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豆畑の外は世界の果て  作者: 大石安藤
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夜は砂浜を歩く

「降りられる?」

 ぽんと身軽に砂浜に飛び降りたアシが、手を差し伸べる。

「うん」

 そう言いながらも、夜はちょっと腰が引けた。上がってきた道よりも、地面がだいぶ下にあるような気がする。

「砂だから怪我はしないよ」

 アシは砂浜で足踏みをしてみせてから、夜の顔を見上げて付け加えた。

「僕が支えるから」

 大きく広げた腕を目当てに、夜は思い切って飛び降りた。柔らかな砂地に足が沈む前にアシが支えてくれたから、ほとんどよろめかずにすんだ。

「大丈夫だったでしょ」

 にこりと微笑みあうと、夜は自分も18に戻ったように心が弾んだ。ほんの何年か前だけれど、それは随分前のような、つい昨日だったような心持ちがした。

「海じゃないの?」

「違うよ。海じゃない」

 夜とアシはしっかりと手を繋ぐと、砂を鳴らしながら歩き始めた。

 砂は柔らかく、辺りはひとりで歩くには心許ないぐらいに闇が濃い。足元の砂と、寄せて砕ける波頭だけが星明りを反射して白く、砂浜はあと数人横に並べばいっぱいになるぐらいに狭かった。

「海に見えるのに」

「そう。海に見えるけど、海じゃない」

「ふうん」

 よくわからないままに歩いていると、夜は繰りかえす波音が奇妙なことに気がついた。

「……波が」

「波が?」

 アシがまた笑った。闇が深くなるにつれ、アシはどんどん幼い少年のようになっていく。夜はそれに釣られてしまう。

「すごく規則的というか」

「うん」

「ぱたんぱたんっていう感じがするわね」

「うん。普通、波はもっと何かを含んでいるみたいな音がするよね。僕も海には何度か行ったことがあるけど。こんなふうに余裕が無い繰り返しじゃないよね」

「そうね、余裕が無い」

 きちんとしすぎる繰り返しが、波を波でなくしてしまっているような気がした。波が消えていく先が無いような、そんな忙しなさがある。

「波が音楽を奏でているようだって、よく言われるよね。でもここは海じゃないから、音楽には聞こえないでしょう」

「音楽に聞こえないから海じゃないの?」

「反対。海じゃないから、音楽には聞こえない。ま、どっちでもいいけど」

 波の向こうは闇に紛れていて、何があるのかわからない。浜は長く続いているけれど、貝の欠片も植物も無ければ、岩場も建物も何も無い。振り返ってもふたりの足跡があるだけだ。

「じゃあ、ここはなに?」

 ここのために来た人々が、それでもすぐに飽きて後にしてしまうところ。

「海になりそこなった海」

「なりそこなった?」

「うん。そんなふうに言ったら可哀そうかな」

 立ち止まったアシは夜の手をぎゅっと握った。夜は海よりもアシの方が気の毒に思えて、大きいけれど細い手を握り返す。

「あのさ、これは人口の海なんだ」

「人口の海? 湖じゃなくて?」

 湖や池なら聞いたことがあった。どこかの国では雨が極端に少ないから水資源確保の為に人口の湖を作っているとか、人工的に川の流れを変えたとか、そういう話なら聞いたことがある。とても多くの労力と財力のかかる事業だ。

「別に水に困って造ったわけじゃないんだ。この町は水不足になったことは無いからね。ここは観光資源として造ったんだよ」

「観光資源」

「そう。この町は資源も特産物もなにも無いんだ。ただ住むための町。ほとんどの人が首都で働いていて、帰って眠るだけの町。産業として成り立つ物がなにも無いから、人の入れ替わりも激しいし、町はなかなか豊かになれない。それで考えたんだよ。なにかちょっとでもお金が入って豊かになるようにって」

「それで」

「それで海。この国は海が無いから、余っている土地を使って人工の海を造って、その周囲になんていうか、商店とか宿とかも作って、観光客が来るようにって考えたんだ。それにこの波」

 ふたりはきちんきちんと打ち寄せては引いていく波を見た。

「波が寄せて返すように工夫したんだ。この波は半永久的に動くんだって」

「半、永久的」

「うん」

 そう言ってから、アシは「歩こう」と夜を促した。

「でもどうやってそんなことができるとか聞かないでよ。僕は知らないんだから」

 歩き出す時、砂で縺れて転びそうになった夜を支えながらアシが言った。砂浜はどこまでも続いているかのようだったが、先のほうでぷっつりと途切れているのが夜にも見えてきた。

その一点で、塀と砂浜と海がひとつになっている。

「そうやって町中でがんばったんだけど。塀で囲って、砂浜を作って、寄せて返す仕掛けを作って。そして水を持ってきて、水路を作ったところで終わっちゃった」

「もうちょっとなのに」

 そこまでできたなら、あとの苦労はどれほどもないように思えた。こうして海ではない海は、ひたすらに波を生み続けているのに。

「お金が無くなっちゃったんだ。誰にも」

 アシは薄く笑った。

「だからここは海になりそこなったまま。町の人たちはますます外へ働きにいかなくちゃならなくなっちゃった」

 アシがモン老人とふたりで暮らしている理由もそこにあるのかもしれない。夜達はそのまま端の端まで歩いた。

「でもこうして暗い時に見るとなかなかなんだよ。このなりそこないの海」

 明るいと見えてしまう海の終わりも見えず、殺風景な景色も闇にまぎれて境が曖昧になる。闇の中でだけ、この海は海に近づけるのかもしれない。

「そうね。そう、なかなかね」

 ふたりはゆっくりと引き返し始めた。それはとてもとてもゆっくりで、夜にとっては初めてのなかなかなことだった。

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