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豆畑の外は世界の果て  作者: 大石安藤
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朝は話を聞く

 日差しもまだそれほど強くなく、歩くにも楽だと思いながら、朝は男とらくだの後をついていった。町は動き始めたばかりで、人通りもそれほど多くなく、らくだは呑気にぶふん、ぶふんと歩きながら落とし物をこぼしていく。避けながら、砂漠や森の中でもない町中での落し物はどうしたものだろうと聞くと、男には「気にしなくていい」と言われた。

「え?」

「らくだのフンは燃料になる。町で集める場所があるし、その仕事もある。というか、お前の村にだって、らくだはいなくても馬はいるだろう」

「いるけれど、フンを気にしたことは無かったわ」

「まあ、それほど大きな町でもなければ各々で済んでしまうことではあるからな」

「それに気にするほど村にいたことも無かったし」

 男は「そんなものかな」と気の抜けた返事をした後、「そうだ」と付け加えるように朝を振り向いた。

「しばらく行くと駅がある。そこから列車に乗る」

「列車?」

「列車は落とし物をしないが、掃除をしたり整備をしたりする仕事はある」

 男は嫌味でもなく言ったのかもしれないが、朝は少々腹をたてた。けれどその時、あることに気がついた。

「ねえ、らくだも列車に乗れるの?」

「らくだは別料金で高くなるから乗せない」

 男の嫌味ではないが小馬鹿にした物言いには、朝はすっかり慣れてしまっている。

「それなら、このらくだはどうするの? 列車の横を走らせるわけにもいかないでしょう」

「駅前に市場があるから買い取ってもらう。若いし元気もいいから、そこそこの値で売れるだろう」

「売る? 売ってしまうの? だって、ずっと一緒にいたんでしょう。砂漠でだって町でだって」

「家畜とはそういうものだ。馬はともかく、家畜を飼っていないのか」

「うちにはいないわ。野菜を食べるぶち猫が時々寄るぐらい」

 らくだはふたりの話など興味が無いのか、ぶふん、ぶふんと歩くだけで、時折男に鼻面を擦りつける。男は「もう少しだ」と話しかけながら、らくだの背を撫でる。

 らくだはすっかり男になついている。荷を運び、旅を助けてもらう動物として役立ってもらわなければならないからそれなりに丁寧に扱っているのだろうが、それにしてもらくだには随分と優しい。

 朝はふと、思いついたように聞いた。

「ねえ、列車に乗るんでしょう」

「そう言った」

「なら、列車に乗る駅まで送ってもらえれば、あとは私ひとりでも大丈夫じゃないかしら。そうすればらくだを売る必要はないんじゃない? あなたの修行は私が安心できるところへ辿り着ければいいわけでしょう」

 朝の言葉に、男は大げさなぐらい顔を顰めた。

「らくだはどこでもやっていけるが、お前は無理だろう」

「どうして? もうここは砂漠でも山の中でもないじゃない」

 男は立ち止まると、軒に卓を並べ始めたばかりの店に立ち寄り、「まあ、座れ。ちゃんと説明した方がよさそうだ」と朝を座らせた。



「これから東の内海に向かうと言っただろう。馬車もあるからそれでも良かったのだが、院長がこれを用意してくれた」

 男は懐から尼僧からもらった袋を取り出すと、まずひとつ、柔らかく光るように白い板状の石を出した。ちょうど朝の手のひらにすっぽりと納まるほどで、滑らかに磨かれている。表面には裏にも表にも細かな字がみっしりと刻まれて、ところどころに朝にも見覚えのある寺院の印が赤く染められている。

「これはどの僧院にでもあるものではない。まず鉄道が無いと使えないというのもあるが、もともと高価であることが大きな理由だ。これがあれば、おおよそ隣国3国ぐらいまではどこへ行くにも列車が使える」

「それは、つまり、お金がいらないということ?」

「そうだ。これ1枚あれば、大人ふたりまでならいつでもどこでも使える」

「そんな大事な物を」

 用意してもらっていいのだろうかと、朝はかえって不安を感じた。だが、男は「これはちゃんと寺院に返すものだ」と言う。

「どう利用しても構わないが、目的を果たしたら元の寺院に戻すように手を尽くさなければならない。それができない者は僧侶ではない」

 言うは易いが、そんな便利なものは返さない不心得者が出そうだ。手は尽くしたけれど、と言ってしまえばいいのだ。

 朝がそう言うと、「そこを見極められないような院長なら、その程度ということだ」と不遜な笑みを浮かべる。

「つまり、私たちが信用されたということかしら」

「そういうことだ」

 主に信用されたのは男だろうが。

 男は冷えた茶を飲み干したが、気がついて2杯目を都合とやってきた店主を手だけで戻した。店主には見えないように石を袋に戻しながら話を続ける。

「内海を挟んだ向かいの国は、中立国で通っている。国土はさほど広くはないが鉱物資源が豊かで、武器の製造が大きな産業だ」

「武器。あの、弓とか剣とか」

「あとは火器。近頃、火器の技術が急激に進んでいる。遠い所に火矢を仕掛けたり、大きな岩を爆風で飛ばしたりすることができるようになってきた」

「……物騒ね」

 朝はそれと列車に乗ることの関連がよくわからなかったが、男は朝の言葉には答えずに先を続けた。

「だが火器自体はまだあまり普及していない。もっと普及させようと活動をしているようだが、物が物だけに公然と、というわけにもいかない。そして俺の国の内乱にも絡んでいるという噂もある」

「中立なんでしょう」

「中立だ。どちらかの派閥の背後にいるわけではない。どちらの派閥にも武器を供給しているということだ」

「まるで武器を売るために内乱を起こさせたような感じね」

 男はフッと苦笑した。

「まんざら馬鹿でもないな」

 朝は自分がもっと馬鹿だったら良かったのかもしれないと思った。その方が世の中はわかりやすいのではないだろうか。こんな中途半端な自分が一番始末に負えない気がする。

「そういう国だから、さまざまな人間が出入りをしている。どんな人間が入ってきても不自然ではないが、他所者に対する目は厳しい。技術を盗みにきたのか、商売に来たのかわからないからな」

「本当に物騒な国なのね」

「ああ。そのため、国を通る列車の中でも頻繁に検閲が行われる。列車の中ではどの国を走っていようが関係無い。すでにそこに向かう列車にいるというだけで対象になるんだ」

 自分がこの状況を招いたと思っている朝に、男は珍しく優しい声で「それに」と付け加えた。

「らくだを売るのは、別にお前のせいじゃない。近いうちに砂漠から離れていくつかの国に回る予定でもあった。そうなるとらくだは足手まといにしかならない。入用であれば、どこかでろばに代えなければと思っていたんだ。気にしなくていい」

「ああ、そうなの」

 なぜあちこちの国を回る必要があるのだろう。それは男の国の内乱に関係しているのだろうか。名前がつくまでに人を助ける他にどんな修行をしているのだろう。果たしてそれは修行なのだろうか。

 それらのことを、朝は尋ねなかった。聞けば教えてくれるかもしれないが、教えて貰ったところで、朝の気が軽くなるわけでも男が楽になるわけでもない。知ってしまうことで朝の重荷は増え、それでもそれは誰の役にも立たない。

 店先に繋がれたらくだが男を振り返り嘶いた。

「もう少し待ってくれ」

 男はらくだにそう言ってから、朝を見て「大丈夫か」と尋ねた。よほど不安そうな顔をしていたのだろうか。朝は「大丈夫よ」と言った後、頭を下げた。

「この先も、よろしくお願いします」

「ああ、まかせておけ」

 男の尊大な物言いに、朝はいっそ肩の力が抜けて、一緒になって笑ってしまった。


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