朝は船で
「朝っ!」
ハバラの顔が引き攣っているのが、帆柱の上にある物見台からもよくわかった。朝は内心しまったと思いながらも、なんとか笑って手を振った。
「大丈夫、いま降りるから」
ハバラはただ唇を片端引き上げた。かなり怒っているようだ。だいたいハバラが名前を呼ぶなんてことはこれまでほとんど無かった。朝は首をすくめ、ここまで上るのに手を貸してくれた船乗りに「降りるわ」と言って、ロープのはしごに足をかける。
「気をつけてくれよ。あの顔、お前さんが落ちでもしたら、俺ぁ殺されそうだ」
「大丈夫、大丈夫。私、上るのも上手かったでしょう?」
「まあ、初めてとは思えないぐらいだったが、降りるのはより危険だからな。ほら、足元しっかりしてくれ」
「わかった、ありがとう」
心配する間もなくするすると降りてきた朝を見て、ハバラはつめていた息を吐いた。朝は怒られるのを覚悟しながらハバラの傍らへ行った。
「ごめんなさい。心配かけてしまって」
「……」
先に謝られて躊躇した間があいたが、それでもしっかりと雷は落ちた。
「巡礼者としてもだが、女が帆柱に上るのは目立ちすぎるし反感を買う。もう少し常識を考えろ」
「そうか、そうよね。ごめんなさい」
確かに女性が帆柱を上れば目立つ。海の神は女性を嫌うと聞いたこともある。それが本当か嘘かはわからないが、快く思わない人もいるだろうし、船旅で逃げ場のない中、関係が悪くなるのはよくないだろう。どうしても高いところからの眺めが見たくて、人のよい船乗りに無理を言ってしまったことに、朝は今更ながら反省した。
「だいいち、危ないだろう」
スルスルと降りてきた朝には、1番に危ないとは言えなかったのかもしれない。だが危険なことに変わりはない。
「気をつけます」
「もう上るな」
「……はい」
そこでやっと、ハバラは眉間の皺を緩めた。
「船乗りのひとりから、面白い話を聞いた。それにじきに最初の寄港地に着く。そこに2日ほど停泊するから、その間にこれからの話をしよう」
「これから」
「ああ、これからだ。いまお前が見ていた内海の外の話だ」
嫌味かもしれなかったが、それよりも朝の好奇心が勝った。
「楽しみだわ」
ハバラは再び眉間の皺を深めると、「また手伝いにいくから、お前は船室に戻れ。船乗りの手を煩わすな。危険な真似をするな」と繰り返し念を押し、朝はただただ頷いた。