四 シェルターと中央階段
部屋の前で僕とロビは別れた。ロビは機器室へ、僕は第八フロアの中心部へ向かった。同心円状の通路には居住室の扉がずらっと並んでいる。シェルターの内壁は、一面、薄い桃色をしていて粘膜の色に似ており、目には騒がしくないけれど無個性で面白みがない。生物の体内を歩いているみたいでもある……そんな生物が居たとしたらだが。そして、壁に傷は見当たらず、床にはゴミひとつ落ちていない。僕はこの強迫的な潔癖さに、時々息苦しさを感じる。
通路を歩いていると、人やアンドロイドとすれ違った。昔、駆け回って叱られたのを思い出した。あそこを曲がって、放射状通路をまっすぐ中心に向かえばいい。
円筒型のシェルター中心部には、エレベーターを内蔵した筒が全十三フロアを貫いており、その筒のすぐ外周を二重螺旋階段が上下のフロアを繋いでいる。この他にも各フロアを行き来できる階段はあるが、僕は中央階段を使うのが好きだ。
中央部まで来ると、一機エレベーターのドアが開いていた。
僕みたいな若者がエレベーターを使ってはいけないという決まりはない。決まりはないが、運動のためにも、できる限り階段の利用を推奨されている。無言の圧力を肌に感じたくないし、狭い空間を他人と共有したくないから、ということもあって僕は階段を使うことが多い。
エレベーターの中は空いていた。内側の五十代後半と思われる男性と目が合った。僕は小さく会釈をして、上り口に向かった。
階段が二重螺旋構造である必要性は、一体どの程度あったのだろうか。仮に、時間や資源に余裕があったのならば、娯楽に対してもう少し力を注いで欲しかったと思う。
僕は気怠さを肩に背負い、中央階段を登り始めた。
僕よりもゆっくり階段を上るひとを何人か追い越した。簡素な装飾品は別にして、皆似たり寄ったりの貫頭衣を着ている。生地は合成セルロース繊維で出来ている。そういえば母はかつて衣類に関する仕事をしていたと聞いたことがあった。
母は既に分子貯蔵槽へ移動している頃だろうか。あるいはすでに、母の体を構成していた有機物の幾らかはこのシェルター内を循環し始めているのだろうか。これまでと、そしてこれからの、その他大勢の人々と同様に。
母はもういない。二度と話を聞くことができないのだと思うと、やっぱり寂しさが募ってきた。この寂しいという気持ちは、誰かに強要されたものではなく、僕自身の気持ち。
エネルギー保存則、教条……。一体この生活はいつまで続くのだろう。
背後で甲高い声が発せられた。
「図書室のお兄さん」
背後から幼い声がした。階段を登り続けていると、僕の目の前に五頭身くらいの男の子が回り込んできた。見覚えがある子どもだ。ええっと。
「今日もこれから図書室に行くの?」男の子が言った。
「いや、長老に呼ばれていて、最上階まで行くところなんだ」
「エレベーター使わないの?」
「何となく体を動かしたい気分でね。大きくなればそんな日もあるんだ」
「そっか」
「運動にもなるから」
「ねぇ、またキョウリュウの本を読んでよ」
そういえば、この前無理やり本を読ませられたことがあった、と僕は思い出した。図書室でたまたま近くに居ただけなのに、躊躇いを知らない子どもはおっかない。僕はなんと答えるべきか悩む。
「いいよ、でもこれから用事があるから、また今度会った時にね」と僕は言った。
男の子は笑顔を僕に見せた後、何も言わず階段を駆け上がり、一度立ち止まってから、再び僕の方に向き直り、手を振ってきた。
僕は少し戸惑ってから手を振り返した。男の子はまた階段を駆け上っていった。そんな急ぐと誰かに注意されちゃうよ、と声をかけるか悩んでいる内に男の子は随分遠ざかっていた。
僕には、男の子を無視することもできた。まあ、さすがにそれは可哀想だから、そうはしなかったけれど。当たり前なこと。僕にだって、当たり前な判断と行動ができるのだ。
なんだか胸がポカポカする。男の子の笑顔が脳裏で瞬いていた。人には様々な一面があるらしい。ひょっとすると誰よりも自分を理解することが一番難しいのかもしれない、なんて思ったりする。