序
俺――姫橘千秋――がその銀色の箱を見つけたのは、外れた自転車のチェーンを元に戻す為に屈みこんだ時だった。
手のひらほどの小さな箱は、一見金属のようだが不思議なほど軽い。
開けられるような継ぎ目は見当たらず、箱というよりは小さな金属の塊に近いだろうか。
周囲を見回す。
しかし街灯が照らす畦道に、自分以外の人影はない。落とし主が近くにいない事は確かだ。
改めて箱に目を落とす。高価なモノでは無さそうだが、かといって捨てるようなモノにも見えない。
「まあ、後で交番に届ければいいか」
肌寒い風が吹き付けた。思わず身体をギュッと引き締める。
四月が始まって二週間経っているが、過ごし易くなるにはもう少しカレンダーが進む必要があるだろう。
とりあえず家に戻って風呂を沸かす。その間に数学の宿題をやって……ああ、そういえば明日は俺が日直だったっけ。
そんな事を考えながら自転車のチェーンを弄っていたからだろう。
「いっつ……!」
チェーンに人差し指を挟んだ。指先に鈍痛が走り血が滲み出る。
指をぺろりと舐め、そのままペダルを回す。チェーンはシャララと小気味よい音を立てた。
とりあえずうまく嵌ってくれたようだ。
さっさと帰ろう。
脇に置いていた銀色の箱を手にした時だった。
突如、箱から眩い光が放たれた。
光は波のように広がり俺の視界を白く覆う。
何も見えず音もない。手にあった痛みすらない。
まるで五感が閉ざされたかのような錯覚。
暫くしてシャララとチェーンの回る音が聞こえ、ハッとして我に返る。
いつの間にか光りは消えており、視界が戻っていた。
「今のは……?」
指先に痛みがある以外は、身体に特に変わった所はない。
だが、手に持っていた筈の銀色の箱が無くなっていた事に気が付いた。
周囲を見回してみるが、誰かが捨てたガムの袋が落ちているくらいで、あの鈍い光を放つ物体は何処にもなかった。
キツネにつままれた気分であったが、自分の物ではないし、この寒い中交番に届けるのも億劫だったので、それ以上気には留めなかった。
気にするなら明日の糞面倒な授業の方だろう。宿題を忘れようものなら、ねちっこい数学教師に一体どんな小言を言われるやらわかったものではない。
そんなことを考えながら、俺は自転車に跨り勢いよくペダルを踏みつけた。