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豆畑の外は世界の果て  作者: 大石安藤
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昼は川に

 昼は気持ちがざわざわと落ち着かなかった。とりあえず次の船着場までどのくらいだろうと首を伸ばしても、船の先には川しかない。航路など知るよしもないから、どのくらいかかるのか想像もつかない。船内に時刻表のような物は無いし、あったとしても水路を使う乗り物はさまざまな条件で進む速度が変わるのであまり当てにはならない。

 それでも昼は何かわからないかと船首にある操舵室の方を伺ってみるのだが、ここからでは中の様子はちっとも見えない。きっと船長か乗組員の誰かに聞いてみればいいのだろうが、船縁にくっつくように座っている昼からは、操舵室までが面倒な程に遠い。そこへ行くにはまず隣でうとうとしている夫婦を起こさないといけない。

 そうこう考えた昼はそこまでするほどのことではないと思い、結局、川へと視線を戻す。

――なんで。

 昼が降りる予定にした船着場は、細長い昼たちの国をやっと抜け、隣の国に入った所にある。きっと景色もがらりと変わるに違いない。それは楽しみなような、恐ろしい事のような気がする。

 他の国なんて1度も行ったことがない。狭い世界しか知らなかったし、知りたいとも思わなかった。朝と夜は時々、どこかの国へ行ってみたいなんて話をしていたが、昼はいつも聞き流していた。

 たまに行く村と、もっとたまに出る町。極々まれに出る町の外。昼にとって世界はそれだけあれば十分だった。

――なんで。

 今となっては、なぜ家を出ようと考えたのかが自分でもわからない。確かに3人の中は今までに無かった程にぎくしゃくとして、家の中は澱んでいた。誰も答えは出せなくて、苦しい毎日を過ごしていたのも事実なのだが、なにも3人揃って家を出なくてもよかったのだ。

――残ったってよかったんだわ。

 朝と夜が出て行くなら、昼が残ったところでひとりになることに違いはない。だがあの時は、といってもまだ家を出てから1日しかたっていないのだが、あの時はあの小さな家にいることが1番の原因に思えた。小さな四角い家を出ていかなければ、なにも解決しないように思えたのだ。

――なんで。

 けれど既にもうそれが正しかったのかどうかがわからなくなってきている。たかが飛行機乗りひとりの為に、なぜここまで振り回されてしまったんだろう。

 昼は強いて家を出て良かったことを思い出そうとした。

――とても親切にしていただいた。

 あれほど親切にしてもらい、さっき別れたばかりのおばあさんの顔を思い出そうとしたが、なかなか出てこない。焦ると、なぜだか花のことばかりが頭に浮かんでくる。さわさわと花が揺れ、庭中が甘い香りに包まれていた。

――あの花、持って帰れればよかったのに。

 いつのまにか、頭の中の庭は、昼の小さな庭になっていた。咲かせるまでに手間のかかった花の群れが、昨日は9分咲きだったから、今日には満開になっているかもしれない。朝と夜が手間がかかりすぎると反対したのを押し切って植えたので、最初の年に丈が高く伸びただけで花を咲かせなかった時にはえらくがっかりした。けれども2年目からは順調に咲くようになったし、最近ではふたりも楽しみにしていたあの花々。あの花も軽やかで甘い香りを庭中に撒き散らす。

――なんで。なんでこんなところにいるの。

 なにをどうしても意識は家へと帰っていってしまう。こうやって座り続けて、川ばかり見ているのがよくないのかもしれない。手すさびの物でもあれば良いのだが、さすがに、暇を見つけてはせっせと針を動かしている刺繍道具まで鞄に入れてくることはしなかった。

 なにをすることもなく、動けもせず、ひたすらに川を下っていく船の中でじっとこごまって座っている。

 船は悠々と川を下っていく。川は昼をとらえて放さない。

――列車にすればよかった。

 夜と同じ方向になるが、出て行った時刻は違うし、手段が同じでも行き先が同じとは限らない。とにかく川でなければ、こうも家を思いだすことはなかったような気がする。

 三つ子として生まれ、片時も離れないような生活を送ってきたのだから、感じることや考えることが似ているのは仕方が無い。

 だからといって3人が向かった方角が違っていたとしても、たとえば夜が東に、昼が列車に乗り、朝が船で川を下ったとしても、同じ行動をとったとは言い切れない。むしろ違う行動をとる確率の方がより高いだろう。昼が列車に乗っても、今頃は夜とは違う所に降り立っていたに違いない。

 どこからか馬の嘶きが聞こえてきた。川岸に繋がれてでもいるのだろうか。高く寂しそうな声が長く響いた。

 昼はふっと、川の方へ身を乗り出した。

 船縁の幅は厚いが、覗き込めばすぐそこに川面がある。馬の声はまだ聞こえている。どこかに馬車の発着場があるのだろうか。

――もしかしたら。

 馬車に乗れるかもしれない。川沿いに列車は無いが、馬車なら村の方へ向かうものもあるだろう。少なくとも、近くの町までは行くのではないか。

――もう帰りたい。

 一旦帰りたいと思ってしまうと、その気持ちは加速していく。冷静に考えれば次の船着場で降り、川を遡る船に乗り換えればいいだけの話なのだ。馬車なんかで行こうものなら、時間と金がかかるばかりだ。だが昼は、こうと思うと他のことが目に入らなくなる性質だ。姉妹の誰よりもその性質が強い。

――帰りたい。

 小さくて四角い家。白い壁と青い桟の窓。濃い茶色の屋根と扉。畑と小川。あの憎たらしい猫。花畑の甘い香り。昼を甘やかす香り。

――あの川だって、ここまで来ているわ。

 もちろん、小さな家の横を流れる川は村の川と混じり、更に下ってこの川まで注ぎ込んではいるが、その交差する場所はかなり上流だ。けれども昼はこのまま川を遡れば、家に帰れるような気がした。

――馬鹿みたい。

 それはできないことだとわかっている。なのに昼はますます身を乗り出している。荷物も忘れ、ぐいっと川の方へ。船が進んできた方へと顔を向けても、もちろん小川がわかるわけもない。それでも川の匂いは尚更濃厚に昼を包み込んでいく。

「お、おい」

 最初におかしいと気がついたのは、さっき昼と目があった、2列後方に座っている青年だった。

「おい、おい、おい」

 青年の前に座っていたのは、ひとりで優にふたり分の横幅を誇る男で、どいてくれと言われて体を横に反らせても、ほとんど何も変わらないほどだった。それもひとつの原因かもしれない。青年の腕は、あと少しというところで昼に届かなかった。

「おいっ」

 長い腕は、薄い黄緑色の上着を掠めただけだった。

 昼の体は、昼の思いに反応するかのように川面へ乗り出していた。きっとなにも考えていなかったのだ。

 ザバンっと水を切るかなり大きな音がしたのに、昼自身はそれを聞くことなく気を失っていた。


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