転校生は波乱を運ぶ (1)
次の日。
眠い目を凝らして教室に入ると、
「よ、千秋。おいっす」
クラスメイトの一人が軽く声を掛けてきた。
「よ。おはよーさん」
「聞いたぜ。今朝また女子から告白されたんだって?」
ヤスアキはニヤリと笑い腕を軽く叩きつつ席に着く。
「いいや。単に手紙を渡されただけだ」
「同じだろーが。特別カッコいいって訳じゃないのにモテるよなぁ、お前……。高校に入ってからもう何度目だよ」
そう言って呆れた表情で肩を竦めた。
「知らねっての。ていうか、興味ないから数えてないし」
「そりゃ羨ましいことで。ま、俺だって告白された回数なら、今まで朝食で食ったパンと同じくらいはあるがな」
「ほー。お前んち、じっちゃんが和食派だから朝はご飯しか出てこないんじゃなかったっけ?」
「うっせ。それより聞いたか」
「何を?」
「今日さ、転校生がくるってよ。しかも外国から」
阿賀咲市は群馬県の片隅にある人口二万人ほどの市である。
近くには大昔に巨大な鉄が落下して出来たと言われる阿賀咲湖があり、それがちょっとした観光地になっているが、それ以外に大きな見どころがある訳でもなくまあ田舎と言っても差し支えない。
特別偏差値が高い訳でもないこんな高校に、外国から転校生が来るというのは、随分意外な話だった。
「ま、別に俺らにゃ関係ないだろ」
「それもそうだがな。でも千秋よ、もし可愛い女の子だったらどうする?」
「一歩、いや三十歩は距離を置く」
「相変わらず女関係にゃ興味ないのな。てか……実はお前ホモなんじゃないだろうな?」
「ほう。だとしたら最初に餌食になるのは」
「……おっとそろそろチャイムだ」
軽く笑ったヤスアキが座ると同時に、始業を告げるチャイムが鳴った。
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「はじめまして。今日からこちらでお世話になるキイ=アニマニールと申します。皆さんよろしく」
壇上に立った女の子が流暢な日本語で挨拶すると、クラスにも聞こえるほどのどよめきが沸き起こった。
大きな薄紫色の瞳に長い睫。整った目鼻と薄桃色の形の良い唇。それらがモデルのような小顔に収まっている。目鼻立ちは西洋人というより東洋人に近いのだが、ぺこりとお辞儀をした時に垂れた美しい金髪がそうでない事を如実に物語っていた。
休み時間になると男女問わず彼女に席を取り囲み、様々な質問を投げかけていた。
女の子の転校生で、更にそれがとびきりの美少女とくれば無理もない。
「どこから来たの?」「趣味は?」「彼氏いるの⁉」
質問が飛び交う光景を、俺は少し離れた席から見ていた。
「女には出来るだけ関わるな」
それが姫橘家の男子に伝わる家訓だからだ。
『姫橘家は代々女難の家系だからな』
父から聞かされた時、物心ついたばかりの俺ですら「そんなことってあるのかな」と疑問を抱いたものだ。
だがそれが真実だと分かるまで大した時間は必要なかった。
例えば幼稚園の入学式の時。学校の前ですれ違っただけの女に連れ去られそうになった。警察の話によると、動機は突然女の本能が疼いたから。何だそりゃと幼心に思ったのを覚えている。
例えば小学生の時。女が主犯の銀行強盗に遭遇した。しかも人質にピンポイントで選出されたのは俺。他にも子供が多数いたにも拘らず、まっすぐ俺の方に歩いてきた時には、少なからず嫌な予感を抱いたものだ。
ある時は教育実習の大学生に一目惚れされ、放課後に関係を迫られている所を同級生に目撃され、周囲から白い目でみられたうえ、最終的に心中させられそうになったエピソードもある。
中学を卒業する頃に真面目な親父が失踪したのは、恐らく何らかの因果に巻き込まれたからだと確信している。
俺は女には関わらない。絶対にだ。
特にこんな金髪の美少女にうっかり関わりでもしたら、どんな女難がこんにちわしてもおかしくない。
取り囲まれている金髪の女の子には目もくれず、俺は次の授業で使う教科書を取り出した。
だが姫橘家の女難とは予期せず降りかかってくるものであり、予期していても回避できない性質らしい。
午前の授業が終わり昼休みに入る直前に、それはやってきた。
「姫橘くん、だよね? ちょっと時間いい?」
食堂へ足を運ぼうと席を立った俺の視界に、豪奢な金髪の女の子が立っていた。嫌な予感が面倒くさそうに全身を駆け巡る。
構わず歩き出そうとした俺の前に、金髪の転校生が笑顔で立ちふさがった。
「……何か用?」
「うん。ちょっとお話したいかなって」
「悪いけど飯食いたいから」
素っ気なく断るが、彼女は諦めず両手を小さく合わせる。
「えーちょっとだけでいいから、ね⁉」
普通の男なら即二つ返事間違いなしの、可愛らしい仕草。
しかし俺は当然、即ノータイムでノーである。
……のはずであったが、周囲からの圧倒的な痛い視線に気圧される。
「……分ったよ」
「ほんと? ありがと!」
仕方ない。別の場所で突っぱねるか。
周囲からの更に痛い視線を感じつつ、俺は席を立った。
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屋上を選んだのには理由がある。
秋庭高校の屋上は常時開放されており、昼休みともなれば多くの生徒が出入りする憩いの場だ。
万が一、この女が妙な行動を取ったとしても、衆目があれば何かしらの証言が取れるであろうという計算の上だった。
「あら。誰もいなくて丁度いいわね」
だがこの日。晴天の下にいた生徒はゼロだった。
入学してからこんなことは一度もなかったんだが……。
「……それで。俺に話って何?」
フェンスに手をかけグラウンドを見おろしていた少女に問いかける。彼女が振り返ると同時に、豪奢な金髪が揺れた。
「単刀直入に言うわ」
「おう」
「宇宙船を返してちょうだい」
その綺麗な唇から洩れた言葉の意味を、すぐには理解できず、何とか口を開くのにたっぷり十秒は必要だった。
「……悪いがもう一度頼む」
「聞こえなかったの? 宇宙船を返しなさいって言ったの!」
キイと名乗った転校生は、頬を膨らませた。
「うちゅうせんって、宇宙を旅する船の宇宙船?」
「そうよ」
「……いやいや」
悪いがそんなもの持っているはずがない。俺は普通の高校生だぞ。
「嘘! だって君、昨日銀色の箱を拾ったでしょ」
「あー。それは確かに拾ったけど……」
あれはどうみても宇宙船じゃない。手のひらに乗るサイズの箱が宇宙船と言われてもな。
てか何で拾ったの知ってるんだ?
「あたしのだもの。何処にあっても分かるわ」
「ふうん」
俺は気のない返事を返した。
何故俺が見つけたことを知っているのかは不思議に思ったが、あんな箱如きが宇宙船だなんて、今どきの中二病患者でももっとましな設定を作ってくるだろうに。
もう少し嘘の強度を張れば、信頼性も増すだろうなんて考えていると、
「あ、ちょっと。もしかして本気にしてない⁉」
「そりゃ本気にする方がどうかしてる」
「分ったわ。別に信じなくてもいいから、あの箱を返してくれる?」
そう言って彼女は俺に詰め寄った。その表情は本気で――一瞬俺が見惚れてしまうほど美しく――信じてしまいそうな程だった。
慌てて首を振る。
「待て待て。確かに俺はお前がいうような箱を拾った。何で知ってるのかは置いておくとして……とりあえずもう持ってない」
「え? それってどういうこと?」
「拾ったら、光って消えたんだよ」
「……え?」
「いや、消えた何て言ったらウソっぽく聞こえると思うけど本当だ。だから今は持ってない。あ、暗かったからもしかしたらまだあそこに落ちてるのかも――って痛っ!」
言いかけた時、身体に軽い衝撃を感じた。
青ざめた顔の彼女が、白い手をブレザー越しに押し付けたからだ。
暫くすると、元々陶器のように白い顔が更に青ざめる。
「うっそ⁉ ちょっとやだ……同化してるじゃない!」
「同化って何だよ……てかいきなり何しやがる!」
「それはこっちのセリフよ! あなた、何てことしてくれたのよ!」
胸ぐらを掴まれ、ぐわんぐわんと揺さぶられる。
「何がって、何が一体なああんにがあああ」
「あたしの宇宙船! 君に同化しちゃってるじゃない!」
「ええい離せっ! ……唐突に何言ってんだ」
手首を掴んで引き剥がすと、一瞬呆けた後、彼女はぺたりと床に座り込んだ。
そして、
「う、うわああん!」
大粒の涙を流して号泣し始めたのだった。
「わ、悪い。痛かったか?」
強く握ったつもりはないが、もしかして痛めたのかもしれない。
「ぐすん……すん……」
「おい、泣いてるだけじゃわかんねーっての」
「何その酷い言い草! それでもあたしの婚約者⁉」
彼女から突然飛び出した言葉を理解するには、割と回転が速い(と思っている)俺の頭でも、13秒を要した。
「は……? 婚……約?」
「あたし、こんな酷い男と婚約させられちゃったぁああ! うあぁああん!」
「ちょ、ちょっと待て! 婚約って一体何のことだ⁉」
金髪の少女を泣き止ますのに更に時間を費やし、結局、彼女が話を始めたのは、昼休みが終わる十分前になってからであった。