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三 閉塞感

 僕は昼食箱を小さく折りたたんでから、ダストシュートに入れた。

「充電、ありがとうございました」とロビは言いケーブルを体内に収めた。「長老から伝言を預かっています。今からですと、半刻程度経ってから長老室へ来て欲しいとのことでした」

「なるほど。伝言ということは、長老がロビを僕の元によこしたわけだ」

「ええ、そうです。面談まで時間がありますが、坊ちゃんはこれから何をする予定ですか?」

「特に決めていないよ。借りている本でも読もうかな」

「それならば、せっかくなので、もう少し私もここに居させてください」

「どうぞ」と僕は言った。「そうだ、聞きたいことがあるんだけれど」と僕は言いタッチモニターの不具合についてロビに話した。「直すのにどれくらいかかりそう?」

 ロビはベッドから立ち上がり、壁に備え付けられているモニターの前に移動し、指の先端で反応を確かめ始めた。

「本当ですね、反応が鈍い部分があります。一体どんな使い方をしたんですか?」

「乱暴に扱ったみたいな言い方はよしてよ」

「失礼しました。この感じですと原因は機器内部にありそうです。まずは技術班に依頼することになりますが、修理できないかもしれません」

「と、なると?」

「新しいモニターへ交換することになると思います」

「交換品なんてものがあるんだね」

「いえ、需要の少ないものは、必要な時にその都度、製造機で作られているはずです。材料の無駄使いはできませんから」

「なるほど、でも製造機ってことは、確か……」

「科学班が管理しています。ですから、まず技術班に点検を依頼して、交換が必要であれば科学班に発注をすることになると思います」とロビは答えた。

「ややこしいな。新しいモニターにはどれくらいトークンを支払えばいいのやら」

「故意による故障でないならばトークンは必要ありません。安心してください」

「それならば良かった」

「モニター関係の設計図データが失われたという話も聞いたことがありませんし」

「設計図データが失われるって、どういうこと?」

「坊ちゃんには関係のないことでした。すみません。それでは技術班に点検を依頼しましょう。私が依頼しておきましょうか?」

「じゃあよろしく頼む。トークンを使わずに済みそうで良かった」

「ええ。仮に掛かったとしても点検分のみでしょう。四半刻分もあれば足りると思います。でも私の専門ではないので、はっきりとは言い切れませんが」

「君は点検できないのかい?」

「簡単な点検はできますが、専門領域データが不足しているんです。私の権限では家事、保育、それから教育に関する一部の領域しか参照できません。なので機械に関しては自信がないんですよ」

「君だって機械だろ」と僕は言い鼻を鳴らした。「あ、いや別にそういう意味じゃなくて」

「むむ、それは嫌味ですね。じゃあ、坊ちゃんは人体の仕組みについて、一体どれだけのことを知っていますか?」

「まるで仕返しだ。ごめんって」

 それからロビはタッチモニターを操作し、送話口に向かって点検の依頼をし始めた。僕はそんなロビの後ろ姿を見てから、視線を箪笥の上の本に移し、凝視した。

 ロビが再びベッドの元に戻った。

「ところでさ」と僕は思い切って話すことに決めた。図書室での出来事だ。

「はい、どうしました?」

「映画の中では」口が乾燥してもたつく。僕は口の中を湿らせてから再び話し始めた。「映画の中では、どうやら人類は宇宙空間を自由に飛び回ることができたらしいんだ」ロビの反応はない。「もちろん映画は作り話さ。でも、ロビはどう思う? 実際、地上人の技術レベルはそこまで進んでいたのかな?」

 ロビは少し間を置いてから「さあ、どうでしょう」と言った。「アポロ計画については知っていますか?」

「少しなら……」

「皇暦二千六百二十九年、西暦で言うと千九百六十九年のことですが、人類は月面着陸に成功しています。ひょっとしたら近くの惑星まで航行できるレベルに技術が発展していた可能性は十分にありますね」と言った。「惑星間航行と言います。例えば火星とか……ところで、そんな事どこで知ったんですか? 映画に関する情報は残されていないはずです」

「どう説明したら良いのか。妙な話で、少し前に、図書室である本を見つけたんだ。映画作品についての本だったと思う。パラパラめくると、文章とイラストが載っていて、そのイラストの中にはアンドロイドと、ロケットと思しき乗り物の絵が描かれていたんだ。背景は、真っ黒な空、点々と散りばめられた星々、つまり宇宙を示していた。そしてロケットと思しき乗り物の後方からは、何らかのエネルギーが放射されているように見えた。僕はその本を部屋でじっくり読もうと思って、カウンターへ持っていったんだけれど、受付のアンドロイドに回収されてしまったんだ。貸出用のラベルタグが付いていなかったらしくって」

「確かに妙な話ですね」

「その日は、何だかモヤつきながら部屋に帰って、でも、気になるから日を改めて、僕は再び図書室のカウンターに行ったんだ。あの本はどうなったんですかって聞くために。そしたら、そんな応対記録はありません、なんてアンドロイドに言われてさ。驚いたよ。全然取り合ってくれなかった。あれは夢だったのか、まるでキツネにでもつままれた気分だった。慣用句の使い方は合っている?」

「ええ、合っていますよ。国語に関する追加データをダウンロードしておいて良かったです」

「アポロ計画やアルテミス計画についての書籍は、確か何冊かあった気がする。また今度借りてみようかな」

「先ほどの質問に戻りますが、皇暦二千八百年頃から徐々に文明停滞期に突入していったとされます。何がきっかけだったのかは明らかになっていませんが……ムーアの法則という言葉は聞いたことがありますか?」

「ないかな? ちょっと思い出せないや」

「では忘れてしまって結構です。とにかく文明停滞期には、それまでの指数関数的な技術発展の速度にブレーキがかかりました。残されている記録から推測すると、恒星間航行できるほどの文明には発展しなかったのだと思います。恒星間航行というのは、太陽系から離れて他の恒星系へと向かう航行のことです。まあ、私の権限で参照できるデータは、高が知れてますからあくまでも推測です」

「恒星間航行って、格好良い響きだね」格好いいという肯定的な言葉とは裏腹に、僕の頭の中に暗い影が射すのを感じた。何かを思い出そうとする時のように目を瞑った。言葉になりかけている無数のイメージが次々に頭の中に生じてくるのを感じ、そしてそれらが無軌道に交錯し始め、絡まり合う。

「坊ちゃん?」

 ロビの声がした。

「坊ちゃん、どうかしましたか?」

 ロビが僕の反応を待っている。

「地上から宇宙までの距離は何キロメートルだっけ?」と僕の口が言った。

「それは基準点をどこにするかによっても変わってきますけれど、坊ちゃんは大気圏についてどの程度知っていますか?」

「僕は結局……そうなんだ。僕も結局、空を見ることなく分解されてしまんだろうね」

 ロビがじっと僕を見つめているのを感じる。こめかみのあたりに圧迫感を感じる。

「この閉鎖空間で、僕は一体何ができるというのさ」語尾が強まる。僕は奥歯をギュッと噛み締めた。

「そうは言っても坊ちゃん、地上から送られてくる観測データはまだ……」

「世界はもっと広いはずなのに」僕はロビを遮るように言った。

 しばらく沈黙が続いた。

 馴染みのある感覚に浸っていた。泥濘のイメージ。ドロドロしたものが身体に纏わりつく。何もかもが面倒で何もしたくない。「怠くなってきた」と僕は小さな声で、しかし、ロビにぶつけるように言った。僕の発した声音には、それに伴う感情の重みがあった。泥濘のイメージ。体が重い。でも、だ。そもそも泥濘という言葉が指し示す実物を、僕は見たことがない。見ることもできない。再び言葉の上でのただの知識。「くそ」と僕は弱々しく悪態をついた。それによって、頭がクラクラしてきたけれど、僕の中で蟠っていた負の感情の、ほんの少しは吐き出せた気がする。

「はい」とロビが意味のない相槌を打った。

 不意に僕は手首の痒さに気がついた。人差し指をリストバンドと皮膚との間に潜り込ませ、爪で少し掻きむしった。汗が滲んで蒸れていた。

「一つ相談があるのですが」とロビが言った。「医療班へ行き、カウンセリングを受けてみるのはどうでしょうか?」

 僕は大きく息を吸い込んだ。「ふう、少し落ち着いた。もう大丈夫だよ」と僕は言った。「相談したところで何にもならない気がする。それに不満は無闇に人へ話しちゃいけないんでしょ? 僕だって噂は知っているよ」

「それはそうですけれど、噂とは? 何のことですか?」

 どうせ知ってるくせに、と僕は思った。

 この日常は人工食と一緒。よく出来てはいるけれど、結局は作り物。

 でも、何だか全てがどうでも良くなってきた。

 ロビは、僕にかける言葉を探しているのか、しばらく何も発しなかった。何か追加データをダウンロードしているのか、あるいは、会話情報を交信しているのか、もしそうだったら、それはそれで困る。

「僕が悪かった」と僕は俯き、ロビを見ずに言った。

「ええ、他の人が聞いたら良い顔はしないでしょう。けれども私が誘導してしまった可能性もあるので反省しています。でも、これ以上はやめにしましょう。禁則のこともありますから」小さなボリュームでロビは言った。「もし気が変われば伝えてください。医療班へ同行しますよ。坊ちゃんの気持ちが楽になる方法があるかもしれませんから」

「ありがとう。でも今はその気持ちだけ受け取っておく」僕はロビに向かって言った。気持ち、か。目の前のロビがアンドロイドであるということを僕は忘れかけていた。もしこうやって言葉をぶつけられる相手がいなかったとしたら、行き場のない僕の感情はどうなっていた事だろう。

 ところでアンドロイドに心はあるのだろうか。直接聞いたらロビは傷付くのだろうか。傷付く主体というものがあるのだろうか。

「長老室に向かう準備をしようと思う」僕は椅子から立ち上がりながら言った。

「わかりました。では私は機器室に戻ります。スリープモードで待機していますから、帰ってきたらこちらの番号を呼び出してください。お掃除手伝いに来ますよ」

 僕は苦笑した。「君がこの部屋に入ってきた時、掃除はいつしましたかって僕に聞いていたね。別に聞こえなかった訳じゃないんだ」

「でしょうね」

「まったく。君は相変わらずだ」

「掃除は私の得意分野ですから。それに目的があった方が、坊ちゃんも私と会いやすいでしょう」

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