二十六 結婚の罠に嵌められて
俺はどうして休暇なんて取ってしまったのだろう。
趣味も何もない男がする事は酒を飲む事だけだろうと、俺は行きつけでもない酒屋の隅で一人飲んだくれていた。
「ねえ、お兄さん。隣はいいかな?」
「うるせぇよ。消えろ。」
俺は一人で飲みたいのに、数分ごとに女が俺の横に座りたがるのはどういうことだと、俺はボトルの酒をグラスに注いだ。
「おい、兄さん。ここがどこだと思ってんだよ。」
クマのようなデカい男が俺の真ん前に立って俺に影を作った。
「ああ?」
「ああ?じゃねえよ。手酌で酒だけを一人で飲みたきゃ酒屋に行けよ。ここはお姉ちゃんと遊ぶところなんだよ。」
「――チェンジ。俺はヒグマとも遊びたくねぇ。」
「てめぇ!」
「うるせぇよ。俺を持て成したかったら、もっと上玉連れてこい。どいつもこいつも香水くせぇだけの厚塗り女じゃねぇか!てめぇは小便くせぇしよ!」
「この!」
クマが俺に襲い掛かろうと手を組んだ両腕を大きく持ち上げた。
「ばかめ。」
大男は振り上げた腕をそのまま真後ろに引かれて体を固定された。
「どうした、中尉。俺は休暇中じゃ無かったか?」
大男の後ろから大男よりも一回り以上小さく細い男が顔を出した。
茶色い髪を丸っこく短いカットをして、茶色い瞳に癖のない整った顔立ちのアルベール・アダン中尉は、若々しく寄宿舎を出たての好青年に見える。だが、彼は俺以上に癖があるろくでなしだ。俺と第二王子の喧嘩が見たいだけで、誰もが嫌がる俺とのバディを買って出た男なのだ。
「王子様からお呼び出しです。」
「休暇中なんだけどね。」
「いいじゃないですか。ぼったくりの出会い酒場で店員に嫌がらせしているぐらい暇なら、王子さんを助けてあげましょうよ。すっごくお困りらしいですよ。おっかない金髪の子爵様に押しかけられて。」
俺は大きく舌打ちすると紙幣を適当にテーブルにばらまいた。
「足りるかな、なあ、ヒグマ?」
「てめえら、ぶち殺す!」
男はがきゅっと音をさせて跪かされ、ついでという風にうなじに一撃迄食らわせられた。
「ひどいな。アダン中尉は人の心を持っていない。」
俺は出口へと歩き出すと、アダンが俺の左隣にひょいと並んだ。
「ホステス全員を敵に回すようなセリフを大声で叫ぶ人に言われたくないですね。臭い厚塗り女って。じゃあどうしてこんな店に入ったんですか?」
「家でつまみを自分で作りたくなかったんだよ。」
「普通の酒場に行けばいいじゃないですか。って、ああ、これねえ。」
アダンは立ち止まり、店の看板をじろじろと眺めている。
色気のある女の横顔が少々繊細に書かれているものだが、俺のイゾルデに似ているような気がしたのである。
「飲み屋の看板の割には清楚な女の絵ですよね。とても美人だ。」
「――お前は如才ないよな。」
「この間は感激さえもしましたからね。あなたが死んだら彼女が可哀想だっていう台詞、それできっとあの金髪さんが王子さんに会いに来たのでしょうね。」
「あいつが俺に感激するわけ無いだろうが。」
「まあ、話だけでも聞きましょうよ。あなたが来ないとお話ししてくれないみたいで、俺はもう、聞きたくて聞きたくて。」
俺は大きく舌打ちをし、行く場所もないからと王宮へと向かった。
そして、第二王子の執務室に入ってみれば、俺を嫌っている事を隠さない男が、俺にリボン付きの一巻の書状を投げてよこした。
「読め。」
俺は反射的にリボンを外して紙を開いたが、そこには暗号のようなものばかり書き込まれていた。
招待客リストと招待状の作成。
披露宴会場の手配。
花屋に食事に、飲み物に。
「なんだ?これ。」
「三か月後に式がしたいのだろう。式に必要な項目を上げた虎の巻という親切だ。私の妹と結婚、それも三か月後なんて言うのであれば、そこに書かれたぐらいの用意はしておけ。」
「おい。俺はイゾルデとの結婚は。」
「ハハ。貴様はすぐ死ぬんだろう?貴様と結婚させればイゾルデは幸せらしい。貴様が死んでも私を含めた伯爵家親類縁者であの子が不幸になることは無い。安心しろ、安心して三年目ぐらいに戦死してくれ。いや、翌日でも一向にかまわない。なんなら結婚宣言その時に貴様を撃ち殺してもいい。」
言いたい事を俺に言い切った金髪子爵は座っていたソファからすくっと立ち上がり、用は済んだとばかりに執務室を出て行った。
一巻の虎の巻とやらを間抜けに抱えている俺に対し、先程の客の向かいのソファに座っていた俺の上司は俺ににやりと笑って見せた。
「頑張りなさいね。先輩としてアドバイスはしてあげるよ。まあ、式は君の方が先になるみたいだけどね。」
「え?」
「式当日の射殺命令は私が号令をかけてもいいよ。」
「え?」
俺はどうやら結婚式という名の泥沼に引き込まれてしまったらしい。




