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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔導学園列車と特S級呪いの大地

作者: うさぎ番地

 魔法戦争が終わったとき、大地は呪いに汚染されていた。

 皇国の上層部に集められた魔女たちは口々に告げる。

《魔力で走る列車をもって、大地に安寧の魔法陣を刻むべし。さすれば大地は浄化されん!》

 こうして、魔導列車が生まれた。

 一方で、子供の方が魔力が高いので、大抵の魔導列車は学園列車として役割を果たしており、勉学に励む子供たちが大地の浄化を行っている。


 ――教科書『皇国の歴史』より


□□□


 さてその魔導学園列車、――名を《鉄尾》は群がるモンスターに襲われていた。

 赤茶けた大地を疾駆する列車にはさすがに並走できずに、人狼たちは脱落したが、それでもまだ空飛ぶモンスターたちは健在である。その数五十頭。全部、この呪いの大地から生まれたモンスターだ。彼らは大地を浄化されたら消滅してしまう。そのため魔導列車の破壊はモンスターの本能に刻み込まれていた。

 翼竜の群れが先頭機関車に急降下し、その度に鉤爪をひらめかせて鋭い斬撃をお見舞いする。

 動力部たる先頭機関車を破壊すれば、魔導列車が止まると知っているのだ。

 攻撃を受けるたびに、魔導列車に施された防御結界が白く発光し、辛うじて致命傷を防いでいる。しかし、それもいつまで持つか……。結界にはひびが入りつつあった。

 このままでは、任務は失敗だ。呪いの大地に安寧の魔法陣を刻み切れない。現に列車の車輪が描く軌跡は、攻撃される度に軌道がブレ、魔法陣としての態をなさなくなってきた。

《防衛部! 防衛部は何をしているんですにゃ!》

 《鉄尾》が悲鳴を上げる。意志を持った列車である。しかし、猫語だ。

「もう少し待つにゃ! 出撃要請はしているんだけど、応答がにゃいの! あー、もう! 鉄道長もどこに行ったのにゃ!」

 攻撃を受け続ける先頭機関車で私は苛立たし気に応じた。いくら呪いとは言え、栗色の髪の間に揺れる白い猫耳がうっとうしい。語尾も《鉄尾》と同じく自動的に猫語になってしまっている。

 それぞれの呪いの大地では、踏み入る者、大地を浄化しようとするものに対する防衛機構として、呪いが自動的に発動する。今《鉄尾》が走っている呪いの大地には、『浄化者を猫にする』という誰得な呪いが発動していた。

 私はマスターコントローラーを握り、必死に列車を運転していた。この非常事態なのに、先頭機関車には副鉄道長たる私一人しかいない。

 本来、運転も指揮も、魔導列車の最高責任者である鉄道長の役目である。だが、この列車の鉄道長はいいかげんな性格で有名だった。今日もマスコンを私に任せたまま、襲撃前にふらりと後部客車に消えたっきりである。私は副鉄道長以前に十七歳の小娘なのに、全部任せるなんて酷くない?

 しかし、モンスターたちはそんな事情なんか知ったこっちゃない。攻撃はますます激しくなる。防御結界はもう限界だ。一部はもう破れかかって、隙間から空の青と翼竜の白い鉤爪が覗いている。

(もう耐えらんにゃい!)

 私は、乱暴に車内放送マイクを取り上げ、マイクに向かって叫んだ。

『こちら副鉄道長、シャーロット・フォックス! 鉄道防衛部に通達にゃ! あと三十秒以内にモンスターを蹴散らさないと、全員この学園列車から追放しますにゃ! 二十九! 二十八! 二十七! ……』

 ――効果は劇的だった。

 一瞬の沈黙後、後部車両から轟音が響いた。

 すわ客車が襲撃されたのかと思ったが、さにあらず。よくよく耳をすませば、……何十倍に増幅されたシンバルと大太鼓の音である。音楽部の音響魔法だ。

 驚いた翼竜たちが一斉に空に舞い上がる。すかさず、防衛魔術が張りなおされ、《鉄尾》の車体が光り輝いた。更に行進曲が響き渡り、車体強化と自己修復の強化魔法がかかった。

 せっかく追い詰めたのに、これ以上列車を強化されてはたまらないのだろう。焦ったのか翼竜の一匹が、咆哮を上げながら先頭機関車に突進してきた。あの巨体で体当たりされては脱線は必須だ!

『ひっ! そ、総員、対ショック防御にゃ!』

 慌ててマイクに呼び掛けるも間に合わない! 私は襲い掛かるであろう衝撃に体をこわばらせ、目をぎゅっとつぶった。それでもマスコンから手を離さない。そんな私の耳に聞こえたのは通信魔法で囁かれた、”お姉さま”の声だった。

『シャル、大丈夫かにゃ!』

 その言葉を最後に、迫りくる翼竜が横あいからの光弾にふっとばされた。

 翼と猫耳生やしたお姉さまが、焦りながら列車と並走して飛んでいる。背中から魔法の翼――翅天翼を二枚生やした防衛部のエース、榛名伊万里である。

「にゃっ?! お姉さま!?」

『遅れてごめんにゃ、シャル。ゴールはすぐそこにゃ。魔法陣は始点が終点。きっちり結んで、呪いの大地を浄化するにゃ』

 すぐそこ、とお姉さまが差す先を、私は目に魔力を凝らして千里眼で見つけた。魔法陣の始点。魔導列車があそこに到達すれば、魔法陣が完成する。そうすれば――!

『そのための障害は全部排除するのが、うちらのつとめにゃ』

(そのセリフ、もう少し早く聞きたかったですにゃ!)

 お姉さまが片手に光槍を出現させて、翼竜の群れに突っ込んでいく。お姉さまの後を追うように防衛隊飛行部、通称オウル隊二十五名が突撃。素早い動きで翻弄し、翼竜を列車から引きはがしていく。

 一心不乱に《鉄尾》は疾駆する。動力の魔力炉は赤々と燃え、車輪の隅々まで魔力がいきわたる。あと数百メートル! 数十メートル!

 ……とうとう光り輝く魔法陣の始点にたどり着き、始点と終点が結ばれた。魔法陣が完成し、大地から光が溢れる。

 翼竜たちは大地から湧き出す光に吹き飛ばされるように消滅し、呪いの大地は浄化された。

「しゃあ! 五十二番地域のB級呪いの大地、浄伐完了!」

 私は一人きりの先頭機関車でガッツポーズをした。

 猫化の呪いもとけたので、猫耳がとれ口調も普通に戻っている。危なかった。完全に猫化してからでは、大魔法使いでもなければ解くのは難しい。猫にならなくて、私は心から安堵した。

 何より、これから鉄道長とお姉さまを絞り上げねばならぬのに、猫語では格好つかないからだ!


□□□ 


 無害となった大地に停車して一時間。車両整備部の点検が続いている。

 結局、防御結界は破られなかったとはいえ、無茶な運転と苛烈な襲撃に《鉄尾》も疲弊していた。

 しばらく休憩、そして……お仕置きの時間だ。あの緊急時に救援が遅れた理由を、鉄道長と防衛部の部長たるお姉さまに聞かないと気が済まない。

 二人を探して、怒り心頭のまま大股で列車内を歩く。

 生徒たちは怯えて道を譲るありさまである。どのくらい怯えているかというと頼んでもいないのに二人の居場所を教えてくれる程だ。

 そうしてたどり着いた娯楽車両。中は惨憺たるありさまだった。出撃の慌ただしさで荒れたとはいえ、カードや花札やらサイコロが床に投げ出され、掛け金代わりのチップがあちこちに散らばっている。なぜか脱ぎ捨てられた服まで。

 またお姉さま主催の賭け事が行われたのは自明の理だ。そうか、また賭け事に熱中して遅れたのか。

 ちらりと視線を部屋の隅に送る。そこには、お姉さまが一匹の黒猫を抱えながら、テーブルの下でぷるぷると震えていた。バレバレである。

 お姉さまは出撃後にシャワーを浴びたのか、長く艶やかな黒髪がぺったり張り付いていて濡れた子犬のような可愛らしさがあった。……大変嗜虐心をそそられますね。

 私はにっこり笑う。その笑顔を見たお姉さまはおそるおそる這い出てきて、へらりと笑った。

 私は笑顔のままずんずんと近づいて手を伸ばし、がしっとお姉さまの両頬を掴む。ひぇっと、小さな怯えた声がした。

「賭け事に熱中して、出撃が遅れるとは何事ですかー!」

「ご、ごめんなさいー」

 怒りながらお姉さまの頬をむにむにむにと引っ張る。お姉さまはひぇええんと泣いた。反省しているのか無抵抗だ。

 お姉さまの腕の中の猫――もとい鉄道長は可愛らしくにゃあと鳴いて猫のふりをしている。ごまかせると思うなよ!

「しかも、なんで鉄道長が猫になってるんですか!」

「……チッ、ばれたか」 

 黒猫がふてぶてしく小器用に肩をすくめた。代わって説明してくれたのはお姉さまだった。

「あんね、賭けをね、したんよ。野球拳で負けた方が言うことを聞くって。えらい盛り上がって全校生徒が見物にくる有様でね。で、鉄道長が負けはったときにシャルからの出撃要請に気付いて、うちらは出撃して。そうして戻ってきたら、なんでか鉄道長が猫に……」

 私は頭を抱えた。

「なんでもなにも、この大地の“猫化”の呪いじゃないですか! 大人は耐魔力低いから、耐魔術礼装を脱いだら呪いをもろに被るってご存知でしたよね! なんで野球拳なんかしたんです?」

「えーっと、その方がスリルあっておもろいって鉄道長が……」

 そやったよね、とお姉さまが不安そうに鉄道長の顔を覗き込んだ。鉄道長は不機嫌そうに頷いた。

「まぁ、実際楽しかった」

 私は噴火した。

「言ってる場合ですか! 本部戻ったらこってり絞られますよ! どうするんですか、これ」

 あら、とお姉さまが顔を明るくした。

「そしたら、シャルが代わって鉄道長就任は間違いないわぁ。おめでとうねぇ」

 猫が憤慨する。

「そんなことになってたまるか! 見てろよ、俺の実力があればもみ消すことなんかチョチョイのちょいだ! だからお前ら、俺に協力しろください!」

「きょ、協力って……」

 こんだけの不祥事を帳消しにする方法なんて、思いもつかない。

「一発逆転を狙うんだよ。特S級呪いの大地の任務に成功すれば、功績と不祥事が相殺されてトントンだ! まさか英雄をくびにはできないだろうからな」

 お姉さまと私は顔を見合わせた。

「うちら最高でもA級までしか、相手にしとられへんかったよねぇ。実力的に……」

「特S級とか御冗談レベルですよ」

 鉄道長はふふん、と鼻息荒く言った。

「ちょうどいい任務がある。特S級の呪いの大地で行方不明者の捜索と呪いの解明、リスクはあるがリターンも大きい。これをやるぞ」

「リスクは特大ですが、リターンってなんですか?」

 鉄道長は何をわかりきったことを、と言いたげな呆れた顔をした。猫なのに器用な表情筋である。

「お前らの鉄道長様が辞めずにすむんだぞ。超特大のリターンではないか。にゃははは!」

 そう言って、鉄道長はお姉さまの腕の中から飛び出すと、しっぽをふりふり娯楽車両を出て行った。任務の申請書を書きに行ったらしい。

 私とお姉さまはまた顔を見合わせて、同時にため息をついた

「うちな、シャルが鉄道長を目指すために防衛部飛行隊を辞めたとき、落ち込んだんよ。うちの相棒で二番騎やったのに辞めはったのは、うちが至らんせいかなって……」

 思ってもいなかった告白に私は目を剥いた。

「お、お姉さま、それは違います!」

 焦る私に対して、お姉さまは穏やかに言った。

「うん、違うのは今わかったわぁ。シャルが鉄道長になったら、うちら苦労せずに済みそうやね……」

 お姉さまが遠い目をしている……。まぁ鉄道長の無茶ぶりに苦労させられているのは、お姉さまも同じである。

「ああ、はい、もちろん……」

 私も遠い目をして深く頷いた。


□□□

 

 あれから三日、本部からの通達で正式に特S級呪いの大地に派遣されることが決まった。

 任地に向かうまでは学園列車としての日常がある。つまりは授業だ。

 私は車窓から入る風を感じながら、教室車両でクラスのみんなと一緒に授業を受けていた。しかし眠い……。

 ガタンゴトンと机に響く列車のリズムが心地よい。頬杖をついてこめかみを揉み必死に眠気にあがらうも、油断するとこくりこくりと頭が沈みそうになる。教師の小難しい話も眠気を助長させるだけの子守歌にしかならなかった。

『であるからして、脳と腸が相互に影響し合うことを脳腸相関といいます。最近の研究では腸内細菌群《腸内フローラ》が脳へ情報を送っていることが明らかとなり、乱暴に言えば腸が脳を操ることも~』

 ……脳腸相関、ノウチョウソーカン、のーちょーそーかん……。

 ……い、いかん。本気で寝そうだ。

 私は眠気覚ましがてら、特S級呪いの大地の任務を復習することにした。

 ノートに描いたのは、大きな丸である。これが特S級呪いの大地を囲う結界。大きさは大きな街が四つ入るほど。

 ちなみに結界は一般人の立ち入りを防いだり、モンスターを出てこないようにする役割がある。

 そしてここの呪いを浄化しようと一か月前、二百人の生徒を乗せた魔導学園列車アンソニーが突入した。しかし、以後の消息は不明。呪い自体の効果も不明。子供とはいえ浄伐の実績も高い精鋭たちが帰ってこなかったのだ。何度か捜索隊を派遣するも同じく行方不明。本部はこの地を特S級に認定。以降調査隊を募集しつつ、今に至る、と。

 ……なんという危険な任務。《アンソニー》といえば《鉄尾》の僚友で、その乗組員ときたら私たちと同等かそれ以上の実力の持ち主たちだというに、帰ってこなかったとは……。

 道理で本部が嬉々として、任務を言い渡してきたと思った。危険すぎて他に立候補者がいなかったんだろう。鉄道長は功績をあげるつもりだが、果たしてそううまくいくのか……。

 いや、うまくいかせなきゃだめだ。幸い《アンソニー》の行方か、呪いの詳細のどちらかが分かれば任務は成功になる。浄伐はできなくても、この二つのどちらかならあるいは……。

 緊張ですっかり眠気も覚めたころ、車内放送が入った。

『特S級呪いの大地まであと十数キロとなりました。総員、モンスターの襲来に備え警戒態勢をとってください。副鉄道長は先頭機関車に来てください』

 おっと、呼ばれた。皆も警戒態勢と聞いて、それぞれの戦闘系部活に呼ばれないかとわくわくしている。授業もそっちのけだ。教師ばかりがやれやれと首を振って呆れていた。

 しょうがない、私たちは冒険が好きなんだ。


□□□

 

 先頭機関車にいくと、人間の姿の鉄道長がパリッとした制服を着てたたずんでいた。もう猫ではない。本部の方で解呪してもらったのだ(しこたま怒られたが)。

 短髪の黒髪にすっきりしたシルエット。これで性格がよければ、引く手数多なのになぁ、といつも惜しい気持ちになる。鉄道長は私に気付いて振り向くと口を開いた。

「来たか、駅長に挨拶しに行くぞ」

「了解です」

 通常、呪いの大地の結界のそばには、結界を維持している結界守――通称駅長がいる。結界は絶対安全ラインのようなもので、一度も破られたことが無い。なので、危なくなれば結界より外に逃げ出せば安全というわけだ。まさに結界様様である。

 さて結界前、列車が停車した。

 私は鉄道長と連れ立って、青白色した結界のすぐ傍にあるログハウスに入った。しかし、今回の駅長は――。

「ようこそ、特S級呪いの大地へ。駅長のねこですにゃ」

 テーブルの上で香箱すわりしながらも、ぺこりと頭を下げたのは、まごうことなく猫だった。白猫だ。

 鉄道長が困ったように頭を掻く。自分もこの間まで猫だったから気まずいのかもしれない。

「……私ら、こないだ猫になる呪いのかかったB級呪いの大地を浄伐したはずなんですが、もしや関係がありますか?」

 ねこ駅長はニヤリと笑った。

「ねこは、昔その呪いの大地でねこにされましたにゃ」

「なら浄伐も済みましたし、本部に掛け合えば猫化も解いてもらえるはずでは……」

「あいにゃ、誤解しないでほしいのですにゃ。この姿は望んでなっているものなのですにゃ」

 そ、そうだったのか……。私はごめんだが、それが趣味だとしたなら、私たちが口を出すことではない。鉄道長と顔を見合わせて二人で頷き合う。

「わかりました。とりあえず、私たちはこれから呪いの大地に突入します。今回は調査だけですが、五日経っても戻らなかったら本部に通報してください」

「はいにゃ。みなさんお気を付けて」

 何でもないいつも通りの挨拶。

 ログハウスを出て、《鉄尾》に乗り込む。さぁ、これからが本番だった。

 魔力が車輪に集まり、少しずつ進んでいく。こうして私たちは、呪いの大地に侵入したのである。


□□□


 朗報だ!

 結界に入ってすぐ《アンソニー》のわだちのあとを見つけた。

 草原の草花がなぎ倒されている。普通の列車にはありえない、魔法のレールの跡だ。

 どうやら刻みかけの魔法陣の一部らしく、微かに魔力の残り香がする。

 この後を辿れば、いずれ《アンソニー》にたどり着くはずだ。

「早速手掛かりとは幸先がいいなァ」

 先頭機関車で鉄道長が機嫌よさそうに笑う。勿論そのレール跡に沿うように列車を走らせていた。

「そりゃあ、私が必死に行路計算しましたもん。《アンソニー》が魔法陣を刻みながら走っていたのなら、その軌跡は計算通りのはずですし」 

 私はペンをくるくる回しながら、どや顔して見せる。

 もう片方の手には地図。余白には計算式がびっしり。そして地図上には予測される完成された魔法陣の姿。

 幸先のいい出だしに、私たちはうかれていた。任務の成功を半ば確信していた。このままいけば楽勝だと。


 が、手がかりはそこでついえた。


 草原を《鉄尾》が疾駆する。いい風が吹き渡り、実にのどかな風景だ。……しかし、突入してから三日目、何も起きない。

 呪いも発動した形跡はないし、いつまでたっても《アンソニー》はみつからない。今は予測される魔法陣の四分の三近くに来たところだ。事件と言ったら時折モンスターが襲ってくる程度である。それも十分片付けられるレベルの。

 特S級呪いの大地と聞いて緊張していた生徒たちも、気が緩んできてのんきにモンスター飯が食べたいと言ってきた。モンスター飯とは、その名の通り狩ったモンスターを調理してご飯として美味しくいただくことである。

 すっかり飽きてきた鉄道長は、それを許可した。次にモンスターがやってきたら、狩りのちご飯である。 

《鉄尾より、鉄道防衛部に通達! モンスター出現! スケルトン十二、翼竜四、スライム三、人狼十五! 迎撃を開始してください。繰り返します――》

 そら、おあつらえ向きにやってきた! 心なしか、慣れた手つきで《鉄尾》を停止させる鉄道長の背中がわくわくしているように見える。が、私はビスケットを齧りながら、内心くさくさしていた。

 どうせ今回は鉄道長がモンスター飯にありつくに違いない。だから、どうせ私は持ち込んだ食料を食べることになるにきまってる。同じものを食べて二人とも腹痛で倒れたら、誰も列車を運転できなくなる。魔導学園列車が走れる魔法のレールを敷けるのは鉄道長と、副鉄道長たる私しかいないからだ。

 ……実を言うと、滅茶苦茶悔しい。翼竜のガーリックステーキは極上で有名なのに。むきーっ!

 若干白けた気分で、車窓から身を乗り出して外の様子を見る。戦闘系部活のモンスターハンター部五十人が我先にと列車から飛び出していくところだった。

 一人が振りかぶった重斧が鈍い風切り音を立てて、スケルトンを押しつぶした。別の一人は人狼が噛みついてくるのを最小限の動きで躱して、カウンターで剛腕をぶち込んでいく。

 攻防は人間の優位で進行していた。

 と、視界の端に何か赤いものが映った。

「ん?」

「どうした?」

「気のせいかな。モンスターの腹に赤い紋様が見えるんです。ほらそこ」

 指さすも、その人狼は首をへし折られて死んでしまった。途端、腹の紋様が掻き消える。

(死ぬと消えるのか?)

 死んだ人狼を見て鉄道長が首をかしげた。

「……どれだ?」

「いや、別の奴の腹にもありますんで!」

 と、今度は空の翼竜を示すも、誰かの魔法で吹っ飛ばされて焼け落ちていった。

「……どれだ?」

「ちょっと待って下さい! ほらあのスライムですよ! 見てください!」

 と言った端から、そのスライムは魔術使いの魔法で大穴を開けられて、崩れていった。

 鉄道長が目をすがめる。

「……だから、どれだ?」

「――キエエエエエェイ!!!!」

 私はブチギレて、車窓から飛び出した! もはや己の拳以外に信じられぬ!

 着地。手近にいた人狼が驚いて飛びすさる。一瞬で距離を詰め、魔力の籠った拳で急所を殴打する。刹那に十発! 人狼が血を吐いてのけぞる。だが殺さぬ! お主の腹の紋様を鉄道長に見てもらわねばならぬからな!

 ぐらりと倒れ伏しかけた人狼の首後ろの皮を掴んで、ぷらーんとぶら下げる。

 腹の毛皮をかき分けると、地肌の一部が赤く発光していた。

「どうです?! 確かにあるでしょ? 赤い紋様が!」

 ご丁寧に人差し指で人狼の腹を指す。そこには小さな細長い楕円が鎖のようにつながっている意匠の、赤い紋様があった。これで文句も言えまい!

 先頭機関車を見上げると鉄道長が引き気味に頷く。

「お、おう……、あるな、紋様……」

 ハッと辺りを見渡せば、静かなもんである。モンハン部の面々も、モンスターたちも突然の闖入者に目を見開いている。

 私は咳ばらいをすると構えた。

「ついでだ。全員の紋様、あらためさせていただこうかい」

 私の殺気に反応したのか、モンスターたちが気色ばむ。こうならやけだ。とことん確かめさせてもらいましょう!

 私は地を蹴った。


□□□


 二時間後、私は会議室にいた。ゴトンゴトンと列車の走る音が、会議室の緊張感を増幅していく。

「……で、こいつの肉を食うのは危ないと思うんですが! 意見を聞かせてください!」

 バンバンと机をたたく。生徒会戦略会議だ。戦闘系から文化系までの部活の部長が集まり、魔導学園列車の方針を相談する場として重要である。

 だが此度の議題は、「今回狩った獲物は食べられるか」である。重要な議題だ。私としては、腹に謎の紋様があるモンスターなんて、食料呪術衛生面として許可できないと思っている。けして、私だけ翼竜のガーリックステーキを食べられない恨みからではない!

 まず科学部部長が口を開いた。

「今解剖中だけど、普通のモンスターと変わらないよ。なぜかセロトニンが多いくらいで。だから食べても大丈夫だと思う」

 呪術部部長が追撃する。

「この紋様、モンスターの性能がアップするまじないかねぇ。これが、この呪いの大地の呪いかもよ。まぁ、紋様が消えたってことは死んで解呪されたってことだろうし、食っても安全だろうねぇ。一応にラットにモンスターの肉食わせたけど、変化なしだ。ちなみに紋様を使った呪いは紋様が刻まれた部分にのみ作用するんだ。モンスターの腹に刻まれていたってことは、呪い対象の臓器は胃腸、生殖部……」

 サブカル部部長が興奮して立ち上がった。

「生殖部に作用する紋様! なるほど! それって淫紋ってことでs……ぐはぁ!」

 サブカル部の彼はみんなが魔力たっぷりに投げた光弾により、ぼこぼこにされ机に沈んだ。……”いんもん”てなんだろう。よっぽど恐ろしい言葉らしい。

 ぷるぷる震えていると、隣の生徒会長がまとめに入った。

「……つまり紋様が消えたってことは解呪されてるわけだし、食べても大丈夫だってことだよ。翼竜のステーキは絶品だからね。士気も上がるし、食べよう」

 許可が出て、こころなしか皆からよだれを呑み込んだ音がする……。

 ちくせう、だが専門家たちがOKを出すなら仕方ない。私はギリギリ歯ぎしりしながら頷いた。

 よし、いい子だと、生徒会長が褒めるように私の頭をなでる。むぅ、いくつだと思われてるんだろう。

「じゃあ、第百六十二回生徒会戦術会議を終了s」

《鉄尾から、全校生徒へ――。》

 生徒会長が会議終了の文言を言いかけたとき、《鉄尾》から校内放送が入った。

 なんだなんだと耳をそばだてる私たちに、《鉄尾》は弾んだ声で言う。

《《アンソニー》を発見しました!》


□□□


 慌てて、先頭機関車に駆けつけた。確かに少し先に立派な車体が見える。

 とうとう《アンソニー》を見つけた! 草原の中で静かにたたずんでいる。

 旧式とはいえ勇壮な面構え。連なるいくつもの車両部。黒く塗られた車体の鈍い輝き。数々の魔法陣を踏破した、銀色に輝く車輪たち。これが《アンソニー》!

 鉄道長は慎重にマスコンを操り、《アンソニー》の傍に《鉄尾》を停車させた。

 《鉄尾》が、待ちきれないように珍しくはしゃいで嬉しそうに叫ぶ。

《アンソニー、ご無事でしたか! よかった、本当によかった!》

 しかし――、返答がない。先頭機関車にいる私たちにも風が吹く音しか聞こえなかった。

「……様子がおかしいな」

 鉄道長が険しい声で独りごちる。確かに、二百人も乗っているにしては静かすぎた。

 私も緊張で声が自然と張りつめる。

「……近くに行ってみましょう」

「何があるかわからん。防衛部に護衛を頼もう」

「はい!」

 私は校内放送用のマイクを取り上げた。

 いやな胸騒ぎがする。


□□□


 どうにも人の気配がしなかった。


「だめだ、こっちは誰もいない」

「こっちもだ。どうなってんだ?」

 戦闘系部活の部員たちを集めて《アンソニー》に乗り込み、手分けして内部を捜索する。しかし、人っ子一人見つからなかった。

 先頭機関車、教室車両、図書館車両、食堂車両、部室車両、寮車……。隅々まで探索しても人影さえ。二百人いた乗組員はいったいどこに行ったのだろう。

「まるで、消えてしまったかのようやねぇ」

 お姉さまが、教室車両に整然と並べられた机を撫でながら言う。つーっとなぞった指の腹にはうっすら埃がついていた。

「それもいなくなってから、相当経つみたいやわ」

 ふっと指先を吹くお姉さまを見ながら、私は思考に沈んでいた。

「食料保存庫は空でした。モンスターに漁られたわけでもなく、人の手で持ち去られたのかと……」

「食料持ってみんなでどこかに出かけたのかしらねぇ。あらちょっと楽しそうやわ」

「お姉さまピクニックじゃないんですから」

 疑問はもう一つある。魔法陣を四分の三も完成しておいてなぜ任務放棄をする必要があったのか。しかも車体は綺麗だった。モンスターの襲撃で逃散したとも思えない。

 謎は深まるばかりである。

「あぁー、何が起きたか誰か見ていた人がいればいいんですけどねぇ」

 頭を抱えて、独りごちると、お姉さまは何でもないように言った。

「んー、ひとりは居はるよ」

「え?! どこにいるんですか? 人っ子一人いないのに!」

「人にカウントしていいか分からんけどねぇ」

 といって、お姉さまは笑う。

「《アンソニー》や。忘れた? 魔導学園列車はみんな喋りはるんよ?」

 その手があったか! 私は慌てて、鉄道長に知らせに行った。

 しかし――。

「……魔力炉がカラですね。喋ることもできないのはこれが原因でしょう」

 車体の下から這い出てきた車両整備部部長が言う。

 彼が言うには、旧式の魔導列車アンソニーは雷属性の魔力で動くらしい。古くはこれを“電車”といった。

 つまりアンソニーを喋らせるには、魔力炉に雷属性の魔力を注入しなければならない。

 ちなみに、普通は供給が止まりたてでも魔力炉には何日か走れる魔力が残るらしい。が、ここまでカラだと、放置して一か月は固いということだった。

 鉄道長が頭を掻く。

「あっちゃー、うちは雷属性の魔力を持ってる奴少ないからなぁ」

「でもやるだけやってみましょう。ダメで元々ですし」

 とか偉そうに、言ってみるも私は炎属性だった。我ながら肝心な時に使えない奴である。

 まぁ、ともかくやってみようということになった。授業を中止して、雷属性の全校生徒で魔力を注入する。

 が、全然足りない。メーターの1%が埋まったくらいである。フルにするには雷を落とすぐらいの魔力が必要らしい。

「ダメか……」

 がっくりきて、諦めかけたその時。整備部長が驚いたように声を上げた。

「あ、ちょっと待って下さい! エンジンがかかりました! すごいな、全然足りない魔力量なのに」

 その言葉の通りだった。ゴォンと重い音を立てて、《アンソニー》が身震いした。計器類の針が回り、操縦席に明かりがともる。――起動した。

 ゴォオオという重い待機音に負けないように部長が叫ぶ。

「鉄道長、何か聞くなら早くしてください! あんまり持たない! 残り魔力量1%もない!」

 鉄道長が慌てて口を開いた。

「《アンソニー》! 何があった! 乗組員たちはどこに行ったんだ?!」

《……sぐに、お逃げくだ、さい! 彼らの、ことは、あきらmて、くだs……》

 そこまで言った時が限界だったんだろう。待機音がシュウウンと途絶えた。《アンソニー》は停止した。

「おい、《アンソニー》?!」

「……ダメですね。魔力量ゼロです」

 整備部部長は肩を落とした。たった一言告げるためだけに全魔力を消費したようなものだ。よく頑張ったと思う。

 鉄道長が顎をさすりながら《アンソニー》の言葉を繰り返す。

「すぐに逃げろ、乗組員たちのことは諦めろーーか」

「諦めきれませんよ、そんな!」

 私が憤然と抗議すると、鉄道長は肩をすくめた。

「俺も尻尾振って逃げるなんて御免だよ。まぁ、ここまで魔法陣を描いたんだから、先にうちで残り二十五%を描き切ろう。乗組員の行方不明が呪いによるものなら、浄伐して無害になった大地を捜索した方が安全性は高い」

「結局はそうなりますか……」

「慌ててもしょうがないさ。今日はここで停泊しよう。乗組員がいなかったとはいえ《アンソニー》発見には変わりない。任務のひとつは終わりだ。……だから、お祝いに今日はモンスター飯だ!」

 ここでモンスター飯かい! と突っ込んだのは私だけで、他のみんなは、おおー!! と喜んでいる。

「楽しみやねぇ、翼竜のガーリックステーキ」

 お姉さまときたら、よだれが湧くのを止められないようだ。

「お姉さま、私……」

 食べられないんです……、とはさすがに水を差すようなことは言えず、私はただしょんぼりするだけだった。


□□□


 夕飯の時刻、《鉄尾》の食堂車は大盛況だ。みんなのトレーには、翼竜のガーリックステーキ、人狼のしゃぶしゃぶ鍋、スライムのゼリーよせ、翼竜の巨大な腸詰め(ソーセージ)等々豪華なモンスター飯が並んでいる。

 よだれが出そうなのに、なんと私は食べられない! 共倒れを避けるため鉄道長と同じものは食べられない規則があるのだ! 紋様があるのは危ないと言っても聞き入れてもらえなかったしな!

 シャーロット・フォックス! 怒りの納豆三パック! 

 私は、無表情でひたすらねりねりと納豆をかき混ぜていた。これだけあると匂いもすごい。ステーキの匂いが台無しになるのを恐れてみんな近づかない。だから私の周りだけテーブルはがら空きになっていた。

「あらあら、昨日も一昨日も食べはってたね。シャルの納豆三パック。イライラしたり、元気出したいときはいつもこれやもんね」

 くすくすと笑いながら、トレーを持ったお姉さまがやってきた。

 ここ、座ってもええ? と隣の座席を示されたので仏頂面で頷く。どうせお姉さまもモンスター飯なんだ。納豆食べてる私の横でモンスター飯を食べる気なんだ、ちくせう!

 それでも気になるので、ちらりと横目でトレーを覗く。……なんとモンスター飯ではなかった。トレーの上には、納豆とキムチとどんぶりご飯が乗っているだけである。驚愕してお姉さまの顔をみると、お姉さまはふふふっと楽しそうに笑っていた。

「うちも納豆食べたくなってん。シャルとおそろいやねぇ」

 お、お姉さま。私のことを気遣って……!

「お、お姉さまぁ!」

 納豆をほっぽり出して、おもわずひしと抱きつく。さすが私のお姉さまだ!

「あらあら、シャルは甘えんぼさんやねぇ」

 ぎゅっと抱き返されて、ぼわっと心があったかくなる。こころなしか私たちの花が周りに咲いているようだ。そう、ユリ科の花が。

 そうだ、モンスター飯がなんだというのだ。私にはお姉さまがいる。お姉さまはモンスター飯にも勝るのだ。

 私とお姉さまは笑いあうと、一緒にねりねりと納豆をかき混ぜる作業に戻った。飯テロには匂いテロだった。


□□□

 

 夕飯の時間も終わり、食堂車は歓談する者でいっぱいだ。

 夜食にと各テーブルに置かれたクラッカーとクランベリージャムも絶品である。

 納豆テロはやりすぎたのか、私とお姉さまのテーブルの近くだけ窓が開けられていたが、私はお姉さまがいれば無問題である。

 私とお姉さまもカードに興じている。お姉さまはこの前、賭けカードのやりすぎで出撃が遅れたのを随分気にしていたらしく、今日まで自重していたとのことだった。しょんぼりした顔で言われたが、私の胸は愛しさでいっぱいだった。あー、もう可愛い! 大好き!

 お姉さまとはいっぱいはしゃいで、いっぱいおしゃべりした。最高に楽しい時間だった。周りの音は耳に入らず、二人っきりの世界。

 ――だから、気付かなかったのだ。食堂車に異変が起きていることを。


□□□


 ふとした会話の合間のことだった。

 どさっ、と何かが床に倒れる音がした。私とお姉さまはハッとして、音の発生源を探した。見ると一人の生徒が腹をかかえて床に丸まっていた。苦しんでいるのかうめき声が聞こえる。

「!? あなた、大丈夫?」

「な、何が起こったん?」

 二人で慌てて駆け寄る。彼は脂汗を流して、目をぎゅうっとつぶっていた。

「痛い……、痛いぃ」と、息も絶え絶えに喘いでいる様は、聞いていて辛くなるほどだった。

 彼の薄いTシャツ越しに、手で押さえつけている腹が赤く輝いている。

(赤い光――? まさか!)

「ごめんね、ちょっと見せてねッ……!」

 膝をついて口早に許しを乞うても、苦悶の呻きしか返ってこない。私は問答無用で、彼のシャツの裾をまくり上げた。

 そこには例のモンスターたちと同じ、赤い鎖のような紋様がうっすらと腹に刻まれていた。

「! お姉さま、これ!」

 慌てて、お姉さまを振り仰ぐと、お姉さまは立ったままあらぬ方を見て絶句していた。

「シャル……、これ、みんな倒れはってるよ……」

「なっ!?」

 急いで見回すと、机に突っ伏したままぜえぜえと喘いでいる人、長椅子に丸まってうめき声をあげている人、床に倒れ伏して気絶している人、……たくさんの生徒たちがお腹を抱えたまま苦しんでいた。

「な、なんで?! 集団食中毒? で、でも食材にしたモンスターは死んで解呪されたから大丈夫だって……」

 思わず、自分の制服をめくってお腹を確認する。……何もなかった。なめらかな肌があるだけだった。

 お姉さまも自分で確認していたが、お姉さまにも紋様は無いようだった。

「お姉さま、これって……」

「モンスター飯食べはった人が倒れてるんやろか……」

 二人そろってポカンとしているが、そんな場合ではない!

「お、お姉さま、医療車両に連絡しましょう! 私たちの手には負えません!」

「……そやね!」

 私が食堂車備え付けの内線電話に手を伸ばしたときだった。

 ガシャーン――! と、唐突に車窓が割れた! しかも全部!

「ッ――!?」

「!? シャル、伏せぇ!」

 お姉さまが、私の足を払って床に崩す。そして、お姉さまは私の上に覆いかぶさった! 

(ガラスの破片から守って下さっているのか! でも、それじゃお姉さまが……!)

 ほんとは、私がお姉さまを守らなきゃいけないのに! もがくと、お姉さまが私の耳に唇を寄せて言う。

「しーっ! この分やと、モンスター飯食べはった鉄道長も倒れてるやろし、この列車の指揮権は臨時で副鉄道長のシャルに移ってるはずやわ。だから、うちはシャルを守らなあかん。シャルまでどうにかなったら、この列車は終わりや。……な、守らせてな。大丈夫や、うちは強いから」

 そう言ってお姉さまはにっこり笑った。

(お、お姉さま……!)

 抵抗をぴったり止める。シャルは偉いなぁと、お姉さまが宥めるように私の頭をなでる。

(くそっ、私がしっかりしないと、お姉さまに負担をかけてしまう……! 状況を把握しろ、シャル。一体何が起きた!?)

 お姉さまの腕の隙間から必死に辺りを見回す。

 割れた窓から誰か侵入してきた! それも複数人。

(!? 誰だ?)

 耳は更に大勢の足音を捉えていた。食堂車の入り口からだ。上に覆いかぶさったままのお姉さまに耳打ちする。

「お、お姉さま、誰か来ます!」

「……わかった。テーブルの下に隠れよ」

 二人で素早くテーブルの下に潜り込む。体勢を低くしたまま辺りに視線を走らせる。目に入ったのは正体不明の奴らのブーツがたくさん。うちの生徒のものじゃない。だってうちの指定靴はブーツじゃない。

 そんなこと考えている間にも、食堂車は侵入してきた正体不明の人たちでいっぱいになってきた。

 見つからないようにテーブルの下から慎重に見上げる。そうして私もお姉さまも目を見開いた。

 ――侵入者は行方不明になった《アンソニー》の生徒たちだったのだ! 本部で顔写真を見たから分かる。制服も《アンソニー》の生徒たちに間違いなかった。

 ただ、彼らの制服は皆お腹の部分が切り取られている。そしてそこには赤い鎖のような紋様。

 昼に見たモンスターたちと、倒れ伏しているうちの生徒たちと、全く同じ紋様だった。


□□□


「連中、倒れはってる生徒たちのお腹を確認してる……」

「紋様がないか確かめてるんでしょうね」

 確認するためだろう。倒れている生徒たちの服を、同じく腹の部分だけ切り裂いている。迷いがない手つきだ。誰かに操られているのだろうか。

 しかし、紋様を確認した後は何もせず放っておいているのが、不気味であった。

 彼らの表情は虚ろで、その動きは機械的だった。その口から漏れ出るのは、「あー」とか「うー」とかいううめき声である。時折「フローラ様」と誰かの名。とても正気だとは思えなかった。

「お姉さま、どうしましょう。この人数だといずれ見つかります!」

「なんとか倒れている人たちに紛れ込めればええんやけど……」

 ふと、辺りを見回すと夜食のクランベリージャムの瓶がテーブルの下に転がっていた。ジャムの色は赤である。……賭けてみるか。

「お姉さま、賭け事お得意でしたよね」

 私がとってきたクランベリージャムの瓶をみて、お姉さまも察したらしい。思わずといった感じで顔がほころんでいる。

「ふふ、無謀な賭けは趣味やないんやけどなぁ。ええよ、うちはシャルに賭ける」

 私は頷くと、自分のお腹にクランベリージャムを塗りつけた。例の紋様をまねるように、鎖の形に。お姉さまもご自分の制服をめくりあげると、ジャムでお腹をなぞる。

(うまくいけばいいけど……)

 一番いいのは見つからないことだが、そうもいっていられないようだ。テーブルの下を覗き込んでいる奴がいる!

 私とお姉さまは、慌てて床に転がった。

 そいつは「あー」と一言呻くと、私の足を掴んで、テーブルの下から引きずり出した。明かりが眩しい。とっさに目をつぶり腹痛で苦悶しているふりをする。

 制服に奴の手が掛かる。薄目で見上げると、その手にはハサミ。ジョキジョキとお腹部分の制服を切られる。肌に冷たい鉄の感触。お腹を見られている。奴の目にはジャムで偽装した紋様が見えているはずだ。奴の手はぴたりと止まった。

(ッ……ダメか?!)

 奴はしばらく止まっていたが、「あー」と、うめき声一つ残して私から離れていった。

(……助かった)

 横にはお姉さまが投げ出された。同じく制服のお腹部分を切り抜かれたが、それだけである。紋様もうまく誤魔化せたようだった。

 ほっとしたのもつかの間、隣の車両から声が聞こえた。

「痛ってぇ! なんだお前ら! どこから来やがった!」

 虚ろな《アンソニー》の生徒に連れられ、食堂車に現れたのは腕を後ろ手に縛り上げられた《鉄尾》の生徒。白衣を着ている。――科学部員だ。同じく制服のお腹の部分を切り裂かれているが、そこに紋様はない。モンスター飯を食べなかった生徒のようだ。そのまま反対のドアを通ってどこかに連れていかれた。

 気にしている余裕はなかった。なぜなら、《鉄尾》の生徒たちが一斉にゾンビのようにゆらりと立ち上がったからである。私とお姉さまも合わせてゆっくりと立ち上がった。

 ガタンと車輪がきしむ音がする。列車も動き出した。

(列車を動かす魔法のレールを敷けるのは、私か鉄道長のはず……。鉄道長やっぱり操られて……)

 立ち上がった生徒たちは、列車の中をそれぞれ好き勝手に動き始めた。《アンソニー》の生徒と同じく、「あー」とか「うー」とか口にしながら。

 私とお姉さまは、バレないように先ほど連れ去られた正気の科学部員の後を追った。

 さざめくゾンビの群れは、口々に「フローラ様、フローラ様……」と唱えている。

 異様な雰囲気に呑まれながらも、私たちはどこまで正気を保てるのか不安だった。


□□□


 連れていかれた科学部部員は倉庫に閉じ込められていた。他にもう一人、呪術部部員もいる。

 二人は私とお姉さまの腹に描かれた紋様を見てぎょっとしていたが、指先で一部拭って見せるとそれがジャムのフェイクだと気づいたようだ。ほっと胸をなでおろしていた。後ろ手に縛られた縄を解いてやる。

 四人で集まれば、自然と口にのぼるのは今回の異変のことだ。

「……でやっぱり、あのモンスター飯が異変の原因だとおもうんですけど」

 科学部員が口を開く。

「普通に考えればな。俺もこいつもモンスター飯は食ってねぇ。食ったやつだけゾンビみたいになってると見た方がいい」

 そう言って、呪術部員を指さす。彼はビクッとした。動転しているのかおどおどしている。私は疑問に思っていたことを聞いてみた。

「でも、食材にしたモンスターは死んで紋様が消えてました。つまり紋様が消えたってことは解呪されてるわけだし、食べても安全だって生徒会長が……」

「それな。多分紋様が消えて解呪されても、呪いの感染力は残っていたんだと思う。《死肉を食った者に呪いを付与する》とかそんな呪いだったんだろうな」

 呪術部員が反論する。

「で、でも、死んだモンスターそのものからは、呪いは感染しなかったんだ! ラットにモンスターの腕の肉を食べさせても、今回みたいな、あ、操られるなんてことはなかったし……! だから安全だって思って……」

 呪術部員は責任を感じているのか、尻すぼみにうつむいた。

「てぇと、肉じゃなくて、モンスターの《何か》によって感染したってことだろうけどな……。かといって肉以外飯にださないだろうし、一体なんだ?」

 専門家が見過ごす《何か》なんて分かるはずもない。思わず頭を抱える。お姉さまも遠い目をしてる。

「何かはわからんけど《アンソニー》の生徒たちも、それにやられたんやろな……。だから帰ってこなかったんやねぇ……」

「具体的にどんな呪いなんでしょうね。ゾンビになる呪い?」

 呪術部員が恐る恐る口を開く。

「ぞ、ゾンビにしては、組織だった動きだと、お、思う。だ、誰かに命令をうけて、――お、恐らく、ふ、《フローラ様》という人に操られている、の、かもしれない」

「お前らも聞いただろ。ゾンビみたいになってる連中が「フローラ様、フローラ様」言ってるのを。今回の列車の襲撃も《フローラ様》の指示かもしれないぜ」

「一体誰なんだ、フローラ様とやら……」

「こ、これから会えると思う。列車の行先は多分、ふ、《フローラ様》の元だ。……だから、こ、これはチャンスだと思う」

「チャンス、ですか?」

「た、大抵、こういう呪いは、操っている人を、倒せば、皆、元に、戻るって、決まってる……」

「だから、俺たちの誰かが、《フローラ様》に近づいて倒す。そうすればみんな元に戻るさ」

 倒す……? そ、そんなことできるわけない! だ、だって……。

「ちょっと待って下さい! モンスターの例にもある通り、紋様消して解呪するためには殺さなきゃいけないんでしょう?! も、もし《フローラ様》が人間だったら、私たち人殺しに……!」

 科学部部員は、静かなだけど決意に満ちた声で言った。

「例えそうだとしても、やらないとダメだ。お前は副鉄道長、いや今となっちゃ、臨時でも鉄道長なんだ。皆に対する責任がある」

 お姉さまが慌てて反駁した。

「う、うちがシャルの代わりにやる! 組織のトップの手は綺麗やないと皆がついてこんからね! だから安心してシャル!」

 科学部員はひるまない。

「それこそ綺麗事さ。どの道、シャルが命じて、シャルが責任取るんだ。組織のトップってそういうもんだ」

 それもまた真実だった。私も、……か、覚悟を決めないと。お姉さまに汚れ役をやらせて、自分は知らんぷりなんてできない。何が起ころうとも責任は私にある……!

 私は固唾を飲んで、震える声で言った。

「わ、わかった。《フローラ》を仕留めて、皆を呪いから解放し、皆でこの呪いの大地から脱出しよう。そのための責任は、全部私が負う!」

「しゃ、シャル……」

「よし、よく言った! これで俺たちも動きやすくなる。誰が《フローラ》を殺すことになってもためらうな、気を病むな。全部の責任はトップが背負う。ただそれを刃を鈍らせるための言い訳にするな、特にお前だ。鉄道防衛部部長」

 打ちひしがれているお姉さまに向かって、科学部員は容赦なく告げた。お姉さまはのろのろと顔を上げて、私を見つめた。可哀想に涙目になっている。

「しゃる、シャルはそれでええの? 何が起きても、何も言い訳できないんよ」

 私も石を呑んだような重苦しさは消えないが、それでも覚悟を決めた。

「お姉さまの気持ちは嬉しいです。でもだからこそ、私が責任持たなきゃ。そもそも皆を守りたくて、私は鉄道長になりたかったんです。私が責任負うことで、皆の心が守れるなら安いものですよ」

 そう言って、ぎこちない笑顔を向ける。一番守りたかったお姉さまの心を傷つけているかもしれない。でも、これが一番の選択だ。いつか必ずお姉さまも分かってくれる。

「……わかった。でもシャル、いざというときは私が《フローラ》をやるからね! シャルにだけ辛い思いはさせへんから……!」

「お姉さま……」

 お姉さまの覚悟に胸がいっぱいになった。その言葉だけで、もう十分なほどに。

「……まぁ実際に誰がやるかは、誰が《フローラ》の近くにいけるかにかかっているだろうな。問題はどうやって近づくかだが……」

 魔術部員が困ったように口を開いた

「て、転移魔法使えれば、《フローラ》の後ろに転移してざっくりも、で、できるんだろうけど。そんな上級魔法、つかえる、人なんて……」

 いや、ここにいますけど、お役には立てなさそうです。と思いながら、恐る恐る手をあげる。

「あの、私使えますけど、せいぜい小さなものを近距離間で転移させることしか……。人の転移なんかとても無理です」

「……まぁだろうな。結局、操られた振りをしてどうにか近づくしかないか」

 成功率は低そうだ。四人そろってため息を吐く。

 と、お姉さまが口を開いた。

「なぁ、科学部員はんに呪術部員はん。他に気付いたことあらへん? 少しでも《フローラ》に近づけるヒントになるかもしれへんし」

「他に? うーん」

 悩む科学部員に対して、呪術部員の方は何か言いたげである。

「な、なんで紋様が、腹に出たのか、とても、ふ、不思議……」

「あ、そうだ。俺もそれがおかしいと思っていた」

「どういうことです?」

「普通人間を操るときは、頭に紋様を刻んで脳に作用させる。なのに今回は腹だ。……なんで腹に紋様刻んで人を操れるんだ?」

 それを聞いて、ふと頭をよぎった。

 そうだ、生徒会戦略会議で呪術部の部長が言っていた。

『ちなみに紋様を使った呪いは紋様が刻まれた部分にのみ作用するんだ。モンスターの腹に刻まれていたってことは、呪い対象の臓器は胃腸、生殖部……』

 その言葉が正しければ、あの紋様は胃腸や生殖部等々にしか作用しないはず。どうして脳に作用して人を操れるんだろう。

 考え込む私をちらりと見て科学部員は言った。

「……今は答えは出ないかもしれない。だが、考え続けていれば突破口になるかもしれないな」

 だけど、と彼はつづけた。

「だけど、実際襲撃時になったら頭を切り替えろよ! 考え事して人は殺せないぞ!」

 叱咤しているようで、その実自分に言い聞かせているようでもあった。この人も人を殺す事態なんて初めてのはずだ。

「……はい」

 返答は自然と重々しいものになった。覚悟してもこのありさまである。自然とため息も出る。

 その時、ガクン、と列車が停止した。いよいよ敵地である。

 私は持ってきたクランベリージャムの瓶を二人に渡した。腹に塗れば連中を騙すことができる。

 四人で視線を交わし、頷く。このうちの誰かが《フローラ》を殺す。それが皆を救う最善手だと信じて。

 

□□□

 

 外は夜半。こんな事態なのに星が綺麗だった。

 ゾンビのような皆に紛れて、ぞろぞろと《鉄尾》を降りる。ゾンビたちは走れないようだった。先導は《アンソニー》の生徒達である。行軍中、ずっとうめき声と例の《フローラ様》を呼ぶ声で頭がおかしくなりそうだった。

 ……少し歩くと、驚いたことに、森を背にした村ができていた。それもおぞましい村が……。

 松明が赤々と燃えているが、それに照らされているのはグロテスクな肉塊に埋もれたログハウスだ。それがいくつも立ち並んでいる。肉塊には赤い紋様が刻まれており、どくどくと蠢いていた。……生きているのか。

 吐き気をぐっとこらえる。お姉さまも息を呑んで言葉も無いだった。

 私たちは村の真ん中の広場に集められた。立派な演台がある。

 しばらくして、ログハウスから《アンソニー》の生徒たちが出てきた。

 おや、と思ったのはその動きが人間じみたものだったからだ。《鉄尾》を襲撃した《アンソニー》の生徒は機械じみた動きだったのに。ログハウスから出てきた奴らの制服は同じく腹部だけ切り取られている。が、その腹の紋様はより濃く複雑化していた。

 ログハウスから出てきた《アンソニー》の生徒が叫ぶ。

「《新たなる感染者達》よ! 整列せよ! 《フローラ様》がお出ましになるぞ!」

 喋れるのか! 私たちの驚きをよそに、ゾンビたちが地獄の底のような声で快哉を叫ぶ。いや、それよりも《フローラ》が来る?!

 私とお姉さまは慌てて前の方に移動した。大勢のゾンビたちに紛れているが、あの科学部員も呪術部員も、演台に近づいているに違いない。暗殺のチャンスだからだ。

 ……よし、いい位置に陣取れた! 演台からは死角になるが、まっすぐ襲撃しやすい位置である。

 緊張で肩をこわばらせる私を見て、お姉さまは私の頭をぽんぽんと撫でた。

「大丈夫や、シャル。この暗殺の結果何が起きても、うちはシャルの味方や。だからあんまり緊張せんと、力を抜き」

 緊張しすぎると、実力を十分に出せなくなるんや。と、お姉さまは笑う。

 確かにそうだ。緊張しすぎては失敗する。人殺しの覚悟が決まったかといえば、心の内ではまだ認めたくない気持ちもある。でもそれは言い訳にならない。ならば遂行することだけに、全神経を集中せねば。

 私はお姉さまに頷き返した。

 と、そのときざわっと空気がざわめいた。

 一人の女性が現れたのである。《アンソニー》の生徒が叫ぶ。

「《フローラ様》、ご臨席!」

 ゾンビたちが一斉に歓声を上げた! 女性は歓声に手を振り返しながら、演台に上っていく。

 その女性のお腹の紋様は禍々しいまでに濃く、意匠は凶悪だった。まるで極太の鎖で戒められているかのような。しかし、それよりも目を引いたのは――。

 私は開いた口が塞がらなかった。《フローラ様》の顔に見覚えがあったのだ。

「シャル、シャルどうしたん?!」

 目を見開いて硬直している私をみて、お姉さまが焦ったように聞く。

「お、お姉さま。あの人、《アンソニー》の鉄道長です!」

「え、鉄道長!?」

「いえ、それより、……あの人の名前フローラじゃないんです。アンジェラなんです! どうしよう、別人かもしれない!」

「シャル、落ち着き! 騒いじゃあかんよ。バレてしまう!」

 お姉さまは私の口を慌てて塞いだ。幸い周囲の歓声に紛れて、私の声は他の人には聞こえなかったようだ。

「……事情はわからへんが、呪いを受けて呼び名が変わったのかもしれへん。ともかく周囲が《フローラ》と呼んでいるなら、もうあの人は《フローラ》としか考えられへんよ」

「ですがお姉さま……!」

 お姉さまが宥める口調で言う。

「しー。わかった。ちょお様子見よ。もしかしたら、シャルの言う通り《フローラ》の替え玉かもしれへんし」

 な? と、お姉さまは小首を傾げてにこりと笑う。はっとして口をつぐむ。またお姉さまの手を煩わせてしまった。

「……お姉さま、すみません」

 私はしょんぼりとした。ため息を吐く。

 私は暗殺に怖気づいたのだろうか。……いや、違う。何かがひっかかるのだ。彼女の本名が《フローラ》ではないことに。このまま暗殺を実行したら絶対に後悔する気がした。

「ええんよ。あの二人も暗殺に乗り出した気配がないし。こっちと同じく様子をみることにしたかもしれへんわ。……あ、ほら、演説が始まるようや」

 お姉さまが演説台の《フローラ》に視線を移す。

 《フローラ》は場が鎮まるまでしばし壇上でたたずんでいたが、息を吸ってようやく口を開いた。

「《新たなる感染者》の諸君! 我々の村へようこそ、歓迎しよう! 諸君らの《フローラ》はまだ馴染まぬだろうが、いずれ《フローラ》の命に従い、一騎当千の活躍を成すことを期待している! 存分に働きたまえ!」

 ゾンビたちの歓声! 耳が割れそうだ。

 お姉さまは「《フローラ》の一人称、《フローラ》なんかな? ちょっと気が抜けるねぇ」と、それこそ気が抜けるようなことを言い出した。

 演説は続く。

「我々は人間たちに虐げられてきた。《フローラ》を構成する百兆三百種類もの敵を蹴落とし、勢力逆転して我々が頂点に立とうとも、人間たちの都合で一気皆殺しの憂き目に遭うこともあった! そして細々と生き残った我々はまた勢力の逆転を願う毎日……。 しかし、もうその雌伏の時は終わった! 人間の身体を手に入れた今、《フローラ》は我々一勢力に染め上げられた! まさに一体となり人間たちに復讐するときだ! 我々はこの呪いの大地を母胎に羽ばたく! そして、世界に我々の楽園を作り上げるのだ!」

 また地鳴りのような大歓声! 空気がビリビリと震え、背筋がぞわぞわした。演説に恐怖したからではない。演説内容に混乱したからだ。

「ふ、《フローラ》が百兆三百種類もいるん? え、多重人格? 敵って何?」

「人間たちに皆殺しにされたって……。百兆人もですか? そんな大ニュースどこにも……」

 ……いや、と私のなかで何かが引っ掛かった。私はどこかで聞いたことがある。百兆もの《フローラ》の話を。それも最近だ。

 ふと考え込む私に対して、……お姉さまは自分の中に整理を付けたようだった。

「……せやけど《フローラ》が生徒たちを使うて復讐を企んでるのはわかったわ。このままにしておけんのも……」

 お姉さまはそっと右手に魔力を集中し始めた。目に決意が溢れている。私の方を振り返ると、私の肩に手を置いて言い聞かせるように口にした。

「シャル、うちは行く。自分で手は汚さず、生徒たちを操って人を殺させようと考える《フローラ》は外道や。それを止めるためなら、うちの手はなんぼでも汚れて構わへん」

 私は目を見開いて、お姉さまを止めに掛かる 

「待って、待って下さいお姉さま! なにか、何か変です!」

 自分の中の違和感が必死にお姉さまを止める。このまま《フローラ》を殺したんじゃ絶対に後悔する。

「……シャル、時間がないんよ。空気が高揚している今が最高のタイミングや。人は祝いのさなかの突然の凶行に混乱する。暗殺止められる可能性も低くなる。そう、今やないとッ――!」

 お姉さまはそう言って、背中から翅天翼を二枚生やし、ゾンビたちの頭上をギリギリを飛んで行った。

 自分も慌てて背中に翅天翼を展開する。お姉さまの後を追った!


 考えろ――。違和感の正体を! 取り返しのつかない事態になる前に!

 刹那の時間に、脳はこれまで感じた、たくさんの違和感を映し出す。

 生徒会戦略会議の、呪術部長の言葉。『呪いは紋様が刻まれた部分にのみ作用する。胃腸、生殖部……』

 呪術部員の言葉。『なんで腹に紋様刻んで人を操れるんだ?』

 百兆三百種類もの敵で構成される《フローラ》。

 

 なぜか最後に思い出したのは、うたた寝しかけた生物の授業だった。

『……脳と腸が相互に影響し合うことを脳腸相関といいます。最近の研究では腸内細菌群《腸内フローラ》が脳へ情報を送っていることが明らかとなり、乱暴に言えば腸が脳を操ることも~』


(そうか分かった! 《フローラ》の正体が!)


 飛行スピードを上げる! お姉さまに手を汚させてはいけない! 彼女を殺しても《フローラ》は死なない!

 壇上を誰かが駆け上がった。《フローラ》に迫る。科学部員と呪術部員だ。それぞれの手にはナイフ! 一直線に《フローラ》の心臓を狙う。とっさに《フローラ》が身をよじって避ける! が、はずみで転んだ。

 お姉さまがそれを狙って、空中で右手の光槍を振りかぶる! ――あれに当たったらひとたまりもない!

 お姉さまの横をすり抜けて、最速スピードで《フローラ》に向かって飛ぶ。お姉さまの投槍コースを邪魔するように。

「シャル、避けぇ! 危ないわ!」

「――ッ」

 ……背後から飛んできたお姉さまの光槍が頬を切り裂く。――大丈夫、飛べる。

 再び《フローラ》に襲い掛かろうとしている、壇上の二人に向かって叫んだ。

「殺しちゃだめ! 後悔するよ!」

 叫びながら一直線に飛んでくる私を見て、二人は驚いたように立ちすくんでいる。《フローラ》は四つん這いで慌てて逃げ出そうとしていた。

 私は突進して彼女に飛びついた。紋様のある彼女のお腹と自分のお腹を合わせる。

(転移魔法、展開!)

 お腹が熱くなり、自分のお腹から転移が完了したことを知る。

 どさっと二人して、壇上に倒れた。

 場は静まり返り、ゾンビたちは何が起こったのかよくわかっていないようだった。科学部員も呪術部員も固まったまま動かない。

「お、お前、一体何を……まさか、庇うのか?!」

 私は荒い息をつくと、戸惑う二人に言った。

「違う! 《フローラ》は人じゃない! 皆を操っていたのは《腸内フローラ》だったんだ! つまり腸内の《細菌》だ! 今、彼女の《腸内フローラ》に敵を送り込んだ! ……ほら、逃げるよ!」

 そういい捨てて、壇上から気絶したアンジェラ鉄道長を抱えて飛び出す。私のやったことが正しければ、彼女はもう《フローラ》じゃない。

 我に返ったのか《アンソニー》の生徒達が叫ぶ。

「鉄道長の《フローラ様》が納豆菌に侵略を受けている! このままじゃ《フローラ様》が乗っ取られるぞ!」

「副鉄道長の《フローラ様》は健在だ! 彼を新たな《フローラ様》にしろ!」

 蜂の巣をつついだような騒ぎだ。だがもう遠慮することはない。逃げる一択だ。混乱している今しかチャンスはない。お姉さまも二人も慌ててついてきた。

「な、納豆菌の侵略って!?」

 走りながら呪術部員が聞いてきた。彼も相当混乱しているようだ。私は、並走して飛びながら叫び返した。

「私の《腸内フローラ》、ほぼ納豆菌でできていると思う。一昨日も昨日も今日も納豆三パック食べたし。そして、私の納豆菌群を転移魔法で鉄道長の《腸内フローラ》に送り込んだの!」

「するとどうなるんだ!」

「鉄道長の《腸内フローラ》の勢力が逆転する! 納豆菌は最強だからな! ……この大地の呪いは、とある腸内細菌が人を操る呪いだ。正常な腸内細菌がその腸内細菌を駆逐すれば、宿主も正気に戻るはず!」

「わかった! ここは笑うところなんだな! ははははッ! ……くそっ、そんなアホな呪いがあってたまるかよ!」

「笑いたきゃ笑え! だけど今は逃げ切ることに集中しろ! ほら見えてきた!」


 逃げてきた先、暗闇の中ひっそりとそこにあったのは《鉄尾》である。私たちは先頭機関車に飛び込んだ。

 《アンソニー》の生徒たちが追いすがってくる! 背後から魔法が飛んできた! バチン――と音がして《鉄尾》の防御結界に当たって弾ける。

 早く逃げなければ!

「お姉さま、後部車両を切り離してください! 逃げるには重すぎる!」

「わ、わかった……!」

 お姉さまがレバーを引いて車両連結を解除した。

 と、同時に私はマスコンを操作し、先頭機関車を発進させる。

 ……重々しく駆動音が響き、後部車両を置き去りに機関車は走り出す。追いすがってきた生徒たちも、機関車に飛びつこうとするが、呪術部員が魔法で吹き飛ばした。 

 そうして私たちは全てを置き去りに、闇夜に紛れて逃げて行った。


□□□


 みんなの荒い息が機関車に響く。全速力で走ったんだ、無理もない。私も運転がなければ、床にへたり込みたかった。

「ま、まさか、《腸内フローラ》が人を操るなんて……」

 科学部員が息も絶え絶えに言う。私もマスコンのレバーを握りしめながら荒い息で答えた。

「で、でもそう考えると、全部つじつまが合うんです。『脳腸相関』で腸内細菌が脳に命令していて、腹の紋様も腸内細菌の位置を示していたのなら」

「感染経路は?」

「呪術部長は肉じゃないっていってたから、多分皮だと思います。『翼竜の巨大な腸詰め肉』に使った腸の皮」

「……全部推測だろ? 証明はできるのかよ」

「そ、それは……」

 言いよどむ私に、お姉さまが安心させるようににっこりと笑って言った。

「シャルの推測が正しいかわかる方法があるわぁ。シャルが送り込んだ納豆菌で、人を操る腸内細菌が駆逐されて、アンジェラ鉄道長が正気に戻れば、それは《腸内フローラ》のせいだったってことになる」

 そのアンジェラ鉄道長は床に寝かせたきり、まだ目覚めない。時折苦しそうに唸って、腹を抱えるように丸まっている。お腹の紋様は明滅するように、色が濃くなったり薄くなったりを繰り返していた。

 科学部員は諦めたように肩を落とした。

「……はぁ、まあいいや。もし仮説が間違っていて、本当はアンジェラ鉄道長――俺はまだ《フローラ》だと思ってるけど――を殺せば解決するっていうならその時に殺せばいい」

 呪術部員もこくりと頷いた。その手には未だナイフが握られていた、が、微かに震えている。……そうだ、殺人は怖い。

 お姉さまが疲れ切ったように言う。

「それで、うちらはどないしよか……」 

「一人ひとりの呪いの腸内細菌全滅は難しいでしょうし……。あとは二通り考えられますね。このまま魔法陣の続きを描いて呪いの大地を浄化するか。それとも結界の外に出て救援を呼ぶか」

「そもそも、ここはどこだ?」

 確かに、ゾンビ村に着くまでにどこをどう走ったかわからなかった。

 唯一把握していた《鉄尾》が答える。

《ここは、《アンソニー》を発見した場所から数十キロ。ここから結界までと《アンソニー》までの距離はほぼ同じです》

 昨日は《アンソニー》の居場所まで魔法陣を描き終わった。だから、続きを描くには一度アンソニーのところまで戻らなければいけない。一方で、救援を呼ぶには結界までいかなければならない。

「大地の浄伐にせよ、救援要請にせよ、ここからじゃかかる時間は一緒ってことか。さてどうする」

 しばらくの沈黙。生徒たちは振り切れたとはいえ、日が昇れば、モンスターも襲撃を開始するだろう。たった四人の戦力で救援と浄伐と二つの任務をこなすには、荷が勝ちすぎていた。どちらかの任務しか選べない。

 誰もが選択を迷っている中……弱弱しい声が上がった。

「……《アンソニー》に向かってくれ。運転手が私とフォックス副鉄道長、二人もいるんだ。二つの魔導列車に運転手を一人ずつ配置すれば、それぞれ任務をこなせる。つまり二つの任務の同時進行ができる」

「アンジェラ鉄道長?!」

 よろよろと床から身を起こしたのは、《フローラ》もといアンジェラ鉄道長だった。不意に空気が緊張する。いや、あからさまに殺気じみた。

 科学部員と魔術部員がナイフを素早く構えた。お姉さまも警戒するように右手に魔力を集中させる。私はそれを視線で制しながら、ごくりと唾を呑み込んで、緊張した声で問いかけた。

「アンジェラ鉄道長、あなたは……《フローラ》なんですか? それとも……」

 彼女は頭痛がするのか、頭を抱えながら答えた。

「……もう私は《フローラ》じゃない。不覚を取って腸内細菌に操られていたが、今はもう正気だ。どうやら、フォックス副鉄道長のおかげで、呪いの細菌が優勢だった《腸内フローラ》の勢力が、逆転したらしい」

 科学部員は信じない。

「……証拠は?」

 ナイフ片手にとがった声でそんなことを言う。

 アンジェラ鉄道長は、くりぬかれた服から見える自分のお腹を示した。なめらかで白いお腹だ。あれほど濃く複雑だった紋様が消えていた。

「証拠はこれだ。紋様が消えているだろう? 呪いの細菌が駆逐されて、解呪に成功したんだ」

 しかし、科学部員はナイフを下ろさない。

 アンジェラ鉄道長は科学部員を透徹した瞳で見つめた。

「……納得できないならそれも仕方ない。他に解呪の方法と言えば殺されるしかないが……、必要なら甘んじて受けよう」

 しばしの沈黙。

 ……科学部員は深いため息をついた。憂鬱そうに口を開く。

「……俺だって、殺さずに済むならそうしたい。だから今は引きます。けど、……もし、不穏な動きを見せたらその首かっ切ります。悪く思わないでくださいよ。解呪に成功しても、呪いの感染力はまだ残っているし、もしまた《腸内フローラ》の勢力が再逆転して、呪いの細菌が《腸内フローラ》を占拠したら、またあなたは操られるかもしれない。だからその時は……」

 彼は掲げたナイフの柄をギュッと強く握りしめて決意を示して見せた。

 アンジェラ鉄道長は頷いた。

「わかった。一時的にとはいえ信用してくれて感謝する」

 科学部員も頷いて、ナイフをしまう。殺気は霧散したが、空気は重い。

 私は空気をかえようとわざと明るく言った。

「だ、大丈夫ですよ! もしそうなったら、また私がアンジェラ鉄道長のお腹に、納豆菌送り込みますよ。私の納豆菌は最強ですから!」

「そうか、ありがたいな。その時は頼む」

 ぺこりと頭を下げられた。アンジェラ鉄道長、お固い。まるでおとぎ話に聞く謹厳実直な騎士のようだった。

「……とりあえず、話を戻そなぁ。作戦上、鉄道長はんが復活したことはおめでたいわ。とりあえず、うちは鉄道長はんの作戦に賛成や。一挙両得は素直にお得やし」

 さすがお姉さま。ごく自然に話題を戻した。

 呪術部員が、ふと何かに気付いたのか、口を開いた。

「ま、魔導列車二つで、ふ、、二つの作戦を、同時進行、は、いいん、だけど……」

「わかってるわぁ、問題は《アンソニー》の魔力炉がカラで使い物にならへんことやろ?」

「そうか、あれから一か月もたてばそうなるか。迂闊だったな……。このメンバーでの魔力供給では足りないだろうし、どうするか……」

 そ、そうだった。全校生徒が魔力を込めてもメーターの1%しか埋まらなかったのだ。たとえ五人で魔力を注入しても、全然足りないことは想像に難くない。それ以前に雷属性の魔力しか受け付けないのだ。フルにするには雷落とすぐらいは必要らしいし、どうしよう……。

 しかし、お姉さまはたわわな胸を張った。

「任せとき。うちに考えがあるさかい。鉄道防衛部部長の名に懸けて《アンソニー》を動かしたる」

 堂々たる威風だ。思わず頷きそうになる、が、一体どうすればそんなことが可能なのか。

「ど、どうやってですかお姉さま」

「ふふふ、今の天気ならちょおできることを使うてな」

 そう言ってお姉さまはウィンクした。今日の天気……。夜中で曇りがちで雷の気配なし。強いて言えば、今日は蒸し暑い。……うーむ、さっぱりわからん。

 グダグダになりかけた気配を見越して、科学部員が総括する。

「よし、方針は決まったな。《アンソニー》を使って残りの魔法陣を描きつつ、《鉄尾》は結界外に救援を要請しに行く。……それでいいな」

 みんな一斉に頷く。いよいよこれからだ。

 まさに夜空が白んでくる頃、私たちの反撃戦が始まった!

 

□□□


 数十分走って、ようやく《アンソニー》を発見した場所に帰り着いた。

 一か月ぶりの《アンソニー》を前にアンジェラ鉄道長の目は、感に堪えないように潤んでいた。攫われてから色々あったんだろう。涙は見ないふりをした。

「で、お姉さまは空に飛んで行ったまま、暫く経つわけですが……」

 私は空を見上げた。ほとんど夜明けで、辺りは明るくなっている。雲がこんもりと盛り上がっているが、雨の気配はない。

 お姉さまは「ちょお、雷落としてくるわぁ。皆は《鉄尾》の中にいて。危ないからね」と、言いおいて空にすっ飛んで行った。フットワークとノリが軽すぎる。

 私たちは言われた通り、《鉄尾》の機関車の中で作戦に従事する人数の班割をしていた。

 結界外に救援を求める班は《鉄尾》とお姉さまと私。魔法陣の残りを刻む班は《アンソニー》とアンジェラ鉄道長と、科学部員、呪術部員である。

 後者二人はあからさまに鉄道長の監視が役目と言ってはばからない。先ほど宣言した通り、鉄道長がまた《フローラ》に乗っ取られないか危惧しているようだ。そしてその監視を鉄道長が受け入れているため、班の空気は重い。

(お姉さま、助けてー!)

 泣き言をもらしかけたとき、ふいに冷気が車窓から吹き込んだ。

(な、何?!)

 身をすくませる暇もなかった。ピカッと空が光ってすぐ……。

 突然、ドガアアン!! とすさまじい音が響き渡ったのである! びりびりと大気が震え、雷が落ちた! それも複数連続で!

 体の震えが止まらない。総毛立ち、鼓膜が破けそうになっている。

 なのに、雷はこちらの事情などお構いなしに次々と降ってくる。

 皆身をかがめて鼓膜を守るのに必死になった。

 ……しばらくしてようやく雷は終わったようだった。

 恐る恐る外に出てみると、草は焼け焦げているし、大気もパチパチと震えているようだった。

 アンジェラ鉄道長は落雷がおさまると、真っ先に《アンソニー》の機関車両に乗り込み、エンジンをかけ始めた。何度かチャレンジして――、……かかった!

 重々しい待機音があたりに響く。鉄道長は喜びに上ずった声を上げた。

「《アンソニー》の魔力炉が充填されている! これなら、残りの魔法陣も描けるぞ!」

 やっぱり先ほどの雷で《アンソニー》の魔力が補給されたらしい。

(さすが、お姉さま! 最高! かっこいい! 天才!)

 心の中で、目いっぱいの讃辞を捧げていると、空から「シャル――!」と叫ばれた。

 翅天翼を生やしたお姉さまが空から降ってきた。慌てて受け止める。

「成功したみたいやな。うまくいったようでなによりやわ」

「はい、もう百点です! お姉さま! でもどうやって雷降らせたんですか?」

「ふふふ、雷は寒暖の差で発生するんよ。だからうちは上空五千mにあったマイナス二十℃の空気を魔法で地上付近の空気にぶつけたんよ。そうしたら、狙ったところに雷落とせると思て。まぁ今日の天気あればこそやけどね」

 見事その思惑は成功したというわけだ。私はもう感極まって、お姉さまの頬に自分の頬を摺り寄せた。

「流石です、お姉さま! もう最高です!」

「ふふ、シャルも信じて待っててくれてありがとなぁ」

 ふたりでいつまでもニコニコしていると、流石に声がかかった。

「モンスターが来ないうちに、出発しよう。そこの二人も《鉄尾》に乗り込んでくれ」

「「はーい」」 

 アンジェラ鉄道長に促され、私たちは《鉄尾》に乗り込んだ。

 私たちの班は救援要請のために、結界の外へ。鉄道長たちの班はこれから魔法陣の続きを刻むことになる。

 アンジェラ鉄道長が檄を飛ばす。

「いいか、我々の働き如何に生徒たちの命運が掛かっているといっても過言ではない! 命を賭してでもそれぞれの任を果たせ!」

 私たち四人はそれぞれの決意を込めて、答えた。

「「「「はい!!!!!」」」」

 いよいよ発車だ!

 私はマスコンのレバーを傾けて、《鉄尾》をゆるやかに発進させる。私の魔力で魔法のレールが敷かれ、その上を車輪が少しずつ滑りだした。《アンソニー》も動き始める。

 私は不意に名残惜しくなって、《アンソニー》を振り返った。

 すると、空にポツリと黒い黒点が見えた。それもたくさん。

(ん?)

 翼竜だろうか? だが、どうせ後部車両を切り離した機関車には追いつけない。発車すればこちらのものだ。

 ……しかし。

 みるみる黒点が大きくなる。確かに翼竜だ。が、――速い! 通常の翼竜のスピードの三倍はある!

 私は慌てて車外放送で、《アンソニー》に呼び掛ける!

《敵襲です! ただ様子がおかしい! 通常より速い翼竜のようです! 間もなく接敵します!》

《アンソニー》のアンジェラ鉄道長から慌てた声が返ってきた!

《すぐに最大速力まで上げろ! 翼竜の背に生徒が乗っているのを確認した! やつらモンスターと手を組んだぞ! 強化魔法で翼竜の速さを底上げして、こちらに追いつくつもりだ!》

 そう言いながら、《アンソニー》は派手に車体を揺らしながら、最大速度にギアを入れたようだった。

 私も慌てながら、マスコンのレバーを段階的に最大速力にまで上げる。

 《鉄尾》がガクンと派手に揺れ、備品が床に散らばった。ふわりと胃が浮く感覚がして。――最大加速で怒涛のように走り出す。あっという間に《アンソニー》が小さくなった。

「人間とモンスターが手を結ぶことなんてあるん!?」

 ガタガタと揺れる列車の中、手すりにつかまりながら、お姉さまがボヤく。

「呪いの腸内細菌を持つもの同士結託したのかもしれません!」

 いくら愚痴っても仕方ない。相手の方が一枚上手だっただけである。でも勝負はまだイーブンだ。速度が同じになっただけで鬼のような防衛部部長を相手取れると思ったら大間違いである。

「お姉さま、迎撃お願いできますか?!」

「できる、できるけど……」

「……お姉さま?」

「いや、やるしかないわなぁ」

 お姉さまの声が震えている! 慌てて窓の外を見ると、黒雲のような翼竜の群れ! その数約百頭! すごいスピードで近づいている!

「翼竜に生徒乗ってはるんやから、随分と手加減せなあかんし、全く難儀な任務やわぁ」

「……お姉さま」

「大丈夫や。シャルは運転に集中せぇ」

 お姉さまはにっこり笑うと手に光槍を呼び出した。

「うちがみーんなやっつけたるさかい、安心しぃな」

 そう言ってお姉さまは翅天翼を羽ばたかせ、列車の屋根の上に立った。

 ドガガガガッ! と雨のように魔弾が《鉄尾》に降り注ぐ。翼竜の上の生徒たちの遠距離魔法だ。お姉さまはピンポイントで結界を展開しながら、一頭ずつ光弾の狙撃で仕留めているようだ。……だがなにしろ数が多い。そしてどんどん近づいてくる。

 接敵! 何かを断ち切る音がする。屋根の上でドスンと何かが落ち、屋根の上を転がっていく。列車の前に投げ出されるように落ちてきた。……翼竜の首だ。

(ッ?!)

 ブレーキは引けない。そのまま轢き潰す。グシャリと車体に背筋が粟立つような振動が走った。

(……一瞬、お姉さまの首に見えた)

 列車の屋根の上ではどんな修羅場が繰り広げられているのだろう。

 鋭い剣戟の音、翼竜が火球を吐き出す轟音、結界を展開する音。鉤爪で車体を切り裂く音。その度に列車がひっくり返りそうになる。何度も取り付かれそうになり、その度に列車を蛇行させて振り切ってきた。《鉄尾》はもうぼろぼろだ。防御結界を張っているが、それももういつまで持つか……。

 首を振ってマスコンを強く握りしめる。私の役目は確実に外部まで連絡すること!

 余計な雑念に支配されるな。お姉さまを信じろ!


 翼竜の群れをまとわりつかせたまま、最高速度で列車は走り続ける。血しぶきが車体に掛かり、フロントガラスが血脂で曇る。前が見えない!

 目に千里眼を発動させて、ひたすら進路方向を凝視する。十数キロ先に青白色の結界の壁が見える!

 もう少しなんだ! もう少しで……!

(お姉さま、もう少しだけ耐えてください!)

 助けられないわが身がもどかしい。

「! 見えた!」

 血まみれフロントガラスの隙間から、肉眼で捉えた結界の壁! 突入する!

 ボロボロの《鉄尾》は火花をまき散らしながら、結界を突破した。

 モンスターたちは結界のギリギリまで粘っていたが、結界は通り抜けられずに、衝突しそうになりながらも旋回して呪いの大地に戻っていく。


 《鉄尾》をゆっくり停止させた。

 しばし、マスコンを握りしめたまま肩で息をする。私たちはやり遂げたのか?

 ――いや、まだだ。駅長に本部への連絡を頼まないと。まだ、魔法陣組は敵陣の最中にいるんだ。早く、早くしないと、お姉さまの頑張りが無駄に……。

「……そうだ、お姉さま!」

 慌てて翅天翼を展開し、列車の屋根に飛び上がる。

 ……そこは酷いありさまだった。

 屋根は焼け焦げている。翼竜の鉤爪で切り裂かれたのか、車体に開けられたギザギザの切り口から車内が良く見えた。翼竜の死体がパーツだけ転がっている。腕や尾、……恨めし気な目をした首。派手に血しぶきで彩られた車体。

 そんな惨憺たる世界の中で、お姉さまは光槍を支えに片膝をついて、蹲っていた。

 血まみれで、傷だらけのお姉さまが……。

「お姉さま!」

 駆け寄ると、お姉さまはのろのろと顔を上げて、少し笑った。

「あー、しゃるや……。どうしたん? 危ないからのぼってきたらあかんよ……。まだ翼竜がおるからね」

 まめらない口調だ。まさか精神に失調を?

「お姉さま、ここは結界の外です! もう翼竜はいません」

 光槍を握ったまま固まったお姉さまの指をそっと引きはがしながら、必死に言い聞かせる。

「結界の、そと?」

「そうです、もう大丈夫なんですよ」

 そと? そとかぁ? そとってどこやったっけ?

 拙い言葉遣いで何度か反復した後、……お姉さまの目が急に見開かれた。

「けっかいのそと、そと……結界の外! っ、やったなぁシャル! 任務達成やわぁ!」 

 そう言いながら抱き着いてきた。慌てて受け止めるが、一緒になってひっくり返ってしまった。

「お、お姉さま! お怪我に障ります!」

「固い事言わへんのもう。そや、はよ駅長はんに報告いこ?」

 うきうきしている。無理もないか、修羅場を潜り抜けてアドレナリンが大量に出ているのだ。

 立ち上がろうとして、お姉さまがよろめく。とっさに支えた。

「うふふ、足がもうガクガクや。悪いけどシャル肩貸してな」

「勿論ですよ、お姉さま」

 そのまま翅天翼でふわりと地上に舞い降りる。

 修羅場を無事潜り抜けられた安堵を胸に、私たちは駅長のログハウスに向かって歩き出した。


□□□


「にゃるほど、それは大変な目に合いましたにゃあ」

 そう言ってニコニコしているのは、この結界の駅長である。

 姿は白猫で、最初に挨拶に寄った時と同じく、テーブルの上に香箱座りしている。

「そうなんです! 今もモンスターの猛攻の中、必死に魔法陣を描いている人たちが取り残されています! 一刻も早い救援をお願いします!」

 机を叩く勢いでまくし立てたのに、駅長はのんびりしている。こんなところで足止めを食っている場合じゃないのに!

「シャル、ちょお落ち着き」

(うっ……)

 お姉さまに小声でたしなめられて座りなおす。駅長が猫の手を伸ばして、テーブルに乗った不透明なボトルをずずずとこちらに押しやった。かたくなに香箱座りで腹も見せないまま。

「お水ですにゃ。そんな興奮していては、電話口で口が回らなくて混乱するのが関の山にゃ。ひとまず、お水飲んで落ち着いてから、本部に連絡しましょうにゃ」

 お姉さまも頷く。

「駅長の言う通りや、シャル。ひとまず、お水ごちそうになろ。……内緒やけど、うち喉かわいてん。何杯でも飲めるわぁ」

 そう言ってニコッと笑う。お姉さまのお気遣いがありがたい。ここは折れないと。

「……すみません、いただきます」

「ほな、うちもいただきまーす」

 ごくっと一気に飲み干す。……不思議な味がした。なにかとろりとしている。

「これ……」

「……なぁ、うちらに何飲ませたん?」

 二人で詰め寄るも猫は笑うばかりである。

「ところで結界はモンスター除けであって、空気も水も通すんにゃよね。つまりにゃ、特S級呪いの大地の人を操る呪いの細菌が、水に交じり、土に広がり、……結界の外にすでに拡散している可能性を考えた事は?」

 そういって、猫はボトルをちらりと見た。

 お姉さまがハッとする。

「シャル、水を吐き!」

 そう言ってお姉さまは自分の喉に手を突っ込んだ。私も慌てて喉に手を突っ込む。

 しかし、吐き慣れてない私たちでは、空気にあえぐばかりで全然吐けやしない。

 猫が立ち上がって笑う。その腹には赤い紋様! ずっと腹ばいになっていたのはその紋様を隠すためだったのか!

「にゃはははは! お察しの通り、今飲ませた水には呪いの細菌が数百億溶け込んでいるにゃ。納豆菌も目じゃないにゃ。ふふん、いいんにゃよ、そのまま本部に戻っても。どうせ確実に道中で呪いの細菌がお前らの《腸内フローラ》を掌握し、操り人形にするからにゃ!」

「くっ!」

 慌てて捕まえようとするも、猫はするりと身をかわし、窓を割って逃げて行った。

 呆気に取られている暇はない!

「シャル、本部に連絡する電話とかあらへん!?」

「ダメですお姉さま、電話線が切られてます!」

 あの猫はここまで見越して……!

「……くっ、ここまできたのに……!」

 お姉さまが悔しそうに蹲る。

 このまま本部に助けを求めに行っても、何日もかかる。その間に操り人形にされてしまったら、私たちは本部に細菌たちの都合の良いように報告してしまうだろう。下手をすれば本部で感染者を増やしてしまうかもしれない。それだけは避けなければ……!

「戻りましょう、お姉さま結界内に!」

「……シャル?」

「結界内に戻って魔法陣の続きを描いて浄伐すれば、呪いの細菌は消えます」

「せやけど……」

「希望はあります。魔法陣の終点から描き始めるんです。そうすれば、反対側から描き始めた鉄道長たちと途中で落ち合え、早く魔法陣が完成します。行きましょう、私たちが正気の内に!」

 アンジェラ鉄道長が言っていた。

 『命を賭してでもそれぞれの任を果たせ!』と。今がその時なのかもしれない。

「私はお姉さまが好きです。勿論学園のみんなも。だから皆が操られ、望まぬ行動を強いられているなんて我慢できません。止められるのは私達しかいないんです。お願いです、手伝ってください!」

 そういって頭を下げる。お姉さまはポカンと私を見上げていたが、やがて強い瞳で頷き返してきた。

「うちもや。シャルが、皆が好きだからこそ、……今戦わなきゃあかんのやなぁ」

 そう言ってお姉さまはふらふらと立ち上がった。……お怪我もしていらっしゃるのにこんなことを頼むのは酷だ、わかっている。

 人間が乗って強化されたモンスターはまだまだ山のようにいるのに、たった一人の戦闘員のお姉さまに全部の負担が掛かっている。

 私はどこまでお姉さまに背負わせてしまうのだろう。自分が至らないばかりに。

 思わず涙がぽろと頬を伝う。

「あらあら、どないしたん? 怖くなったん? ……大丈夫、私がおるからねぇ」

 涙を拭ってくださる手が温かい。私は絶対にこの手に報いようと思った。


□□□


 ボロボロになった《鉄尾》の鼻先を撫でる。

「ごめんね《鉄尾》。もう一働きしてね。皆を助けるためなの」

《謝る必要hあり、ませn。なぜなra、私m同じ気持ちだkらでs》

 ……もう発声もおぼつかない。これが最後の旅程になるかもしれない。

「ありがとう《鉄尾》」

 私もお姉さまも《鉄尾》も死ぬかもしれない。

 だけどただで死ぬ気はない。魔法陣を描き切って呪いの大地を浄伐して死んでやる!

「行きましょう! お姉さま!」

 勢いよく《鉄尾》に飛び乗る。が、お姉さまは乗らなかった。

「お、お姉さま?」

「シャル、今死のうとしたやろ?」

 お姉さまは地面に立ったまま私を見上げた。

「……はい」

 お姉さまは騙せない。肩がこわばる。

「ああいや、怒ってるわけやないんや。こんな絶望的な状況じゃ、立ち向かおうとするだけでも上出来やし」

 ただ……、とお姉さまは続ける。

「ただ諦めたらあかんよ。うちはまだ信じとる。浄伐が成功して皆が解放される事、全員無事に帰れる事、全部無事に終わった後ようやったなってシャルと笑いあえる事。全部叶うって信じとる」

 ――じわりと目が熱くなる。

「なら……私もお姉さまが死なないって信じてもいいんでしょうか」

「うん」

「っ……《鉄尾》も、皆も、私も死なないって信じてもいいんですか」

「勿論やわ」

「もし、お姉さまが死んじゃったら、私……」

「うちはずっとシャルの傍におるよ。どんな時もや。……うちのこと信じて」

「信じます! 信じますから……、死なないでください」

 お姉さまは優しく笑った。

「ええよ」

 そう言ってふわりと隣に飛び乗り、涙を拭ってくれた。

「シャル、次泣くときはうれし涙にしよな。悲しくて泣く涙は心が痛くてかなわんからな」 

「……ふふ、嬉しいときは泣き顔じゃなくて、笑顔が一番ですよ」

「ふふふ、これは一本取られたわぁ」

 これから死地に乗り込むというのに、穏やかな気持ちだった。お姉さまへの信頼感が私を支えている。そうだ、生きるために死地に赴くのだ。皆を助けるんだ。

「行きましょうお姉さま、生きて帰るために」

「よう言った。それでこそうちのシャルやわ。絶対に生きて帰ろうな」

 お姉さまは私の頭を撫でると、《鉄尾》の天井へのぼっていった。

 私も運転席に座り、マスコンに手を置いた。深呼吸して、少しずつレバーを傾ける。

 車輪がきしんで、動き出した。

「発車します! フルスロットルで行くので吹き飛ばされないように、お願いいたします」

「ふふ、遠慮せんでええんよ。うちは平気やから、絶対速度を緩めたらあかんよ」

「はい!」

 青白色の結界の中は地獄だ。だけど、地獄の中にも希望はある!

 私たちは、結界に再突入した!


□□□


 やはり待ち伏せられていた!

 背に乗った人間に強化魔法をかけられ、最高速度の機関車に軽々と追いつく翼竜の群れが、ひっきりなしに襲ってくる。

 私は翼竜たちの血脂を纏わせた機関車で、彼らの間を縫うように必死に運転していた。

「ま、魔法陣の始点を発見! ここから鉄道長たちの班に向かって魔法陣を描いていきます。……お姉さま生きてますか?!」

 屋根に向かって叫ぶ。

「か、辛うじて。そんなに、何回も、聞かなくて、え、えんよ。生きとる、から」

 見えないが、ははっと笑う声に血あぶくが混じっている気がする。なのに私は助けに行けない。悔しくて唇を噛み締める。いや、信じると決めたはずだ。

 防御結界などビリビリに切り裂かれ、もはや用をなしていない。屋根も鋭い鉤爪で攻撃されたせいで所々穴が空いている。魔力炉だけが、こんな絶体絶命にも負けじと赤々と燃えている。

 ああ、お姉さまの消耗が心配だ。翼竜たちを引き離すことに成功すれば、お姉さまを少しは休ませてあげられるのに。なにか、なにかないか。

 急いで視線を運転席周辺に視線を走らせると、一つのレコーダーが目についた。

(そうだ、確か……)

 急いで、車外放送のマイクにレコーダーを近づける。再生ボタンを押す。

 ――一瞬の沈黙後、後部車両から轟音が響いた。驚いて翼竜たちが舞い上がる。

 ……何十倍に増幅されたシンバルと大太鼓の音である。音楽部の音響魔法、その録音だ。

「シャル――、今のは!?」

 お姉さまが耳を抑えながら、破れた天井からこちらを覗き込む。

「音響魔法の録音です。今のうちに休憩してください」

「……助かったわ。うちはもう」

 そう言いかけて、お姉さまはどさりと車内に落ちてきた。

「!? お姉さま!」

 力なく床に倒れるボロボロのお姉さま。着ている制服はあちこち焼け焦げ、血に汚れていた。体中傷だらけの血まみれだ。

 そしてそのお腹には、――薄く赤い紋様が浮かんでいた!

「こ、これ!」

「なぁ、シャル。うちの、こと、置い、て行って。操られるギリ、ギリまで、足止めするさかい」

「嫌です! ずっと傍にいるって言ったでしょう?」

 お姉さまを抱き上げてお腹を合わせる。

(《腸内フローラ》、転送――!)

 しかし――、赤い紋様は健在だった。

「なんで、術は成功したはずなのに!」

「シャルの、お腹も呪いの、細菌に浸食され、てるんかも、しれん。……そや、シャルの呪いの細菌、全部うちに移してぇな。そしたら、シャルは乗っ取られることはあらへんから」

 穏やかな顔で、そんな恐ろしいことを言う。

「止めてください、そんな!」

 涙があふれる。

「でもこれが一番、任務成功の、可能性が高いん、や。頼む。うちはまだ信じてるさかい。シャルが任務をやり遂げるって……な?」

 優しい目だった。……そんな目をされちゃ、もう、何も言えない。

「ああ、ありがとう、シャル……」

 お腹を合わせて、私の中の呪いの細菌を全てお姉さまに移した。途端、お姉さまが苦悶して身をよじらせる。私を心配させじとしてか、唇を噛み声を押し殺して。

「お姉さま!」

「わる、い。しゃる。うちのこと、縛ってぇな。シャルの、こと、襲わんとも、限ら、んし」

(っ、――!)

 お姉さまの制服のリボンで手首を縛り、私の制服のリボンで足を縛った。

 私は涙を拭って、運転席に戻る。

 ――勝たなきゃ! お姉さまは私に賭けてくれたんだ。私は全力でそれに報いなければならない!

 ギギギギと鉄を裂く音が天井から聞こえる。

 翼竜が鉤爪で機関車の屋根を持ち上げ、引きはがしている音だ。天井がなくなり、風が吹き込んでくる。

 車内の私たちは丸見えだ。魔法が殺到する。それをギリギリのコーナリングで車体を左右に振り、なんとか回避する。

 車内に飛び込んできた魔弾が腕に掠る。そこから燃え上がるような痛みが走る。だが、それがどうしたっていうんだ!

 頭は恐ろしいほどクリアだ。千里眼は十数キロ先の《アンソニー》を捉えている。《鉄尾》と同じくボロボロで、でもまだ動いている。――生きている!

 

 一心不乱に機関車を走らせる。周りの何もかもがスローに見えてきて、恐ろしいほどだった。

 あと、一キロ、あと数百メートル。

 車輪のいくつかは外れ、どこかに転がっていった。だけどまだ走れる!

 あと数十メートル!

 《アンソニー》は目の前だ。ボロボロの鉄道長が驚いた顔で何かを叫んでいる。

 私はフルスロットルのまま進路を固定し、お姉さまを抱えこむ。そのまま翅天翼を展開し飛び立った!

 ギャギャギャギャ!! とレールから脱輪して《鉄尾》は吹っ飛んだ。最大速度のまま《アンソニー》を避けるにはこの方法しかなかった。


 ――これで二つの線が繋がった!

 魔法陣が完成し、大地が輝く! 立ち昇る光の柱は、まるで荘厳な天のきざはしのようだった。

 《アンソニー》を攻撃していた翼竜も《鉄尾》をバラバラにした翼竜も、大地からの光に消し飛ばされるようにして消滅した。

 呪いの大地は浄化された!

 お姉さまのお腹を見ると、赤い紋様は消えていた。腕の中のお姉さまはただ穏やかに眠っていらっしゃる。

 私たちは、呪いに打ち勝ったのだ!

 誰もいない空の上で快哉を叫ぶ。

(お姉さま、やり遂げましたよ! お姉さまのおかげです!)

 下を見ればボロボロのアンジェラ鉄道長がこちらに向かって手を振っていた。

 私はへらりと笑い返すと、地上に向かって降りて行った。


 疲労と幸福感が私の胸を満たしていた。

 力が抜けてカクンと大地に倒れ込む。

 こちらに慌てたように向かってくる三人の姿だけが、私が見た最後の光景だった。


□□□


 あれから二日経った。

 本部からの迎えの魔導列車に乗せられ、今は帰途の最中である。

 私は、《鉄尾》を牽引している後部デッキに立ち、ぼんやりと風に吹かれていた。

「……《鉄尾》、ごめんね。ぐちゃぐちゃにしちゃって」

《なんの、特S級任務が果たせたことに比べれば大したことではありません。むしろ感謝しているのですよ。私を十全に使ってもらえて》

 半壊しながらもそう答える声は誇らしげだ。此度の《鉄尾》と《アンソニー》の活躍には名誉魔導列車賞の授与が決まっている。数十年ぶりの快挙だった。

「……そっか、ありがとう《鉄尾》」

 私は力なく笑った。《鉄尾》は目ざとくつついてきた。

《……元気がないですね。そういえば、榛名防衛部部長のお見舞いにはいけたのですか?》

「う゛っ」

 実はまだお姉さまの起きているときに会いに行けてない。見たのは寝顔ばかりである。

 今回の事件で入院した人は極わずかだった。

 腸内細菌に操られていた生徒たちは無事正気に戻り、全員メディカルチェックで異常なし。

 一方で、お姉さまは病棟車両に即入院。呪いの細菌は体からすっかり消失したものの、負った怪我が酷すぎた。アンジェラ鉄道長も呪術部員も科学部員も、問答無用で入院。勿論私も。

 ただ、私は怪我が比較的軽かったせいもあり、こうして散歩程度のことは許されている。

 しかし、やってることといったら、《鉄尾》に愚痴である。情けない。私は手すりにがくっと突っ伏した。

「……お姉さまの傷を見るにつけ、自分の無力さを思い知らされるというか。もっとやりようがあったんじゃないかって思うと、お姉さまを傷つけたことが居たたまれなくて……」

《それで逃げてきたと》

「う゛っ!」

 ホントに容赦のない列車である。

《はぁ、逃げても無駄だと思いますけどね。だってあの方は、逃げた者は追うタイプでしょうsh》

 《鉄尾》がそこまで言いかけたとき、ドカーンと背後のドアが開いた。

 ビクッと肩を跳ねさせると、聞き覚えのある声!

「ほんまそれや! うちから逃げようなんて百年早いわ!」

「お、お姉さま?!」

 慌てて振り返ると、そこには松葉杖をついてあちこち包帯だらけのお姉さまが!

 ……ツカツカと歩み寄り私に飛びついてきた!

「お、お姉さま、お怪我に障ります!」

 わたわたして必死に制止するも、お姉さまは私の首筋に顔を埋めてぐりぐりと甘えている。

「固い事言わへんの! うち怪我よりシャル不足で死にそうやったんよ!」

「そんなことで死なんでくださいよ!」

 思わずつっこむと、お姉さまは頬を膨らませて私を見上げた。

「だって、シャル全然会いに来んし……。なぁうちが怪我したこと、全然気に病むことやないんやで? それどころか、死を覚悟した時に比べれば、この結果は満点や。全員五体満足で生きとる。これ以上望んだら罰が当たるくらいや」

「で、でも……」

「でももヘチマもない! シャルはうちの自慢の子や。これ以上自分を卑下するんなら、他ならぬうちが許さへんもん。……もう、こんなどこに出しても恥ずかしくない子をどうやったら貶せるんや……わけがわからへん」

 ぶつぶつとお姉さまは独りごちた。

 またドカーンと背後のドアが開いた。うちの鉄道長が仁王立ちしていた。

「そうだぞ! 真っ先に操られた俺が可哀相になるくらい、よくもやって下さいましたね! 花丸だ、ちくしょうが!」

「褒めてるんですかそれ?!」

「この上なくだ! やったなバーカバーカ」

 子供か! と言いたかったが自重した。えらい私!

 鉄道長は懐から紙を取り出し、こちらに突きつけた。

「特S級呪いの大地を浄伐した英雄さんに、本部から打診が着ているぞ! 『此度の功績をもって鉄道長に任ず』……返答やいかに!?」

 思わぬ打診に私は目を見開いた。

「て、鉄道長って、……《鉄尾》の鉄道長は貴方じゃないですか?」

「当たり前だばーか。俺だって今回の任務には少なからず貢献したからな。これで賭けカードの件は相殺! 鉄道長続行だ!」

「任務に貢献……してましたっけ?」

「《アンソニー》を発見しただろう!」

 そうだった、今回の任務は《アンソニー》の発見か呪いの解明までだったのだ。色々あって浄伐までしてしまったが。

 いやいまはそれより、目の前の問題をどうするかだ。

「お前は多分別の魔導学園列車の鉄道長に就任することになるだろうが。……で、どうするんだ?」

「う、うちはシャルがどんな道を選んでも祝福するよ、多分……」

(多分かー!)

 私もお姉さまが名残惜しい。が、自分の道は自分で決めなければ! 私はカッと目を見開いた。

「……すみませんが、お断りさせてください」

 ぺこりと頭を下げる。

 途端張り切ったのは鉄道長だった。

「よし、よく言った! これからもうちでこき使ってやるからな! 覚悟しろよ!」

 ふんすふんすと鼻息荒く言い残して、鉄道長は去っていった。

(あれは、私が断ることを期待してたな……)

「いいの? シャル」

 お姉さまがわたしをじっと見つめる。

 この目には嘘はつけない。

 私は、頷いた。

「今回の事件で、思い知ったんです。私は無力だなぁって……」

「あんな、シャル。何度も言うけど……」

「分かってます。今回の結果はましな方だって。ただ私はもっともっと強くなりたいんです。お姉さまと皆を守れるように。そのためには圧倒的に経験が足りない。皆の命を背負えるほどの覚悟が欲しい。ゾンビ村までの道中『責任は私が背負う!』なんて啖呵切っちゃったけど、あの時の私に本当の意味での覚悟はありませんでしたから」

 苦笑いすると、お姉さまは痛々しげな顔をした。

「シャル……」

 私はそっと首を振った。だからやるべきことがある。

「だから、まだ私は鉄道長の元で勉強します! お姉さまもご指導ご鞭撻のほど、どうかよろしくお願いします!」

 ぺこりと頭を下げる。

 頭上からため息が聞こえた。

(あ、呆れられた?)

「違う違う。うちもまだまだやなぁて思って。うちも今回短絡的な行動しすぎたわ。《フローラ》の件じゃ危うく人殺しになるところやったし」

 止めてくれてありがとなぁ。二人で一緒に強くなろ。とお姉さまは手を差し出した。

 私はその手をぐっと力強く握った。お姉さまも握り返してくれる。

 温かい手だった。この温かさに報いようと、今回ただひたすらに足掻いたが、少しは応えられただろうか。

 ちらりと見上げると、お姉さまの優しい笑顔。……答えはもう、これだけで充分だった。

「っと、お姉さま、お部屋に戻りましょう? 怪我の治りが遅くなりますから」

「ふふ、そやな。はよう治して、シャルのことビシビシ鍛えんと。な、肩貸してな」

「肩と言わず、抱えていきますよ。お姉さまの松葉杖の使い方は危なっかしいですからね」

「そんな冗談。うちはそんなに不器用やないわ」

「ふふふ、さぁ、それはどうでしょうかね」

 私たちは、軽やかに言い合いながら後部デッキを後にする。

 ドアが閉まる前にふと振り返ると、《鉄尾》が訳知り顔に言う。

《まぁ、これにて一件落着ってことですね。お二人ともお幸せに》

 私は呆気にとられた後、くすくすと笑った。

「ありがとう」

 爽やかな風が吹き入り、それはそれはいい日だった。


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