朝は話を聞いて
「町はあっちだ」
男の指し示した方角は、朝の見ていた方向とはほぼ真逆だった。
「あら」と呟く朝にかまわず男は話を続けた。
「町の勢力の片方は軍人が、もう片方は僧侶が中心になっている」
「僧侶が戦うの?」
「そう珍しい話じゃない」
男は息を吐いた。
「この国の宗派は武闘に長けているという特徴もある。砂漠の中とはいえ、交易路の中間地点として昔から利益の大きな土地だし、水が豊富にあるからな。内乱だってそう珍しいことじゃないんだ。とはいえ、これほどひどくなることは近頃ではなかった。表立っての対立は数年前まではかなり影をひそめていたんだ」
だから僧侶になった。
そういうと、男は疲れたように長く息を吐いてから、「とにかく」と続ける。
「国の東の町でとうとう内乱が始まった。それが昨日店に来た男から聞いた情報だ」
昨日、朝達が立ち寄った家に飛び込んできた男のことだろう。
「内乱はあっという間に広まる。すぐにあの町もそんな状態になる。官長は穏やかに見えるが、意志の強固な人だ。一歩も軍に譲ったりはしない。この数日、来客も多かったようだし。たぶん、そういった話が出てきていたんだろう。俺が砂漠に出されたことも、それを踏まえてのことだろうし」
最後の呟きは、実に厭そうな顔から出てきた。
そう言え話をする暇が無かったなと呟いた男に、朝は思いついたことを尋ねた。
「砂漠に出されたって、修行していたわけじゃなかったの?」
「なんで砂漠で修行をするんだ」
「だって、砂漠で困った人を待っていたのかと思って。その、修行のために」
全くしょうがないな。
男の顔はそう言っていた。それでも朝のあまりの間抜けさ加減に毒気を抜かれたのか、そう怒っている風でもない。
「お前に会ったのはたまたまだ。修行の途中で困っている人に行き会えば助けなければならない。だが行き会わなければ、わざわざ探すまでもない。修行というのはいろいろあるものだ。とにかく、俺は名前がつくまでは官長に絶対的に従わなければならない。これはなにごとにも優先されるべきことのひとつだ。もっとも」
男は皮肉な笑みを浮かべた。
「助けなければいけない人物がいる時は、何をおいてもそれが最優先事項だ。だからお前がいてくれたお陰で、俺はこうして町を出ても、砂漠にいてもかまわないってことになるわけだ」
「はあ」
朝は少しは役に立ったらしい。まるでそんな気はしないのだが。
「内乱が起こってしまった以上、他所の国の人間が留まるのは危ない。女子供はまっさきに安全な場所に隠されるだろうから、女が外を歩いているだけでも不審な事態ということになる。お前みたいに目立つ顔なら余計だ」
「でも私は内乱に関わっていないし、知らなかったし。そもそも内乱なんだから、他国の人間を疑うことは無いでしょう」
「言っただろう。どちらの勢力にも他国の影があるんだ。町の人間は、それがどこの国なのかはっきり知っているわけではないが、そういう力が働いているぐらいは気がついている。お前が他国から来たとわかっても、どこの国の人間だとか、関係が無いとわかるわけじゃない。この時期、他所者だというだけで不審者だ」
「はあ。なんだか大変なことなのね」
男の体からおもいきり力が抜けたのが、朝にもわかった。
「ああ、とっても大変なことなんだ」
朝は首をすくめて水を飲んだ。そして男が話し続けだったことに気がつき、新しく水を汲んで渡すと、男は「ありがたい」とすぐに飲み干した。
太陽はのんびりと空を渡りだし、気温はどんどん上昇している。
三つ子の家を出た時には、晴れてはいてもまだ空気は冷たく、上着無しではいられないと思ってウールの上着を選んだのに。
朝の黄緑色の上着は丈を短めに仕立ててある。朝は昼と夜が同じ色の上着を持っていることを知っている。昼の上着は真っすぐな形で丈が長く、夜のは腰のところで少し絞ってある。
今、朝の上着は砂にまみれたまま、鞄の持ち手に挟まれている。
これが朝が望んでいた冒険なのか。
朝は男に尋ねた。
「あなたも戦うの?」
「名前がついたら、そうなるかもしれない」
それがいつなのかはわからないのだ。それでもさっき、男はそう遠くない先だと言った。その時までこの争いが続いていたなら、戦場に立つことになるのだろうか。
「そう」
朝の目には、寺院の官長という人は穏やかで優しそうな人に見えた。言葉を大事にして、誰にでも公平な人に思えたけれど、それでも戦いをするのだ。戦いとはそういう事なのだ。
男はふっと立ち上がると、「ちょっと待っていろ。様子を見てくる」と壁の向こうへ出て行った。
らくだがついていきたげに鼻を鳴らしたが、男は鼻面を数回撫でただけで置いていった。だからすぐに戻ってくるのだろうと、朝は残りの食べ物をしまい、もう1度水を飲み、体をほぐしたり、らくだがぶひぶひ唸るので体を撫でたりしながら男を待った。
けれども、男はなかなか戻ってこなかった。