悩みは湯船で語らい、盗賊は押し寄せる (4)
街灯に照らされた小道を走る。夜中だ。他に人影はない。
恐怖がない訳じゃない。
だけど宇宙人だろうが何だろうが、こういうのを女の子の任せる訳にはいかない。
心配なのは自分の体力である。普段から運動をしない訳ではないが得意でもない。走り始めるとすぐに息が切れ始めた。だが幸いなことにそれは相手も同じらしい。
お互いの速度が落ちる。距離は殆ど縮まらないなんとも不毛なレース。
だがそれにも終わりが近づき始めた。
逃亡者は近くにあった神社の鳥居をくぐり逃げていく。普段はそこそこの参拝客が訪れるここも、深夜ともなれば流石に人影はない。
無人の階段を駆け上がっていくと拝殿前に辿り着く。
「はぁはぁ……残念だがそっちは行き止まりだ」
「……っ!」
石畳の片隅。肩で息をする俺の言葉に力は籠っていなかったが、それでも襲来者には十分な影響を与えたようだった。
「ふぅ!」
襲来者が体ごとぶつかってくる。
体格の差で安々と押し返せるはずのそれは、失われた体力によってほぼ均衡と化していた。
衝撃を受けると同時に、俺の足は生まれたての小鹿のようにもつれる。
「いっつっ……!」「いたっ!」
二様の声が境内に響いた。
「……くっ!」
小動物のように素早く立ち上がった来襲者だったが、しかし俺の手は、倒れ込んだ拍子に偶然にも纏っていた服――と言っていいかどうかは分からないが――を掴んでいた。
結果、立ち上がった勢いでそれを剥ぎ取る形となる。
ちょうど雲間から射した月明かりが、その下に隠れていた白い肌と顔を照らし出した。
女の子だった。
一見すると小学生にも見える幼い顔立ち。肩ほどある薄い青色の髪は美しく、見開いた赤い瞳はくりっと大きく野生的な魅力がある。
裸体に近いその姿に気がつくと、彼女は細い腕で慌てて胸を隠した。
「み、見た⁉」
「……見てない」
「嘘つけ! 視線が明らかに泳いでいるじゃないか!」
答えに窮する。事実は事実。
「認める。確かに見た」
「ボクの裸を見たんだな⁉ この破廉恥な田舎者め!」
「うるせーバカ。目の前に居りゃ嫌でも視界に入ってくるわ。第一俺は年相応の膨らみ如きに興味はない!」
腕で隠したその下に指を向ける。
「なっ⁉ こ、これはその、ボクだってもう少し大人になれば……」
「何歳だ」
「え?」
「何歳かって聞いてる」
「じゅ、17歳……」
「同い年か。うちの同居人はもっとふくよかだぞ。諦めろ。それ以上は育たん」
「うう……っていうか! そ、そんな事はどうでもいいんじゃ!」
恥ずかしさを隠すかのように勢い良く足を一歩踏み出した。
「ボクはレニャーニャ=レトバルレーナ! 由緒あるレアハントギルドのレアハンターだ !」
レニャーニャと名乗った女の子は、ピッと腕を俺に向けた。
「お前が『マリード家の宇宙船』だってのは調べがついてるんじゃ!」
マリード家……どこかで聞いたような気がする。
どこか……そうだ。確か鎌足利聞がその単語を口にしていた。キイの家の名前のはずだ。
「結婚をすることで顕現するという特殊コマンド能力。この界隈じゃちょっとした伝説じゃ」
「伝説?」
「なんせ伴侶がいないと顕現すらしないからの。盗む以前の問題じゃ。だがいま目の前にある。悪いけど……いや別に悪いとは思わないけど、大人しく盗まれよ!」
彼女は胸を隠しつつもう、一方の腕を空にかざした。
パッという火花が散ったかと思うと、何もなかった手にバールのような何か細い棒が現れた。
「くっ……俺を殺す気か」
「いいや」
「違うのか?」
「もちろんじゃ。これは体内にある特別な因子だけを分離させる道具。これでお前と宇宙船を分離させる」
「分離…………あのさ、一応聞くけど、それどう使うんだ?」
「え? 力いっぱい殴るだけじゃぞ?」
ははーん。つまり魂と肉体を物理的に分離するってことなのかな?
「死ぬわ!」
「痛くはするがなぁに、痛みは一瞬だと思う。あと生きてもいられると思う。たぶん」
「全部予想形かよ!」
「だって使うの初めてだし」
「自分の道具なんだろうが……」
「ううん。昨日『宇宙ドンキ』で買って来たんじゃ!」
ドンキすげえな! 鈍器なだけに。って冗談を言っている場合ではない。彼女が大きく振りかぶり殴りかかって来た。
「っと!」
横に避けると、バールの先端が地面に接地した。
ドゴオオオオオン!
耳をつんざくような爆音。同時に柱のような爆風が空へ向かって伸びて行った。
数メートルはあろうかという穴が、ぽっかりと口を開いていた。
「なっ……! それ痛いってレベルじゃねえだろ⁉」
「大丈夫。これ有機物である肉体にだけ、ピンポイントで効果を与える道具だから」
「明らかに無機物も爆発していたのですが?」
どうみても大丈夫じゃない。
「ちょっとした設定ミスだと思う。気にしないでいい」
「気にするわ!」
勘弁してくれ。宇宙ドンキさん。
彼女はためらわず襲ってくる。バールを振り、俺は避ける。
それが何度か繰り返された。
避け続けられているのは運がいいというより、彼女が片手で胸を押さえているのが要因だろう。
明らかに体の動きが制限されている。
「ちょっと! 何で避けるんじゃ!」
「無茶言うな⁉」
爆音が何度も響く。いい加減近くに住む住人も異変に気が付いているはずだ。
「んもう! 面倒だからさっさっとしよ。コマンド・オン!」
彼女は呟くと、宙に指で何かを描いた。
一体何を――そう思った瞬間、俺の足に何かが絡みついた。重く冷たい何か。
両足は地面に張りついたかのようにピクリとも動かせない。
「何だ……足に……これは鉄?」
「砂鉄をお前の足に集めた。ついでに強力な磁力も纏わせてな」
宇宙人の少女はゆっくりと近づき、そして冷たい笑顔のままバールを振り被った。
「宇宙船になったらちゃんと高値で売りさばくから。成仏するんじゃぞ」
やっぱり殺す気満々じゃねえか――目前に迫ったバールを前に俺は何もすることができなかった。
いや、正確には腕はあげた。身を守るための単なる本能だ。
しかし驚異的な破壊力を持つ武器に対しては、何の慰めにもならない――――はずであった。
パキン!
振り下ろされたバールは、腕に触れると乾いた音を立てた。触れたのに、先ほどまで何度も発生していた爆発も起きない。
俺の腕は、彼女が振り下ろした攻撃を完全に防いでいた。
「えっ、何……⁉」
驚愕の声をあげたのは俺ではなく目の前の女の子の方だった。
それもそうだろう。自信を持って放った攻撃が、いともたやすく無効化されていたのだから。
気がつくと、いつの間にか足に絡まっていた重さも取れていた。
何が起きたか分からないが、今は驚いている場合じゃない!
俺は防いだ腕で彼女の細く白い腕を掴むと、勢いよく引っ張った。
「きゃっ!?」
元々小さい体の彼女は後方に振られて倒れ込む。俺はそのまま手を捻ってバールを奪い取った。
一瞬の出来事。
彼女が目を開けば、バールを突き付けられているのを目の当たりにするだろう。
「……!」
「動くな」
俺は腕を動かそうとした彼女に警告を発する。
しばらく睨みつけていた彼女だったが、ふっと肩の力を抜いた。
「……このボクが負けた?」
「そうだ、お前の負けだ」
正直勝った気など全くしていないが、驚いた表情をしているのでここは乗っかることにする。
「このままコイツをお前に叩きつけてもいいが、俺は女の子を叩きつぶす様な悪趣味な真似はしたくはない。もし今後、俺たちに関わらないと約束するなら見逃してやる。警察に突き出されたらお前だって面倒だろう……っておい、聞いてるか?」
仰向けで黙ったままの彼女は何も答えない。それどころか何故か耳を真っ赤にしている。
「おい?」
「は……」
「は?」
「裸を見たうえボクに勝ちおってー! このバカたれー!」
腹部に鈍い痛みが走る。叫び声と共に腹を蹴られたのだ。
のけぞった隙に彼女はぱっと立ち上がり、キッと俺を睨みつけた。
「……お前名前は⁉」
「え、あ、千秋」
迫力に負けて思わず答えてしまった。
「千秋か! 覚えたから待ってるんじゃ! 必ず行くからな!」
そう言って彼女はくるりと背を向け走り去っていった。
「……待ってろって、どういう意味だ?」
俺はしばらく謎の捨て台詞を推敲しながら暗闇を見つめていた。
「千秋!」
白いお尻が消え去った逆方向。この数日でだいぶ聞き慣れた声が走り寄って来た。
パジャマ姿のキイだ。
「ちょっと大丈夫⁉」
「あ、ああ。何とか追い返した」
キイは近くに落ちていた布――来襲者がフラクタルアイシングと呼んでいた――を手にした。
普通の半透明の布だが、キイが弄って何か操作すると、近くの景色を反射させる不思議な色相に変化した。
「これハンティングギルドで売られてる奴だ。ちょっと質が悪いけど。ということは、さっきのヤツは盗賊だったのね」
「本人はレアハンターとか名乗ってた」
「似たようなものよ。どちらも人のものを奪うことに長けた連中よ」
「狙いはお前んとこの宇宙船だとさ」
「それはあなたのことだけど」
キイは僅かに表情を曇らせた。
「でも迂闊だったわ。辺境だから大丈夫だと思ってたけど」
「おっと話は後だ。そろそろ騒ぎが大きくなってきた」
サイレンの音が遠くで聞こえる。恐らく誰かが通報したのだろう。あんな爆発音が何度も鳴り響けば無理もない。
「取りあえず今はここから離れるのが先だ」
俺は不安気な表情で立ち竦むキイの手を取って走り出した。




