朝は港町で
「目立つな」
「そう言われても」
港町、という括りは同じなのに、この間までいた寺院のあるあの大きな港町とはずいぶん雰囲気が違う。なんとはなしに、こじんまりとした、という感じで、船から船着き場、そこから町中へとたどり着くのがあっという間だった。立ち並ぶ建物も商店の中にある品物の数々もここまでで見たことが無いものがいくつもある。顔立ちや髪の色など、見たことのない人々がいて、朝は自分がそれほど目立つとも思えない。
「そもそも、巡礼者なのだから顔を出してもあちこち覗いてもおかしくないんじゃない?」
少なくともフォン師はそう言っていた。普通の尼僧より、融通がきくと。
「限度がある」
「それにフォン師は巡礼者とはキョロキョロしているものだっておっしゃっていたし」
「……っとに、あの人は」
ろくでもないことを教える。と、ハバラの顔はそう言っている。
ハバラはふうっと息を整えると、朝の頭にすっぽりと薄布を被せ、目から上を隠した。
「え、これは」
「来る前にも言っただろう。巡礼は物見遊山じゃない、信仰なんだから敬虔さが必要だ」
「でもほとんどの人は珍しいもの見たさだと」
「そういうのは金持ちの道楽者だ」
「巡礼とは名ばかりのそういう人が大半と」
「だから」
ハバラはイラついた様子で続けようとしたが、はっと息を呑んで朝の肩を掴んで押しとどめた。
「……待て」
「え?」
ゆっくりでも歩いていたのを止められた反動で軽く体がのけぞった。
ハバラは支えるように朝の肩を抱いたまま、そっと自分が前に出る。
「なにか」
あったのか、誰かいたのかと聞きたいところだったが、ハバラが危険と判断した時に足手まといになってはいけない。守られている人間がしなくてはいけない1番大事なことだ。ハバラと出会ってから、朝が覚えたなかでたぶん1番大事なことだ。
「……宿へ急ごう。いや、裏から行く。大丈夫だ。道筋はわかっている」
「はい」
ここはついて行くしかないだろう。珍しいものがあった商店への名残り惜しい気持ちを捨てて、朝はハバラの背後から出ることがないように裏路地を進んだ。
町はやはりそれほど大きくなく、もちろん迷うこともなく船旅の僧侶や巡礼者の定宿がいくつか連なった場所へ着いた。ハバラは中でも端の、2辺が道に面している建物へと入った。
「あらぁ、久しぶり」
受付と思われる場所に、でっぷりとした体の女性がどっしりと座り、なにかを編んでいる。ずいぶん太い糸で羊毛とは思われない。朝は危うく被り物を取って眺めてしまうところだったが、ハバラが挨拶を始めたことでなんとか止めることができた。
「ご無沙汰してます。お元気でしたか。相変わらずきれいですね。あ、これ、土産です。お口にあうかわかりませんが、ご主人とどうぞお召し上がりください。まあ、女将さんに比べたら上等なものなんてありませんけどね」
――流れるようなお世辞。
「やだぁ、もう、ほんと口がうまいんだから。恥ずかしいからやめてって言ってるのに。あら、お連れさん。それも珍しいこと」
語尾にきついものが混じった。
――危ない。
朝は被り物を深く被り直す。ここで目立つ目立つと言われた顔を見せたら、このきついものが増えるだろうことは、それほど勘の良くない朝にもわかった。
「いえ、今回は巡礼者さんを送って行かなけりゃいけなくて。ちょっと先まで足を延ばすんですけど、女将さんに会えなくなると寂しいから寄って行きたいって無理言って寄らせてもらってるんです。えっと、数時間でいいんで、この方を休ませる場所だけ貸してもらえませんか」
「そんなんでいいの? そう、巡礼ならしょうがないわね。でもあなた、寂しいからなんて、何年も顔出さなかったくせに、よく言うわ」
聞きようによっては、和やかとも睦言とも戯言とも聞こえるような話し方だが、楽しんでいるようだ。女将さんはハバラに笑顔を見せながら、大きな尻を「よっこらしょ」と掛け声をかけて持ち上げて立つと、手にしていたものをこれまた大きな籠に押し込んでから、「奥の部屋が開いているから、そこならいいわよ。濯ぎの水をお持ちしますよ。お茶も用意したげるから、ゆっくりしてくださっていいのよ。泊まる気になったらいつでも言って」
最後の言葉はハバラをねっとりと見上げながら口にしていたし、ハバラは「ご主人に殺されそうだなあ」と微笑み返していたが、隙をみせることなく朝を連れて、まさしく部屋に逃げ込んだ。
「……笑うところじゃない」
「……ごめんなさい」
何が起こっているかよくわからないまま、もはやどんな顔をしていいのかわからないまま、朝は部屋に置かれた1脚しかない椅子に座り込んだ。ハバラは荷物をひとつ、窓の下に置いた。
「お茶がきて、しばらくしたらこの窓から出る。そのまま町外れまで行く。悪いが説明は後だ」
ハバラが手をあげて朝を制してすぐに、扉を叩く音がした。朝は荷物を抱えたまま、ぐっと息を呑んでハバラが女将とまたよくわからないやりとりをするのを黙って聞いていた。それは存外長いと思われる時間だった。




