二十九 先走りの男
私は今か今かと待っていた。
まるで、籠の罠を仕掛けて小鳥を待つように、私はダンベールを待っていた。
だが、彼は来なかった。
部屋の鳩時計は十二時を知らせ、私は布団に潜った。
今日じゃない、明日は来るかも、と彼を思い浮かべながら。
待ちすぎて彼の夢を見た。
彼の唇は私の唇を掠り、なんと、ああなんと、私のネグレジェを捲って私の身体の探索をし始めたのだ。
なんていやらしい夢。
なんてうっとりとする夢。
私は幸せな夢に耽溺して、さらにさらに深い眠りに落ちて行った。
そんな私を目覚めさせたのは、瞼をくすぐってきた朝日だ。
私はゆっくりと瞼を開いた。
「ああ、カーテンが開いている。だから朝日が…………。」
びくりとした。
本気で心臓がひっくり返った。
頭がはっきりしたから気が付いたのか、気が付いたから頭がはっきりしたのかわからないが、私は気が付いてしまったのだ。
布団の中には私一人じゃない!
私の頭は見覚えのありすぎる腕に乗せ上げられ、私の背中はなじみ深い男の胸に密着しているのである。
私はこのままでいたい気持ちも強かったが、すでに朝という時間帯である。
いつ召使いが私の部屋のドアを開けるか分からないのだ。
「だ、ダンベール、なぜわたくしの隣で寝ていらっしゃるの?」
「君が起きないから。君は寝ちゃうと絶対に起きないよね。俺は君が起きて待っていてくれると期待していたのにね。」
「ま、待っていましたわ!十二時まで!」
「そうか、ごめんね。俺は十二時半に来てしまった。次は十二時に来ることにするよ。」
私は体を彼の方へとぐるっと回した。
「もう!揶揄って!起こしてくださればよかったのに!直ぐに召使いが部屋にやってきます。これでは何もできませんわ!」
「わお!君は俺に色々されたいぐらいまで俺に感化されてしまったのか。だが、残念だ。君に色々すると君はいつも爆睡してしまうからもうやりたくない。」
「はい?」
彼は大きく溜息を吐くと体を起こした。
私はごろりと彼の腕から落とされ、また、布団がめくれて肌をぞわっと朝の寒い空気が撫でてきて鳥肌が立った。
え、うわ、私はネグレジェも着ていないあられもない姿だ。
「え、ええええ?裸?ええ!」
「はあ、ノリノリだったから脱がせたのに、裸ん坊になるやいびきをかいて寝てしまうなんて。俺は自分が女たらしだという自負がぼろぼろだよ。そんなに俺の手管は寝てしまう程に退屈何だろうかって。」
同じように裸のダンベールは悩んでいる風に右手で顔を覆った。
あれは、……夢では無かった?
「ええ?あなたとキスしたのは、夢、じゃなかったの?」
彼は私を横目で見て、嫌見たらしく溜息を吐いた。
「お休みのキスにしかならないとは。俺のキスで腰が抜けたと騒がれたのは、あれは演技だったのか。ああ、そうだな。俺はきっとすごい下手糞なんだ。優しい君は演技で俺を慰めてくれていたんだね。」
私は枕を掴むと彼をそれで叩いた。
「てっ!」
「謝ります!寝入ってしまってごめんなさい!」
でも少し私はホッとしていた。
私がいやらしい事をされても眠ってしまうという事は、私がいやらしい事が好きだからダンベールを求めている、という事とは違うのだと思ったからだ。
私はダンベールを殴った枕を抱き締めた。
「うふ。でも良かった。あなたに触れられたいからあなたを求めているのか、あなたが好きだからあなたに触れられたいのかわからなかったから。あなたに触れられると眠くなるのなら、わたくしがあなたを好きな気持ちは純粋なものだということじゃない?」
「はあ、恋に恋する乙女だったね、君は。男と女は意外と汚いし、化かし合い騙し合いも恋心を高めるスパイスだって、知っている?」
「わ、わたくしは。……そんなの、出来ない。」
ダンベールはベッドにごろんと横になった。
「化かされた!可愛い!畜生!反則だ!枕を抱き締めてしょぼんとするのは反則だ!反則的に可愛いじゃないか!」
おかしくなった彼は枕を抱く私の左手首を掴むと、自分の胸の上に私を乗せた。
私を掴んでいない方の彼の手は、私の頭をなでなでと撫でている。
「ダンベール?」
「いいよ。許す。俺が恋を語っている最中に君が寝てしまっても、俺は許す。」
私はそれだけで物凄く嬉しくなって彼の胸板に頭を押し付けた。
だけど、私はあなただけとまた叫びそうになって、私の嬉しい気持ちはパッと消えてなくなった。
結局は私は私でしかいられない。
「どうしたの?悩み事があるなら何でも言ってごらん。」
私は彼の願う女でいる振りをするべきかしらと考え、でも、私は彼が望む事など出来ないと彼を見上げた。
彼以外の男性といやらしい事をしろと言われたら、私は嫌われたくないとするのかしら?
そんな事が出来たら私の気持ちも汚れてしまう。
私は結局は自分が一番の我儘な人間なのかしら。
「どうしたの?言ってみようよ。結婚するなら話し合うことが一番だって、殿下の婚約者様が俺を諭してくれたよ。」
彼の優しい声に私は覚悟を決めた。
私はダンベールの悪戯そうにキラキラ煌く黒い瞳を見つめた。
「ねえ、あなた。わたくしはあなたの為にあなた以外の殿方にも目を向けねばならないのでしょう?それは嫌だって言ったらあなたはやっぱり嫌なのかしら?」
彼は惚れ惚れとする笑顔を私に返した。
「俺が生きている間は俺だけだ。俺が死んだら俺を忘れる。その約束をしてくれ。俺は君が泣いていると考えると死にたくなる。って、泣かないで!」
「な、泣いてなんかいない!」
私は彼の胸から上半身を起こすと、右手の甲で涙をグイっと吹いた。
彼は本当に私が一番だったのだ!
そんな彼の前でぴいぴい泣いて呆れられるなんて嫌ですもの。
しかし、ダンベールは私を再び自分の胸に密着するように抱き寄せた。
「ああ!くそかわいい。どうして君は俺の好みを網羅しているの。ああ、どうしよう。そうだな、決めた。本気で同居しよう。君の為に君のパパとママとお兄さんに虐められても俺は頑張ることにする。」
え?
ダンベールは不思議なセリフを言い切るや私を意外と簡単に手放し、裸のままプラプラと私の部屋のバスルームへと歩いて行った。
「え?」
まあ、帰る前にシャワーくらいは浴びたいのかもしれない。
私も次にシャワーを浴びようと床に落ちていた自分のネグレジェを拾い、それに袖を通したのだが、私の視線は私の部屋に無いものまで見つけていた。
大きな旅行鞄がベッドの下に鎮座しているのだ。
「なあに?これは?」
「俺の着替え。結婚前のお試し同居を試してみるのはいいかなって、荷物を持って来た。ハハハ。あの金髪がどんな顔をするか楽しみだ。」
私は両手で自分の顔を覆った。
家族への申し訳なさから逃げ出したかったのだ。
ごめんなさい。
この人、物凄い人でなしでした!




