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瑠璃の羊  作者: 八谷紬
第二章 赤は無慈悲な生の女王
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(4)

 あれから、昨日のことのリカバリーは出来ていない。夕食、朝食と顔をあわせはしたけれど唐突に「昨日は」と話を蒸し返すのも気がひけたし、キッカもあえてその話題には触れないようにしていた。さらに時間が経てば言い出しにくくなってくるもので、わたしは少々もやっとしたものを抱えつつも、別段変わらなく見えるナギ・ユズリハに甘えていた。

 昨夜ヒノエにコールをすれば、案の定「馬鹿とは随分な言い草だね」との小言が待っていた。わたしはそれを甘んじて受け入れ、昨日の外出に関して説明をくわえる。それを聞いてヒノエは「ふうん」と相槌を打っただけでなにも言及はしてこなかった。

 ナギ・ユズリハと何かあったのか、と問うても「別に何か起こるほど親密じゃない」とのことば。ヒノエは結構ドライだ。だからヤマギワのことは言わなかった。言ったところで「あ、そう」と返されるだけだ。


 謹慎六日目の午前。キッカに教えてもらった小説はすでに読み終えた。およそ百年前のサイエンスフィクション。車が空を走り、アンドロイドが仕事をする。人々はネットワークにいつでもコンタクトできて、好きな情報をすぐに引き出せる。世界に戦争はないと言われていて、なのに軍隊が存在し、それに入隊することになる子ども。いったい何のために。

 現実は笑えるほど違う。車は衰退し、空を飛ぶのは飛空挺。地を走るのは路面電車。アンドロイドはどうにも受けつけなかったらしい、工業ロボットしか存在しない。代わりにジーンリッチがいる。ネットワークと脳なんか繋がっていない。わたしたちは携帯端末を持ち歩き、そこから人工衛星を介してコンタクトを取る。戦争、軍隊。両方とも存在する。わたしたちが目を背けがちなだけで。

 それでいいのだ、とわたしは思う。誰かが創作した世界に現実が沿う必要はない。月や火星に人類が移住することも、仮想世界が構築されてそこにすべてを頼ることもしなくていい。嘘は嘘、現実は、現実。

 ひとつ共感できるのは、いつだって子どもが感じることは一緒だということ。どんな世界だって、どんな時代だって、子どもは苦しみ、葛藤し、やがて知識と経験を得て大人へと成長する。それが今も昔も年齢すら変わらないのだから、人類というのは進化が難しいらしい。


 ニュースを眺めていたモニタをはなれてひとつ伸びをする。開けておいた窓から花の香りが微かに流れ込む。キッカが育てる花。野生の、ほんとうの土の上で育った花に比べると薄い香り。

 それでもないよりは断然いい。その香りにつられて、わたしは庭へと行くべく部屋を出た。

 静かな寮内。ひとけのない大きな空間にはすでに慣れていた。むしろちょっと心地良さすら感じる。ひとりじめしている、という感覚ではない。どちらかといえばその空間に溶け込めるような不思議な感覚。

 階段を下り始めると、声が聞こえ始めた。キッカとナギ・ユズリハだ。何を喋っているかまではわからない。けれど会話だということは判別できる。

 行くべきか遠慮すべきか。声は寮長室からする。庭へはその前を通らねば出ることができない。戻ろうか、その考えが頭をかすめる。だってどうしても外に行かなければいけないわけではない。

 昨日のことを思い出す。わたしはいろんなことに目を背けている。だけど、それが必要なことだってあるでしょう。

 身体を反転させて深呼吸。好奇心に負け続けてきたわたしが得たもの。でも、わたしは馬鹿だから。

「ジーンリッチではなかったら、こんな想いはしなくて良かったんだろうか」

 やけに通って聞こえたその声に、身体は歩くことを拒否してしまった。

「考え過ぎだよ」ひとつ言葉を理解すると頭がクリアになるのか、キッカの声もきちんと聞こえてくる。「もう少し気を楽にもって。そうしたら周りが見えてくるから」そんな優しいことば。それがダイレクトにわたしにも響く。

「どうしたらいい」

 静かな寮にこだまする。

「ジーンリッチでなくなれば、いいのか」

 身体が震えた。

「もう、なにもないんだ」

 もう一度回れ右をして、寮長室にかけ出すことはできなかった。今顔をあわせたところでかける言葉など何もでてこない。

 もう、なにもない。なにも、ない。

 知っている、それがどういう状態か。だけど、わたしは。わたしは。

「ほんとうに、なにもないのかな。それは自分が手にしようとしていないだけじゃ?」

 キッカのことばは胸に痛かった。頭では理解していても、身体が反応してくれない。こころが、気力を持てない。

 両親の顔、フラッシュバック。よくできた兄。欠陥品のわたし。それでも何も問題はないんだと、必死に励ます家族。その期待に応えるべく、勉強に励む過去。すべては兄と同じ学園に入るため。一位の兄と二位のわたし。それでも両親が周りから笑われなければ、憐れんだ瞳を向けられなければそれでいい。そう思ってつかみとった合格通知。

 その先に待っていたのは? 自己を偽るための装備と狭い世界。灰色で、おそろしく匂いのない、窮屈なせかい。

 そこで見つけた、瑠璃の羊。だけど、その絵は。


 ふわっと、何かの香りが漂った。近づいてくる足音。わたしは振り返ることができずただ立ち尽くすのみ。なんの香りだろう。どこかで嗅いだことのある、不思議な香り。

 足音が、わたしの横を通り過ぎる。その間際にこぼれた静かな声。

「悪かった」

 それが何を意味するのかがわからない。わたしは何も彼に謝られるようなことをされていない。だけど反論する言葉は出てこなかった。

 ジーンリッチでなくなれば。彼らがそういう言葉の向こうにあるものはただひとつ。進んで落伍者へとなることだ。そう、つまり欠陥品へと。

 前例がないわけじゃない。初代にはとくに多かったと聞いている。キッカはとても稀なひとなのだ。見た目だけ、そう嘲笑われることに疲れ自らに欠陥品のレッテルを貼っていくジーンリッチ。

 どのようにして。その疑問が頭をもたげる。そんなことする必要ない。力強く握る手のひらで鳴る手袋。

 遠のく背中にグレーの髪が揺れていた。まっすぐ伸びた背筋、しっかりとした足取り。でもきっとわたしが何を言おうと、もう振りかえらない。

 ああ、そうだ。記憶の中の扉がひらく。

 この香りは、祖父の病室で嗅いだんだ。

 その背を追いたい、その手を取りたい。そんな願いは霧散する。

 乾いた左目から、涙が一筋こぼれた。いったい、わたしはどうすればよいのだろう。


 その後しばらくして寮長室から出てきたキッカに食欲がないことを告げ、今夜の食事はことわった。いつもより優しい笑顔で心配してくれた彼は「あとで部屋の前に飲み物と軽い食べ物だけ置いておくよ」と言ってくれる。

「ありがとうございます」その言葉がかすれた。あたたかい手のひらがわたしの頭を撫でる。泣きそうになって、あわててその場から逃げだした。走って、走って部屋へと帰る。

 開けたままの窓からはさっきと同じ香りしかしなかった。それがみょうに恨めしくて、わたしは力いっぱい窓を閉める。

 机の上。暗くなったモニタ。教科書、読み終えた本。カラフルな筆記具、ひらいたままのノート。その先にある、半透明のペーパーカッター。

 それに手を伸ばしそうになって、慌てて引っ込める。

「もう、なにもないんだ」

 まるでひとごとのような台詞。だからこそ、痛い。

 欠陥品になる。それってどういうことなんだろう。わたしは生まれたときから既にその烙印を押され、故に周りから奇異の目で見られてきた。この学園に入学するにあたり、わたしはそれを隠せと大人たちに言われ、一般人として生活している。でもそれってどういうことだろう。わたしは一般人という枠組みに入れられて、どう感じたら良かったのだろう。

 わたしだって辛い。わたしだって苦しい。でも今、なにより痛いのはそんなことじゃないのかもしれない。

 ナギ・ユズリハが欠陥品になることを望んだ。つまり、彼はわたしみたいな存在をそういう目で見ている、ということだ。

 

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