二十八 情けは人の為ならず、だった
持つべきものは第二王子だ。
いや、彼の婚姻間近という境遇へか。
俺が途方に暮れ始めたその時、執務室のドアが開いたのだ。
ドアから顔を出したのは第二王子の婚約者であらせられる、ミラベル・メリザンド様であった。
ミラベルはベネディクトが執着したこともわかるほど、中身がとにかく最高の女性である。
知的な彼女だからか存在が煩くなく、しかしウィットにも富んでいるので一緒にいて楽しく、さらに彼女を小気味いいものにしているのが俺に色目など使った事など一度も無い所だ。
そして、俺は彼女の内面ばかり褒めてもいるが、彼女の外見が面白みのない女かと言えばそれも間違っている。
しっかりと結い上げた髪が焦げ茶色でもイゾルデの様に赤みがかかったものではなく、瞳もイゾルデの様なダークグリーンでは無い焦げ茶色の瞳であるが、真っ直ぐな鼻筋と意志の強そうなあごにはよく似合うものであり、瞳が常に知的に輝いて人を魅了しているのだ。
よし、彼女ならば俺の助けになるであろう。
久しぶりに顔を合わせたミラベルに俺は最高の笑顔を作ると、彼女を先程まで金髪が座っていたソファに座らせた。
「ああ、君に会えてこんなに嬉しい事は無いよ。俺を助けてくれないかな。」
「まあ、何かしら。」
「とにかく君のその美しい目で見てくれ。」
俺は彼女の真横に座り、持っていた紙を開いた。
「会えてうれしい台詞は私のものだし、どうして君が私の婚約者を私の目の前で口説きながら彼女の隣に座ってしまうのかな?」
「殿下。あなたがそこのソファに座っているからでしょう。俺がミラベルの隣に座るのが嫌ならいつもの机に戻って下さいよ。」
「私の執務室で私がどこに座ろうと私の勝手でしょう。とにかく、私が立つから、君がこっちに座り直しなさい。」
「勃っちゃうんですね。嫉妬心で。」
「君は!」
ぷくっとミラベルは吹き出し、第二王子は勢いよくソファから立ち上がった。
そして彼は俺にここに座れと言う風に偉そうに顎をしゃくって見せた。
俺は面倒だなと思いながら席を立ち、ミラベルの向かいのソファに座り直した。
俺の隣に王子が座ってくるとは思わなかったが。
「せっかくなんですから、婚約者の隣に座ったらどうですか?」
「私は君とは違い、節度というものを知っています。」
「はっきり言っちゃいなさいよ。隣に座ったら膝を撫でたくなってくるって。わかりますよ、俺も同じ男ですからね。」
「ば、馬鹿者が!君と同じ男にしないで欲しい!また、ミラベルはそんな風に扱って良い女性ではない。彼女を侮辱しないでいただきたい!」
「でも、だからこそ、触りたいんでしょう?」
純情童貞王子は顔を真っ赤にすると俺からあからさまに顔を背け、だが、机の上の彼の手に優しく手を重ねる人物はいた。
「ミラベル……!」
「あ、ごめんなさい。急に触れてしまって。」
ミラベルはすぐに手を引っ込めようとしたが、俺がそれを許さなかった。
彼女の手首を押さえてベネディクトの手の甲から逃がさなかったのだ。
「貴様。私のミラベルから手を除けろ。」
珍しいぐらいの低い声を俺を睨みつけながら出したベネディクトは格好の良いものであったが、しかし彼が俺しか見ていないせいで、ミラベルが頬を赤らめて嬉しそうにした可愛い顔をベネディクトは見る事が出来なかった。
なんて残念な奴。
俺は純情すぎる恋人達に大きく溜息を吐いた。
「じゃあ、あなたが握っていればいいでしょう。っとに、見ているこっちがいらいらするんですよ。触れたい、触れられたいって、もじもじしているあなた方にね。俺は大事な話し合いを今すぐミラベルとしたいんだ。はい、お二人は手を握りあって。俺が見本をやりましょうか?はい、立って。もう一度俺がミラベルの横に座りますからね!」
「君は!次の査定は覚えておきなさいよ。」
俺に睨みを利かせた王子は俺の横を立つとミラベルの横に座り、俺に威嚇するようにして婚約者の腰に手を回した。
ミラベルは顔を真っ赤にしたが嬉しそうに王子に微笑み、自分の腰に手を回す王子の左手を逃がさないようになのか自分の左手をそこに沿えた。
「ミラベル。」
「嬉しいわ。」
「そ、そうか!」
よし、次の査定はボーナスが出そうだ。
気分を良くした俺は再びミラベルに金髪野郎作のふざけたリストを差し出した。
「これなんですけどね、これを三か月でクリアしないと俺は結婚出来ないらしいのですよ。結婚話は流れてもいいし、クリアなんぞしなくてもいいかな、って気もしますが、しなければ俺の女が泣きそうだ。どうしたらいいのでしょうね。」
「あらあら、まあ!これは式の準備ですわね。まあ、これを三か月って無理に近いですわね。普通でしたら。」
「普通でしたら?もしかしてミラベル様には可能ですと?」
「私はこういった事は得意ですの。大使の娘ですから、行く先々の国でのパーティの手配はわたくしの仕事でしょう。わたくしに任せなさい。」
「ああ、女神がここにいる!あなたこそご自分の結婚準備でお忙しいのに申し訳ありません。」
「あらあら、あなたがそんな殊勝な事をおっしゃるとはね。これは明日天変地異が起こるかもしれませんわね。ねえ、ベネディクト。」
「そうだね。天変地異が起きる前に私が銃殺してしまいたいけどね。」
「あら、あなたったら。彼がいてこそのあなたでしょう。」
「そうだね。私は少佐のお陰で冷静沈着で懐の広い男だという評価を周囲から受けるようになった。感謝をするべきなんだろうね。」
「ハハ、部下によって上司は作られるって言いますからね。いいって事ですよ。」
「皮肉ですよ。君には本気で通じないですね。」
「ああ、ひどい。殿下のせいで俺の心は張り裂けそうだ。」
「では、婚約者様に慰めていただいたら?」
俺とベネディクトはミラベルを同時に見返した。
「俺に夜這いをしろと?」
「ミラベル、彼の婚約者は伯爵令嬢なんだよ。寝所を襲うように唆したら駄目でしょう。」
ミラベルは俺達を眇め見た。
「あなた方には明日という概念は無いのですか?明日、婚約者様を訪ねては、という意味です。まあ、本当に早めに婚約者様と相談される事をお勧めするわ。この同居案はぞっとしますもの。削除です。削除。」
「削除しても良いのですか?」
「家族は大事ですが、結婚は二人で作っていくものよ。いいこと?まずは婚約者様とこの案を一緒に見て相談し合うことをお勧めするわ。その後にわたくしが手配等のアドバイスをして差し上げます。」
「ああ、あなたは本当に素晴らしい。」
「いいえ。あなたこそ。私の夫となるベネディクトにあなたは命を懸けて下さるのだもの、感謝ばかりだわ。」
「いいえ、懸けませんよ。いいですか、俺は彼に命を懸けないから、二度と命を危険に晒す馬鹿はするなと言い聞かせてくださいね。あなたを助けに行きたいからって、脱線予定の汽車に俺の部隊に混じって乗り込んで来るなんて、愚の骨頂ですよ。凄く、邪魔でした。」
「悪かったな!ああ、君に背負われているだけの荷物でしか無くて悪かったよ。」
過去のあの日、暴走している汽車は敵の線路上のバリケードなど簡単に突き破り、そして、計算通りに線路を外れて敵が占拠していた建物にぶち当たった。
実は、ベネディクトの目の怪我は、壊れた列車を降りたその後だ。
混乱する敵陣の中なのだから俺の後ろにいれば良かったものを、彼はミラベルの悲鳴を聞いたと叫んで走り出してしまったのである。
敵兵はベネディクトに散弾を向け、俺によってその兵は撃ち殺されはしたがベネディクトを狙った散弾は発射された。
幸運なことに的は外れ、だが散弾の破片は彼の目に突き刺さった。
――私はいいからミラベルを、ミラベルを助けてくれ。頼む。
――自分で助けろや。そんくらいで死にはしねぇよ。
俺はベネディクトの重たい体を背中に乗せ上げた。
…………。
「ああ!本当に、面倒だった。思い出したくも二度とやりたくもない!」
「悪かったね!私だって君に借りを作る怖さを知りましたからね、二度としませんよ!」




