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三十二 頭を寄せ合っての話し合い

 最初は案内された部屋だった。


「俺がね、後ろを向く度に姿を現したのですよ。」


 そこで俺は部屋を逃げ出して、図書室に駆け込んだ。

 伯爵家の図書室は明るく涼しく、こもりきりで本を読むには最高の場所だった。

 もちろん、本を日焼けさせないように分厚いカーテンもあるが、それらは外の日光を取り入れるために全開にされている。また、本棚にはいついかなる時にも太陽光が直接に当たらない工夫もしてあるようだ。しかし、本を探すのに困らない程度の灯りは取ってあるので、背表紙を読み間違える事は無かった。


 俺の話を嫌そうに聞いている男は、俺の膝の脇に置いてある本に目線を下ろし、それから再び俺を見返すや俺の意図しないことを言い放った。


「愛を知るための四十八の奥儀、昼間から読む本では無いでしょう。」


「題名だけで中身が分かった人に言われたくないですね。愛読書でしたか?お貴族様の間で流行ったと聞いた有名な本ですものね!」


「有名な本すぎて読まなくてもどんな本であるのか知っているだけです!で、私は君に話をしに来ただけであって、君のくだらない日常譚など聞きたくはないのですがね。」


 ベネディクトは朝の想像通りにあの金髪男の押しかけに遭い、いやいやながらも警護の人間を連れて伯爵家に足を運んでくださったらしい。

 今日の警護はダイナスとヒューゴであるからか、彼等は王子の人払いの視線一つで俺のいる居間には留まらずに居間から出て行った。


 よってここには、俺と王子と金髪野郎、そして幽霊人形だけである。


 いや、金髪野郎は人形に対してかなりの拒否反応を見せ、彼は居間でも俺達とはかなり離れた場所に椅子を持って行ってそこに座り、収容所の看守のごとく偉そうに俺とベネディクトを眺めているだけとなっている。

 臆病者めと奴を揶揄ってやりたいが、奴の行動は、これは本気で怖いものだと幽霊人形の持ち主にあからさまに言われたも同然なのである。

 ついでにこの金髪のせいでベネディクトのくどくどしい叱責を受けねばならないのかと思うと、俺のか弱い神経はぷつっとどこかで切れた音をさせた。


「ああもう!俺の話を聞いてくれないなら、俺は話を聞きません!俺は!」


 ベネディクトは目頭を指先で押さえ、母親のような大きな溜息を吐いた。


「わかった。続けなさい。」


「……。それで、俺は目的の本を手に入れて、読書スペースに戻ったのですよ。大きくてゆったりとしたソファは、寝ころんで本を読むにも適していそうな素晴らしいものでした。ですがここには枕にできるイゾルデもいないからと、俺は普通に座って本を読むことにしました。」


「王宮の図書館のソファがベッド代わりに使う人のせいですぐに汚れるとの陳情も受けていたが、それは君のせいか。」


 ベネディクトが俺を睨んで来たが、そんな些末な過去の事など今は不要だ。

 これは大事な話なのだ。


「聞いてって。ここから怖いんだから。だから執事さんがね、いい子に座って本を読んでいる俺を労って、お茶は如何ですかと声をかけて来たんですよ。俺はありがとうと本から目を離しました。すると、俺の隣に、小さな金髪美人が座っていたのですよ。この子が!クマゴロウと一緒に!部屋に置いてきたはずなのにって。俺は心底脅えましたね、見ない振りができる執事さんに!あいつが置いたんじゃないかって邪推してしまうほどにね!ねえ、あいつが置いたんですよね!俺は呪われてなんかいないのですよね!」


 俺の告白を聞いたベネディクトは俺の欲しい言葉を返してくれるどころか、俺を責めた。


「執事が一番怖いってオチはどうかと思うよ!で、長い馬鹿話は終わりだね。はい、君がお人形さんとお茶会をしている理由は充分理解出来ました。では私の話だね。」


「なんかもう、俺はどうでもよくなってきました。仕事もしたくない。この家でこの人形たちと一緒に生きていこうかなって思い始めています。ここにいたら、喉が渇いたらお茶がもらえて、お腹が空いたらお菓子も貰える。こうやって慰めても貰えないなら、俺もこの家の地縛霊になってやる!」


 俺は幽霊人形を抱くやソファにごろりと横になった。

 金髪の、うえ、という貴族らしくない声も聞こえた。


「もう!聞きなさいって。そして、伯爵家のお荷物になる宣言は止めなさい。いいですか、これはあなたの大事なイゾルデこそ関係する話なのですよ!」


 俺は人形を抱きしめたまま、渋々という風にソファから身を起こした。

 すると、王子はブリュッセン公爵がイゾルデへの中傷を広めている事を俺に伝え、さらに、俺が醜聞に塗れる事でベネディクトの結婚をも台無しにしようと画策しているのだろうと語った。


「王様になりたい馬鹿の的になったってことですか?だったら第一王子こそ攻撃すれば良いでしょうに。都合がいいぐらいにあの人はぼんくらでしょう。」


「君は!はあ、違います。王様になりたいからでは無くてね、私が結婚すると私がブリュッセン公爵様になるからでしょう。」


「はい?」


 俺は意味が解らずにまじまじと王子を見つめると、王子は自分の顔を両手で覆ってしまった。


「騎士階級でブリュッセン公爵位の仕組みがわかっていない男がいるとは!」


「全く。あなたがどこでこの間抜けを拾って来たのか、私こそあなたに驚きですよ。現王の弟が公爵位を継ぐ、それは大昔から決まっていた事で国民ならば誰もが知っている事じゃないですか。」


 金髪が俺とは離れている右斜めの一人掛けソファ、王子が座る一人掛けソファの一つ置いた隣のソファに腰かけ直した。

 俺は熊さんと人形様というお友達がいるので、上座だろうが三人掛けのソファに座り続けている、というか、彼等が来るや人形達を座らせていたそこに俺が押し込められたのである。


「いや、だからさ、王弟だろ?まだ王様は死んでいないでしょう。」


「ありがとう。私の父の存命を教えてくれて。ついでに長寿も願ってくれると嬉しいな。で、今のところ亡くなる予定はないが、父が亡くなれば兄が王に即位するのは確実ですね。では、私が公爵位を受けるのも当たり前の話です。そして、ブリュッセン公爵、王弟アドニスは公爵位を翳して少々やりすぎです。ですので、私の結婚を機に私にブリュッセン公爵位を移譲してしまおうと、父と側近が決めて手配に動いているとのことでした。」


「ことでした、という事は、あなたもご存じなかったのですね。」


「ええ。結婚祝いのサプライズだったらしいですよ。前言を撤回します。私の父の長寿をそんなに祈らなくてもいいですよ。ミラベルに兄が王になるまでただのベネディクトだと言い聞かせての結婚の承諾だったというのに!」


「いや、ただの男にはなれないでしょう。普通に王子様のままじゃない。」


 ベネディクトは、はっと気が付いた顔をした。

 結婚したら王宮を出た一人の男になるとミラベルが思い込んでいたとしたら、王宮から出られない彼の結婚の未来はとっても暗いものではないだろうか。


――同居なんて物凄い悪案よ!削除よ、削除!


 王宮には、ベネディクトのお祖母様からお父様お母様、そして兄夫妻の子供達と独身の弟達がひしめいている。


「あ、私は逃れられない王子様だった!公爵になって王宮いえを出た方がいいのか!」


「殿下。話しが進みませんから、ブリュッセンが公爵位にしがみ付く理由こそ教えてあげてください。王家は最近誰も死なないから余分な爵位が残っていない、と。」


「え?爵位の譲り合いはどうした?」


「私の兄弟は何人です?三つの公爵位は、これは決まり事として全て私と弟達のものとなります。侯爵位は血族が途絶えて王家に返還された爵位をその時々の王族の結婚時に渡してきたものですから、爵位存続のために受け取ったその人の一族のものとなります。つまり、返還と移譲は跡継ぎがある限りありません。」


「おや、返還された伯爵位や子爵位は数あまたでしょう?」


「これだから、蛙は!」


 金髪が鼻を鳴らした。


「蛙と言うな!」


「公爵位にあった者が伯爵位や子爵位で我慢できるものですか!そんな事も考えつかない下賤の者など、沼地の蛙で充分です!」


「言ったな!仕返しにお前のベッドでこの子と寝てやるぞ!」


 俺は抱いていたお人形を金髪野郎の目の前に翳すと、彼は面白いぐらいにひぃっと声をあげた。

 俺は弱々しく繊細な彼を鼻で笑いながら、よくやったと人形を抱き直した。


「ひゃ!」


 人形の顔が変化していた。

 目は二倍ぐらいの大きさになり、ほっぺも毛糸のポンポンみたいに膨らんで、口は耳まで裂けてしまうぐらいに大きくニヤリと笑っている!

 俺は思わず人形を王子に投げた。


「きゃあ!」


 王子は悲鳴を上げて脅えたように立ち上がり、人形は床に落ちたそこで消えた。


「うわ、マジで消えた!本物のお化けじゃねえか!」


「君は本気で執事の仕業だと思っていたの?執事、そんな暇ないから!ねえ、ハルファム子爵。それとも、君と伯爵夫人の悪戯だったの、かな?かな?」


 金髪は椅子の中で寝た振りをしてやがる!

 どうやら俺は本気で呪われているようだ。

愛を知るための四十八の奥儀……江戸四十八手やカーマ・スートラ的な本

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