朝の再びの旅立ち
「大きいと思ったけれど、案外狭いのね」
「当たり前だ。船は動力関係の部分に1番場所を取られる。次に物資だ。2等寝室ならこんなものだろう。むしろ、仕切りがあるのは上等だ」
「そうなんだ」
朝は巡礼用のコートを捲りあげて船室に入った。確かに厚手の布で小さな区画をいくつか作ってある。
「仕切りっていうか、これ、下まで無いのね」
「下まであったら危ないだろう。揺れるとぶつかるし、逃げにくいし、そもそも入りにくい」
「ああ、そっか」
布を上から下げているだけだから、奥に行くには布を捲ってもぐらなければならない。朝のコートよりよほど重いが、配られている薄い寝具に横になった時には仕切りの意味がないぐらいの高さで終わっている。
「単に区画の意味しかないが、これは案外大事なんだ。船というのはいつでも誰かの視線があるから」
「ほうほう」
朝の間の抜けた相槌にハバラは顔を顰めたが何も言わずに荷物を運び入れた。
巡礼者は自分で持てる分の荷物だけを持つ。
どんな旅でもそうなのではという朝の問いに、フォン師は「そういう者だけではないだろう」と笑った。なんでも持っていないと不安な者、旅先で不便な思いをしたくない者、いろいろな理由で荷物が増え、増えた荷物を自分では運ばない。自分で運ばないから余計に荷物が増える。
「荷物と同じくらいに要求も多い。ま、そういう者たちは贖える財産を持っているからそれなりの報酬さえ出せば構わないんだよ。そうして稼いで生きていける者もいるのだから。駄目なのは金を出し惜しむ者。持っているものを手放そうとしない者。そういう者たちは最終的にはなにもかも失う。どうせ誰でも命を失うということを理解していないのがいけないってのに。うん、こうして話しているだけでむかむかしてくる」
フォン師と話をしているとこういう事はたびたびあった。その時々の場面の感情を思い出してしまうのだという。それで朝に辛くあたるわけではなかったし、朝にしたらフォン師の話は為になって愉快でもあったので、むしろそんな時を密かに楽しみにしていたぐらいだった。
ハバラの隣、船尾に近い場所に朝は荷物を下ろした。朝は家から持ってきている自分の鞄があるから他の人より少しだけ荷物が多いのだが、背中に背負う巡礼用の荷物は軽くしている。これはハバラと一緒の旅で助かっているという部分が大きいので、ちょっとだけ朝には良心の呵責がある。
「これを敷いて、その上に毛布だ」
「それは手の届くところに置け」
「靴は寝る時も脱ぐな」
「祈りは時刻の汽笛が鳴っている間に始めろ。鳴らなければしなくていい」
「貴重品は絶対に体から離してはいけない」
いままで以上にハバラは口うるさいが、それもこれも朝を守るためである。
―ーありがたい。
フォン師の口癖が、朝の中に浮かぶ。
陽が上り始めた時、最初の汽笛が鳴らされた。船はゆっくりと港から離れていく。状況が状況なので誰も見送りに来ていないが、気持ちはたっぷり貰ってきている。
朝は生まれて初めての船旅に、ちょっぴりの不安とたくさんの期待に胸を躍らせながら、遠ざかっていく寺院のたくさんの塔、その中でもひときわ高い塔を見つめた。
「外海に出る。船室に戻れ」
かなり経ってハバラにそう声をかけられた時には、港はもう見えなくなっていた。