく払った。


「全く迷惑な話」

「ああ、迷惑な話だ」

「せめてカッコイイ人なら良かったのに。君、全然好みじゃないわ」

「そりゃ奇遇だ。俺も金髪は好みじゃない」

「良かった。もしあたしが好きだって言い出したらどうしようかと思った」


 丁度その時、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。


「つまりお互いこれ以上話す必要はないって事だな」

「そうね。これ以上話す必要はない」

「んじゃ、俺はこれで」


 彼女に背を向けたのと、背後からパチンと何かを出す音が鳴ったのは殆ど同時だった。


「ええ、だから――――遠慮なく離婚(・・)できるわ」


 その突き出されたナイフを避けられたのは、これまで数々の女難を掻い潜ってきた努力の賜物だろう。

 これまでとは違う低いトーンの声が発せられた瞬間、俺は考えるよりも早く身体を横に倒していた。


 一秒前まで心臓があった位置に、鈍く輝くナイフが突き出されていたのを、立ち上がりながら確認して背筋が寒くなる。


「っ……! な、何しやる⁉」

「うるさい! いいから死になさい!」


 非難の声を無視し、彼女は右手に持ったナイフ――さほど大きくはないが――をヒュンヒュンと振り回した。


「ちょ、ちょっと避けないでよ! 大人しくしてよこのっ」

「無茶言うなっ⁉」


 突き出されたナイフを横に避けつつ文句を返す。

 特別運動神経が良い訳ではない俺が全て躱せているのは、単に彼女の動きがそれ以上に緩慢だからだろう。とはいえ、このまま続けるわけにもいかない。


 彼女が肩で息をし始めた頃合いを見計らって、突き出された手首を掴んで引っ張ると、体勢を崩した彼女は簡単に倒れ込んだ。


「いたっ!」


 俺は落としたナイフを取り上げると、大きく息をついた。


「何するのよぅ……」

「そりゃ俺の台詞! 一体何の真似だ」

「あたしはただ、君を亡き者にして婚約を破棄しようとしただけ!」

「随分とダイナミックな婚約破棄だな⁉」

「いいじゃん、ちょっとくらい死んでくれても」

「ちょっとって何だ、ちょっとって」


 俺の人生は一機しかないっつーの!

 身に覚えのない結婚をさせられた上、殺されて勝手に破棄されるのはご免である。

 というかお前の中にある俺の人生ってそんなに軽いの……。


「死んでくれないの?」

「当たり前だ」


 手にしたナイフの刃を仕舞い、屋上の片隅に放り投げる。


「よし分った。お前が宇宙人で、俺と婚約しているというのは信じる」

「死んでくれるなら信じなくていいけど?」

「いや信じさせてください」


 死なないと破棄できないとかどんな設定だよ。


「で、一応聞くけど俺が死ぬ以外に破棄する設定……いや、方法はある?」

「えっと……あることにはあるけど」


 あるのかよ!


「じゃ、そっちの設定でお願いします」


 少なくとも死ぬよりはマシだろう。


「分ったわ」


 そう言うと、彼女は手のひらを差し出した。


「……何?」

「お金」

「はい?」

「婚約破棄の慰謝料。もう一つの方法はお金がいるのよ」


 足ががっくりと折れそうになった。段々詐欺っぽい話になって来たぞ?

 だが正直千円くらいなら、さっさと渡して追っぱらってしまいたい。

 俺はポケットから間食用のチロルチョコを取り出し口に放り込んだ。いつもと変わらぬ美味さ。気分を落ち着かせる。


「分った。……というか日本円でいいのか? 設定大丈夫?」

「うん」

「いいならいいや。で、いくら?」

「一千万」


 溶けかかったチロルチョコが、口から勢いよく飛び出した。


「ちょっ! きたないしっ⁉ やめてよ!」

「んな⁉ いっせんまん⁉」

「もう……慰謝料と思えばなら安いものでしょ」


 金髪の少女はブレザーについたチョコの破片を払いながら、事もなげに言い放った。


「高校生がそんな金持ってる訳ねえだろ。馬鹿馬鹿しい」


 耳を貸すだけ無駄だった。俺の時間とチロルチョコ返せ。


「もういいや。取りあえず襲ったのは見逃してやる。けど次にやったら問答無用で警察に通報するからな」


 背後から聞こえる彼女の声を無視して、出口があるペントハウスへ歩を進めた。


「いいの? 二週間以内に離婚しないと、君はどのみち死んじゃう(・・・・・)んだけど?」

「あーもういいから、そういうの」


 手をひらひらを振って、意思表示をした瞬間。

 パキュンッという、金属が擦り合うような奇妙で軽い音が耳を打った。

 同時に鋭い発光が俺の目を刺す。


 突然の事に、俺は反射的に目を閉じ片腕で顔を覆った。光が満ちていたのは、時間にして一秒にも満たなかっただろう。瞼の裏を突き指していた光はすぐに治まった。


 ――――しかし、目を開けた先にあったのは信じられない光景だった。


 そこにあったのは空間。

 単なる空間であり、俺が行くはずだった屋上のペントハウスがない。ソレがあった筈の場所は、鋭利な刃物で切り取られたかのような地面の断面。

 屋上の一部が無くなっていた。文字通りの『消失』。

 何だ、これ? 夢? いや現実?

 断面から覗く階下を見ながら、俺は呆然と立ち尽くしていた。

 

「君さ、あと二週間でこんな感じになっちゃんだけどいいの?」


 背後から聞こえた少女の声に反応して、思わず振り向く。


「今あたしが投げたのはね、タブレットの動力の一部。制御なしで解放させると核融合に近いエネルギーを放出して、その収束の際に周囲の物質を分子レベルに分解するの」


 核融合なんて地球じゃまだ夢の技術だけどな――と、そんな軽口は喉の奥に出かかって止まった。

 少なくともこんな事は地球にある技術じゃ不可能だ。


 宇宙人と宇宙船。

 まさか本当に……?


「で、今君の中にあるあたしの宇宙船だけど」


 キイは近づき、陶器のような白い指で沈黙した俺の胸を軽く押した。


「同じものが動力に組み込まれてるわ。サイズが違うから、もし爆発すれば、周囲も巻き込むような大爆発になるけど」

「……でも爆発なんて、そうそうするもんじゃないんだろ?」


 掠れた声で聞き返した。


「あたしと婚約が決まった瞬間にカウント開始。地球時間で二週間後に爆発するわ」


 そして淡い期待は、一瞬で消し飛んだ。


「君を中心に街一つくらいは消失するでしょうね」


 冷たく言い放った彼女に「冗談だろ」と言おうとするも、俺の口からは呻くような息が漏れただけだった。


「これで分かった? あたしが君を殺さなくても、もうすぐ死ぬってことが」

「……ああ、何となく。今俺がヤバい状態になってるのは分かった」


 俺がやっとのことで答えると、キイ=アニマニールは片手で美しい金髪を払った。


「だから死にたくなかったら、あたしと別れてくれる?」


 穏やかに吹く一陣の春の風。

 彼女は宝石のような煌めきを周囲に振り撒きながら、これまでで一番の笑顔を俺に見せたのだった。



    ********



 姫橘千秋(ひめたちばなちあき)。高校二年生。これまで様々な女難を、身を持って経験してきた。

 だからこそ分かる、断言できる。

 宇宙を超えてやってきたこの金髪の女の子は、これまでにあったどんな災難よりも最悪な、凶兆を運んできた女難である、と――――。




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