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豆畑の外は世界の果て  作者: 大石安藤
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昼は川を下る

 転寝をしていたらしい。船の細かな揺れや、低く流れるざわめきなどが心地よかった。夢を見ていたような気がするが、覚えてはいない。すでに日は沈み始めている。

 昼は乗った時と変わらない場所に座ったままだ。体が強張っている。隣に座っている人との間が少しあるので、体を左右に捻ったりしながら、船内を見回した。最初の船着場は過ぎているが、降りた人は少なかったようだ。まだ多くの人達がおとなしく座っている。小さく歌を口ずさんでいる人もいる。赤ん坊の「うっ」とか「ゆっ」とか、相槌を打つような声がするから、その子の母親なのかもしれない。

 船尾の方へ首を回したら、2列後方に座っている青年と目が合ってしまい、慌てて前に向き直った。

 昼はちょっとした世間との付き合い、というのがとても下手だ。こういう時は微笑んだりすればいいのかもしれないが、そういうことができない。朝なら「こんにちは」とか、「退屈ね」とか話し始めるだろうし、夜ならにっこりと微笑んで場を和ませるだろう。昼はいつもなにもできずにうろたえるだけだ。

 そんなことでもこれほど違うのに、なぜ村の人達が未だに3人の区別がつかないのか、昼にはさっぱりわからない。

 座り直して前方を見つめる。とりたててすることもない。船は川の中ほどをゆるやかに進んでいる。船はかなりの速度を出しているのだろうが、大きさのせいかあまり速さを感じない。

 昼は船縁に寄りかかるような形で川を見つめた。

 川の水は独特なものを持っている。定期船が行き交うほどの大きな川は、匂いを殊更強く感じさせる。昼達の家の横にあった小川は、細くて流れが速く、瀬を行く時などはその音で存在を知らせていた。けれど匂いを感じたことはほとんど無かった。

 川の匂いは風にのって、水を近くに感じさせる。水の匂いの他に、昼の中に溜まっていくものがあった。小さな家や畑、3人が好きなスープ。そんな匂いがするわけないのに、川は雑多なものを全てまとめて運んできているようだ。

――貯蔵室に入れようと思っていたあの葉物野菜、台所に置きっぱなしにしてきたような気がする。最後の最後で鍵が見つからなくて慌てたから、そのときテーブルの上に置いたのよね、確か。あの後、すぐに鍵が見つかってほっとしたから、そのまま忘れちゃったんだ。

――そうだ、そうだった。鍵なんて、いつもは夜しか使わないから、自分のはしまいっぱなしだったんだもの、しょうがないわ。

――そう言えば、朝は鍵を持っていかなかったかもしれない。そういうことに気がつかないもの。朝が戻ってきても家に入れないかもしれないわ。

――あのぶち猫、またなにか食べてるんじゃないかしら。戸締りしたって、いつのまにかに入ってくるんだから。きっと、どこかに抜け道があるんだわ。

――そうか、朝も抜け道を知っていれば、家に入れるかも。でも猫のじゃ無理ね。いくら朝でも通れないわ。

――なんで猫のくせに野菜ばっかり食べるんだろう。悪食なのね。だいたい、どこの猫なの。毛並みはきれいだから、誰かが飼っているのは間違いないと思うんだけど。

 最近の三つ子の天敵はこのぶちの猫で、たまに姿を見せては食べるばかりに熟した野菜を持っていってしまう。昼は動物が得意ではないので、猫が来ると普段出さないような高い声で喚いて、朝か夜を呼んだ。朝はおもしろがって猫をかまうので、昼はいつまでもきゃあきゃあ喚いていなければならず、夜は野菜をしまうばかりで、猫には知らん顔をしている。だがどうやら猫は夜が1番好きらしく、夜が来るとおとなしくなって、いつまでも離れようとしない。

――あの猫、私たちの見分けがつくんだわ。

 頭のいい猫なんだと、昼は今更ながら感心してしまった。

――そうだ、山の方の畑の水の流れが悪いから、水路を直そうと言ってたんだ。夜が直すって言ってたけど、どうしたかな。なにも聞いてない。帰ったら聞かなくちゃ。

 そこまで思ってはっとした。

――帰らないんだ。

 きっと誰も帰らないのだ、あの小さな家に。少なくとも当分は。

――いつまでだろう。

 向こう岸に高い建物がある。鐘楼があるのが見てとれるので、寺院かもしれない。川沿いに、どこまでいってもいつでもそこに寺院がある。途切れ途切れに聞こえてくる詠唱の声が、そこも昼になじみのある宗教の寺院であると告げている。

 昼はかなり遠くまで来た気になっていたのだが、川を下っているだけでは、それほど遠くへは行けないのかもしれない。川岸の景色はいつまでも村を思い出させる。川はどこまででも家の匂いを運んでくる。目を開いても閉じても、いつでもあの小さい家が昼の傍らから離れない。

 小さな、三つ子の小さな四角い家。


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