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有智高才

「おお、徐庶くん! 劉備殿のところへ戻れたんだね!」

「ええ、君のおかげだよ――龐統くん」


 荊州にある襄陽城へ訪れた龐統を歓迎したのは、曹操の元から去った徐庶だった。

 彼は龐統の策によって『詩を詠む』ことで無事に去ることができた。


 曹操は息子に曹植がいたように、詩の造詣が深かった。

 その曹操がぐうの音の出ない見事な詩を詠みあげることで彼を感動させたのだ。

 内容は主君への思慕――つまり劉備への思いだった。


 臣君子働為

 我不果忠勤

 嘆事不能叶

 唯夢見献身


 この五言絶句が書かれた詩を残し、徐庶は出奔した。

 曹操は悔しがったが、赤壁の敗北もあり徐庶一人に構っていられないという現実もあって許すしかなかった。


「今、君は副軍師らしいな」

「そうなんだ。君も早く劉備様に会われるといい。私と同じ地位かそれ以上に就けるよ」

「そうだといいが」


 二人は歩きながら会話をしている。

 向かう先は劉備の元だ。


「そういえば孫権殿へ仕官を薦められたと聞いたよ」

「魯粛殿のご厚意でな。しかし会ってあまり面白みのない男だったので、適当に相手してやったら怒って断られた」

「君も無茶するなあ」


 襄陽城の奥の間に着くと「我が君、龐統殿をお連れしました」と徐庶は言う。


「ああ、入ってください」


 典雅な声。まるで人を従わせる――それも強制ではなく、喜んで従わせるような穏やかな声だった。

 龐統は一廉の人物だなと思いつつ、頭を下げた。


「どうぞ先生――頭を挙げてください」


 そこにいたのは一言で言えば英雄だった。

 凛々しい顔立ち。帝家の末裔と言われてもおかしくないほどの英傑。

 若い頃は偉丈夫だったのだろう。しかし壮年となった今でも若々しく見える。

 これが劉備玄徳という男か――龐統は感心した。


「あなたが龐統士元殿ですね」

「そのとおりです。お目にかかれて光栄です」

「仕官をお望みとお聞きしました。私としては徐庶のこともありますし、すぐに我が陣営に加わっていただきたいのですが……」


 劉備は困った顔で「実は反対する者が多いのです」と告げた。


「どうも、その、先生は――」

「ま、俺様は醜く冴えない風貌ですから。劉備殿と違って見栄えがよろしくない」

「そ、そこまで言うつもりはありませんが……」


 龐統は「慣れていますから」とにやにや笑いながら言う。


「すんなりと加えていただけるとは思っておりません。劉備殿のお気持ち次第ですが、策はあります」

「策ですか? 一体どのような?」

「まずは俺様を耒陽の県令に任じてください」


 劉備は「あそこは閑職ですが」とやや困惑した思いで言う。


「そこで一か月時間をください。その後、あなたが信頼する武将を一人派遣してもらいたい」

「分かりました。そのようにしましょう」


 これらのやりとりを聞いていた徐庶は「君も無茶なことをするね」と笑った。


「やはり、君には分かるか」

「まあね。耒陽の民が可哀想だ。いろんな意味でね」


 そう言って笑い合う二人の軍師を劉備は不思議そうに見ていた。



◆◇◆◇



 それから一か月後。

 龐統は耒陽の民に訴えられていた。


「まったくよう。劉兄いに命じられておいて、仕事しねえってのはどういうことだ!」


 怒声を発しているのは劉備の信頼厚く、それでいて彼の義弟である――張飛益徳だった。

 張飛は背丈が高く、隆々とした筋肉を誇っている。まるで猩々を人間にしたような出で立ちだった。手には蛇矛と呼ばれる先がうねった矛を持っている。


「龐統って言ったか……怠けて酒でも飲んでいたらぶっ殺す」


 周りの部下たちはとばっちりを合わないように息を潜めていた。

 唯ならない緊張感の中、県令の屋敷に着くと、民たちが大勢集まっていた。


「おお、あなた様は……張飛様では?」


 気づいた年寄りが大声を上げると民が一斉に張飛に群がる。


「どうかお助けください!」

「県令様、一向に仕事せず、我らの訴えを聞き入れませぬ!」

「これでは我らも務めを果たせません!」


 ぎゃあぎゃあ喚く民たちに張飛は「うるせえ!」と怒鳴り声を上げる。


「これから俺が直接行って、そいつをぶっ殺してくる! さっさとどけ!」


 恐ろしい形相になった張飛。

 民たちはすぐさま道を開けた。

 張飛はずかずかと県令の屋敷に入り、龐統を探す――見つけた。


「てめえ! この野郎――」


 拳を振り上げて龐統に迫ろうとする――身体が止まる。

 龐統が真剣な顔で何やら書き物をしていたからだ。

 怒り心頭が発する張飛の勢いにも気づかないほど、真剣だった。


「うん? お前は誰だ?」


 最後の行まで書き終えた龐統はようやく張飛に気づく。

 振り上げた拳の行き場を失くしかけた張飛だったが「てめえが仕事しねえから、ここに来たんじゃねえか!」と机を思いっきり叩く――ばらばらに壊れる前に竹簡を避難させる龐統。


「ああ。お前、張飛だな? 長坂の」

「そうだ! てめえをぶっ殺しに――」

「まあ待て。酒でもどうだ?」


 悪びれもせず、龐統はすたすたと台所のほうへ向かう。

 そのふてぶてしい態度に張飛は呆れてしまった。


「あの程度の仕事なら半日で終わる」

「半日だと? 一か月分の仕事を?」

「ああ。望むなら明日からやってやろう――」


 龐統は戸惑う張飛に賭けを仕掛けた。


「もし終わらなければ煮るなり焼くなり好きにしろ。それで終われば俺様の言うことを聞いてもらおうか」

「おお、いいだろう!」


 単純な張飛は気づいていない。

 そもそも賭けをする意味などないのだ。

 龐統が仕事をすればいいのだから。

 そして張飛はそれを促しに来たのだ。

 とどのつまり、張飛は龐統の策にまんまと嵌ってしまった。



◆◇◆◇



 翌日。

 龐統は民の訴えを解決し始めた。


「それはお前に非がある。しかし酌量の余地があるとして――罰金だけで済まそう。次の者」


 誰にでも公平だと分かる明瞭な裁きで次々と解決していく龐統。

 その様子を、馬鹿みたいに口を開けて見ている張飛。


「次の者……なんだ、もう終わりか」


 龐統が宣言した通り、彼は半日で終わらせてしまった。

 唖然としている張飛に近づき「これで賭けは俺様の勝ちだな」と笑う龐統。


「なんでも言うことを聞いてくれるな?」

「……賭けの結果だからな。文句は言わん」


 まだ自分が嵌められたとは気づいていない張飛。

 龐統は「劉備様にこれを渡してくれ」と竹簡を手渡す。


「それだけで良い」

「まあいいが……」

「さてと。酔いが覚めてしまったわい」


 龐統は鼻歌交じりに屋敷へ帰っていく。

 張飛は彼が天才なのか馬鹿なのか判別できなかった。



◆◇◆◇



「なるほど……あい分かった」


 家臣がいる前で張飛の報告を聞いた劉備は「彼を軍師中郎将に任じたい」と言う。

 これにはその場にいる全員が驚いた。

 何故なら、劉備が信任している孔明と同じ地位だったからだ。


「いいかな? 孔明」

「私もそれがよろしいかと」


 涼しい顔で頷く孔明。

 龐統の仕官を反対していた家臣もこれには何も言えない。


「孔明。これを読んでみよ」


 家臣たちが去り孔明と張飛だけになったとき、劉備は龐統の書を読ませる。

 読み終えた孔明は「流石ですね」と笑った。


「劉兄い、何が書かれていたんだ?」

「これからの軍事方針が書かれている――孔明が提案したとおりのな」

「はあ!? そんなことできるのか!?」


 驚く張飛に「できるでしょうね」と孔明は言う。


「攻める策ならば私を凌駕します」

「なに? 孔明以上だと?」


 これには劉備も驚く。

 孔明は「真です」となんでもないように言う。


「私の顔を立てて、同じにしたのでしょう。まったくもって――」


 孔明は言葉を切って、それから真顔で言う。


「――恐るべき才の持ち主ですね、龐統くんは」

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