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瑠璃の羊  作者: 八谷紬
第二章 赤は無慈悲な生の女王
5/18

(1)

 天才と馬鹿は紙一重だといわれていた時代があるらしい。なるほど、わからなくもない。

 けれど一点違うものがある。天才は作れない、そこに存在するものだ。

 それは生まれ持った才でも、努力して得た才でもない。どういう理屈か何をきっかけに萌芽するのかわからないが、いやもしや最初からそこにいただけで気づかないものかもしれないが、とにかく意図して生まれるものではないのだ。

 だから、ジーンリッチは天才ではない。彼らは秀才。天才は意図して作ることができない。

 では、馬鹿は――? わたしはその答えを知っている気がする。

 道化は、自ら作るものだ。


 この世界に雨は降らない。外の天気は関係ないのだ。降ったり、晴れたり。曇ったり、雲ひとつなかったり。そういうわたしたちの意思ではどうにもならいものが存在しない。ただ時間がくれば太陽が昇り、やがて橙色に染まり、星空がやってくる。ただそれだけ。唯一あるのが、季節の移り変わり。雲の形、火の長さ、星座。そういうのだけ。

 いったい、何を考えたらそういうことになったのか――天候の如何で気持ちが左右されやすいとか頭痛が誘発されるとか、そんなことなんだろうか。いや、違う気がする。

 雨がわずらわしいなんて、誰の意見なんだろう。どうして晴れだけの設定にしたのだろう。

 でもきっと、こんな疑問を彼らにぶつけても答えはひとつ。

「空だと思うから気になる。ここはただのドームだ」


 食欲が沸かなかった。それでも食堂まで来た。原因はわかっている。だけどこれは解決できそうにもない。だから朝食を摂る。

 食堂脇の大きな窓。そこからは朝陽がさんさんとふりそそいでいて、爽やかな朝を演出してくれる。

 夏の朝の匂いも、湿度もないくせに。


「おはようございます」

 時間より遅れて食堂に入ると、キッカは厨房内にいた。

「おはよう。ごめんね、まだちょっとできてないんだ」

 いつもならこの時間には完璧に用意されているご飯。

「大丈夫です。忙しかったら、自分でやりますよ」

「ううん。単なる寝坊だから」

「なんだか、意外です」

「僕も人間だからね」

 はにかんで見せたキッカに、ゆっくりでいいですと伝えると「ありがとう」と返ってくる。流れる水の音を聞きながら、わたしは食堂の端にある棚から美術雑誌を抜き取り席についた。

 食堂内に音楽は流れていない。これは寮長の趣味で、他の寮はどうだかわからない。食事や基本的な設備は変わらないはずだけれど、ところどころ違うらしい。たとえばこの寮は緑が多いそうだ。クラスメイトの会話が耳に入った程度の知識だけれど。

 天気は変えないくせに、そういうところは揃えない。どうしてかと疑問が頭をもたげても、解答は得られない。

 ただ、わたしはキッカのそういう趣味が好きだった。音楽にはひとそれぞれの好みがある。緑は田舎を思い出すし、花が咲くと気分が明るくなる。

 ああ、こうやって考えてみるとわかることがある。わたしはなんだかんだで彼が好きなのだ、人間として。

 厨房に目をやると、彼は排気ダクトの前に立って腕を動かしていた。今朝のメニューには卵焼きがあるらしい。甘い匂いがここまで流れてきた。

 人間として好き。名前に恋焦がれるのとはえらく違う。そう思いながら、わたしは雑誌の記事に目を落した。自分は創れなくても、見ることができる世界がそこには広がっていた。


 どれぐらいそうしていたのだろうか。その雑誌を読み終わっても、朝食は出てこなかった。食欲がないから豪勢なものはいらないのに。そう思って顔を上げる。同時に厨房以外からの物音。

「あ」という音が思わずもれた。食堂の入口に、ナギ・ユズリハが立っていた。

「おはよう、ナギ」

 間髪いれずにキッカの声が聞こえてきた。そちらに目を向ければ、しっかり朝食を乗せたトレーを持っている。しかも、三人分。

「ちょっと寝坊して、遅れちゃってね。三人一緒でもいいでしょう」

 やられた。何故かそう思った。あいかわらずキッカはにこにこと笑っていて、さも当然といわんばかりに食事をわたしが座っていたテーブルに並べ出す。バタートースト、卵焼き、サラダにポタージュ。どれもさして時間がかかるメニューだとは思えない。

 そろそろとナギ・ユズリハに視線を戻す。綺麗な顔は、崩れることなくテーブルを見ていた。

「じゃあ、いらない」

 素直に座るんだろうか。それとも別のテーブルで食べるんだろうか。わたしはそのどちらかだと思っていた。だって目の前に用意してもらった朝食がある。

 確かに、わたしとナギ・ユズリハは友人でもなんでもない。同じテーブルに座るのを遠慮したいならば致し方がない。けれども、だ。

 キッカは微笑みを崩さなかった。「食べないと身体によくないよ」そうつけ加えるのみ。それに応えることなくその場を立ち去ろうとするナギ・ユズリハ。反射的に立ち上がるわたし。

「ちょっと待って」

 何を考えたのか、手にはバタートースト。焼き立てでまだ熱いそれを手袋のまま触ってしまって、それは申し訳ないと冷静に頭が判断する。

 ナギ・ユズリハはわたしの声に驚いたのか、食堂を一歩出たところで振り返った。太陽を模した光が、まぶしい。

「準備してもらってるんだからちゃんと食べなさいよ」

 もうこうなってはなるようになれ、だ。嫌われたって構わない。だってもともと好かれているわけでもないんだから。

 だから、素直にぶつける。食事を用意してもらって自己のわがままで食べないだなんて、失礼だとか悪いだとかの問題じゃない。

 わたしは手にしたバタートーストを、何か言おうとしたらしいナギ・ユズリハの口に押し込んだ。


 一拍、沈黙。その後、キッカのくぐもった笑い声が聞こえてきた。

 斜め上にある顔は、トーストの端をくわえたままぽかんとしている。

 引くに引けないわたしは、何も言えず動くこともできず彼を見つめる。目だけはそらしちゃいけないと思っていた。

 数秒後、ナギ・ユズリハが口のトーストを右手で抜き取った。

「変な奴」

 文句か嫌味でも言われるかと思った。だけど彼の口から出てきたのはそれだけで、その音はすごく温度が低かった。不機嫌というわけでも軽蔑というわけでもない、ただ元からそうなんだろうなと思わせる匂いがある。それに顔も、眉ひとつ動かない。感情の起伏が乏しいのだろうか。

 言葉を失ったのはわたしだ。何も言うべきものがない。だってそもそも今の行動自体、頭でゆっくり考えてしたものではなかった。無意識とも違う、おそらく反射的に。

 そんなわたしを見て、ナギ・ユズリハの口角が少しあがった、気がした。彼は立ち尽くすわたしを置いて食堂へと戻ってゆく。

「ニイも、ほら」

 いつもと変わらないキッカの声。その言葉に身体を動かせば、用意されたプレートの前の椅子を引いたナギ・ユズリハの姿があった。


 そうして、すこし奇妙で不思議な朝食が始まった。幸いなのはキッカがほどよく会話を提供してくれるおかげで、微妙な空気にならないことだ。

 初めて間近で見たナギ・ユズリハは、やはり綺麗だった。ジーンリッチにだって個性はある。だけど彼はどこか中性的で、人形を思わせるような透明感があった。この学園の生徒にしてはめずらしく、髪が長いせいもあるのかもしれない。

 しかし彼に朝食を強制したわたしは、情けないことにやはり食欲が沸かなかった。昨日のことを彼が気にしていないのか、いながらもそう見せないのかがわからない。かといってこちらから話題に出すことも憚られる。まさか昨日はヤマギワが大変だったね、なんて言えるわけもない。むしろそのもどかしさに余計、お腹は食事を受けつけなくなっていく。

「ひとに」

 フォークでサラダをつついていると、不意にナギ・ユズリハの声がこちらに向かってきた。その左手に握られたフォークが、わたしをさす。

「食事を強要しておいて自分は食べませんって、フェアじゃない」

 そして至極もっともなことを言う。ぐうの音も出るわけがない。多少行儀は悪いと思うけれど。

 わたしはゆっくり彼の顔を見た。キッカとはまた違った種類の、いつも同じ表情。いくらか無愛想に見えなくもないその顔に「すみません」と呟く。

「今が無理なら、次」

 その言葉は、すぐに理解できなかった。彼の表情も声も変わらない。

「それは助かるな。じゃあ次からは一緒に用意するよ」

 真逆の明るい声で会話に入ってきたキッカの顔見て、ナギ・ユズリハの眉が寄った。初めて見た表情に、ようやく頭が追いつく。きっと彼は形だけのつもりで言ったのだろう。なのにキッカのひとことにこの先ずっとになってしまった。

 なんだか、おかしい。キッカが何を思ってこんなことをしているのかまではわからない。でも思わず笑い声がこぼれてしまう、ということはわたしにとってマイナスではなさそうだ。

 ついでにつつきまわしていたサラダを食べる。案外、食べれそうな気がした。

 

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