三十一 花嫁とデビュタントと汚れた名誉
私と母はドレス製作では有名なマダムパニュアンの店に向かった。
そして、有名な店であるという事は、これから社交界デビューの為にドレスを作りに来ている客でごった返ししている、という事は想定するべきだった。
寄宿舎で友人だったシャロンがおり、彼女は私を見つけるや駆け寄ってきた。
真っ直ぐの金色の髪にアーモンド形の青い瞳のほっそりとした彼女は一見おっとりして見えるが、ここぞという時はとてもお転婆にもなる人である。
「イゾルデ、イゾルデ!あなたが結婚するって本当?それも、フォーン少佐って本当なの!あ!伯爵夫人様!」
シャロンは矢継ぎ早に私に質問し、だが、私の母の姿を見たことで上流階級のご挨拶を思い出したようだ。私達は違いの母親に叱られる前に躾けられた挨拶をと、急いでぴょこんとお辞儀をし合い、会えてよかったと頬をくっつける挨拶も面倒だよねと目配せしながら互いに行った。
「まあまあ!ユーフォニア伯爵夫人にユーフォニア嬢!お会いできて嬉しゅうございますわ!それで、ご婚約は本当ですの?」
まあ!シャロンのお母様まで社交を忘れて質問をぶつけて来た。
そして、気が付けば私の寄宿学校時代の友人達、シャロンを含めた三名がこのマダムパニュアンの店に勢ぞろいしていたらしく、私は彼女達に囲まれていた。
黒髪でくるくるした巻き毛と猫みたいな大きな目が可愛らしいアデールと、シャロンと同じ金髪碧眼だが、目元は気怠そうなで美しい髪はふんわりカールという組み合わせのエマである。
「私達も彼に会ってお喋りできるのね。」
アデールは目を細めて夢見心地に言った。
「まあ、まあ!ダンスだって踊れる筈よ!」
気怠そうな外見など撥ね退ける程に、エマはとっても大はしゃぎである。
我が家では「あんな人」なダンベールであるが、世間ではあの美青年ぶりで人気者だったのだと私は久しぶりに思い出していた。
四年前のパレードに忽然と現れて話題をさらった男。
白い馬に乗ったダンベールの勇姿を初めて見た時には、私だってどきんと心臓が大きく髙鳴ったのだわ。
そうよ、あの日から私だって近衛兵が出る催し物だと聞けば必ず沿道に並んだじゃないの、と。
「ねえ、いい加減に教えてよ!婚約は本当なの!」
興奮した大声を出したシャロンに答えたのは、私の母の落ち着いた声だった。
「婚約は本当ですわ。」
「まああ!ねえ、怖くない?大人の男の人でしょう?」
エマの心配したような質問に答えたのも、やはり母だった。
「怖くはありませんわ。あの方は意外と可愛らしい所もあって、うふふ、我が家ではすでに家族の様にお付き合いをさせていただいているの。あの方、すでにお母様なんてわたくしの事を呼んで甘えたりするのよ。」
さすが、母。
全く動じず、それどころかあんなにダンベールを虐めた癖に、ダンベールと仲睦まじい関係だという仮面まで被ってしまった。
ジョゼフィーヌのお部屋をダンベールに与えたくせに!
しかし、そんな事など知りもしない周囲の母世代の貴婦人達は、自分達もダンベールに母と呼ばれたいとうっとりし、私世代の私の友人達は私が彼と婚約出来て羨ましいと溜息を吐いた。
私はありがとうと彼女達に微笑んだが、彼女達が着ている仮縫いのドレスがお揃いだった事で、私の結婚への幸せだった気持ちがぷしゅうと萎んだ。
私も仲の良かった彼女達とお揃いのドレスが着たかったのだ。
どうして私は乙女の白いドレスが似合わない顔なのだろう。
これでは結婚式のドレスだって、私になんか似合うものがあるわけは無いわ。
「彼は結局は騎士階級でしかないものね。したくもない結婚でも上の命令には逆らえない。ああ、可哀想なフォーン少佐様。」
店内は一瞬で水を打ったように静かになった。
仮縫い用のスペースの衝立が開いて出てきたのはマダムパニュアンだが、彼女と一緒に出てきたのは侯爵令嬢のクラリッサだった。
王族の血を引いていると一目でわかるクリーム色の美しい髪を右手でさっと払うと、彼女は再び悪意そのものの言葉を私に投げつけた。
「ブリュッセン公爵に散々弄ばれて捨てられたのですってね。それで、海軍元帥の大叔父様に強請ったのでしょう。結婚相手が欲しいって。」
「わ、わたくしはそんなことは!」
「あら、じゃあ教えて。彼といつ出会ったの?わたくし達はこの間までは息が詰まる寄宿舎に押し込められていた仲じゃないの。ええ、わたくしも誰もあなたがフォーン少佐と付き合っていた事なんて知らないわ。知らないどころか、そんな機会なんて無かったでしょう。最近、なんて嘘は駄目よ。彼は数週間前までこの国にいなかったのだもの。第二王子様の外遊にお付き合いしていてね。」
クラリッサの言葉に私の周りの人達はさっと私から顔を背けた。
それどころか、私から次々に離れていったのだ。
「シャロン!アデール!エマ!」
彼女達の母親達は私の母に今後の付き合いは控えたい、と口々に言い出した。
「ごめんなさいね。これからの娘達には評判が一番大事なのよ。」
「あなた方と違い、我が家は縁談を自力で掴まなければいけないの。」
「わかってね。イゾルデはいい子だとわたくしは思っていますけど、周りがそうは思わないならば娘も同じ目で見られてしまうのよ。」
自分の名誉がジェイニーによって粉々にされていたことを、私はようやく身に染みて理解できたと言ってよいだろう。
私は恥も外聞もなくダンベールに恋をして結婚できると浮かれていたが、両親や兄が私の行動を許しながらも眉根を潜めていたのはこういう事だ。
ダンベールとの関係を公にしてしまった事で、私の汚された名誉が嘘ではなく真実だと周囲が考える材料にしかならなかっただなんて!
「帰るわよ、イゾルデ。」
母は凛としていた。
足元が揺らいでいる私の手をぎゅっと握ると、逃げるのではなくゆっくりとした足取りでその店を出て行った。
「お母様、ごめんなさい。」
「あなたが謝る意味が解りません。全部あの公爵のせいね。全く黙って大人しくしていればいいものを、小さな虚栄心を保つためにそこいらじゅうに嘘を吹いて回っているのね。ええ、そう、その気ならば、こちらにも考えがあります。いいこと、あなたは私の駒におなりなさい。お母様が、あなたの名誉を取り戻してさしあげますから、わたくしの言う通りに動くのですよ!」
私は、お母様!とだけ感激した様に口にした。
だって、駒になれ、と言われたのよ!
お母様が私に何をさせる気なのか知らないのに、駒になる、なんて怖くて即答できないでしょう!
伯爵家に伝わる呪い部屋にダンベールを入れた人なのよ!
私は薄汚れていると世界中に思われる事になっても、やっぱりダンベールと別れるのは絶対に嫌だもの!
「結婚は半年後に変更よ。まずは社交界デビューをして、様々なパーティでダンベールとの仲睦まじい様子を周囲に見せつけます。これは恋愛だったねと、頭の悪い誰もが理解できるように。そして、社交シーズンが終わって一息ついた頃、そう、ちょうど半年後に大々的な結婚式。よろしくて?」
私は母の計画を聞くや、駒になりますと叫んでいた。
「はあ、あとはダンベールに言い聞かせるだけね。そっちが骨が折れそう。」
「まあ!お母様ったら。彼は、ええ、負けず嫌いだもの。絶対にお母様と手を組んで公爵をやっつけてくださるわ。」
なんだかんだと言っても、彼は根っこの部分は優しく責任感がある素晴らしい人なのだ。
怖い人のはずなのに、我が家族に酷い目に遭わされても、彼は誰にも暴力的な事どころか声だって荒げた事は無いではないか。
そう、彼は本当は品行方正な人なのよ。
自宅に戻り、彼が居間に一人でお茶を飲んでいると聞いて、私と母はまっすぐに居間へと向かった。
そして、彼の待つ居間のドアを開けてみれば、……彼は一人でお茶会を開催していた。
伯爵家では見たことがない六十センチサイズの高級そうなビスクドールと、その二倍の大きさがあるやはり見たことがない古ぼけたクマのぬいぐるみと。
彼は私達の姿を見かけると、最高の部類の笑顔を返した。
「君達も一緒にお茶をしようか。」
「え?」
「この金髪のお姫様とこっちのクマゴロウ。俺の行く先々に現れるようになったんだよ。どうしたらいいんだろうねぇ。君達も一緒に考えてくれないか?」
彼が私達に向けた笑顔は全くの無害と言っていいものだが、彼の黒い瞳はなんだか虚ろで黒いボタンのようであった。
バタッという音に、私は隣に立っていた母親に振り向いた。
母は伯爵夫人の矜持を大切にする人らしく、居間の戸口で気絶していた。
私も伯爵令嬢らしく母の後を追おうと、倒れている母の上に重なった。
寄宿学校で学んだ、鼠を見たら気絶する練習を思い出すのよ!
「ああ!君達って本気で意地悪だな!」




