ヤクザは困り、そしてストーカーは暗躍する (2)
深呼吸してノックしたものの、しかし部屋から返事は無かった。耳を澄ませると中から微かな音が聞こえるので、無人という事は無いはずだが。
再び叩こうと腕を上げるが、緊張のせいで自然とその手が止まった。
「ね、千秋。もしかして会いたくないの?」
動きを止めた俺にキイが話しかけてきた。
「……ああ。友達だったのは数年間前までだからな。今じゃ目を合わせても話をしたくもない」
「同級生なのに。喧嘩でもしたの?」
「いや違う」
もう一度扉を叩く。
「俺はな、コイツにストーカーされたんだよ」
「え、ストーカーって……だってマサキって男なんでしょ?」
「いや、アイツは――――」
「ちーくん!」
急に扉が開き、中から飛び出した人物に勢いよく身体をぶつけられた。自然と押し倒される形になる。
同時にふわっと、甘い匂いが鼻孔を突いた。
「ひさしぶりですひさしぶりですひさしぶりです! 3年、ねね、3年ぶりですよね⁉ 学校で目があっても話しかけてくれませんし、すれ違ってもシャイなちーくんは絶対に半径一メートル以内に入ってきてくれないですし。でもでもこうやってわざわざ部屋に来てくれたって事はもう全部を受け入れる準備がオーケーになってるってことで、つまりそれは結婚を前提にしたお付き合いっていうかお突き合いをしてもいいということでしょうか? えへへ、大丈夫。心の準備はできてます。ちーくんも大丈夫だと思うけど、でもでももし出来てなくても大丈夫です。一杯勉強ましたから! ちーくんの好きなトコ、全部わかってます! だから初めてでも大丈夫って言うか、むしろ初めてじゃなかったらおかしいっていうか? 安心して身体を…………ちーくん?」
馬乗りになって俺の首を締めながらマシンガントークを噛ましていたマサキは、可愛らしく小首を傾げた。
恐らく第三者から見れば俺の顔は真っ青で、酸素欠乏になりかけていたのがはっきりと分かるだろう。
一瞬手が緩んだ隙に、俺は慌てて身体を跳ね除けた。
酸素を供給するため大きく息を吸う。
「はぁ! はぁ! ごほっ! お前! 首を締めながら話す癖、いい加減に直せ……。だからお前には近寄りたくないんだよ!」
咳き込みながら目の前の少女――神津野真咲――を非難した。
セミロングの黒髪に赤い縁取りの眼鏡。同じく赤い髪留めが前髪を留めている。彼女を初めて見た男なら息を飲むだろう。それほど可憐な文学少女。薄い青色のワンピースが元々の素材を更に清純に見せている。
「ご、ごめんなさい! 愛おしくてつい心臓を止めたくなっちゃって……」
だが思考回路の方は見た目とリンクしない。相当ぶっ飛んでいるのである。一体何処をどう回ってくればその回答に辿り着けるのか。
ていうか止めるなら自分の心臓にしてくれませんかね……。
「でも真咲、本当に嬉しくて」
薄ら溜まった涙を細い指で拭うと、にっこり微笑んだ。
「ノックは聞こえてたんだけどね。ちょっと『準備』してたから、出てくるのが遅れたの。ごめんなさい」
「あ、ああ…….それはもういい。大丈夫だ。それよりお前、準備って一体何の――」
「勿論、扉の外から聞こえていた異物を排除するための準備ですわ」
「異物?」
「ちょ、ちょっと千秋。大丈夫?」
呆気にとられていたキイが我に返り、しゃがみこんでいた俺の肩に手を掛けた。
「ほら。そこの雌豚を駆除するための」
「え、なに?」
真咲の無垢な天使の笑顔を向けられたキイは、それが敵意だとすぐには気付けなかった。
だから、彼女が持っていた大型ナイフが眼前に迫っても、キイは一歩も動けなかった。
ナイフの切っ先は、バターを切るかのようにキイの白く美しい肌を切り裂く。
……筈だった。
しかしナイフは横からの衝撃によって弾かれ、ドンという鈍い音を立てて天井へ突き刺さったのだった。
「おいビッチ。殺意を向けられて置いてボーっとしておるな」
レニャはナイフを弾き飛ばした右足を降ろしつつ、何が起こったか分かっていないキイへ溜息を飛ばした。
「え、あれ?」
「ふん。まあボクのような修羅場を潜って来た優秀なハンターじゃないと、今みたいな殺意無き殺意には反応できんしの」
レニャはチラっと真咲に視線を向けた。
「あら。雌豚は二匹いたんですね。てっきり一匹だと思っていましたわ。バケツは一匹分しか用意してないし……困りました」
特に困った様子もなく呟くと、真咲は――――やはり笑顔のままで――――左手を閃かせた。
尋常ではない速度で、いつの間にか握られていたナイフの先がレニャの喉目掛け、真っ直ぐ伸びて行く。常人なら反応できないような速度だったが、レニャの対応は完璧だった。
胸を反りつつナイフ先端からの距離を取ると、その勢いを生かし宙返りしつつ左足で蹴り上げる。ナイフは一本目と同様、弾き飛ばされ宙へ舞った。
「おっと……! 同じ起動じゃボクには届かないよ」
しかし着地際に真咲の右手が振られると、何かがレニャの足に絡みつきバランスを崩した。
「なっ……⁉ これって電気コード⁉」
「はい、子豚さんの料理頂き」
真咲は弾かれたナイフを空中でキャッチしつつ、倒れたレニャに向かって距離を一気に詰めた。
その動きはまるで人を殺めるために最適な動きを取るアスリート。
倒れたままのレニャは体制を整える暇すらないだろう。
「コマンド! 極地重力制御!」
「えっ⁉」
しかしあと一歩という所で、真咲の足はまるで床に縫い付けられたかのように急激に動きを止めた。
いや止めさせられたと言った方が正しい。つんのめるのを何とか堪えたが、その表情には狼狽が浮かんでいた。
「何……? 足が……」
「こんの殺人鬼め。地球人の分際で、ボクにコマンドを使わせたのだけは褒めてやろ」
レニャは立ち上がると、宙に何かを描くように手をくるりと振る。パッと火花が散ったかと思うと、手にはバールが握られていた。
一瞬目を細めた真咲は、すぐに下がって距離と取ろうとするが、足は縫い付けられたままだ。
「動けまい。今お主の足には2トンと同じ負荷が掛かっておる。無理に動かそうとすれば足の方が千切れるじゃろう」
「あら。たかが動きを止めたくらいで勝利宣言かしら? 小学生の知能ではそれが限界でも仕方ないですけど」
「だ、誰が小学生じゃ! ふん! たかがと強がるのも良いが、致命的状況なのは把握したらどうじゃ? 今から頭をかち割られるのじゃぞ?」
真咲の眼前にはバールという名の鈍器が突き付けられている。そして機動力を奪われた真咲は、それを避ける術はないはずであった。
「こんなもの。ちーくんの周りにたかるコバエを払う為なら、足なんか切り捨てても構わないし」
言うが否や、真咲はナイフを振り上げると――――――――何の迷いもなく自分の足首へと振り下ろした。
「ばっか! やめろ!」
何処か他人事のように状況を見ていた俺だが、ハッと我に返ると真咲の腕を掴んで止める。
間に合ったのは、宇宙船のアカシックアーカイブの残滓による反応強化の為である。
何だかだんだん自分も人間離れしていっているような気がしてならない……。
「ちーくん……もしかして真咲を気遣ってくれたの……? あのとことん真咲を放置するプレイに徹してたちーくんが真咲を……真咲感激!」
「違う! いや違わないけど、おい! 抱き付くな!」
「なっなっなっ⁉ お、お、おい貴様! 嫁の目の前で旦那様に抱き付くとはいい度胸じゃ! 絶対にぶっ飛ばす!」
「は? 旦那様って……誰が?」
「旦那様は旦那様じゃ!」
レニャは顔を真っ赤にして指さした。真咲はその指が指し示す人物を見る。
「……ちーくん? ちーくん? 旦那様って事は……もしかして結婚したの……?」
「してない!」
「くっ! 旦那様邪魔! どいてそいつ殺せない!」
「お前も余計に紛らわしくなるような発言をするな!」
俺は力が抜けた真咲の腕を振りほどいて、青い髪の少女に拳骨を喰らわせた。
「あいたっ! 旦那様、いたい……」
「ちーくん? ねぇ、ちーくん? 真咲、もう少しお話して貰わないと、状況が分からないんだけど……」
「あーいや……それはだな」
俺は真っ青な顔の真咲を見て、思わず言葉を濁らせた。
いや、弁明する事など何一つない。ないのだが……ナイフを自分の足に突き指そうとした時でさえ、そんな表情はしなかった真咲の雰囲気に思わずたじろいでしまったのだ。
3年前と何も変わっていない、純粋なその心に。
「真咲。これはだな――」
とりあえず話をまとめて『本題』を話そう。そう思った時だった。
「ちょ! 千秋! なんなのソイツ⁉」
我に返った金髪の少女が、横から声を荒げ割って入って来た。
おおい、折角纏めようとしたのにまた面倒な!
「キイ、話はあとで――」
「ちょっとあなたどちら様? ちーくんを呼び捨てにしていいのは世界でただ一人なんですけど?」
千秋という言葉に同じく我に返った真咲が、鋭い眼光を非礼な少女に投げつけた。
あかん。また新たな火種が……。
「よく見たら最初に料理する予定だった子豚ですわね。豚の癖にちーくんを名前で呼ぶなんて、何て汚らしい」
「はあ? 不意を突かれたからびっくりしたけど……何この子。言うに事欠いて誰がビッチですって。耳も遠いのかしら? まあビッチという表現は正しい自己評価だと思いますけど」
「この! 言うに事欠いて! さっきは不意を突かれたから後れを取ったけど、何なら今からやりあったっていいのよ⁉」
「上等ですわ。そこの小学生の前にあなたを料理してあげる」
別の火の手が上がりそうになったので、俺は慌てて止めに入った。
「だー! お前ら! これ以上話をややこしくするな! キイもちょっと黙ってろ!」
「あいたっ! ちょ! 千秋さ! 毎回思うんだけど婚約者に暴力振るうのはどうかと思うよ!」
「え? こ? こんや? こんやくしゃ? こんやくしゃ?」
婚約というキーワードを聞いた瞬間、真咲は棒読みロボットが発するように、機械的に単語を繰り返した。
「いや違……」
「うーん」
そちらの弁明をする前に、眼鏡をかけた少女はそのまま倒れ込み、気を失った。
溜息を一つついて、改めて思った。
何故俺の周りには、こうも疲れるヤツばかり集まってくるのだろう、と……。




