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豆畑の外は世界の果て  作者: 大石安藤
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朝は東に

「暑いわ」

 朝は上着を脱ぐと、額に浮き出た汗を拭った。腕までじっとりと湿っている。上着をウールにしたのは失敗だった。けれどもこれは朝がただひとつ、自分の物として確保している上着なのだ。他は下着以外、どれも3人共通で、それはそれでこれまでなんの不便もなかったのだが。

 黄緑色の上着を鞄の取っ手の間に挟み、さて、と腰を伸ばす。国境の門までは村の人に乗せてきてもらったのだが、ここから先はひとりで行くしかない。

「この先は、あんまりお勧めできないがよぉ」

 2頭立ての馬車でたどり着いたところは、砂漠へ開く門の前だ。畑の収穫物をいつも高く買ってくれる御者の男は、ぼんやりした長い顔にぽつんとおまけのようについている小さな目を不安そうに瞬かせると、「ほんとに、危ないからよぉ」と続けた。彼は門の近くで開かれている交易市場の仕事をしているので、この辺りのことにはたいそう詳しい。だが、門を越えたことは1度も無いので、その先の危険については噂でしか知らない。それでも男は繰り返した。

「ほんとうに、勧められないんだがよぉ」

 東に行くということは、砂漠に向かうということ。

 朝はそう思って東に決めて家を出た。村に着いた時、この男が交易市場への荷物を運ぶ日だと知ったことが、朝の決意を強固なものにした。そうでなければ、ここへ来るまでに3倍の時間はかかると考えていたからだ。

 それにしても実に遠い道のりだった。その間ずっと、男は繰り返し言い続けた。

「悪いことは言わないから、俺が仕事終えるまで待っててさ、そしたら、また送っていくからよぉ。どうしても砂漠を越えたいってなら、他の手立てもあるんだしよぉ」

 実はこうまで男が熱心に言い続けなかったら、朝はここまでの長い道のりで飽きてしまい、さっさと家へ戻っていたかもしれない。朝は飽きっぽくて、それでいて負けず嫌いなのだ。

「用があるって言うんなら、1日ぐらい、待っていてあげられるよ」

 それでも振り切るように馬車を下りた後、朝は「ほんとうに、大丈夫」と首を横に振り、次に「どうもありがとう」と手をさらに大きく横に振った。

 そこでようよう馬車を市場へと向けた男は、何度も何度も振り返り、朝は馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。それがこんなところまで送ってくれた人に対する礼儀だと思ったのだ。姉妹は3人揃って礼儀正しいことを好んでいる。

「さて」

 朝は脱いだ上着と鞄を手に、小さな旅券をもう片方の手で国境の門兵に見せると、いかにも旅慣れていますというように、迷いもなく門の外へと足を踏み出した。

 のだが。

――うそでしょう。

 門からたった一歩踏み出した途端、朝の体はふらっと揺れて、足はたたらを踏んだ。

 暑い。とにかく暑い。門のまでの暑さなど比ではない。

 目の前の茫漠とした風景と共に、情け容赦のない暑さがいっきに朝に向かってくる。

 高い門と石塀が、空と大地をこっちとあっちに分けているだけなのに、どうしてここまで違うのか。朝にはさっぱりわからない。あまりの暑さに目の前がくるくると回りだすようだ。だが朝は、この暑さを理由に引き返そうとは思わなかった。

 2年前まで8年間通っていた村の学校に入った時に1冊だけ貰えた、姉妹で使っていたためにぼろぼろになった地図帳をよいせと鞄から引っ張り出すと、朝は砂漠の向こうにあるはずの国の、国境付近の町の名前をいくつか確認した。ずっとまっすぐ、ひたすら東に歩いていけば、一番近い国の端にある町に辿り着ける筈だ。やっぱり交易の都市で、朝達の村より、馬車で通り過ぎたここまでのどこの町よりも大きい。筈だ。

 砂漠を歩いていくことがどれほど大変か朝は知らない。朝が考えているようにひたすらまっすぐ歩いていったなら、日暮れを持たずに行き倒れになることは間違いないだろう、ということもわからない。鞄に入っている水や食料が砂漠を行くには少ないのではないかという疑問は、朝の頭の片隅にすら浮かばない。

 冒険は体だけでなく、頭を使ってやるものだ。もっとも、小さな村の外にすら滅多に出ることの無い者の計画なんて、こんなものなのかもしれない。十分注意しているつもりでも何かが足りないし、足りないということに考えが及ばない。

 だが冒険には偶然もつきものだ。奇跡と思えることも。それを本人が偶然と思うか奇跡と思うかの違いに過ぎない。そしてそれらは案外そこら辺にころころと転がっているものでもある。ただ、冒険とやらを続けていくのに必要な偶然や奇跡の数は、それこそ誰にもわからない。

 そして朝は既に歩き始めていた。とてつもない暑さの割には、実に機嫌よく。

「なんとかなるわ」

 いや、それはどうだろう。


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