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瑠璃の羊  作者: 八谷紬
第四章 瑠璃への扉
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(4)

「先生、このあいだ教えてもらった本、とってもおもしろかったです」

 授業を終え、教室を出たところでひとりの女子生徒に声をかけられた。

「ほんとう? 良かった。あれ、わたしもお気に入りなの」

 そう答えていくつかことばを交わす。同じ作者だったらあれがいい、似たようなテーマだったらこれもおすすめ。そんなわたしのことばを彼女は楽しそうに聞いてくれて「また寮の図書室で探してみます」と言ってくれた。

 彼女の寮の寮長なら、きっと揃えていてくれるはずだ。


 彼女と別れ、職員室へと向かうと渋い顔をしたヤマギワに出くわした。もういい加減引退したらいいのに、と思うけれど、相変わらず生徒指導の椅子に座り続けている。

「アマハネ、なんだその青い爪は」

 そしてわたしに対する小言も忘れない。

「好きなんです、自分の手と瑠璃色が」

 だけどこのひとがいなかったら、きっとわたしは今ここにいないのだろう。そう思うと、くやしいけれど引退されたらさみしいのかもしれない。


「けっ」とヤマギワはしかめっ面を残し、職員室を出て行った。わたしは何事もなかったかのように自分のデスクへと戻り、明日の授業プランの確認へと移る。モニタの電源を入れて、スケジュールを呼びだすと、赤い点滅。ヒノエからのメッセージだ。

 ひさしぶりのことに、メッセージを開封する。


 そこに表示されたのは国立美術館の特別展の案内だった。ほかにメッセージらしきものはなにもない。

 日付を確認する。どうやら今日からはじまったものらしい。


 数秒迷って、わたしはモニタの電源を落とした。

「すみません、ちょっと急用で。お先に失礼します」

 立ち上がってそう言ったわたしに、副学園長の視線が突き刺さった。だけど、笑ってそれをかいくぐって、職員室を出る。どこからか湿った匂いが漂ってきて、ロッカーから傘を鞄の中へと移した。


 校舎を出て校門へと向かいながら、携帯端末からヒノエへに返事を送った。お礼はまた収穫の手伝いでいいかと問うと、すぐに『そんなことより早く帰って来なさい』とメッセージが届く。それに『嫌だ』と送ると、もう次はなかった。

 歩きながら視点をあげる。そこにはまだ偽物の空が映されている。はやく、なくなればいいのに。そうは思えど、なかなかその手の権力と戦うのは大変だ。


 守衛のおじさんに敬礼されながら外に出ると、雨が降っていた。わたしの鼻に感謝しながら、傘をさして道を進む。

 冷やされたアスファルトが、湯気を立てながら雨の匂いを強めていた。多少跳ねる水は気にしない。水たまりをパンプスで避けて、目的地へと急ぐ。


 国立美術館の前には、あの日よりも大きな看板が立っていた。その看板自体がひとつの作品みたいで、立柱の上に星がいくつか回っている。

 すっかり顔なじみになってしまったお姉さんのいる窓口で入場券を買い、傘を入り口に預けて中へと入る。ひんやりとした空気が、湿ったぬるさに晒されていた肌を冷やしていった。


 今日も二階へ。そう思って階段へ向かう途中、なつかしい香りに気づく。

 ミントの香り、そしてわずかにテレピン油の匂い。


 高鳴る胸に、落ちつけと言い聞かせ、周りを見渡す。そうして常設展の入り口横に、グレーを見つける。

 記憶のままの後ろ姿。ゆるくウェーブのかかったそれが、歩くリズムにあわせて揺れる。


 足は勝手に動き出していた。それが徐々に小走りになり、彼の背中へとぐんぐん近づく。

 なんて声をかけよう。今までなんども考えてきたのに、今となっては全てが飛んでしまっている。

 なつかしい、その気持ちに、胸が締めつけられる。


「待って!」

 なんて無難な声かけだろう。再会は、もっと激的なほうがいいだろうに。

「ようやく、見つけた」

 止まった身体がこちらを振りかえり切る前に、口はさらに動いた。

 隣を通り過ぎてゆく、ほかの客がこちらを見ているものの、気にしてはいられない。


 身体を反転させ、わたしを確認した彼は、しばし呆然としてから。

 ゆっくりと口角をあげて、笑った。

 その手に包帯は、もうない。

「これでやっと言える」

 すこしだけ大人びた顔を、わたしはまっすぐと見つめて、深呼吸。


「今度こそ、わたしと恋をして」



【END】

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