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彼と出会った日

作者: 冬空

私は街の散策をするのが好きだ。


通った事の無い道、殊に昔からある住宅街に存在する小さな脇道を歩くのが好きだ。


その先には何が待っているのだろう、何処に繋がっているのだろう、と考えながら妄想を膨らませるのが好きだ。


改めて好きな物、その理由を考えて行くと私は相当に好奇心旺盛なのだと実感する。


昔はここまで好奇心旺盛では無かった、とは言ってもたった数ヶ月前の事だ。


当時は知ってる道しか通らず、その中で新たに出来た店があれば入り、新しい住宅が出来るのであればその様子を見に行く等、今とは比べ物にならないが、それでも未知の物や新しい物が好きだった。


そんな中で見つけた喫茶店が事の発端である。


慣れ親しんだ隅っこにある窓際の席でいつものように店主自ら淹れたコーヒーを堪能しながらのんびりと過ごして居た折、来客を知らせる鈴の音が店内に響き渡る。


鈴の音が鳴った時、扉の方を見た私は珍しいなと思った。

訪れた相手が見た事も無い客だったからだ。


実はここの喫茶店、世に言う隠れ家と呼ばれる店で、外見は普通の一戸建てにしか見えない。


一応、営業中の札があったり、店の名前がイラストと共に描かれた立て看板があったりと店だと分かるようにしてはいるのだが、先程も言ったように一戸建てにしか見えず、中々客が寄り付かないのだ。


そうした理由を店主に問おうた事は無いが、きっと趣味として楽しみたいだけなのだろう。


私としては今の状況は願ったり、だ。

男としてのロマンが刺激される。


普段から訪れる客が少ない為、馴染みの客はほぼ全て知っている中で、新しい客の登場は知っている仲間が増えた事を喜ぶと共に、知ってる人が増えた事に悲しむという2つの相反する感情に毎度悩まされる。


件の客は、いかにもな格好をした老紳士だった。


彼はゆっくりとした動作で店全体を見回すと、感心したような声を漏らす。

店主のセンスの良さか、店の雰囲気か、それ以外か、何処を見て老紳士が感心したのかは分からないが、一目見てこのお店を気に入ってくれたのだけは分かった。


彼とは気が合いそうだなと思っていると、私の視線に気が付いた彼が此方に顔を向ける。


咄嗟に私がペコリと頭を下げると、彼が応えるように優雅に頭を下げた。


その美しい所作に僅かではあるが見惚れる。

きっと裕福な家庭で育てられたのだろうと思わせる気品がその所作から感じ取れた。


頭を上げた彼は私に向け、にこやかに話し掛けて来た。


「こんにちは。質問したい事があるのだが、今お時間は大丈夫かね?」


挨拶を返すと共に私が大丈夫だと応えると、彼はお礼を言い、幾つか質問をされた。


内容は下記の3つ


1、客の傾向


2、私から見たこのお店の印象


3、オススメのメニュー


店主に聞くのが一番良いのでは、と思うような質問だったが、きっと私に聞く事に意味があるのだろう。


そう思い、私は持ち得る情報を持って応えると彼は満足したかのように一度頷く。


どうやら欲していた答えは得られたのだろうとホッと安堵していた所、相席しても良いかと問われた。


特に断る理由も無かったため了承すると、彼はお邪魔すると言って私の向かい側の席に座る。


こうして真正面から見ると、服に使用されている生地の良さに気が付く。

とは言っても、素人目だ。プロのように何処其処が市販品の物とは違うなんて事は分からない。

ただなんとなく、高級感があるなと感じられるだけ。


裕福な人ほど着る物には拘る物だな、と改めて思いつつも不躾に見続けるのは失礼だと思い、窓の外へと目を向ける。


外を見やると近所の奥さん方が数人ほど向かいの家に集い、何やら話し合っているようだ。


ここからでは何を話してるのかは聞こえないがきっと「何処其処の人が」「うちの夫が」等々、日常のちょっとした話題に花を咲かせているのだろう。


そんな中で自転車を漕いで通り抜けて行く人や自動車が走り抜けて行くのを見ると、ほのぼのしい気持ちになる。


普段そう思う事は滅多に無いのだが、この落ち着いた店内から見える景色とのギャップによるものか、まるで異世界から此方の世界を覗き見ているような気分だ。


「ここから見える景色が好きなのかね?」


「えっ?」


感慨深い思いで外を見ている所への唐突な問い掛け、私は思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。


「外の様子を見ている君の横顔が穏やかそうに見えたのでね、そう思ったのだが違ったかな?」


「――好き、ですね。ここから見える景色はごく当たり前の日常なのにも関わらず、特別に見えてしまうのですから」


先程思った事を語ると、彼は興味深げに声を漏らすと窓の外を見やった。


「言われて見れば確かに。特別な物のように感じるな」


「まあ、それはきっとこの店とのギャップによる物が大きいのでしょうけどね」


言われて彼は店内を見、それからまた窓の方に顔を向ける。


「なるほど。落ち着いた店内と外では大きく雰囲気が異なる。それが特別感を感じた理由か」


彼は呟くように声を漏らすと、無言で外を眺め始めた。


(なんというか、あんまり心の内を見せない人だな)


接してみての印象、という訳ではないが、平然とした表情で外を見るその横顔から感情があまり感じられないのだ。


無論、顔を見ればどんな人だろうと感情が読めると言ってる訳ではない。


ただ、普通なら感慨深げだったり感嘆の溜め息だったりと感情を多少なりとも顔や行動に出るもの。


しかし、彼は全くと言って良い程それが無い。


それが職業柄なのか生来の物かは分からないが、此方の方が素であるのだろう――と観察や考察を交え考えている間に喉が渇いて来た。


コーヒーを飲もうとマグカップを手に取り、口元に当てて傾けるが流れて来ない。

おかしいなと思いマグカップに目をやると空だった。


いつの間に、と思ったが無意識の内に飲み干していたのだろう。


仕方ない、もう一杯注文しようとメニューを手に取る。


メニューには色々な飲料や料理が記載されているが、大半はコーヒーのみで占められている。


出産地や豆の種類、淹れ方だけで何ページも埋まってしまう程多く。

店主の知識の深さや拘りの強さがメニューからでも伝わってくる。


常連客の中にはその熱意に当てられ、本格的にコーヒーについて学び始めた者も居た。

会う度に店主の凄さが分かっただのと語る姿を思い浮かべ、ついつい笑みが溢れてしまう。


「面白い事でもあったのかね?」


いつの間にやら此方を見ていた彼に笑う所を見られてしまったようだ。


「ええ、まあ。あんな事もあったな、と思い出し笑いを」


「おや、内容をお聞きしても?」


「良いですよ」


隠す内容でもなかった為、先程思い出した話を掻い摘んで語った。


「それほど拘りあるコーヒーとは……これは益々飲むのが楽しみだ。

メニューをお借りしても?」


「大丈夫ですよ」


メニューを受け渡す。受け取った彼は顎に手を添えながら、真剣な眼差しをメニューへと向ける。


その様子を眺めながらふと、彼ならどんなコーヒーを頼むのだろうかと考えてしまう。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

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