画面の向こう側
何事に対しても初めてというものには恐怖を抱くもの。その恐怖をいかに克服するかが成長の鍵となってくると思います。
バーチャル専用配信アプリ「Memory」。
それは名声、人気、出会い、推し、様々なものを求めて沢山の人が集まる、近代において最高峰のエンターテインメントである。
そしてまた一人新たなユーザーが今までに無い刺激を求めてアカウントを制作していた。
「ユーザー名はVelemっと。相変わらず綴りと読みがあってないよな。これでヴィレムって読める人はいるのか?」
薄暗い部屋の中、唯一の光に目を凝らしながらスマホを操作する人影が天井に投影される。
―――そう、私である。
秋麗の候だと言うのに碌に外にもです、ひたすらに家内でスマホを触る日々。これではコミュニケーションをとる相手もいないのも納得である。
「アバター制作か…。まあバ美肉ってのも悪くはないか」
作成したアバターを改めて確認してみると、低身長にそこそこの豊胸の女の子が出来上がっていた。いわゆるロリ巨乳と分類されるそれは愛くるしくも大人の色気に当てられた大人たちが淫らにも欲情してしまう産物。私もその一人であった。が、現実問題としてそれは法に触れかねないリスキーな趣味でもある。しかしここはMemoryだ。限りなく現実に近いバーチャル空間である。であるならばロリ巨乳が存在し且つ、それを愛でても全く問題ないわけであって。ならば私はそれを愛でない理由がないのである。
説明が長くなったが、要約すると可愛いは正義なのだ。
「おっ、ケモ耳なんてあるじゃん!」
そう。私は見つけてしまったのだ。
頭の上に付けられるアクセサリの一つとして複数種のケモ耳がある事を。私は自称重度のケモナーだ。獣耳っ娘を見るとどうしても表情筋が言う事を聞かなくなってしまう程には…。ネコ耳とオオカミ耳があるようだが私はだいぶ悩んだ末、ネコ耳を選んだ。色はもちろん銀髪だ。
「アバターが決まったら次は何をするんだ?」
決定ボタンを押すとMemoryは待っていましたと言わんばかりにその顔を変えた。
ホーム画面だ。
その変わりように心中かなり驚きつつも、Memoryのにやけ顔が頭に浮かんでくるようだ。
既に多くの先輩方が配信中であり、視聴中のようだ。どこかの枠にお邪魔させていただくのも悪くはないのだが、やはり配信アプリをダウンロードしたからには自分で生配信をしてみたいという若干の興味が存在する。
慣れない手つきで配信モードに切り替えた私は、少しの設定を終えついに配信を始める準備がすべて整った。
ーーーいや、訂正しよう。正確には、私の心の準備がまだだった。
何を隠そう私は本番になればなるほど弱くなる、ひび割れたガラスの心の持ち主なのだ。そんな私がいきなりのノリで配信を始めたが最後。その後の行方は誰も知らない…。
というのが落ちであることが容易に想像できる。できてしまうのである。軽く胸の前に手を置きゆっくりと深呼吸する。
「ふ~、…うしっ」
心の準備もできた。これで本当の意味で準備が完了した。改めて画面に向き直る。目の前にあるのは配信開始の赤いボタン。それがとても高い、大きな壁に思える。
たかがボタン。されどボタン。
このボタンを押してしまえばその先には好奇心により集まった顔も名前も知らないネット住民が私の枠を求めやってくる。そこに多大な不安が津波となって私を襲う。
ーーー今からでも遅くはない。配信はあきらめて見る専になろうか。
そんな考えが私の胸中に生まれてくる。インターネットは未知の世界だ。私たちにとってインターネットはすぐそこにあるようなものであり、しかし、途方もなく遠いところあるようなものである。様々な人が自分の主張を物申し、互いが互いの信じるものを押し付けあうまさに魔の巣窟と呼べるだろう。
…だが。私はインターネットは危険だからと遠ざけるのではなく、インターネットとの接し方を考えていきたいと考えている。扱い方を間違えなければインターネットは大変便利な道具となりえる。ならば、使いこなして見せよう。誰もかれもが安全かつ、安心して使えるネットの民になってやろうではないか。
しからばこんなところで油を売っているわけにはいかないのである。
『一歩を踏み出せ。』
『勇気ある一歩を。』
ブロス・フ〇ンダルは言った。『私は倒れた者よりも、立ち上がった者を称える』と。
そうだ。立ち上がれ。まだ何も始まってはいないんだ。これから私の、”Velem”の物語は紡がれるんだ!
「覚悟を決めろ。配信開始を、開始する…」
ついに決死の覚悟で配信を始めた私は私の中にあった壁が壊れていくのを感じた。
ガラガラと、高い高い壁の先。どこまでも広がる果てしない可能性の空。
「さあ。私の、”Velem”だけの世界を色づけていこう!」
澄み切った青い空はどこまでも私を包み込み、私だけが作れる可能性を求めてくる。それに答えるように私は力一杯の産声をあげた。
「ようこそっ!Velemの配信へ!」