四十九 社交界デビューの日
第四王子は今すぐでは無いが地方の離宮にしばらく幽閉されると聞いた。
「ああ、その通りだよ。私は社交シーズン後にノーヴァ―地方の研究所に詰めるからね。彼をそこの所長にして私が彼の監督官になる予定だ。」
私の髪に温室のバラの花を飾りながら、イレネーはなんてことないように言ったが、私には初耳の上に納得がいくものではない。
「お兄様!ノーヴァ―地方は見渡す限り凍土しかない場所だって聞いておりますわ!そんな所にお兄様がお行きになるのはどうしてですの!」
イレネーはそれこそ氷のようなと評される青い瞳をほわっと柔らかい輝きのものとすると、誰もの心をとろけさせることのできる笑顔を顔に浮かべた。
「神の鉄槌と呼ばれるだろう武器の開発だ。人のいない場所で実験する必要がある。そして、第四王子の矯正。これも人目と彼への助けのない場所で徹底的に行う必要がある。」
私は兄が神様の体現者なのだと思う時が時々ある。
きっと神様も慈愛の笑顔で、お前ら全員殺す、と道を誤りし人間達に宣告している気がするからだ。
「え、えええ、ええと。お兄様の研究所に遊びに行っても良いのかしら?お兄様がいらっしゃらないのは寂しいわ。」
実を言うと私の五歳の頃から彼は寄宿舎に行ってしまったので、それほど私とイレネーはべったりと育っているわけではない。訳では無いが、彼が休みで自宅に戻って来る時には「おにーちゃま」と私が彼の後を追っていたのも事実である。
彼の躾は親以上に厳しかったが、誰にもあまり向けない優しさを私には惜しみなく与えてくれる人だという事を幼心にわかっていたからであろう。
「ふふ。大丈夫。心配しなくても大丈夫。私が僻地に行くのは君の結婚式の後だ。社交シーズンの後だと言ったでしょう。」
「でも!それでも、何年もそんな人のいない場所にいらっしゃるの?」
「いいじゃないか!彼は研究に生きる男だ。俺達は立派な兄の健康と素晴らしき研究の成功を遠い地から祈ってあげよう。ああ、君は美しいよ。君を自分の腕にぶら下げて王宮に戻れないのが悲しい所だ。」
私と兄の仲に勝手に割り込んで来た私の婚約者は、不機嫌な顔をしながら私の頬に少々乱暴なキスをしてそのまま玄関を出て行ってしまった。
着ているドレスはダンベールがデザインし、その通りに出来上がった素晴らしいものなのに、似合っているよ、も言ってくれないなんて!
出来上がった日は大騒ぎしたものだ。
ドレスのオーバードレス部分がターンをするたびにふわっと花びらみたいに舞う事を知って、私達全員がドレスの繊細さと美しさにグルグル回って喜んだ。
そのぐらいにドレスは素晴らしいものなのに、だ。
シャロン達はあのゴテゴテしかったドレスよりもスタイルが何倍も良く見えて、そして、妖精のお姫様のように美しくなっていた。彼女達の母親だって涙を流してドレスを称賛していたではないか。
……私には似合わないのかしら。
「あれの傍には今日はあまり寄るな。あれは仕事をせねばならないし、君を見るとドレスを脱がしたいという野生も出るみたいだからな。いいか、今日のあれは狂犬病にかかった野獣だと思いなさい。」
「まあ!お兄様ったら。」
でも確かにそうだ。
彼は婚約者のデビューの日と言っても、貴族の子弟のデビューお披露目会は王宮の一大イベントであるからして、婚約者の私をエスコートしていられない。本当は一日中どころかパーティ前日から終わった翌日までの三日は王宮に軟禁状態となるらしいのだが、王子の次に近衛連隊では偉い人という特権を使い、ダンベールは時々家に戻って来ては茶々を入れて去っていく忙しい人となっている。
「あれも二週間はあっちに缶詰めになることを知っているのかな。」
「え?」
「第二王子は新婚生活をそこで二週間くらいする事を予定しているそうだ。あの王子も何を考えているのだか。まあ、あの男の上司をしていれば頭もおかしくなるか。」
私は憎まれ口しか聞かない兄の右腕にしがみ付いていた。
「王子様の警護にダンベールが行くのなら、わたくしも妻として同行できますわね。うれしいわ!お兄様とご一緒できるのね!」
イレネーは左手の指先で私の顔周りのおくれ毛を撫でつけた。
「さあ、今はデビューの事だけを考えよう。これ以上子供達が家を出ていく話を聞いたら、お父様が寂しさで倒れてしまいますよ。」
私はイレネーの言葉で何となく後ろを振り向くと、エントランスホールへと廊下を歩いて来ていた着飾った両親と目が合った。母は私とイレネーの姿に目に称賛の輝きを浮かべていたが、隣の父の目は赤くなって泣きそうであった。
「まあ!お父様!そんなお顔をなさって。そうよ!お兄様がノーヴァ―地方にお行きの際は、お父様もお母様もいらっしゃればいいのよ!お父様!氷に穴を空けて小さな魚を釣るお遊びをしてみたいっておっしゃっていたじゃないの!やりましょうよ!」
父はぱあっと顔を嬉しさに輝かせた。
「そうだね!ワカサギ釣りは楽しそうだ!」
「――旦那様。」
しかし、執事のベラードが父に軽く呼びかけた事で父は急に焦り顔になった。
「で、でもいいよ。僕は寒いのが苦手ですからね。新婚になる子の邪魔をして嫌われたくも無いですから、我慢しますよ。」
「まあ!お父様。そんなことは。」
「いいや。僕は行かないよ。ベラードも寒さに弱いでしょう。彼を失ったらこの伯爵家は立ち行かなくなってしまう。」
「旦那様、お心遣いありがとうございます。馬車の準備も出来ておりますので、では、どうぞ。」
私達は殆ど家族の一員である執事に行ってきますと答えると、家族全員で仲良くエントランスの外に出た。
私が結婚したら、こうしてがやがや家族全員で出来なくなるのかしら?
けれど、馬車の所に近衛連隊の制服姿の愛しい婚約者が立っていた事で、私は来年ももっと先もこうしてがやがやしながらエントランスから一緒に外に出られるのだと確信した。
彼こそ私達の家族の一員になるのだ。




