昼の交渉
「突然、申し訳ありません」
「とんでもない。今日は買い出しに行く予定だったんだけど、胸騒ぎみたいなものがして。ふふふ」
前と変わらず灰色の髪をきれいに纏めているおばあさん、サマンサ・フロイラ夫人は熱いお茶を入れながら嬉しそうに笑った。
「こんな嬉しい胸騒ぎなら、大歓迎だわ」
「ありがとうございます」
昼は甘い香りのするお茶を口にして、やっと安堵の息をついた。
2度目の船旅は順調だった。手土産も持ってきたし、こちらの船着き場近くに見つけた宿の部屋も無事に確保した。夜に教えて貰ったようにひとつひとつ確認してきたものの、肝心のフロイラ夫人が留守だったらどうしようとも思っていたので、こうして会えたことで少しだけ肩の荷が下りた気がした。
「前もってご連絡しておけば良かったのですけど。あの、すみません」
改めて頭を下げると、フロイラ夫人は「いいのいいの、気楽なひとり暮らしだし。またお会いできて、ほんとうに嬉しいわ」と今度は昼の手元へ小さな皿を置く。
「昨日焼いたばかりなのよ。素敵なタイミングねぇ」
「ありがとうございます」
昼は会って何度目かの礼をしてから、皿の上の焼き菓子を手にする前に本題を切り出した。
「実はお願いがあるんです」
フロイラ夫人はわかっているというように頷いた。
「聞きましょう」
「そうねぇ。港湾の人達の方が情報は早いかもしれないわねぇ」
「お知り合いがいればご紹介していただけないかと思って」
「そうねぇ。いないわけではないんだけれど」
フロイラ夫人は薄い布で仕切られた居間から台所へといき、また新しい皿を持って戻ってきた。
「これは採れたてよ。裏庭に木があるの」
紅い実はスモモの1種で、完熟の甘い匂いを放っている。
「……いただきます」
昼はこの実が好きだ。ひと口齧ってから、口元を拭いて微笑んだ。
「美味しい。この木、うちにも植えようとしたんですけど」
「ふふふ。難しいでしょう。この木は土のえり好みが激しいから」
「ええ。根付かなくって」
「ここから上流なら、寒さに負けるのかもしれないわね」
「冷え込む時間が長いからでしょうか」
「そうねぇ」
それからしばらくふたりとも口を開かなかった。
自身はとくに欲しくはなかったのだろうが、それでもフロイラ夫人は果実をひとつ食べ、実のわりに大きな種を目の前の皿にコロンと転がし、「そうねぇ」と呟いてから昼を見た。
「紹介しましょう。彼はとても気のいい人だし、信用もできるし、立場もあるから情報も集まりやすいでしょうし。でもひとつ条件をつけてもいいかしら」
「条件、ですか」
「ええ、情報は必ず私にも教えて欲しいの。包み隠さず」
「あの、でも」
「危ないかもと心配しているのかもしれないけれど、お話を聞いたり話たりするだけなら、危ないことなんてないでしょう。それにあんまり危ないようなら、そもそもあなたは私にそんなお願いを持ってこないでしょう?」
「もちろん、でもなにが」
「なにが起こるかわからないわね。それなら尚更なにも知らずにただ心配しているなんて嫌だわ」
昼は困ってしまって口を噤んだ。
フロイラ夫人はとくに急かしもせずに、「お茶、入れ直しましょうね」とまた台所に立った。
もともとある意味気持ちを決めて来ていた昼は、夫人が戻ってきた時には、深々と頭を下げた。
「ご迷惑おかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
にこりと笑いながら、うんうんと夫人は頷いた。
「こちらこそよろしくお願いします。そうそう、今日はうちに泊まってくれるんでしょう?」
「いえ、そこまでお世話になるわけにはいきませんから。それにもう船着き場の宿に部屋をとってあるんです」
「あら、何言ってるの。じゃ、お茶を飲んだらまず宿を断りに行きましょう。それから紹介する人のところに連絡を取ってみるわね」
昼はもうどうもこうもなく、ただ「ありがとうございます」と繰り返した。