ワクワクの婚約破棄を実現するために頑張った結果
今日も大伯母様と母が庭の四阿で優雅にお茶を飲み、料理長渾身の手作りのアプリコットパイを頬張っている。
二人の話は、どこかの伯爵領で始めた絹織物が評判になっているとか、今年はブドウが不作だったので、美味しい新酒を飲めないかもしれないとか真面目な話も多いのだけど、やはり社交界の噂話はなかなか興味深いものがあるのだ。
私は、猫と散歩と言って、彼女たちの回りをうろうろしたり、どうかすると話の聞こえるところに隠れて猫と戯れていたりしていた。
二人の噂話の中で圧倒的に多いのが婚約破棄の話だった。
たいていは男性側が女性に告げているようだ。なぜか人前で婚約破棄を告げるのが流行という。
その婚約破棄の理由に耳をそばだてていると、婚約相手の女性に可愛げがなくて男性の方が他の人に目移りしたというものが多かった。
婚約者の女性の方が優秀で男性の立場がないとか。女性が派手過ぎる。あるいは地味過ぎるとか。嫉妬深くて婚約者の男性に寄り付く女性に対して酷く意地悪をする。などなど。
良く聞いていると、婚約破棄された女性の方はなぜか生き生きとして難関の試験を受けて文官になったり、地味だと思われていた人がとても美しくなったりするらしい。また、人生をやり直すと言って隣国に留学した女性は隣国の王子様に求婚されたという。羨ましい。
男性の方は、好きな人と一緒になれて幸せの絶頂かと言うとそうでもなく、親に呆れられて、家を継げなくなったり、時には平民になったりする人が多いみたい。
十歳の私は思った。婚約というものは破棄するためにあるのではないかと。つまりそれだけ婚約破棄って心躍る楽しいものなのだ。
婚約破棄は人生の一大イベントなんだ。人生の転機なんだ。
なるほど、なるほど。すごく面白そう! ワクワクする。
「カエラのところは女の子二人だから心配かしら?」
大伯母が母に尋ねている。
「上のアリサはしっかりしているし、婿を迎える身だからあまり心配していないわ」
「アリサは美人だしね。伯爵家の婿ともなればよほどの馬鹿でなければ婚約破棄なんかしないわね」
「問題は下のシェイリーよね。見かけはそこそこだけど、お転婆だし、考え方もちょっと変わっているところがあるのよね」
「私の時代には婚約破棄なんかすることなんてなかったけどね」
「今の子たちは何不自由なくわがままに育っているからね。平和も続いているし」
その話からしばらくして十二歳の姉、アリサの婚約が調った。大伯母の知人の公爵家の三男で、武人の家系らしい。マーキスという名の十五歳とか。ダークブラウンの髪で眉毛も濃くなかなか男らしい顔立ちの人だった。あまり興味ないけど。
それから三年が経ち、いよいよ私の婚約者が決まった。
名前はフレイズ、私の二つ上。彼の家は我が家と同格の伯爵家で、彼は跡取りだと父が言っていた。
フレイズは金髪碧眼のすごく綺麗な顔をしていてびっくりした。王子様と言われても納得のきれいさだった。女性でもなかなかここまでの人はいないだろうと思った。でも、なぜか私を一目見るなり目を逸らしたので、これならワクワクの婚約破棄を簡単に実現できるかもしれないと秘かに喜んだ。
さて、私はさっそくワクワクの婚約破棄に向けて準備をし始めた。
派手系にするか、地味系にするか悩んだけれど、基本着飾るのはあまり好きな方ではないので、地味系にした。
薄桃色の髪を三つ編みにしてひとまとめにするだけだ。髪が多いのでやぼったく見えるのもまたいい。メイクはするつもりはない。メイドのリジーに嘆かれるのだけど「少女時代は何もしなくても美しいと本に書いてあったわ」というと仕方なく頷いてくれる。
洋服は紺かグレー。リジーは文句を言うが、「若い時こそ地味な方がお肌の良さが目立つのよ。この髪の色にも似合うわ」等と適当なことを言って彼女を煙に巻いた。
婚約破棄後に留学とか考えると勉強は出来る方がいいだろうと思い、真剣に努力することにした。『俺より出来るなんて、生意気だ』なんて言ってくれると嬉しいな。
フレイズはあれだけ容姿が良いのだから、女性が沢山寄ってくるだろう。そうしたら嫌味の一つも練習しなくてはならない。
毎月の婚約者との交流のお茶会では、一方的に私が話せば、きっと『うざい』とか思ってくれるだろうと期待した。だから毎月テーマを決めて立て板に水のように話すことにした。
最初は猫の生態について。その次は我が領地の産業について。それからこの大陸の河の名前。大きいのから順に。山や山脈の名前。国の地域別の特産物。回りの国々の特徴や大陸の歴史。ほかにもいろいろ。
お蔭で私も随分勉強になった。フレイズはいつもニコニコして聞いているのだが、時折「その山の高さはどのくらい?」「その川はどの海に流れているの?」「果実酒の関税率は?」などという質問が飛ぶので、気が抜けない。
その後、私は十四歳で学園に入学した。この学園は平民の子も学ぶことができる、わりと開かれた学校だ。姉は、淑女学校に通っているので一緒ではない。
フレイズは一緒の学校の最終学年に在籍している。やはり思った通りに、いつも女生徒が彼の周りを取り囲んでいた。
最初は様子を見ていたのだが、一向に女生徒が離れない。やはりここは私の出番だろう。ワクワクしながら彼女たちに向かって大きな声を出した。
「皆さま。フレイズは私の婚約者ですわ。分かっていてこのように彼を取り囲んでいらっしゃるの?」
「あら、あなたみたいな地味な人はきっとすぐに婚約破棄されるに決まっているわ。その日のために少しでも私の良さを覚えてもらおうと思うのは、普通じゃなくて?」
取り囲んでいる女生徒たちの中でひときわ目立つ人が私の目の前に立った。なかなか手ごわい人だ。
「それも一理あるわね。と、ちがうちがう。なんと言おうと私が彼の婚約者。彼の唯一の人。あなたち言葉が分かる? これ以上彼に付き纏うのは私が許しません!」
やったぜ。これでフレイズに嫌われるはずだ。ワクワクの婚約破棄が待っている。
なのに私が後ろを振り返ると、嬉しそうに目を細めているフレイズがいた。まるで犬がしっぽを振っているように見えた。なぜ?
その後も数回同じようなことがあった。あの手ごわい人は金髪を縦ロールにして、目元の涼しいなかなかの美人なのだ。名前はエリカと言った。
「私はあきらめないわよ」とエリカはいつも言うので、私も彼女を指さして高飛車に言う。
「敵ながらあっぱれだわ。でも私も引かないわよ」
私が虐めているという状態をフレイズにわかってもらいたいのだ。でも、「あなた何だか私と気が合いそう」と彼女に言われ、いつの間にか仲良くなってしまったのは計算外だった。
まあ、学業は余裕で一番だった。毎月、フレイズにプレゼンするために頑張ったことも功を奏した。
『僕より出来る女なんて嫌味でしかない』と言ってくれるかと思ったのにフレイズも一番だった。少しがっかりした。
フレイズの実家に顔を出すときは、さすがに女の子らしいドレスを着て、髪をきれいに梳きハーフアップにする。リジーが喜んで腕を振るうのだ。
そんな私を見るとフレイズは必ず下を向いて「見せたくない。誰にも見せたくない」とブツブツ言う。たぶん派手なのも嫌なんだ。
そんなときはワクワクの婚約破棄に向かって順調に進んでいると思って嬉しくなる。
フレイズが卒業して、その上の学校で二年間学ぶことになり、王都から半日ほどの距離にある街で寮生活をすることになった。
これでプレゼンから解放されるかと思ったのに、彼は毎月末の休みに我が家にやってくるのだ。私は考えた。
そうだ畑をしよう!
学校の研究のためと父を拝み倒して、庭の一角、おおよそ六メートル四方を畑にさせてもらった。土いじりなんて良家の子女のすることじゃないから、『土まみれの女なんて僕には合わない』と言ってくれるかと思ったのだ。
それなのに彼は我が家に来ると、私と一緒に土を耕し始めた。
種をまき、肥料を撒き、虫を丁寧にとり、半年後にはナスやいんげんを一緒に収穫するまでになった。なぜ?
ワクワク婚約破棄を待ちながら、二人共それぞれの学校を卒業した。
その間に姉は無事に結婚した。姉は最初は凛々しい義兄様のことが好みではないと言っていたのに、いつの間にかラブラブになっていた。婚約破棄にならなかったのが残念だ。
十九歳を過ぎたフレイズは土仕事のせいかすっかりたくましい青年になり、顔立ちの良さはそのままで、笑うと白い歯がきらりと光り、眩しいほどだ。
私も畑仕事のせいで逞しい女の子になった。この健康な体があれば婚約破棄後もハッピーライフが過ごせそうだ。
彼が二年間の学業から戻って来て、大事な話があると言われた。
いよいよワクワク婚約破棄が始まると思ったのだけれど、心がなぜかあまりワクワクしない。
(婚約破棄後のフレイズはどうするのかな。好きな人と上手くやってくれるといいのだけれど。一人息子だし、勘当されることはないはずだ。)
ワクワクというより心臓がチクリチクリとするのは何故だろう。
とりあえず彼の待つレストランに向かうことにした。
口の中でとろけるほどの柔らかいステーキを堪能し、軽いデザートとコーヒーが出てきたところで、フレイズが口を開いた。
「シェイリー、君に黙ってて悪かった」
フレイズが私に頭を下げる。ああ、いよいよなのね。
「はい、いずれは来る話だとずっと思っていましたから大丈夫です」
「それなら良かった」
彼は満面の笑みを浮かべている。私から解放されるのが嬉しいんだ。また心臓のあたりがチクリとした。
「やはり、私が地味だったから? うるさ過ぎた? 私が取り巻きの女の子を虐めたから? 土まみれが駄目だった? それとも真実に愛する人が出来たの? せめて原因を教えて貰えると今までの努力が報われたと思って嬉しいんだけれど」
「なんのことだ?」
「婚約を破棄するんですよね?」
「破棄? 誰がそんなことを言った!」
「えっ。今あなたが......」
フレイズは、グイッとその綺麗な顔を私の顔に近づけた。碧色の瞳には真剣さが漂っている。この綺麗な瞳も見納めかしら。少し寂しいかも......。
「シェイリー、どうか怒らないで聞いてくれ」
「婚約破棄のことなら怒らないから心配しないで」
「ちがう! 婚約破棄はもうできないよ」
「え、もう出来ないってどういう意味?」
私にはさっぱり話が見えない。
「実は君と僕はすでに夫婦なんだ。僕が待てなくて。とにかく籍だけでもと思って、義父上と父に了解を取った」
「いまなんて言いました?」
「君はまだ十八歳前だから、義父上にサインを貰った。だから君はすでに書類上は僕の妻だ」
「妻......。えっ?」
「君と初めて会った時、邪気のない薄紫の瞳で真っ直ぐに見つめられて、僕は思わず目を逸らした。そしてそれから君は僕の唯一の人になった」
いやいや、邪気ならたっぷりあったと思うけど。ワクワク婚約破棄に思いを馳せていたのだから。
「僕はこんな容姿だから、誰かがいつも纏わり付いてくる。それなのに君は僕に嫌われようとしているみたいに思えた。それが何故か面白くて、僕は君にどうしようもなく惹かれていった。君のいない人生は考えられない。結婚式は半年後に決めたからね」
私はおどろきのあまり目を見開いたまま固まった。私の努力の方向はもしかして違っていた?
「君の意思を確認する前に勝手をして悪かったと思うが、五年間も婚約者だったのだから大丈夫だと思ったんだ」
あれ? ワクワク婚約破棄と婚約破棄後のハッピーライフはどこに行っちゃったんだろう。
でも、なぜか私の心臓はうるさいほどドキドキワクワクしている。
彼はそっとその両手で私の両手を握った。私の心臓が飛び出しそうだ。
(考えてみれば、この人はいつも私を見守ってくれていた。ああ、今頃分かった......。私もずっとこの人が好きだったんだ!)
「私って鈍い?」
「ああ、かなりね」
「フレイズ、私の旦那様」
「旦那様か。うれしいな」
「こんな私を見捨てないでくれて、ありがと」
「いや、僕から離れていきそうな君を繋ぎとめるために僕も必死だったよ。これからはずっと僕の傍にいて欲しい。よろしくな」
「まかせて!」
ワクワクの婚約破棄は出来なかったが、ワクワクのすれ違い夫婦生活も良いかもしれないとチラッと思った。
終
フレイズの結婚生活が穏やかでありますように。お読みいただいてありがとうございます。