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二 アンドロイドとの再会

 第八フロアの自室まで帰って来ると、僕は履物を脱ぎ、いつもの貫頭衣に着替えた。部屋が広く感じる。角のない調度品。丸みを帯びた部屋。インジャリーフリーの過保護な日常。

 僕は壁のダストシュートを開けて、脱いだばかりの喪服を穴に投げ入れた後、部屋奥のベッドの上に転がり込んだ。

 思考に波紋が広がる。どうしてお母さんは還儀に付されることを?

 しばらく天井を見つめていると、腕が振動した。リストバンドが振動したのだ。僕はいつも振動の通知によって装着していることを思い出す。そろそろ昼食を取らなければならない。僕は緩やかに体を起こした。

 少しぼんやりしながら、入り口近くの壁に備え付けられたタッチモニターを操作し、配送専用メニューから《日替わり定食》を選択した。今日のメニューはお寿司らしい。画面が進まない。最近反応が悪いことがある。完了画面に切り替わるまで《決定》ボタンを何度か押す羽目になった。

 僕はまたベッドに身を預け、両手を頭の下で組み目を瞑った。

 母は一体何のために生きていたのか? 考えたところで答えは出ない。僕は脳裏に光の粒子を散らして、その金砂で母の顔を描こうとした。眉間に力が入るのを感じながら何度も挑戦してみた。もっと母のことを知りたい。今更になって強くそう思う。

 ブーっと電子音が部屋に響いた。

 僕はベッドから起き上がりモニターに向かった。

「はい」とモニターの送話口に向けて言った。画面には人型のシルエットが映っている。家事手伝い用のアンドロイドのように思える。

「ハル坊ちゃんですか、昼食をお届けに参りました」モニターのスピーカーから声が届いた。

「坊ちゃんって?」僕は苦笑しながら、玄関に向かった。足が自然と急いているのに気がついた。

 ドアを開けると、銀色のアンドロイドが昼食箱を手に抱えて立っている。僕は、そのアンドロイドの、人間でいえば鎖骨に当たる部分をじっと見た。落書きのインクが擦れてはいるが、微かにロビと読めなくもない。

「ロビじゃないか。驚いた。あれから二年くらいになるかな。君は配送も始めたのかい?」

「もうそろそろで三年ですよ。坊ちゃんは今年で十五歳になりますから。私は今、上のフロアでお手伝いをしています。今日は担当している世帯のお父さんが部屋にいるので、休日をもらってきました」

「ああ、そっか。もう三年も経つのか。しばらく見かけていないと思っていたら上の階にいたんだね。全て居住エリアでしょ? 用がないから行く機会もないんだ。さあどうぞ、せっかくだから入りなよ」

「ええ、そのつもりで来たのでお邪魔します。坊ちゃんの例もあって、家事兼保育アンドロイドとして引き続き試験運用されています。私って一目置かれる存在なんですよ?」ロビはたどたどしく肩を左右に揺らしながら部屋に入ってきた。「やや、坊ちゃん、この部屋の掃除はいつしましたか?」

 相変わらず不器用な動作を見て、僕の口元が緩んだ。

「もう坊ちゃんなんて呼ばれる年齢じゃないんだけど」僕は机の上の本を手に取りながら言った。「昼食箱はここに置いて欲しい」

「いいじゃないですか。あと少しくらい坊ちゃんと呼ばせてください」と言ってからロビは昼食箱を机の上に置いた。

「まあ何だっていいさ」僕は手に抱えた本を箪笥の上に置いた。「僕は椅子に座るから、ロビはそこに座ってよ」と僕はベッドの上を指し示した。

「ありがとうございます。ところで坊ちゃん、私の方はちょこちょこ坊ちゃんを見かけていたんですよ」

「そうなの? なんで話しかけてくれなかったのさ」

「そう言われましても、坊ちゃんを見かける時、不機嫌状態につき対応注意って警告が出るんです。もっと表情筋を使ってニコニコした方が、人間社会では円滑に生きていけますよ」

「そいつはすまなかったね」僕は抑揚のない声で言った。「考え事でもしていたんだと思う。でも、ちょっと待ってくれ、ロビだって表情筋がないじゃないか」

 ロビの顔には、丸い目玉が二つあり、口を模した長方形の切り込みがある。目に瞬きの機能はなく、口の切り込みは動かない。


 シェルター内の人口は三千七百七十……いや、この数字は別の話だ。だいたい三千人くらいだったか。人手はどこも限られていると聞く。保育班は、保育班員と、イシグロ型と呼ばれるアンドロイドで運営されている。イシグロ型は肌の弾力にしろ暖かい体温にしろ、人間と瓜二つ。でも僕はどうしてもイシグロ型を好きになれなかった。

 施設での日々が目に浮かぶ。幼児期が過ぎてからも、僕と妹は多数の子どもとは異なり、親元に移管されず育った。

 結局、父の話はほとんど聞かず仕舞い。父の遺伝的適合者、つまり僕の母が現れたのは父が高齢になってからのこと。そして、受精の許可が下りた頃には、父はすでに還儀間近だったと母に聞いたことがある。父の映像を見せてもらった記憶もないわけじゃないはずだが、靄がかかるようにはっきりしない。だから僕はこれまであまり考えないようにして来た。別に悲しむべきことではないのだから、それでいいじゃないか、と。

 ロビによると、僕は生身の保育班員にすら、あまり懐かなかったらしい。僕が心を許したのは施設の家事手伝いに来ていたアンドロイドで、それがロビだった。僕は床をペタペタ足で踏み鳴らしながら、よくロビの後ろを追っかけていたらしい。

 ロビのタイプは他のアンドロイドに比べて動作が鈍く、いかにも機械地味ている。それが親しみやすさの要因の一つであると僕は考える。昔ロビは愚痴を漏らしていた。『どうせならもっと、人間に似せて設計して欲しかったですね。体の節々が動かしにくくて不便なんです』コストや資源の問題だったのだろうか。それとも移住までに残された時間の問題だったのか。シェルター内部には随分凝った構造があったり、パイプが走っている天井があったり、統一感があるとは言い難い。十五年程度しか生きていないこんな僕にさえそう思えてしまう。仮に、答えられる人がいたとしたら、聞きたいことはいくらでもある。


 表情筋がないじゃないかと僕が言い放ってから、ベッドに座っているロビは背を丸めて俯き、見るからに萎れていた。

「ご意見はマザーコンピュータに送信しておきますけれど、私たちに生体細胞を接合することはできないと思います」

「そんなに真に受けるなんて思っていなかったんだ。ごめんね」

 ロビはしばらく僕の顔を見つめてから「はあ」とわざとらしく人間のするようなため息音を口の切り込みから漏らした。「坊ちゃんは変わりませんね」ロビは肩をすくめて大袈裟に首を横に振った。首につられて肩も左右に揺れている。首の可動域が狭いのだ。

 僕は机の上の弁当箱に手を伸ばし、蓋を開けた。赤、ピンク、黄色、まず色彩に目を引かれた。マグロ、サーモン、イカ、カッパ巻き……。僕はまず玉子から食べることにした。

「少し味が変わった気がする」と僕は言った。

「食堂に張り紙がありましたよ。デンプン製造機のメンテナンスが終わりましたって」

「瑞々しいわけだ。でも……」偽物。食事の際にそう思ってしまう時がある。すると食欲、つまり目の前の有機物を自分の肉体に同化させたいという欲求が萎んでしまう。もちろん本物は食べたことがない。でも、咀嚼して飲み込んでしまえば区別なんて出来ないはず。いっその事、この違和感を捨て去ってしまえたら、不満なさそうに暮らす皆のように僕も生きていける気がする。僕は「はあ」とさっきロビがしたようなため息をついた。

 ベッドの上に座っているロビは、上半身を左右に捻り部屋を見回している。

「あの、お食事中すみません。私も電気をいただいてもよろしいですか」

「どうぞ」

「ありがとうございます。この部屋のタイプは……あちらですね」ロビは腹部のカバーを開け、受電器のケーブルを引き出し立ち上がった。ケーブルの先端を壁の送電器に貼り付けに行った後、再びベッドの上に座った。

 コップの中のドリンクは緑色をしており、一口飲むと暖かい緑茶であることがわかった。僕が緑茶好きなのをロビは忘れていない。

 かつてシズオカは温暖な気候に恵まれ、有名な茶葉生産地だったという。シェルター人にはシズオカの血が多く流れているらしく、お茶を好む人が多い。授業でそう習った。でも、カフェインのような刺激物を摂取しすぎてはならない。体内環境は厳しくリストバンドによってモニタリングされている。面倒な講習はそう何度も受けたくはない。

「あのう、坊ちゃん、満タンにしていってもいいですか?」

「良いよ。でも電気量をちゃんと計算して、あとからトークンを払ってもらうからね」僕は笑顔で言った。

「ええっと、アンドロイドは時間通過を保有していないんです。それに電気に対してトークンを支払うなんて聞いたことがありませんが」

 ははは、と僕は笑った。

 ロビは肩をすくめた。「それ、試し行動って言うんですよ」

「何だって?」

「いえ、何でもないです。電気、ありがとうございます」とロビは慇懃に言った。

「僕は別にロビを試してなんかいないよ」

「お寿司、美味しそうに食べますね」

「よく出来ているよ。でも、この切り身からサカナの見た目はどうも想像できないや。君にも一度食べてみて欲しいな。これは嫌味じゃなくて」

「生憎のところ、ご存知のように食道がありませんので遠慮しておきます。電気だってとっても美味しいですよ。刺激的で。味わってみますか?」

「遠慮しておきます」

「私と話している時みたいに、他の人とも話せば良いのに」

「はいはい」と僕はおざなりに相槌をした。

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