六 さあ、勝負をしよう
こんなにワクワクするのはいつぶりだろうか?
俺は騎士階級の家の出であるが、成り上がるためには戦場を渡り歩かねばならなかったと回顧する。
あまたに女は多くあれど、ああ、俺が落とした女は数知れないが、俺がいらないとはっきり言った女は彼女が初めてだ。
最高の笑顔だと思うのに、どこか寂しそうにも見える笑顔を俺に向けて、俺のいない世界が欲しいと言い放ったのだ。
よし、俺がいない世界など考えられないと言わせてみようではないか。
それから、俺はイゾルデが罪のない女である可能性も考えた。
思い込みが激しい女も男もこの世に沢山いるのだ。
彼らは自分がお姫様か皇帝だと思い込み、他人の財物を自分のものだからとポケットに入れてしまうのである。
捕まえて問い質しても答えは同じ。
これは自分のものですよ。
一種の脳の病気なのかもしれない。
イゾルデは彼女が持っていた鞄の中にあった宝石を、ユーフォニア家の家宝で自分の宝石だと言い切った。
その前の伯爵令嬢であると思い込んでの芝居など、俺は本気で見惚れる程であったのだ。
あんな凛とした伯爵令嬢なんぞ俺は会った事は無い。
彼女は演じているからこそ最高の女になれるのかもしれない。
「ブローチを取り戻せたら、彼女を愛人にしてもいいかな。」
そこで俺の頭に、赤みがかった焦げ茶色の髪にダークグリーンの瞳をしたイゾルデに似た小さな女の子のイメージがポンと生まれた。
「あ。結婚してもいいか。いつまでも愛人のような妻の方が最高だ。はは、助平だ。俺はイゾルデに会ってから助平な事しか考えていないぞ!」
俺は吹き出しながら船室へと戻り、今度は美しいイゾルデが俺を殺そうと椅子を振り上げていなかったとさらに喜びが増した。
俺が置いていったそのまま、女王様の風格で俺を潰そうと待ち構えているではないか。
「お待たせ。では勝負をしようか?」
本物の伯爵令嬢もこうでいて欲しいと思う微笑みでイゾルデは俺に返し、俺は彼女の真ん前に彼女の所望した蒸留酒を置いた。
「さあ、レモンも沢山切って貰った。では君からどうぞ。」
「ねえ、ルールに手を加えても良くて?」
きらりとダークグリーンの瞳を輝かせた彼女は怖気づいていないと喜びながら、彼女を揶揄う気持ちで言葉を返した。
「いいよ。怖くなったかな?」
イゾルデは俺にツンと顎を上げた。
俺は唇にそのままキスしたいと思ったが、これこそ有耶無耶にしたい彼女の手管かもしれないと考えてぐっと堪えた。
ぐっと堪えて良かった。
イゾルデは最高のルール変更を申し出たのだ。
「いいえ。答えられなかった人がお酒を飲むか服を脱ぐ。それは構わないわ。一つだけルールを足したいの。答えられない質問をした方、つまり勝った方は延々と質問を続ける事が出来る。」
「いいよ。では質問はどちらからする?」
「まあ!わたくしにハンディをくれないなんて、あなたは意外とギリギリだったのですのね。」
口元に手を当ててコロコロ笑うイゾルデに、俺はこの女狐が、と言い返してやりたかったが、ここも堪えた。
勝つのは俺だ。
「では、どうそ。姫君。」
「まあ、うれしい。では質問を一つ。ユーフォニア家の領地には猫を繁殖させている納屋があるの。猫が特産品の一つになっているのよ。では、それほどまでに血統の良い猫の祖となった猫の名前はなんでしょう。」
俺は小さなグラスに酒を注ぎ、レモンを齧るやそれを一気に飲み干した。
「卑怯だな。」
「いいえ。ユーフォニア家に詳しいあなただったら知っていると思ったのにがっかりよ。ネネクリシュ。猫の品種の一つじゃないの。」
俺は友人宅で飼われている長毛種の猫を思い出していた。
あの糞生意気な猫の品種が確かそれだったと思い出して悔しさが沸き立ったが、知っていれば答えられる、それも一般的な質問を差し出したイゾルデには公平さもあるのだと感心していた。
彼女は高潔でもあるのだ。
「ああ、俺の勉強不足だった。次の質問は何かな?」
「次の日食はいつでしたかしら?」
俺は笑い出しながらグラスに酒を注いでいた。
イゾルデは勝利感に溢れた顔を俺に見せている。
「来年の八月にあるよ。」
「ええ!」
真ん丸な目をして見せたイゾルデはなんと可愛いのであろうか。
彼女は子供の様に「なんで知っているのよ。」とぶつぶつ文句を言っている。
来年の八月はそれで祭りをしようと第一王子が計画しているから、なんて教えたら怒り出すだろうか?
「じゃあ、俺の質問だ。いいかな?」
「よくてよ。」
「パレードの時は近衛が役職ごとに色分けされていると言われているが、どこの色が違うのかな?」
「鞍の鐙。どうしてそこだけ違うのかわからないけれど。」
「ああ、自分が乗る馬を間違えないためだよ。パレード用の馬はパレード用の馬であって自分の馬じゃないからね。間違えるんだよ。」
「あなたが毎回乗っていたあの白い馬はあなたの愛馬じゃなかったの?」
うわお!
彼女こそ俺に注目もしていたというわけか。
ただし、その事実は今までの彼女が俺を喜ばせる振る舞いが結局は彼女の手管でしか無かったと同義であり、俺は少々気が削がれていた。
「――そう。俺はなんだって乗れればいいからね。」
「本当に最低な男ね。友達に絶対にあなたの正体を伝えるわ。」
「ありがとう。では、君の質問かな。」
「よろしくてよ。では、第四王子が学術論文にゴーストライターを使ったって本当ですの?」
俺は素直にレモンを齧り酒を煽った。
確実に答えを手に入れたイゾルデは俺に微笑んで見せたが、気が削がれている俺はぞわぞわと背筋が寒くなるだけだった。
寒く?
俺は疼く左手を見つめ、熱が出て来たのかと熱に抵抗することを止めた。