三話 絶望の花
「キンセンカ、漢字で書けば金盞花」
女の子は、人差し指で空中をなぞり、文字を書いていた。
金と花はまだしも、センはかなり複雑な漢字だ。空中をなぞっただけじゃ、大人の私ですら正確には分からなかった。
子供なのに、なんで知っているの? 花の名前と同じでデタラメ?
「デタラメじゃないよ」
女の子は、まるで私の心を読むような発言をした。
じゃあ、デタラメではないとしよう。花が好きで、植物図鑑を毎日眺めるような子供なら、知っていてもおかしくないと考えよう。
あるいは、花屋の娘だとか。
「キンセンカの花言葉は、絶望、悲観、悲しみ。病人に贈る花としては不適切だよね。常識を疑うよ」
女の子の口調が少し変化する。
不適切とか常識を疑うとか、子供が口にする言葉じゃない。
「不吉な花言葉だね。愛情とか幸福とかがよかったな」
不安を誤魔化すように、私は感想を述べた。
たかが花言葉一つに、どうしてこんなにも不安になる?
「記憶喪失で頭の悪い花ちゃんに、質問があります」
「何?」
「花ちゃんは病気だよね? ベッドで横にならないのはなんで? 立っているのはなんで?」
……立っている?
そうだ、私は今、自分の足で病室の床に立っている。
目覚めてから立ち上がったのではない。最初からずっと立ちっぱなしだ。
余命を宣告されるほどの重病なら、立ち上がることも覚束なくて横になっているはずなのに。
「花ちゃんは、体が辛い? 苦しい?」
「うん……苦しいよ」
「でもさ、この部屋には何もないよ。病気の花ちゃんの命をつなぐための物が、何もね」
「いや、ここには機械が……」
機械が……ない?
何もない。殺風景どころか、本当に何もなくてがらんとした部屋だ。機械音が聞こえていたのに聞こえなくなった。
ベッドすらない病室とか異常過ぎる。
唯一あるのが、窓際に置かれた花瓶と一輪の花。女の子曰くキンセンカだけ。
私の腕には点滴の針も刺さっていない。青白く不健康な肌だけど、点滴のせいでどす黒く変色していたりはしない。
でも、体はだるいし苦しい。女の子と話していても、実は息切れしそうだった。
一体どうなっているの?
ここはどこ? 私は誰?
まさか、本当に記憶喪失だとでも?
「花ちゃんは、長く入院しているせいで、誰とも会わなかったんだよね?」
「う、うん」
「おかしくない? お医者様は? 看護師さんは? 検査のために病室を出ることもあるはずだよね? 他の患者さんとすれ違わないの?」
「わ、私は、重病人だし、外には……」
「自分で立てるじゃん。病室の外にも出られるよね?」
私が反論するたびに、女の子は逃げ道を塞いでくる。
冷静に矛盾点を指摘しているというよりは、いたぶっているような。
そう、小さな子供が虫をじわじわと殺すような。
ニコニコと笑みを浮かべる可愛い顔が、酷く恐ろしく見えた。
恐ろしいのに視線は逸らせない。逸らしたが最後、取って食われそうだ。ただの子供に覚える感覚じゃない。
すぅ、っと。
女の子の口が裂ける。口内は血のように真っ赤だ。
私は確信する。
この子、人間じゃない。