朝は砂漠で話を聞く
結局、ぐっすり眠ったのは朝の方だった。やはり気は張っていたし、らくだには慣れていないし、疲れてもいた。
男が周囲に張ってくれていた布をからげて外へ出ると、男はやることはすべて終えたとばかりにくつろいで、朝が起きるのを待っていた。
「ええっと、ああ、そうだ。おはよう」
男は吹き出しそうな顔をしたが、かろうじて堪えたようだ。
「……おはよう」
朝はひとまず顔を洗った。すでに太陽は地平線の上の全てをさらけだしている。さて、これからどうしたらいいんだろうと思った時、男が声をかけてきた。
「食べたらどうだ」
男は食べ物をいくつか並べている。そういえば疲れのあまり、夕べは何も食べずに寝てしまったということを遅まきながら思い出した。体もそれを訴え始めている。いや、朝がやっとそれに気がついたというところだろう。
「いただきます」
朝が固いパンに手を伸ばすと、男は「食べながらでいいから、話を聞いてくれ」と言った。朝は「どうぞ」と言ってパンをちぎった。
「まず、えー、そうだな」
自分から言い出したくせに、男は何から話したらいいのかしばらく悩んだ。その間に、朝はパンを3分の1ほど食べた。
「そうだな。俺は言ったように修行中の身だ。俗世を出て修行に入る時に名前を捨てた」
「名前はずっと無いままなの?」
「いや。修行の段階を経ていけば授けられることになっている」
「それはいつ頃になるの?」
「このままいけばそう遠くはないだろう。とりあえず話を聞け」
朝は首をすくめた。
「ごめんなさい」
「名前はこの際、どうでもいい。とにかく俺は修行をしている。その段階を言っても仕方がないが、修行の一環の中には人助けも入っているんだ」
「はあ」
僧侶であるから、人助けもしなければいけないということだろうか。しかしそれは特別なことだろうか。人助けなら僧侶でなくてもしそうな気がする。
「ちょっと助けるというわけではないぞ」
「はあ」
「困っている人を見つけたら助ける。それも最後まで、その人がもう大丈夫だと俺もその人も判断できるまで寄り添って助ける。そういう修行なんだ」
なるほど、それは大変そうだ。朝は頷いた。
「だから私を助けてくれて、それで」
男は眉根を寄せて朝を睨んだ。この何日かで見慣れたとはいえ、きれいな顔で睨まれると凄味があって大層怖い。
「ごめんなさい。もう口は挟まないから。あの、続きをどうぞ」
男はひとつ息をついてから続けた。
「まあ、とにかくそうだ。俺にはお前が大丈夫だと俺もお前もそう思えるまで傍について守る義務がある。だから行きたい所があればどこへでも連れて行くし、いつまででも傍にいる」
「どこまでも? 私が無理だと思っているうちはいつまでも? たまたまあっちの方で会っただけなのに?」
そこまで言ってから、はっと口元を押さえた。自分でもなんで黙っていられないのかと恥ずかしくなる。だが男は今度は怒らずに頷いて先を続けた。
「たまたま。それが導きというものだ。俺はお前を助ける為にそこに行かされたんだろう。それが修行だ」
男はそこで少し躊躇った後、続けた。
「……昨日、町で起こった事を説明したほうがいいな?」
朝は黙ったまま頷いた。パンの残りが口の中にあったからという理由もある。
助ける為にあそこにいた、導きだと言うわりにはかなり嫌な顔だったし、何度も罵倒された気もするのだが、それよりも大事なのは今、なぜこんな逃げるような事態になっているのかということだ。理由もわからず、何から逃げているのかもわからずに。
「そうだな、ちゃんと話そう。まず、この十数年というもの、俺の国はふたつの勢力にわかれている。どんな小さな村までも、ふたつのどちらかに属していると言われるぐらいにまっぷたつだ。それでもそれはそれでそれなりにバランスを取っていたんだが、この何年かでそのバランスが危うくなってきている。このままだとじきに内乱状態になるだろう」
内乱。
それは聞いたことがあっても、朝にとって現実味の無い言葉だ。
畑の世話をし、作物を売り、諍いといえば翌年何を育てるかということぐらい、それだけだった三つ子の毎日に、内乱という言葉はふさわしくない。こんな旅に出るはめになった状態ですら、この言葉に比べればおとなしく些細な事に聞こえる。
「内乱が起これば、その状態をつけ狙う国もある。その隙に攻めてしまおうと考えるのは、それほど難しいことではないからな」
「それって、戦争」
「そう、戦争だ。内乱の混乱状態に煽られて、大規模なものになるだろう。元々、ふたつの勢力其々に他国からの援助の影があるから、内乱と言っても、この国を使って代理戦争を起こすようなものだ。そしてそこにつけ入ろうとする国は他にもある」
朝は砂漠に向かって首を伸ばした。砂ばかりで何も見えない。