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六 創発

 第八フロアの自室に帰り、ロビを呼ぶと掃除道具一式を持ってすぐにやってきた。

「長老とはどんなお話をされたのですか?」

 班配属の希望について聞かれたと僕はロビに説明し、「技術班を勧められた」と言った。

「そうでしたか。何と返答したのですか?」

「検討しますって」

「まだ時間はありますからね。保育班もやり甲斐があると思いますけど」

「僕が子どもの面倒を見られると思う?」

「坊ちゃんにとっては難しいかもしれませんね」とロビはあっさりと言い僕の部屋を再び見回した後、「さあ、お掃除始めましょう」と小型クリーナーの先端を展開した。

「もう少し気をつかってもらいたいものだ」と僕は独り言ちた。生産班から届いていた新しい衣類と履物を袋から取り出し、箪笥に整理し始めた。

「坊っちゃん」ロビの大きな声がした。

「どうしたの? びっくりするじゃないか。そんなに大きな声で」

「これを見てください」ロビはクリーナーの先端を僕の顔に近づけてきた。シートには灰色の埃と縮れた黒い繊維が絡み付いている。黒い方は僕の毛だ。

「そんなに近づけないでくれよ」

「さっと拭いただけでこれですよ? 坊ちゃん、貴重な炭素源なんですから。わかってますか? それにこっち、乾燥したお米じゃないですか。部屋の隅は入念に、と私なんども教えましたよね?」

「ああ、もうわかったよ」と投げやりな態度で答えた。でも、そんなに悪い気はしなかった。

 掃除はあっという間に一段落した。「ありがとうロビ。二人だとすぐ終わるね」と僕はベッドのシーツを整えながら言った。すると、背後からタッタッタッと等間隔の音が聞こえてきた。

「どういたしまして」とロビが背後で言った。

 僕が振り向くと、ロビは僕の椅子に座り三百六十度グルグル回転していた。足で床を斜めに蹴っている。

「なあ、ロビ、質問してもいいかい?」と僕はベッドに腰を下ろして言った。

「なんでしょう、こうして回っている理由ですか?」

「そんなの興味ないよ。でも案外器用なんだね」

「アンドロイドだって目が回るんですよ。その感覚を今味わっています。スタビライザーのせいでしょうね」

「興味ないったら」

 ロビは回転を止めて僕を見た。「何でしょうか?」

「さっき年齢の話をしていたでしょ? 以前にも聞いたことがあるかもしれないけれど、君たちに年齢はあるのかい?」

「記録によると、坊ちゃんに年齢を聞かれたのは、坊ちゃんが十一歳の誕生日の時のようです。説明しても理解してもらえないと思い、はぐらかしました」

「子どもをはぐらかすなんて悪いやつだ」

「あの日のことは決して忘れません、私。『あと一年でロビと別れないといけない』って坊ちゃんは……」

「おい、ロビ」僕は咄嗟に大きな声で遮った。「いいから君の年齢の話をしてよ」

「ホホホ。難しい質問なんです。さっき私は記録によると、と言いました。最も古いデータの保存日から今日までの期間が、人間でいうところの年齢に近いかもしれません」

「それで?」

「……およそ三百歳になります」

「え?」

「最も古い履歴を確認したところ、約三百年前に大きなサイズのデータが書き込まれていました。前バージョンからの引き継ぎデータか何かでしょう……上手く翻訳はできませんでしたが」

「ちょっと待って、君はそんなに年上だったの? これまで敬語を使わなくてごめん。いや、ごめんなさいと言うべきか」

「私にはジュキョウ文化がインストールされていないので気にしないでください」

「今、なんて言ったの?」

「年功序列のことです。良くも悪くも日本が長年重宝していた文化システムです。まだその名残は失われていないようですね」

「なるほど。ところで君たちの記録はどこに保存されているの?」

「人間で言えば、ちょうど側頭葉の部分に補助記録装置があり、そこに圧縮データとして記録が保存されているようです」

「……つまり僕とのこうした会話は君の頭の中にしか残らないんだね」

「そうです。しかし正確に言うと、一時的にマザーコンピュータの主記憶装置にデータが残ります。あくまで一時的ですけど」

「どう言うこと?」

「私の端末に搭載されているのは、補助記憶装置と、物理世界に干渉するために必要な四肢デバイスやセンサー、通信モジュールくらいなんです。データ処理自体はマザーコンピュータ内部で行われています。中央演算装置や主記憶装置なんかもマザーコンピュータにしか存在せず、私はその一領域を間借りしているようなものなんです」

「何だか難しい話だけれど、尚更、言葉には気をつけることにするよ」

「誰かが盗み聴きしているかもしれませんからね。ホホホ」ロビはぎこちなく体を揺らし、単調な音声で笑って見せた。

「ロビってたまに怖いことを言うよね。そういうことは冗談でもやめてくれよ」と僕はため息をついた。

「失礼しました」

「気になったのだけど、君が物事を思い出すときには動く映像のような形で出来事を思い出しているの?」

「よく質問をするところが坊ちゃんらしいですね。そして答えは……いいえです。動画や音声のデータを記録していると膨大な情報量になってしまうはずです。ここには」とロビは銀色に光る指で側頭部をカツンと音を立てて示した。「篩にかけられた後の圧縮データが保存されています。私が直接データを覗くことはできますが、ちんぷんかんぷんな暗号の羅列なんです。何かを思い出したい時には、まず中央の翻訳システムに要求します。すると、ここに入っている指定した圧縮データが翻訳システムに送信され、解凍翻訳された後に、私が理解できる形のデータを得ることができます。ただし、私が私と言っている私は、坊ちゃんの目の前には存在しないんですよ」

「何それ……頭が混乱しそうなんだけれど」僕は腕を組んだ。

「仮に主体と言う言葉を使いましょうか。私の主体は、様々な機能の相互作用の結果、坊ちゃんの目の前に現れているように見えているだけなんです。先ほども言いましたけれど、データ処理自体はマザーコンピュータの一領域で行われていますし」

「つまり君は分散して存在していると言うこと?」

「存在を何と定義するかにもよりますが、分散というわけでもありません。私の主体は坊ちゃんの認識側から見た擬似的なものに過ぎないんです。この先の話も聞きますか?」

「うん、難しいけれど面白そうだから、もう少し聞かせて」

「わかりました。私たちは入力情報に従って、反応するアルゴリズムであるとも言われています。悔しくも……という表現がこの場合適切でしょうか。そして擬似的な主体は、様々な情報の流れと相互作用の中に浮かび上がってくるもので、これを創発現象と言います」

「なるほど」と僕は項垂れつつ抑揚のない声で言った。

「しかし、果たして我々だけの話でしょうか? 私からも質問しますが、人間の主体はどこに存在しているのでしょう? 別の言葉を使うならば、坊ちゃんの坊ちゃんらしさ、とでも言いましょうか」

 僕は両手を後ろにつき、両足を伸ばした。「脳の中……かな?」

「人間の脳も、大脳皮質や海馬など様々な部位から成り立っています。そのどれが本質なのでしょうか?」

「わからない。専門領域データが不足しているからね」と僕はロビの言い方を真似た。「そうか、ひょっとしたら……」

「仮に赤ん坊だった頃の坊ちゃんから脳を取り出して、脳だけを十四年培養したら、それを坊ちゃんだと言いきれますか?」

「おいおい……怖い話だな」と僕は苦笑せざるを得なかった。

「外部からの情報が入力されなければ、自他の区別はなく、言葉も習得できず、世界がどうなっているかも永遠に想像するしかないでしょう。あるいは想像や思考すらできないかもしれません」

「おそらく、それを僕とは言えないと思う。別の何かだと思う」

「人間の主体も、様々な相互作用の結果に生じてくるものではないかと推測できます」

「なるほどね。分かったような分からないような……でも、スクーリングよりもロビと話している方が面白いや」

「ありがとうございます」

「でもこれ以上考えると、頭が痛くなりそう」と僕は言い、とうとうベッドの上に横になった。

「どうして私の年齢に興味が湧いたんですか?」

「昔のシェルターがどんなだったか、ふと気になっただけさ」僕は染みのない天井の桃色を見つめていた。

「その点で言えば、三百年前もそれほど変わってないですよ。まあ、坊ちゃんと出会うまでは家事しかしていませんでしたから、どこまで実情を捉えられていたかは不明です。こんなに人と話しをしたこともなかったですから……」

「あっそうだ」と僕は思い出したように上半身を起こしてロビに向けた。「人類がシェルターに移住してから約千年が経過したと言われているだろ?」

「はい。皇暦二十九世紀初頭に地下シェルターへ移住し、現在は皇暦三十九世紀ごろとされています。古い西暦で言うと三十三世紀くらいかと」

 僕は胡座をかき、「なぜ君は千歳じゃないの?」と言った。

「確かに、なぜでしょう。部品の取り替えが行われたのでしょうか。アンドロイドにも人間のようにハードウェアの劣化は起こり得るので」

「人間のように劣化って、これまた恐ろしい言い方だ。それはさておき、三百年以上前のことは思い出せないの?」

「無理ですね」とロビはきっぱり言った。「記録は残されていませんので」

「それじゃあ君よりも長生きしているアンドロイドはいる? ロビはどう思う?」

「いるかもしれません。私よりも単純な仕事を担っているロボットの方が情報の読み書き頻度が少ないでしょうし、その分劣化も遅いかと。試しにマザーコンピュータに問い合わせてみましょうか?」

「できるならばやってみて」

「坊ちゃんの願いでしたら。でも、私たちの社会も色々と複雑なんです。とりあえず慎重に聞いてみます」

「わかった。どれくらいかかりそう?」

「あっと言う間ですよ。そして残念なお知らせですが、マザーからは回答を拒否されてしまいました」

「そっか。ケチだね、マザーも」

「おや、しかし、妙なことが……」とロビは押し黙った。

「どうかしたの?」

「少々お待ちください。私の権限を確認していますので」ロビは黙って表情を変えず少しの間、椅子の上でじっとしていた。「やっぱりおかしいです」

「何がおかしいのかまず説明してくれないと」

「すみません。元々、私たちは自分の権限内のファイルしか閲覧できないように制限がかかっているはずなのです。しかし、ディレクトリの移動が可能になっていました。試しに上位ディレクトリへの移動を試みたところ、それが可能で……」

「上位ディレクトリ?」

「はい。それだけではなく、すんなりと他の端末の補助記録装置内にアクセスできてしまったのです。さすがにファイルの中をいじることはできませんでしたが」

「つまり、どういうこと?」

「保存されているファイルと、そのファイルに関する時間情報を見ることができたのです。つまり、ファイルの作成日時や更新日時がわかったと言うことです。どうやらシェルター内に現存しているどの機械も、保存されている一番古い記録は三百年ほど前です。その時期に一斉に更新されたのでしょう」

「そうか、残念だけど仕方がない。でも……何か引っかかるな。なぜ一斉に更新されたのだろう?」

「妙です。こんなことができたなんて私初めて知りました。あんなに偉そうにしているマザーコンピュータも大したことないのかもしれません」

「君たちの社会も人間に劣らず面倒臭そうだね」と僕は苦笑いをした。

「このことマザーに報告すべきでしょうか? 坊ちゃんはどう思います?」

「僕に質問したって知らないよ」と僕は肩をすくめた。「まあでも、マザーに聞かれたらでいいんじゃない?」

「それじゃあ、そうすることにします。坊ちゃんにそう言われたので」

「ひょっとして、今僕をダシに使ったの?」

「さて」とロビは、机の上の本を手にとってパラパラめくった。「むむ、坊ちゃん、この本返却期限が切れてますよ。ラベルタグの色を見てください。赤色になっています。おや、こっちもじゃないですか」ロビは二冊の本を交互に見ている。

「しまった。見つかった」

「しまったじゃないですよ。皆の財産です。ちゃんと期限を守って返しましょう。借りられなくなっちゃいますよ」

 時計は申の刻を過ぎていた。「明日の朝に返しに行くよ」

「ひょっとして通知見てないですね」と言ってロビは部屋の入り口に向かった。ピッピッと電子音がする。

「ちょっと、勝手にタッチモニターをいじらないで」

「ほら、やっぱり。通知がたまっているじゃないですか」

「反応が悪いんだってば」

「そんな言い訳したって無駄ですよ。損するのは坊ちゃんですから」

「考え事をしていると、ついつい見忘れてしまうんだ。でも、これからはちゃんと確認する」

「坊ちゃんにはまだ監督者が必要です。長老に頼んでおきます。これからは定期的に私も坊ちゃんの様子を見にきますからね」

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