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豆畑の外は世界の果て  作者: 大石安藤
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夜は思い出す

「観光客に人気のお城」というのは、昔の城跡で、今は使われていない。それでも遺跡なので町で管理をしているし、観光名所として開かれている。隣接しているバラ園も手入れは怠っていないはずだと、これは泊まった宿のオーナーに聞いた。丸い顔に丸い体に声まで丸いかのような柔らかな話し方をする女性で、ふっくらとした手をしきりに動かしながら、名所をたくさん教えてくれた。

 城跡はすぐにわかった。石畳の道がそこまで続いていたからだ。

 町の中心から同心円状に伸びている石畳は整然と美しいのだが、途中で分かれて西に向かう道だけは石の大きさがまちまちで、かなり磨り減っている。その道をつたっていったら、城跡にはあっという間に着いた。

 城は大きく立派で、古く頑丈で、そして実に陰気だった。夜がこの国の領主だとしてもここには住みたくない。踏み固められ、日差しを浴びているにも関わらず、地面はじっとりと湿り気を帯びていて、これまでに乾いたことなど無いように見えるのは整えてもなくならない苔のせいかもしれない。

 夜は苔が苦手だ。どうして増えるのかよくわからないからだ。朝は関心を持っていなかったが、昼は存外、苔などの地衣類が好きだった。呑気なようで勢力を拡大するのが楽しいと、よくわからないほめ方をしていたのを思い出し、夜は苦笑した。

 城は中も薄暗く、空気がどんよりと淀んでいる。美しいステンドグラスの窓もその性質からか嵌め殺しなので、空気の逃げ場が少ないのだ。日射しが入らない時のステンドグラスは、悲惨な戦いの場を描写していて、長く見たいものでもなかった。

 他にも蔵書を集めた図書室や舞踏会も開かれたという広間、豪華な寝室や古い浴槽など、由緒のある物は際限なくあるようなのだが、入り口近辺をぐるっと回っただけで、夜はうんざりしてしまった。

 出入り口で募っていた、城を保持するための寄付をする碗に入れた金額が少なすぎたのか、夜はお気持ちをと言われて城に感じた気持ちのままの金額を出したのだが、「これをどうぞ」と差し出された城の案内と称する物は薄っぺらい1枚の紙切れで、そっと持たないとすぐに破れた。書いてあるのは大まか過ぎる城の見取り図で、そのとおりに歩いているつもりでも、入り組んだ細い通路はすぐに行き止まりになった。夜はこれにかなりいらいらさせられ、どんなに豪華な装飾や蔵書があったとしてもこれ以上見る必要は無いように感じ、さっさと城を飛び出してしまった。

 もともと、夜は城なんかに興味は無いのだ。

「素敵なバラ園」は尚更ひどかった。夜が考える「手入れ」とはこんな状態にすることではない。葉も枝もみっちりと生い茂り、伸びるがままになっている。森の中ならいざしらず、庭でこのような有様は、夜にはとても考えられない。これを自然でいいと言う人がいるのかもしれないが、その人は自然を知らないのだ。自然とは庭にあるものではない。

 花は申し訳程度に咲いている。蕾も少ない。きちんと手入れをしてさえいれば、これからはポンポンと絶え間なく咲き誇る時期だろうにと、夜はバラを気の毒に思った。奥に進めるように剪定された小道もあるが、そこを辿るのでさえ、かなりのかすり傷を我慢しなければならないだろう。夜は無駄なかすり傷など大嫌いだ。

「さて」

 城を出たところにあった店のテラスで値段のわりに軽い食事を済ませた後、夜は空を見上げ、これからどうしようかと考えた。この町の中で、行きたいところがもう思いつかない。

 昨日よりも空が広い。青い空には小さな雲ひとつ見当たらない。ほんの少し日が長くなり、ほんの少し暑さが増している気もする。それは国が変わったからかもしれない。

 バラ園を見てしまったせいか、しきりに脳裏に浮かぶ畑の作物のことを、夜はなんとか考えないようにつとめた。水は十分にやってきたし、昼も出かける前に確認したに違いない。昼は夜よりも神経質だから、なにもかもかなり念入りに点検したはずだ。それに村の友人に、たまに見回ってくれるように頼んでもある。たぶん他のふたりも同じように誰かに頼んだだろう。聞かなくてもそれぐらいはわかる。

 だからしばらく帰らないとしても、たとえ三つ子の誰も戻らないとしても、畑は青々とした葉を翻すことだろう。誰も戻らないことに、村の誰かが気付くまでは。

 どこからか、昨日と同じようにはらはらと白い花びらが落ちてくる。甘い香りはやっぱり懐かしい匂いがする。どこにも植えてあるこの木は国のシンボルらしい。

 しばらく考えてからやっと、夜はこの花と似た香りに思い当たった。町の寺院の庭にあった大木の花の匂いだ。この花とは違って花弁の1枚1枚が手のひらほどもあろうかという大きさだったが、同じようにとろんとした甘い香りだった。夜はその下で転寝をするのが好きだった。だから懐かしいのだ。

 寺院のことを思い出した時、そういえばひとつ、行きたい都市があったということも思い出した。

 学生だった時に授業で習った遠い町。教師に話を聞かせてもらい、文化の違いに驚き、1度行ってみたいと思った。不思議な宗教を信仰する小さな国。そこはここより更に西にある筈だ。

 夜は腰を下ろした時よりも、ずっと浮き浮きした気持ちで立ち上がることができた。

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