三 翻弄されて
物凄く良い笑顔をしている男は、ほんの少しだけ私から拘束を緩めた。
私は急いで立ち上がった。
部屋を出て、船だったら船長さんに助けを求めるのだ!
船長さんは航海中の客の安全を一番に大事にするとお父様は言っていた。
「きゃあ!」
私の腕は強く引かれ、私は再び座り直させられた。
男の膝の上に。
「きゃあ!」
男の腕は拘束具となって私を後ろから抱き締めた。
私の背中が細かい振動を受けているが、それはダンベールが声を押さえて笑っているからである。
「放して!あなたは何を考えているの!」
「君が素直になってくれることかな。」
うなじにふうっと吐息が掛かり、私の全身はぞわっとした。
物凄く悔しいのは、このぞわが生理的嫌悪感じゃない方のぞわだったからだ。
どうして!
初対面の男に厭らしい事をされているっていうのに!
「ハハハハ。ほら、大人しくして。大人しくしないと耳を齧るぞ。」
私はびくりとして体が硬直したが、嘘つきなダンベールは本気で私の右耳を齧った。ふわっとするような彼の唇を感じただけのような甘噛みだった。
「ひゃあ!」
「ハハハハ。凄いよ、君。本気でおぼこを相手にしているみたいだ。それとも君は耳が弱点なのかな。」
「ひゃふ!」
右耳は舐められた!
私の背骨は電気でしびれたみたいにゾクゾクビクビクしている!
ダンベールは完全に痺れ動けなくなった私に追い打ちをかけるように、私の右耳に再び唇を寄せてきた。
「さあ、君の秘密を語ってもらおうか?」
「ひ、秘密?」
「ああ。今までの男遍歴でもいいよ。君の戦歴をぜひ知りたい。」
私の背骨はゴムになった。
彼の腕の中で伸びちゃった訳ではない。
彼の攻撃に対して電気など通さない鈍感なものになったのだ。
体温だってグーンと下がった。
ダンベールが私を誘拐したのは恋をしたからではない。
遊びなれているふしだらな女だからと、ほんの手慰みで誘拐してみたのだろう。
「どうしたのかな。って、どうした!」
私は彼の膝からベッドの上に放り投げられた。
ダンベールは横たえられた私の上に左手をついて覆いかぶさり、右手は私の左頬に添えられた。
私が悔しさで泣いていたからだろう。
ダンベールは私をベッドに倒した時は驚きの表情を一瞬だけ見せたが、泣いている私を思いやっているような姿勢のくせに、顔には思いやりどころか優越感の表情を浮かべていた。
「見事だよ。君。俺は君みたいな嘘つき女にあった事は無い。」
私は本当に泣いても嘘泣きにしか見えない女なのかと情けなさで一杯で、でも、この目の前のろくでなしにこれ以上の優越感など与えたくないと、涙が止まるようにぎゅうっと両目を瞑った。
それが失敗だった。
ダンベールに私の唇の下唇を齧られたのだ。
「目を瞑って俺のキスを誘う、か?最高だよ。さあ、続きをしようか?」
私は頬に添えられた彼の手に自分の両手を添えた。
ダンベールは期待に目を輝かせた。
私はその手を口元に持って行き、人差し指に思いっきり噛みついた。
「うぎゃあ!」
ダンベールは情けない叫び声をあげたが、すぐに私の鼻をつまんで自分の指を私から救い出すと、私の顔も見ないで部屋を飛び出していった。
ガチリと部屋の鍵が閉められる音もしたが、彼が室外で指の手当てをしている間は私は一人でいられる。
あるいは、もう戻って来ないかもしれないが、私は一人になれたからとベッドに顔を埋めて泣くことにした。
一人だったら嘘泣きだって言われることも無い。